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観光研究者のまち歩きフォト日記 https://kaz-r-brand.hateblo.jp/

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真&旅ブログです。シンガポール在住経験あり。

シンガポールをはじめ、国内外各地のまち歩きと写真撮影を続けています。 地域が活性化し元気になること、そのお手伝いをすること、それが私のミッションです。

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2015/11/30

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  • 風が心地よいオーシャンビュー「山川砂むし温泉」&「たまて箱温泉」(鹿児島・開聞岳周辺その3)

    薩摩半島の南端にある伏目温泉(指宿市山川福元)では、種類が異なる二つの温泉に入ってきました。 一つは「山川砂むし温泉」です。 伏目海岸の砂浜にあって、浴衣姿で寝ころべば、係の人がスコップで体全体に砂をかけてくれます。 伏目温泉の泉温は約100度と、周辺の温泉(指宿)のなかでも一番高いそう。 始めは温かくて何とも気持ち良かったのですが、数分後には熱くて全身が汗だくになりました。 まあ、我慢比べのようなものでしたが、わずか数分後にギブアップして冷たいシャワーを浴びれば、心身ともに実に爽快でした。 他所の温泉では、なかなかに味わえない温浴法なので、とても面白かったですね。 その昔、指宿温泉でも ”砂…

  • 絶景の産業遺産「山川製塩工場跡」(鹿児島・開聞岳周辺その2)

    薩摩半島(鹿児島県)の南端にある伏目(ふしめ)温泉へとやってきました。 場所は、指宿市山川福元の伏目海岸ですね。 ここには、温泉を利用して製塩を行っていた「山川製塩工場跡」があります。 眼前に広がる東シナ海と、海に浮かぶ開聞岳を見渡す高台に、その工場跡はありました。 山川製塩工場の操業は、戦時中の昭和18年頃から始まりました。 当時、輸入塩の減少と工業塩の需要増に悩まされた政府は、国内での製塩事業を活発化させます。 それに応ずる形で温泉熱を利用した製塩事業を始めたのが、この山川製塩工場です。 伏目温泉の泉温は約100度と高く、この温泉熱と南国の太陽光を併用して海水を蒸発させることで良質な塩を作…

  • JR最南端の駅「西大山駅」(鹿児島・開聞岳周辺)

    今回からは、鹿児島の旅のレポートです。 鹿児島は、かつて転勤で2年ほど住んだことがあり、今では第二の故郷のように思っています。 その後も、しばらく鹿児島の大学で講義(地域振興や観光論など)を持っていたため、月に2回ほどは通っていました。 今回は、赴任当時の転勤族の集まりが鹿児島市内であり、久しぶりに出かけてきた次第です。 ちょうど良い機会なので、薩摩半島の最南端にある開聞岳周辺も歩いてきました。 開聞岳を眺めながら「たまて箱温泉」の露天風呂に浸かっていると、都会のあくせくした生活が何とも馬鹿らしく感じられるようでした。 ということで、まずは JR 日本最南端の駅「西大山駅」から旅の話を始めまし…

  • 伊和神社(播磨国一宮)(兵庫・宍粟市)

    お盆休みで兵庫県太子町へと帰省した際に、ふと思いついて「伊和神社」にお参りしてきました。 「伊和神社」は播磨国一宮で、宍粟市(兵庫県)にあります。 前回のブログで紹介した「網干」(あぼし)が揖保川(いぼがわ)の河口なのに対して、「伊和神社」は揖保川の上流域(山間部)にあります。 揖保川沿いの国道29号線(因幡街道)を、ひたすら川上(鳥取方面)に向けてクルマを走らせると鬱蒼とした森が見えてきました。 写真は「伊和神社」の参道です。 この神社の大きな特徴は、この境内地にありますね。 周囲60㎝以上あるご神木が1,650本余り(杉563本、檜200本、樫415本ほか)あって、そのうち大杉(周囲3m以…

