先日10月17日俳優の西田敏行さんが逝去されました。僕が子供の頃からドラマやCM、バラエティなどに出演されているのを見ていたので今回亡くなられて非常に寂しい思いです。実は西田敏行さん本人1987年の夏、僕が大学二年生頃敦煌で見かけたことがあるのです。夏休
醍醐古墳群8号墳です。8号墳は7号墳の北東にあります。7号墳から少し山裾を下った場所にありました。石室の前に門のような石が右側にあります。石室の上に巨大な天井石が乗っかっています。3号墳や2号墳、7号墳に比べて石室内は狭いです。石室奥です。草木の根がとこ
醍醐古墳群7号墳です。7号墳は6号墳の北側のほぼ同じ標高にあります。かなり立派な石積みが残っています。案内板です。どっしりとした入り口です。玄室に入る玄門は立派な石柱で支えられています。奥壁は巨大な一枚岩です。案内板に少し不気味と書いていましたがここから
醍醐古墳群6号墳です。 5号墳より少し山の上のほうへ上ったところにあります。ありました。これは石室の奥壁部分かな?天井石は無くなっていてかろうじて石が並んでいるのが石室だとわかります。草が結構生い茂っていて全体の形が掴みづらいです。たぶん真ん中の大きな石が
醍醐古墳群5号墳です。4号墳と5号墳の間にあると言われている12号墳は確認できませんでした。山のほうに登って行くと5号墳の看板がありましたが・・・。もしかして、これ?うーん、どこの部分かもよくわからん。5号墳の付近にあった梅の木古墳。ここはネットで調べて
醍醐古墳群4号墳です。 4号墳は3号墳の山側で簡易舗装された道路沿いにあります。古墳の上に生えている大木はエノキだそうです。案内板です。案内板を読んでいると後ろに何か視線を感じる・・・。振り向くと!く・・・熊?こんなところに野生の熊がいるとは、油断ならん
醍醐古墳群です。一号墳はこの古墳群の中で最も低位置にある横穴式石室で畑の崖面に玄室から玄門付近の羨道にかかる西壁下部が残されているらしいのですが・・・。現地をいくら探してもそれらしいものは見当たらず、さっぱりわかりません。なんとなくこれかなぁと思う痕跡が
醍醐2号墳です。 2号墳は3号墳から池を挟んで北側にあります。石室と墳丘が結構しっかり残っています。石室の外側は石で覆われています。近くに石室の天井石?らしき石の板が放置されていました。案内板には玄室の幅は3号墳よりも狭いけど長さと高さは醍醐古墳の中で最
香川県坂出市西庄町にある醍醐古墳群は城山北部の斜面に所在し、12基の横穴式古墳からなる古墳群で大型横穴式石室を含んでいます。醍醐古墳群の下の平地、綾川の南岸付近に八世紀前半ころに創建されたと考えられる醍醐廃寺があり、新宮古墳ー開法寺、穴薬師(綾織塚)古墳
聖通寺にかつての聖通寺城(宇多津城)の城主であった仙石権兵衛のお墓があるというのでその聖通寺に行ってきた。聖通寺はかつて本丸があった中峰の南側の麓にあります。仙石権兵衛とは仙石秀久ともいい元々は美濃の土岐氏に仕える土豪の家柄で後に斎藤氏に、斎藤氏が滅び、
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先日10月17日俳優の西田敏行さんが逝去されました。僕が子供の頃からドラマやCM、バラエティなどに出演されているのを見ていたので今回亡くなられて非常に寂しい思いです。実は西田敏行さん本人1987年の夏、僕が大学二年生頃敦煌で見かけたことがあるのです。夏休
東京で働いていたとき品川区の東急池上線の荏原中延近辺に住んでいた。家賃は会社が負担してくれて6万円までということで住居を探したのだがやっぱり東京は高くて都心の会社から近い場所で6万円の物件となると狭いワンルームしかない。町の雰囲気がなんとなく気に入ったの
香川県多度津町、多度津山の南東部に延びる丘陵部に造られた古墳です。多度津にはめったに行くことはないのですがたまたま行く用事ができたの見に行くことにしました。墳丘は円墳で横穴式石室で現況の直径は13.5mですが元々は20m超あったのではないかと考えられてい
香川県高松市石清尾山古墳群のある峰山の南の浄願寺山山頂に50基ほどの古墳からなる浄願寺山古墳群です。古代の地形を再現した地図です。尾根沿いからぽつぽつ古墳がみられ山頂部に群集しています。3DCGで再現、青い線で示したのが今回の登山ルートです。香東川の河原にあ
