⑥今回のシリーズは、豊臣政権の五大老の一人、加賀藩主・前田利家についてお伝えします。―――――――――――――――――――――利家は関東諸城攻撃の際、北条勢に対する扱いが寛大にすぎたとして秀吉の怒りを買った。敵勢の降伏をゆるし、調略によって城を陥落させる方針は、利家が独断でおこなったのではなく、浅野長政、木村一と合議したうえでとったものである。武州鉢形城を明渡させるとき、利家、長政と木村一が連署して発した制札の前二条はつぎのようなものであった。(町田文書)「一、鉢形城うけとる者ども濫妨(らんぼう:強奪のこと)無道の儀、*一銭切りになすべきこと。一、地衆と喧嘩口論の儀、理非を立ていれず、まずこなたの者を成敗せしむべきこと。」鉢形城をうけとる味方の軍勢が乱暴狼藉(ろうぜき)をしたときは、一銭を盗んだ者を斬りす...秀吉の天下、利家はすさまじい攻撃性と用心深さをかねそなえていた