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  • 薔薇・坂東道40mの竹は一節・佐竹寺。茨木県常陸太田市。

    バラが発生したのは、今から3500万年前とも、7000万年前ともだという。・・・生地は"ヒマラヤ山脈の麓"あたりではないかと・・・いう・青いバラは、記憶を消す花だった。4歳、映画好きの母に背負われて、見た映画、🎥バクダットの盗賊。王子に恋をした、遠い国の王女に、魔法を使う、悪家臣が横恋慕して、王子との記憶を消し、王女の心を奪おうと、青い薔薇の香りを吸わせる・・香りに酔った王女は・・青い薔薇は、想像の掻き立てる夢の花だった・・青い薔薇、青い色素の薔薇を開発に成功したのは、2004年の日本と共同企業のオーストラリア。花の名前はアプローズ、喝采。不可能から、♪夢かなう♬の花言葉に・・・40mばかりの竹に、節がひとつ、霞む向こうに繁る松林、千年の先に明るい世界が見えたと、武将。源氏の姓から、佐竹の姓に替え、日暮れ...薔薇・坂東道40mの竹は一節・佐竹寺。茨木県常陸太田市。

  • 雨も降らない梅雨休暇の延長 相模原公園薔薇

    経済生活が出来れば、な~~んもしたくない人前に出たくない目立ちたくないな~んもしなくていいいつまでも、ひっそりして、居たいのに面相・赤鬼になって、青鬼になってねじり鉢巻き、無い知恵に人手を借りる日に今日も梅雨休暇先取りの延長の報告・・・でありますちょっと、快感・・人を欺いて出かけた相模原公園の薔薇カメラを持って♪~♫~♩~♫~♪雨も降らない梅雨休暇の延長相模原公園薔薇

  • 雨期休暇の先取りです。

    時間が取れた日は、投稿しますが5月28日前後まで、ちょいと休みます了承くださいますよう‼雨期休暇の先取りです。

  • 坂東道、室町の建造物一杯、西明寺。栃木県益子町、

    👇今日のメインは図鑑ではなく、時計。久しぶりの缶ビール350㎜、ぐいぐいと・・化け物が出るには、早すぎて、化け物より怖かった、妻の夢時刻は、まだまだ。自宅籠りに飽きが来て・・来てしまった・・・うんカメラの埃をひと吹き、磨いて胸を躍らせた・・19時20分。昨日は、お化けも、妻の一言も、出なくて今朝、8時までぐっすり・・・樫木、椎の木ここが北限と云われる、焼き物の産地、栃木県益子町、獨鈷山・西明寺。山は高館山の中腹に・・独鈷山の由来は、空海が訪れた時、死者の葬式を出さない奈良仏教、法相宗の僧らが、空海の徳を妬んで、岩屋の中に押し込めようとするのを、持っていた独鈷で、難を逃れた謂れ・・その頃は益子寺と呼ばれてたという。👇三重の軒の間反りの強調、軒先の撥ね上がりが、陰影を強めて、写真を撮っている辺りからの拝礼が、...坂東道、室町の建造物一杯、西明寺。栃木県益子町、

  • 坂東道 日本最古の石像、大谷寺。栃木県宇都宮市。

    石の山の寺院に出逢うと、自然崇拝、全ての物に神として、崇めていた、古代の人たちの姿が浮かんできます。歴代の日光輪王寺の法親王は、上野寛永寺から、日光社参の時には、この寺を宿泊所にしてたという。坂東札所19番大谷寺の宿坊。大谷寺では、内陣は山で、外陣に本尊を祀っているという、社寺建築の歴史上、おそらくここだけかも知れない脇堂からは、釈迦、薬師、阿弥陀の三尊が、大谷石に彫られている。撮影禁止でパンフレットから👇最近の調査で、アフガニスタンのバーミアン石仏に似てることからアフガニスタンの僧侶が彫り日本のシルクロードと考えられる・・とパンフレットにあり早い調査結果が欲しいです‥ね‼大谷町1日あちこちで・・居てしまったそろそろ、帰ろう何処かで、宇都宮餃子♫♬♪うん坂東道日本最古の石像、大谷寺。栃木県宇都宮市。