  • 網干(あぼし)街歩き#3《網干陣屋跡、金刀比羅神社》(兵庫・姫路市網干区)

    今回も、網干(兵庫県姫路市)街歩きの続きです。 前回紹介した「旧水井家住宅」のすぐ近くには、「網干陣屋跡」があります。 「網干陣屋」は、江戸期に四国・丸亀藩が設けていたもの。 その当時は、代官・奉行をはじめ藩校(分校)なども置いていたとか。 もともと網干地区は姫路藩に属していましたが、曲折のうえ1637年に龍野藩領へと変更されました。 さらに1658年、当時の龍野藩主・京極高和が四国・丸亀藩へと移封された際、網干地区28ヵ村(1万石)だけは引き続き京極家領とされ、以降、明治まで丸亀藩の飛び地として領有されてきたそう。 (以上は「網干陣屋跡」の案内板から適宜引用しました) 実際に訪れると、再建さ…

  • 網干(あぼし)街歩き#2《丸万鮮魚店、旧水井家住宅》(兵庫・姫路市網干区)

    先週の金曜日、仕事を終えてから新幹線に飛び乗って、兵庫県太子町の実家へと帰りました。 お盆にも帰ったので、2週連続での帰省です。 もう慣れているとはいえ、流石に少し草臥れました。 まあ、田舎にもいろいろと用事があるので、ボヤいても仕方ありませんが・・・。 さて、今回も網干(兵庫県姫路市)街歩きの続きです。 前回、紹介した「旧山本家住宅」の近く、金刀比羅神社の鳥居の隣にあるのが「丸万鮮魚店」です。 この建物、よく見ると1階と2階が少しアンバランスに見えます。 ネットで調べると、この2階部分は「旧山本家住宅」の敷地内にあった"離れ"で、鮮魚店の2階に移築したものだそう。 今は宴会場などに使っている…

  • 網干(あぼし)街歩き《旧山本家住宅&旧網干銀行本店》(兵庫・姫路市網干区)

    今年のお盆休みは、兵庫県太子町の実家に帰省していました。 太子町から少し南へと下ったところにあるのが、姫路市網干区(あぼしく)です。 今回の帰省では、以前から見たかった「旧山本家住宅」と「旧網干銀行本店」の建物などを見てきました。 山陽電鉄網干駅の南側が、旧網干(あぼし)町の中心街で、古くから漁業や商業で繁栄してきました(昭和21年に姫路市と合併)。 そして現在は、少し寂びれた町並みに加えて、歴史的な建造物が沢山残されています。 その代表的なものが「旧山本家住宅」と「旧網干銀行本店」です。 次の写真は「旧山本家住宅」を撮ったもの。 同住宅に貼られた説明文によると、「旧山本家住宅は網干銀行頭取や…

  • 須崎鍋焼きラーメン(高知・須崎市)

    梼原町(高知県)から高知龍馬空港へと向かう途中、須崎市に立ち寄りました。 須崎は、太平洋に面した人口2万2千人ほどの市です。 近年では、市内を流れる新荘川で二ホンカワウソの痕跡が発見されたことでも知られています。 この須崎市に立ち寄った目的は、ご当地ラーメンである「須崎鍋焼きラーメン」を食べるためでした。 写真は、今回食べてきた「鍋焼きラーメン」を撮ったもの。 鶏ガラだしに醤油ベースのスープを土鍋で煮込んだ、熱々のラーメンです。 麺は細めのストレート麺で、トッピングは青ネギ、ちくわと至ってシンプルでした。 市役所のホームページの紹介では、卵もトッピングされるのが普通のように書いてありましたが、…

  • 隈研吾の建築作品#3《雲の上のギャラリー》(高知・梼原その10)

