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観光研究者のまち歩きフォト日記 https://kaz-r-brand.hateblo.jp/

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真&旅ブログです。シンガポール在住経験あり。

シンガポールをはじめ、国内外各地のまち歩きと写真撮影を続けています。 地域が活性化し元気になること、そのお手伝いをすること、それが私のミッションです。

KAZ2895
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杉並区
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太子町
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2015/11/30

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  • 日光東照宮(日光その8)

    日光の旅での白眉と言えば、何といっても日光東照宮でしょう。 日光東照宮は、徳川家康公の霊廟として1617年に創建され、三代将軍・家光公によって1636年に造営されました。 これにより、わが国の代表的な神社建築の様式である「権現造」が出来上がったといわれています。 日光東照宮では、当時の最高水準の建築・意匠技術が用いられた本殿など8棟が国宝に、また34棟が重要文化財に指定されています。 平成11(1999)年には、わが国で10番目となるユネスコの世界遺産へと登録されました。 「日光の社寺」で構成され、その範囲は二社一寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)と、周辺の文化的景観からなっています。 今回、東…

  • 日光二荒山神社(日光その7)

    今回の旅では、日光二荒山神社(にっこう・ふたらさん・じんじゃ)への参詣を楽しみにしていました。 日光二荒山神社は、ユネスコの世界遺産「日光の社寺」の構成遺産ですね。 そしてこの神社は、古来より修験道(山岳信仰)の霊場として崇敬されてきました。 創建は767年(伝)。 華厳の滝を発見したという勝道上人が開祖とされています。 近頃では、強力なパワースポットとして、神社ガール(御朱印ガール)から熱い支持を受けているとか。 神社側も意識しているのか、こんなキャラクターを作っていました。 そう言えば、私も各地の神社で御朱印を頂いていますが、特に最近は女性が長蛇の列を作っていて順番待ちに閉口しています。 …

  • 華厳の滝と中禅寺湖など(日光その6)

    中禅寺湖畔に建つ旧外国大使館別荘を見学した後は、華厳の滝へと向かいました。 中禅寺湖と言えば、何といっても華厳の滝ですね。 湖からの唯一の流出口にあって、落差97m、滝幅7mの大瀑布は、日本三名瀑の一つに数えられています。 この滝を発見したのは勝道上人と言われ、仏教経典の一つである華厳経から名付けられたとか。 ちなみに日本三名瀑の残る二つは、那智の滝(落差131m)と袋田の滝(幅74m)となります。 余談ですが、袋田の滝(茨城・大子町)には、まだ訪れたことがないので、一度は見てみたいですね。 華厳の滝を訪れた日は、曇りがちの天気でしたが、エレベーター(有料です)で降りた先にある観瀑台からは、真…

  • タマネギの収穫(兵庫県太子町に帰省しました)

    この土日は、所用があり、兵庫県太子町の実家に帰省しました。 ゴールデンウィークに帰って以来、ほぼ2ヶ月ぶりとなります。 昨年の晩秋に植えたタマネギを収穫しました。 今回は、あまりいい出来ではなかったです。 植えた時期が遅かったせいでしょうかね。 全般に小粒で、数も少なかったです。 連休に帰ったときは、地表から出ているネギ部分が青々として立派だったので、そちらに養分を取られてしまったのかもしれません。 昨年は、結構、いいタマネギが収穫できたので、今年もと思っていましたが、そうは上手くいかなかったです。 年に一回勝負の野菜作りは、難しくて奥が深いですね。 栽培の仕方をおさらいして、次回はもう少しマ…

  • イタリア大使館別荘記念公園(日光その5)