  • 坂東道、大谷石の大谷観音 ❶ 栃木県宇都宮市。

    坂東道、18番中禅寺から19番の大谷観音まで、30キロくらい、1日がかりの巡礼になりますね。車なら1時間も掛からず、行けますが、江戸の頃の乗り物は籠、駄賃もかなりで、巡礼を兼ねた観光は、お金、時間が無いと出かけられなかったでしょうね。通称大谷観音で親しまれている、札所19番大谷寺。巨大な大谷石を切り崩した跡地に、地形を巧く配した観音堂は、巡礼だけでなく、観光でも見たい宇都宮市の大谷町。大谷の歴史は古く、縄文時代には、炉石の囲いに置いたいたなど、昭和の初めには、👇カトリック・松が峰教会や、耐火性と保湿を供えた大谷石は、宇都宮市で多く見られ、倉庫を改良してた店もあります。採石した跡地では、音楽家や、演劇などに利用されていて、テレビ局の車が陣を取ってます。調子こいて、石ばっかし予定紙面がオーバーです大谷観音さん...坂東道、大谷石の大谷観音❶栃木県宇都宮市。

  • 中禅寺 立木観音 坂東道・日光市

    明治4年までの中禅寺湖、男体山は、女性禁制の場所で👆の景色、江戸の女性巡礼者は見られなかった・・・荷を運ぶ馬も禁制・・・ながら馬にすれば、馬返しの大谷川で、つぶらな瞳、キラキラ輝き、しめたと思ったかもしれない・・。巡礼目的の観光する、江戸時代の女性は、今の馬返し辺りから10丁・・1キロばかりの女人堂で、お詣りして、次の宇都宮市の大谷観音に向かうか、日光東照宮あたり日持ちする、甚五郎煎餅を買い、一泊、東照宮でも・・と・・・坂東札所18番・中禅寺。勝道上人は、二荒山・今の男体山・・に、3度挑戦して登頂出来た784年、湖畔の周りを弟子達と歩いて、中禅寺を開山したという。ここは東照宮に隣接する、輪王寺の別院。湖畔、もう少し行けば、イタリアやイギリス大使館の別荘が、ありますが今回はパス。仁王門から👇・・社務所では、...中禅寺立木観音坂東道・日光市

  • 坂東道 満願寺 ❷-❷ の彫刻・・栃木市。

    遥かなる峰々、断崖絶壁、豊かな森を目にすると、何か、崇拝的な心地になって、ここへ来て、良かったと思い、今度は、深山・幽谷に分け入ってみたいとも思う。寺院僧侶が、袈裟を着て法螺貝を吹き、説法を解きながら案内する先達・・修験道、理屈よりも実践修行を尊重する入峰修行、修行者は、みだりに未入峰者に、その内容を語ってはならないという、修験道の古法を守っっていて、その神秘性を保っているという。出流山・満願寺の奥の院も、修験者が訪れ、滝行をして、日光に出向くという。その神秘性に見合うように、里村離れた山奥の大御堂、軒を支える升組、壁から柱を支える肘木を置いて、その上に桁を乗せて、三段、三手先工法。社寺の優美をかもす、軒の僅かな反り、その隙間を埋める計算の技、感心するばかりです。更に、龍の彫り物・・・う~ん・・・です‼奥...坂東道満願寺❷-❷の彫刻・・栃木市。

  • 坂東道 出流山・満願寺 ❷-❶ 栃木県栃木市。

    日光東照宮のある栃木県、日光を開山したのは勝道上人で、彼の父母は、今の群馬県高崎市の片岡町辺りから、栃木県芳賀辺りに移り住み、この一帯の国司になった方。子宝に恵まれなかった母は、栃木市の満願寺の奥の院にお参りし、授かったのが勝道上人・・735年に生まれ、幼いころから寺修行、山伏修行の場は、ここ出流山・満願寺・・・のちの坂東札所17番。上人となって、18歳・762年で具足戎を受け、栃木市出流山・満願寺を開創した765年、日光輪王寺を開山したのは、その翌年。今でも、日光の開山が勝道上人ということで、日光の修験者は年中行事の一つとして、必ずここで入峰の修行を行なうという。👇山門は、1700年中ごろのデザインで、茅葺の屋根も、今は修復していて金属板にしてるけど、仁王像は1330年頃の鬼気迫る形相・・蟇股に七福神さ...坂東道出流山・満願寺❷-❶栃木県栃木市。