    梼原(ゆすはら)での宿泊先は「雲の上のホテル」でした。 このホテルと、隣接して建っている「雲の上の温泉」棟とを空中で繋いでいるのが「雲の上のギャラリー」です。 完成したのは2010年とか。 建築家・隈研吾の設計としては、まちなかにある「マルシェ・ユスハラ」と同年に出来たものですね。 この「雲の上のギャラリー」は、今回の旅で私が一番見たかった建築物です。 ホテル棟と温泉棟の高低差を利用して建てたもので、内部は空中廊下(ブリッジ)兼ギャラリーになっています。 刎木(はねぎ)を何本も重ねながら、桁を乗せていく工法で、真ん中には1本の柱が設けられています。 梼原町のホームページによれば、この「やじろべ…

  • 隈研吾の建築作品#2《雲の上のホテル》(高知・梼原その9)

    梼原(ゆすはら)では「雲の上のホテル」に宿泊しました。 この建物は、隈研吾が梼原町で初めて設計したものです。 場所は、国道197号線沿いの太郎川公園(道の駅ゆすはら)にあります。 竣工したのは1994年。 木造建築で、梼原町産の杉をふんだんに使っています。 サーフボード型の屋根は雲をイメージしたものとか。 同町のキャッチコピーである「雲の上のまち」を上手く表現したデザインとなっていますね。 建物は斜面に面して建てられていて、木製テラスの先には半円形の池が設置されています。 この池は、青空と星を映しこむ棚田をイメージしたものらしい。 実際に泊まってみると、木造建築のぬくもりのせいか、ゆったりとし…

  • 隈研吾の建築作品#1《梼原町総合庁舎&マルシェ・ユスハラ》(高知・梼原その8)

    久しぶりのブログ更新です。 お盆休みを利用して、実家(兵庫県太子町)に帰省していました。 東京へと戻る日が、ちょうど台風のための計画運休(山陽新幹線)と重なり、一日順延して帰ってきました。 当初の予定とは異なった日程となりましたが、田舎での用事も沢山あったので丁度良かったという感じですかね。 少し草臥れましたが・・・。 さて、今回も高知・梼原の旅の続きです。 梼原町(ゆすはらちょう)には、建築家・隈研吾が設計した建築物が複数あります。 隈研吾は、木材を使った和のデザインが特徴の著名建築家ですね。 最近では、新国立競技場(オリンピック・スタジアム)の設計者として知られています。 梼原町のホームペ…

  • 梼原町のメインストリート(高知・梼原その7)

    立秋が過ぎたというのに、まだまだ暑い日が続いていますね。 冬に鉢植えにした"柚子の木"に、青い実が3つだけ付きました。 今年植えたばかりなのに、もう実が付いたので嬉しくて、毎日眺めています。 涼しくなる頃には、黄色く色づいてくるはず。 いまから、柚子湯を楽しみにしています。 さて、梼原町(ゆすはらちょう)の旅の続きです。 梼原町の中心部、町役場のあるあたりに、この町のメインストリート(国道440号線)があります。 その両脇には、民家や商店などが立ち並んで、とても気持ちの良い景観となっています。 歩道に植えてあるのは、ハナミズキでしょうか。 訪れた時(6月)には、白い綺麗な花が咲いていました。 …

  • 四国カルスト(高知・梼原その6)

    お盆休みに入りましたが、暑い日が続きますね。 少し前に、このブログで報告したヤマボウシ(自宅のシンボルツリーです)のメジロの巣から雛が巣立ちました。 昨日、今日とヤマボウシの枝の周りをメジロの親子が飛び交っています。 おかげで、鳥の鳴き声に癒される三連休となりました。 さて、梼原町(ゆすはらちょう)の旅の続きです。 梼原町は、標高220mから1,455mと高低差が大きいという特徴があります。 それも、四国カルストと呼ばれるカルスト台地を抱えているためですね。 カルスト台地は、標高1,400mあたりに東西25㎞に亘って拡がっています。 四国カルストは「日本三大カルスト」の一つで、あとの二つは秋吉…

  • 梼原三嶋神社&御幸橋(高知・梼原その5)