香川県高松市にある稲荷山は石清尾山の東側からぴょこんと突き出したようにあります。その東側の麓には栗林公園があり公園の借景にもされています。今回、峰山公園に車を止め石船塚古墳のある尾根から稲荷山にある稲荷山姫塚古墳、稲荷山北端古墳、稲荷山1号墳を見学に向か
桃の花と讃岐富士桜も
早朝でも大分暖かくなった。
早朝角山から讃岐富士。よく晴れてた。
まだまだ寒い日が続きますね。1月末はかなり寒くてこれならば城山の不動の滝がもしかしたら氷結しているのでは?と思い立ち行ってみました。城山へは元旦に登り初日の出を見に行ったのですが 城山登山で初日の出 今回は不動の滝までの入り口まで車で登りそこから滝のある
高松市御厩町(みまやちょう)にある大塚古墳です。住宅地の中に大小さまざまな石が積み上げられたものがぽつんとありました。 横穴式石室の盛り土円墳だそうですが盛り土は失われて石がむき出しになっています。石は崩れないようにコンクリートで補強されています。説明板
香川県高松平野南部、伽藍山の東裾にあり、御厩池の北面堤防付近の住宅地と農地の中に御厩天神(まみやてんじん)古墳があります。説明板によると後円部約28m、前方部約10mの帆立貝形の前方後円墳で出土遺物の埴輪片から古墳時代中期後半(五世紀後半)に築造されたものと
2023年1月1日初日の出を見るために城山に登りました。前回登ったのは2020年、3年ぶりの城山登山でした。天空の古代山城は実在した!(今はゴルフ場)朝5時に自宅を出発、歩いて黒岩天満宮の登山口を目指すも、まだ周りは真っ暗で黒岩天満宮の場所になかなかたど
丸亀市綾歌町にある快天山古墳(4世紀の前方後円墳)は昭和25年に発掘調査がされ、三つの石棺が発掘され調査後埋め戻されましたが昨年度から回再調査され今年72年ぶりに2つの石棺が掘り出されました。NHK 香川 NEWS WEBの記事香川 丸亀「快天山古墳」発掘調査 石棺の詳
以前、探索した雌山古墳の雌山の東側の麓に松山の津という旧跡があります。平安時代末、保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐に流され最初に上陸した地がこの松山の津です。現在は内陸になっていますが当時は下の図のように坂出市の沿岸部はほとんど海だったようです。現在、さぬ
香川県高松市新田町にある山下古墳です。古代の海岸線を再現した地図です。久本古墳のすぐ北に山下古墳があります。住宅街の中にあって分かりずらいと思いきや看板がありました。墳丘はほとんど失われていますが石室は残っているようです。なかなか立派な羨道入り口です。入
香川県高松市にある屋島はかつて、その名の通り陸から離れた島でしたが江戸時代に塩田開発や干拓で陸続きとなっています。。メサと呼ばれるテーブル台地状の地形で花崗岩の基盤の上に水平な讃岐岩質安山岩が乗っかっている感じの地形です。その屋島の北端に長崎鼻古墳があり
屋島神社は高松市にある屋島の南、四国村のすぐ隣にあります。讃岐東照宮と書いてあります。東照宮ってことは日光にもありますね。そう、東照大権現さまぁ。。。そう徳川家康を祀っている神社です。なぜその東照宮が讃岐の地、香川県にあるのか?実は高松藩の初代藩主は水戸
2021年春に四国むらにある四国村ギャラリーに行きました。四国村ギャラリーは四国村創設者の加藤達雄が収集した美術品を展示する美術館として、建築家・安藤忠雄氏設計により2002年に開館した美術館です。四国村ギャラリー実はバローチスターンの土器や土偶の企画展があ
香川県高松市屋島にある四国村に行ってきました。と言っても今は2022年の二月で行ったのは去年の2021年の二月なのでちょうど一年前の話なんですが。四国村は民家を中心とする古建築をテーマにした広大な野外博物館です。詳しくは公式ホームページをご覧ください。四
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香川県多度津町、多度津山の南東部に延びる丘陵部に造られた古墳です。多度津にはめったに行くことはないのですがたまたま行く用事ができたの見に行くことにしました。墳丘は円墳で横穴式石室で現況の直径は13.5mですが元々は20m超あったのではないかと考えられてい