  • 埼玉・森林公園の散歩。

    デルフィニュウム👆👇花咲く背丈が違い、青、紫、白、水色にピンクと、さま様で、原産は、ピレネー山脈、アルプス山脈、中央アジアから、中国西南部の標高1,000m以上の山岳地帯で、雪解け水が流れ込むような冷涼な高地に自生してるという。主治医の、行くなら誰かと一緒にと・・・ということは、これからずっ~とということ?頭の上で思案袋が、わずかな風にふわり、ふわり揺れた。『判りやした』と相槌打って、埼玉県の森林公園まで・・・自宅から高速で1時間、今の体調では手ごろなドライブ。きょうの写真は、ほやほやの撮って出しです。👇今日は母の日・・・こんな慰労、いいですねぇ~森林公園の宣伝、4万本のルピナス👇これを見たかった。森林公園、次の花ポピーを撮る場所まで、1時間以上かかった。痛み始めた両足首、のに、花見たさにぴょこたん、ぴょ...埼玉・森林公園の散歩。

  • 迦陵頻伽の水澤寺 ❸-➌ 群馬県伊香保町。

    ムラサキサギゴケ水澤寺、1300年の歴史に、再三の災火により焼失、現在の建物は1521年から1528年、に仮堂を建立し、1751年から1781年、途切れて1784年まで、33ヵ年の大改築によって完成させ、装飾は、中国の夫人などを彫り物にし、男性よりも女性の観光客が圧倒的に多かった水澤寺でした。👇迦陵頻伽..かりょうびんが..の浄土を表現していると理解され、美声をもつ、江戸の巷では、手が届かない、花魁の代名詞にもなる、神話の鳥。誰が描いたのでしょう・・・・巡礼、人生の人間形成の修験というけど江戸時代の観光を目的にした人たちここまでの長い坂道車でも長いのにゼイゼイ・ハアハア~このゼイゼイ・ハァハア~が終わった時きっと、体の芯で何かが変わるのでしょうねいまだ、変化に気が付かない河童です来たとき、1回100円での...迦陵頻伽の水澤寺❸-➌群馬県伊香保町。

  • 六角堂・水澤寺 ➌-❷ 群馬県伊香保町。

    ジギタリス・狐の手袋👆水澤寺、広い駐車場と参道には、昔から、地場の特産が並んでいて、次の札所の栃木出流山・満願寺までは、有に80キロ、籠か歩くだけの江戸の巡礼・観光、休み処や、宿での食物が欲しい・・・何を買うか物見する、楽しみもあったでしょう・・今だって、観光巡り、私も楽しみで、鉄くずを磨いた作ったオートバイと、車でポイと頬張る👆トマトせんべい・・・🍘美味い‼参拝する前に、水沢うどん街道で、うどん食べるのですが、うどん屋さんも、水澤寺が再建した当時から、400年の歴史が有ったわけで・・・👇六角堂は、1600年代後半に建立された、地蔵尊信仰の代表的建築物で・・地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の、六道を守る、地蔵尊を祀り、六道輪廻の相を表しております。回転する地蔵尊を左に3回廻して、真心の供養を...六角堂・水澤寺➌-❷群馬県伊香保町。

  • 水澤寺 ❶ の山門。坂東道 群馬県伊香保町。

    4日間、自宅で過ごして昨日、休憩室の壁を塗り替える作業で、脚立に乗ったり、降りたり、夜のぐっすり寝まで良かったのに、今日は足がもつれ、こっちでヨタヨタ、あっちでヨタ・・膏薬貼っても地につく足、宙に浮いてケタケタ笑う・・。健脚前の、好転反応・・そう思えれば・・いいけど・・・今は、脚立が怨めしい・・・鬱蒼としている木立に、彩度を落とした朱色の門構えは、自然を崇拝する山岳宗教、浮ついた気分を撥ねつける。群馬県伊香保町、坂東札所16番、五徳山・水澤寺。仁王門の完成は1787年で・・一階の通路の天井には、狩野探雲上野法眼の、洗練された筆使いの龍の絵が・・・中国の彫師が手掛けて、彫ったかと思えた、奇抜なフォルムの木鼻・・・風雨にさらされて、剥がれた塗料のまだら・・時の流れ、成り行きの風情が、またいい‼👇石段、苔を活か...水澤寺❶の山門。坂東道群馬県伊香保町。