    梼原町(ゆすはらちょう)の中心部には、四万十川の支流である梼原川が流れています。 綺麗な水の流れで、とても気持ちのよい空間環境を作り出しています。 潤いがあって住みやすい町には、必ずと言ってよいほど近くに川が流れていますね。 あと、猫が多く住んでいる町は、経験上、住みやすくて良いところが多いです。(これは余談でした)。 梼原川には、川面近くに遊歩道が作ってあります。 この遊歩道を、町なかから川上へと辿っていくと、こんな風景に出会いました。 この橋の名前は、「御幸橋」(みゆきばし)といいます。 町と対岸にある「梼原三嶋神社」を結び、参道の役割を担う重要な橋ですね。 珍しい屋根付きの木橋で、長さは…

  • 芝居小屋「ゆすはら座」(高知・梼原その4)

    梼原町(ゆすはらちょう)には、古い芝居小屋が保存されていると聞き、見学してきました。 次の写真が、芝居小屋の「ゆすはら座」です。 戦後間もなくの昭和23(1948)年に、5つの町組(自治会)が中心となって建てられたそう。 当時は、芝居や映画などの娯楽の場「梼原公民館」として、広く地域住民から親しまれていたとか。 ところが昭和40年代後半から次第に使われなくなり、老朽化も進んだことから、昭和62(1987)年には解体が決定されました。 しかし、地域住民を中心とした保存活動が実り、平成7(1995)年に町役場近くの町有地に修復・移転して今日に至っています。 訪れてみると、外観は和洋折衷の建築様式で…

  • 梼原の茶堂(高知・梼原その3)

    梼原町(ゆすはらちょう)で見学したかったものに「茶堂」(ちゃどう)があります。 作家・司馬遼太郎の『街道をゆく27』(檮原街道~脱藩のみち~)を読むと、司馬が「これを見たかったんです」と言うくだりがあります。 「これ」とは「茶堂」を指しています。 実物を見ないと、まったくイメージがわかないので、私も梼原町に出かけたら司馬に倣って、この目で「茶堂」を確認したいと思っていました。 写真は、同町 ”茶や谷地区” にある「茶堂」を撮ったものです。 町の中心部から ”茶や谷地区” を目指してクルマを走らせましたが、「茶堂」をなかなか探し出せず、漸く辿り着くことが出来ました。 ネットで調べてみると、以下の…

  • 神在居の千枚田(高知・梼原その2)

    梼原町(ゆすはらちょう)で見たかったものに、千枚田(棚田)があります。 同町の地形は、山間部にあるため平地が少なく、標高も 220m~1,455m とかなりの高低差があります。 このため古くから、自然環境(山の斜面)を活かした稲作農業(棚田)が発達してきました。 なかでも神在居(かんざいこ)地区の棚田は、段状に刻まれた数多くの田んぼをもつことから「神在居の千枚田」として知られています。 1999年には、農林水産省が認定した「日本の棚田百選」にも選ばれているほど。 また、展望台の案内板には、作家の司馬遼太郎が「中国の万里の長城よりも素晴らしい、と自慢したという逸話もある。」との記載がありました。…

  • 梼原町に行ってきました(高知・梼原その1)

    このところ休日などを利用して、撮り溜めた写真の整理をしています。 これまで、あちこち出かけては、下手な写真を撮り続けてきました。 気が付くと整理が追い付かず、このブログでも紹介しきれていない街や地域が結構残っています。 そんな旅先も、後ればせではありますが、出来るだけ紹介していきたいと思います。 ということで、まずは、梼原町(高知県)から。 梼原町(ゆすはらちょう)は、高知県西部にあって町の約9割が森林という小さな町です。 人口は3,500人ほどで、標高1,455mにもなる四国カルストに抱かれた高原の町として知られています。 写真は四国カルストを撮ったものです。 町のホームページを見ると「雲の…