    旧英国大使館別荘を見学した後は、近くにある旧イタリア大使館別荘へと向かいました。 湖畔に造られた散歩道を歩いていくと、間もなく目指す別荘(記念公園)へと辿り着きます。 深い木立に囲まれて、優美な姿で建っていたのが写真の建物でした。 この旧イタリア大使館別荘は、昭和3(1928)年に建てられ、平成9(1997)年まで歴代の大使とその家族が使用していました。 設計したのは、モダニズム建築で著名なアントニン・レーモンドですね。 内外装ともに、パターンに変化を付けた杉皮張りで仕上げてあるのが大きな特徴となっています。 1階は、食堂と居間、それに書斎が大きなワンルームとなっていて、長い広縁からは中禅寺湖…

  • 英国大使館別荘記念公園(日光その4)

    日光ではレンタカーを借りて、久しぶりに中禅寺湖を訪れました。 まずは、見学したかった湖畔の旧英国大使館別荘へ。 奥日光の中禅寺湖畔では、明治中頃から昭和初期にかけて、各国の大使館別荘や外国人別荘が40棟以上も建設され、国際的な避暑地として大いに賑わったそう。 現在も、ベルギーとフランスの各大使館の別荘が、現役として利用されているとか。 各国の大使館別荘のなかで、一番早く建てられたのが旧英国大使館別荘です。 この建物は、明治29(1896)年に英国の外交官アーネスト・サトウの個人別荘として建てられ、その後、平成20(2008)年まで英国大使館別荘として利用されてきました。 そして2010年に、英…

  • 「日光金谷ホテル」の夕食(日光その3)

    「日光金谷ホテル」には、1泊3食付きのプランで宿泊しました。 1泊で3回の食事が付くとは、珍しいですね。 私にとっても、初めての経験でした。 夕食、朝食、昼食が付いているので、ホテルでの滞在を存分に楽しめるプランと言うことでしょうか。 今回は、そのなかでもメインの夕食についてご紹介したいと思います。 まずは、食事会場となるダイニングルームの様子から。 食堂の中に入ってみると、かなりの広さがありましたが、なかなかに落ち着いた雰囲気でした。 ところどころにある柱の上部には、牡丹の彫刻が施されていて印象的です。 時間が少し早かったせいか、まだ食事客は疎らでした。 コース料理のメニューは以下の通りでし…

  • 「日光金谷ホテル」館内の様子など(日光その2)

    「日光金谷ホテル」が営業を始めたのは、1893(明治26)年のこと。今となっては、かなりの昔ですね。 その日本最古のクラシックホテルに宿泊して感嘆したのが、建物や内部の造りでした。 写真は、本館2階にあるメインダイニングの入り口を撮ったもの。 白い階段(洋風)と赤い欄干(和風)が上手く調和して、和洋折衷の独特の空間を作り出しています。 白い階段の手すりには、何やら不思議な赤いランプが灯されています。ランプをよく見ると「葵の紋」が透かし彫りされていました。東照宮のおひざ元ということなのでしょうか。 次の写真は、メインダイニングの暖炉の上に飾られていた彫刻です。 これは「迦陵頻伽」(かりょうびんが…

  • 伊勢・志摩(三重)と十勝(北海道)に行ってきました(備忘録)

    6月に入ってから、立て続けに伊勢・志摩(三重)と十勝(北海道)へと出かけました。 ブログでは日光・金谷ホテルの記事を書き始めたところですが、今回は備忘録的に伊勢・志摩と十勝の写真を少しだけ載せておきたいと思います。 まずは、十勝(北海道)から。 写真は、帯広農業高校の敷地内にある"カラマツ防風林"です。 十勝地方の景観として、防風林がよく見られます。日高山脈からの強い風から、畑を守るために育てられたもので、カラマツが多いですね。 なかでも帯広農業高校にある"カラマツ防風林"が見事だと聞き、見てきました。 同校の敷地内の見学は自由でした。 広大な敷地で迷ってしまい、生徒さんに場所を教えてもらって…

  • 日本最古のクラシックホテル「日光金谷ホテル」(日光その1)