  • 通勤の前には合掌で・・横浜市・弘明寺。

    リス👆と坂東札所14番、横浜市の弘明寺.ぐみょうじ..とは、まったく関係なく、リスは武蔵野市の井の頭公園のリス園で、チョロチョロパッパしてたリスです。弘明寺町に住む3700人ばかりの人たちの、900人ばかりの人たちが、地元で働いてるという。仕事場に行く途中、帰り、門前で手を合わせる人が、いっぱいいるという・・。鎌倉時代には、源将軍家累代の祈願所で、1766年に再建された本堂は、1044年、光慧上人が瓦葺き本堂が建立した、当時の古材が床板として使われている・・と。廃仏毀釈による公有地化で4万5千㎡は、横浜市へ譲渡...現・弘明寺公園...し、更に京浜急行電鉄が、弘明寺駅が開業し、駅周辺では寺自身が、民有化を進めたことなどにより、寺有地は、過去所有していた約2割になったとという・・・。👇1798年の梵鐘は、川...通勤の前には合掌で・・横浜市・弘明寺。

  • 坂東道 浅草・浅草寺 ❷-❷ 東京都台東区。

    👇1649年再建立した後東京大空襲で焼失し、昭和33年再建した、坂東札所13番、金龍山・浅草寺。きっちりかっちり、歴史が見えないコンクリート造りでした。当時、焼け野原から再興したばかり、山は無く、伐採も遠くからで、木造で作るには、莫大な費用が掛かったのでしょう・・・初代・本堂の造営に携わった大工たちは、源頼朝さん鶴の人声、ほとんどの人たちが、鶴岡八幡宮の造営に、呼び寄せられたといいます。初詣、三社祭、浅草カーニバル、ほうずき市、羽子板市など、境内はびっしり、年がら年中、奈良時代からの聖観世音菩薩さん・・・息つく暇もない。五重塔・・宗教問わず、誰でも供養が出来き、マザーテレスさん・ダイアナ妃の供養に位牌が、安置されてると・・・👇龍図天人図・川端龍子画伯筆浅草に賑わいの帳が降りて地元の人たちの散歩コース私も、...坂東道浅草・浅草寺❷-❷東京都台東区。

  • 坂東道 浅草、浅草寺 ❶ 東京都台東区。

    ケチ・ケチ道場の弟子になって、眼を輝かせ、昨日の買い物より、今日は安かったとなれば、初段の段位を貰えると、内心やったと・・・なのに、段位もらえるまで、道のりは遠い・・・関東の観音信仰者には、西国33カ所に訪れる、道程は厳しく、代表者に行ってもらうという方法を取る・・関西から来る人も同じでしょうね‼坂東道、埼玉県からまた東京にもどり、隅田川へ・・・浅草・浅草寺、坂東札所13番。歴史は飛鳥時代、漁師の投網に掛った像を捨てたのに、場所を変えてもかかるので、持ち帰り、調べてもらったら、聖観世音菩薩で、藁で作った堂を造り、祀ったという。観音様が人の姿で姿を見せると、一夜にして千株の松が生え、3日後には、金の鱗の龍が、松林に降りてきたという・・・ながら、史実を記事にする能力袋は、すでに破裂・・今回は、江戸時代、見世物...坂東道浅草、浅草寺❶東京都台東区。

  • すももの実が、日光山から飛んできた、慈恩寺。坂東道・さいたま市。

    百日紅が咲いてた8月の参拝でした。山門から鐘楼を目安に、咲き終えた藤棚を見上げて人形の町、岩槻市の坂東札所12番・慈恩寺。なんつたって、敷地が広い、以前は13万5千坪もあって、山林、田畑など、関わるところ、一帯、慈恩寺村と呼ばれていたらしい。戦時中、南京駐留の日本軍が土木作業中、三蔵法師の遺骨を発見し、届け出た。南京政府からは、三蔵法師の遺骨を日本に贈り、ここから5分ばかりの、十三重の塔に収められているという。👇1827年に焼失し、845年に再建して、昭和12年に改修した観音堂。右、慈航普渡は、中国では、仏や菩薩は苦海を渡り、それゆえに慈悲の心で、衆生を救ってくださるという・・👇これ以上撮影禁止で・・・昔、824年ごろ、慈覚大師が関東巡錫したとき、日光山から『すもも』を投げたら、この地に落ち、千手観音を彫...すももの実が、日光山から飛んできた、慈恩寺。坂東道・さいたま市。

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