  • 徒然なるままに・・・

    暑い毎日が続きますね。 天気予報では、「どこに行っても暑いです」と予報していました。 まあ、確かにその通りではありますが・・・。 昨夕、神田川沿いをウォーキングしていたら、いつもは沢山の人影が疎らでした。 暑過ぎて、皆さん外出を控えているということでしょうか。 このブログで取り上げるべく、いま、これまで撮り溜めた写真の整理をしています。 国内では鹿児島や檮原(高知)、能登など、また海外では台湾、ミャンマー、オーストラリアなどですが、整理が出来次第、順次、書いていくつもりです。 ということで、今回は、ブログ更新の時効中断のような何の主張もないグダクダ記事となってしまいました。 まさに徒然なるまま…

  • 阿佐谷七夕まつり(東京・杉並区)

    昨日の土曜日は、暑いなか"阿佐谷七夕まつり"を見てきました。 会場は、JR中央線阿佐ヶ谷駅前の商店街(阿佐谷パールセンター)です。 "阿佐谷七夕まつり"は、昭和29(1954)年から行われている歴史あるイベントで、今年は66回目となるそう。 名物は、手作りの"張りぼて飾り"で、これは第1回から続いているものだとか。 訪れた日が初日でしたが、結構な長さの商店街は人の波でいっぱいでした。 5日間の開催期間中に、約80万人が訪れるというから、かなりの集客力です。 この商店街を歩いてみると、シャッターを下ろした空き店舗などはなく、なかなかに活気がある様子でした。 また、元気な商店街でないと、こんな規模…

  • 虎ノ門ヒルズの彫刻"ルーツ"

    ようやく8月最初の週末となりました。 今週は、かなりの猛暑で体力的にもきつかったですね。 そんな暑い昼下がり、所用があって虎ノ門ヒルズ(東京・港区)へと出かけました。 写真は、虎ノ門ヒルズにある彫刻を撮ったもの。 高さ10mの大型彫刻で、"ルーツ"と名付けられています。 作者は、ジャウメ・プレンサ。 私は知らなかったのですが、どうやらスペインを代表する世界的アーティストらしい。 この彫刻は、8つの言語の文字を使って、膝を抱えて座る人間をかたどったパブリックアートだとか。 どこかで見たことがあるな、と思ったらシンガポールのビジネス街であるラッフルズ・プレイスに同じような彫刻がありました。 ここの…

  • 十勝で見た風景など(十勝その12)

    早いもので、気が付けば8月(葉月)ですね。 いま住んでいる東京は、梅雨明けと同時に猛烈な暑さに見舞われています。 2年ほど前まで赴任していた常夏のシンガポールの方が、むしろ過ごし易いと感じるほどです。 さて、十勝(北海道)の旅の報告も、今回でお仕舞いとなります。 十勝を訪れると、決まって宿泊するのが煉瓦造りの「北海道ホテル」。 ”森のスパリゾート”と喧伝するだけあって、市街地にありながらも緑が豊かで、とても居心地の良いホテルです。 それに珍しいモール温泉の露天風呂にも入れます。 写真は、ホテルの庭にやってきたエゾリスを撮ったものです。 動物がらみということで、十勝では鹿の親子(?)も撮りました…

  • 旧国鉄士幌線アーチ橋梁群(十勝その11)

    何日か前のブログで、旧国鉄士幌線の「タウシュベツ川橋梁」について、写真と記事をアップしました。 今回は、同廃線跡に残る他のアーチ橋梁について書いてみたいと思います。 昭和62(1987)年に廃線となった旧国鉄士幌線のアーチ橋梁群は、上士幌町が平成10(1998)年に34のアーチ橋と線路跡を取得することで解体されずに残りました。 今では、5つのアーチ橋と1つのトンネルが「国の登録有形文化財」となっているほか、アーチ橋梁群が「北海道遺産」へと選定されています。 写真は、「第三音更川橋梁」です。 元小屋ダム湖の峡谷に架かる全長71mの4連アーチ橋ですね。 昭和11(1936)年の築造で、国の登録有形…

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