    新緑の日光(栃木県)を訪れました。 日光には、前回の記憶が定かでないくらい久し振りの訪問となります。 宿泊先は、かねてから一度は泊まってみたかった「日光金谷ホテル」にしました。 「日光金谷ホテル」は、日光東照宮の楽師であった金谷善一郎が1873(明治6)年に創業した「金谷カッテージ・イン」を、その嚆矢とします。 「金谷ホテル」としては、1893(明治26)年に、日光山内を望む現在地で営業を開始しました。 その後、大正期の日光御用邸開設などを契機に、国内外の要人や宮家などが利用するようになり、次第に名門ホテルとしての地歩を築いてきました。 現在では、日本で最も歴史が古いクラシックホテルとして知ら…

  • 小樽を代表する近代建築「日銀旧小樽支店」

    小樽運河からJR小樽駅まで戻る坂道で、いくつかの歴史的建造物(近代建築)と出会いました。 その中心とも言えるのが「日銀旧小樽支店」ですね。 この辺りは、1893(明治26)年頃から主要な銀行の支店が続々と進出し、最盛期には"北のウォール街"と呼ばれたそう。 小樽が石炭などの積み出し港として、大いに賑わったためですね。 「日銀旧小樽支店」の建物は、辰野金吾らの設計で1912(大正元)年に竣工しました。 辰野金吾は、日銀本店旧館や東京駅丸の内駅舎(いずれも国の重要文化財)などを設計した著名建築家です(説明するまでもないですね)。 この建物、煉瓦造の二階建てですが、表面をモルタルで塗ることで石造り風…

  • 雨の小樽運河を訪ねました(小樽その4)

    せっかく訪れた小樽は、生憎の空模様で、時折、雨と風が激しくなりました。 歩くのも億劫なほどでしたが、小樽運河だけはぜひ見ておきたいと、傘が飛ばされそうになりながらも何とか辿り着きました。 小樽港は、北海道開拓の玄関口として発展してきた港です。 当時、大きな船は沖合に停泊させて、荷揚げは専ら艀(はしけ)を使っていたそう。 その際、荷揚げを効率的に行うには、艀が接岸できる岸をできるだけ長くすることが必要でした。 このために海面を埋め立てることで出来たのが小樽運河ですね。 海面埋め立てで運河を造ったのは、ここ小樽港が国内唯一の事例とか。時は、大正12(1923)年のことでした。 その後、貨物量の減少…

  • 三角市場を覗いてみました(小樽その3)

    JR小樽駅のすぐ近くにあるのが、三角市場ですね。 名前が面白いのと、海産物を扱う店舗が多いと聞いて訪ねてみました。 訪れるのは今回が初めてです。 この市場は、終戦直後の昭和23(1948)年頃に、小樽駅前で露天商が店を出し始めたのが、その始まりとか。 駅側から市場に入ると、ゆるい下りの一本の通路が続いていて、その両側に15軒ほどの店舗が並んでいます。 名前の由来は、土地と屋根の形が三角形なので、三角市場と名付けられたそう。かれこれ70年近くの歴史をもつ名物市場です。 扱っているのは鮮魚が多いですね。新鮮そうなカニやエビ、ウニ、それに貝類などが並んでいました。 平日の昼間だったこともあるのか、客…

  • 昭和初期の現役駅舎・小樽駅(小樽その2)

    漸く週末となりましたね。 5月、6月は決算や総会シーズンで、何かと慌ただしい日々を送っています。 まあ、歳なので、あまり無理せず、ペース配分に気をつけながら本業の仕事にも頑張りたいと思っています。 さて、今回も小樽(北海道)行きの続きです。 小樽の玄関口は、何と言ってもJR小樽駅ですね。 私は駅舎を見るのが好きで、あちこちの駅を訪れては写真を撮っています。 次の写真のように、小樽駅の佇まいは、なかなかに立派でした。 1934(昭和9)年の竣工で、道内最古のRC造の駅舎だとか。 よく見ると、東京の両国駅(1929年築)や上野駅(1932年築)に外観が似ています。 当時(昭和初期)は、同じような造…

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