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  • 『三四郎』読書メモ⑩

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は十章。いろいろな考える要素があって、長くなりそうだ。三四郎は広田の家に行く。広田は合気道のようなものを稽古している。広田は三四郎に『ハイドリオタフヒア』を貸す。その中に「生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たる明白なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるはなお埃及の砂中に埋まるが如し。」とある。結局は自分に帰り、自分からは離れることができないのである。原口の家に行く途中、子供の葬式に出会う。三四郎は美しい弔いだと思う。『ハイドロオタフヒア』を読み、子供の葬式に出会い、三四郎は客観的に人の生死を見ていることに気付く。そして美禰子のことを考える。美禰子を客観的に見ることができるのだろうか。三四郎は美禰子を...『三四郎』読書メモ⑩

  • 『三四郎』読書メモ⑨

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は九章。三四郎は精養軒の会に出る。学者サロンといっていい会である。物理学の話になる。広田が「どうも物理学者は自然派じゃ駄目の様だね」と言う。物理学者はただ自然を観察しているだけでは駄目で、人工的な装置を作り、それによって普通の自然界では見出せないものをみえるようにしているというのである。その意味で物理学者は浪漫的自然派だと言う。これはイプセンの劇のようだが、人間は自然の法則にしたがってばかりではないと議論は進む。当時の文壇では自然主義と浪漫主義の対立があったわけだが、漱石はそのどちらかに偏るわけではない。『三四郎』は念入りの仕掛けを用意して、その中で登場人物たちは動いている。それを語り手が語るという構造だ。この語り手の視点は三四郎に焦点化され、三四郎の思考の外にあるもの...『三四郎』読書メモ⑨

  • 『三四郎』読書メモ⑧

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は八章。三四郎が与次郎に金を貸した顛末が語られる。かなり面倒くさい流れである。①広田が家を借りる際の敷金が足りなくなる。②野々宮が、よし子にヴァイオリンを買ってやるための金を広田に貸す。③広田は金が出来たので、借りた金を返すことになり、その金を与次郎に運ばせる。④与次郎が競馬ですってしまう。⑤与次郎は三四郎に金を借りて、広田の借金を野々宮に返す。もともとは広田が野々宮に借金したものが、いつのまにか与次郎が三四郎にかりたものにすり替わってしまったのである。もちろんすべては与次郎が悪い。与次郎は美禰子に借金を頼む。美禰子は応じるが与次郎には金を渡せないといい、三四郎をよこすように言う。そこで三四郎は美禰子の家に行く。与次郎に金を貸したことによって美禰子に借金することになるの...『三四郎』読書メモ⑧

  • 『三四郎』読書メモ⑦

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は七章。この章は三四郎と美禰子との直接のからみはない。広田による現代評とそれにからんだ美禰子評が語られる。それが興味深い。広田は言う。昔は他本位であったが、近代になり西洋文明が入って来ると自己本位に変化した。その結果、昔は偽善であったものが、今や露悪になってきている。これはわかりやすそうでわかりにくい。自分なりに整理をする。3つの段階に分類することができる。1.善自分を犠牲にして利他的行動をとる。決して利己的ではない。2.偽善利他的行動のように見えるがそれは利己的である。3.露悪利己的そのもの。自分の主張を明確に示す。美禰子だけが露悪であるわけではない。現代人はみんなそうである。この後に、広田は二十世紀になってから「偽善を行うに露悪を以てする」ようになったというのだ。人...『三四郎』読書メモ⑦

  • 『三四郎』読書メモ⑤

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は五章。(前回六章を先にだしてしまいました。順番前後してすみません。)三四郎は大久保の野々宮の家に行く。いるのはよし子だけ。よし子は水彩画を描いているが、どうもうまくいかない。三四郎はよし子から野々宮と美禰子の情報収集をする。よし子は「兄は日本中で一番好い人に違いない」と思っている。下宿に戻ると葉書が来ている。美奈子からの菊人形見物の誘いである。その字が、二章で野々宮がポケットに入れていた封筒の上書きに似ている。やはり野々宮と美禰子の関係は怪しいと感じる。大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。会場に行く途中で乞食と迷子に会う。一行は関わり合いを避ける。このあたりの仕掛けが意味深である。現実世界との...『三四郎』読書メモ⑤

  • 『三四郎』読書メモ⑥

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は六章。三四郎は恋の病にかかっている。講義にも集中できずノートに「ストレイシープ」を書くばかりだ。それを語り手は淡々と事実として記述するだけだ。ここにこの小説の「語り」の形が明確に表れる。この語り手は第三者的に客観的に語ろうとはするが、視点人物は三四郎だけである。本来写生文は小説世界に登場するのであるが、語り手が小説世界に存在しない写生文として『三四郎』は書かれているのだ。与次郎が文芸時評と言う雑誌を三四郎に見せる。「偉大なる暗闇」という文章がある。筆者は零余子とある。知らない。実はこれは与次郎が書いたものであった。読んでみると、なるほど釣り込まれる。しかし読み終わった後何も残らない。美禰子から葉書が来る。絵葉書である。小川があり、草が生えて、そこに羊が二匹寝ている。そ...『三四郎』読書メモ⑥

  • 『三四郎』読書メモ④

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は四章。三四郎は大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。与次郎と道でばったり出会う。与次郎はもう一人の男と一緒である。この男は三四郎が汽車で水蜜桃をもらった男である。やはりこの男が広田だった。広田は高等学校の先生である。与次郎は広田のファンであり、大学教授にしてよろうと思っている。広田は貸家を探していたのだった。広田は三四郎に「不二山を翻訳してみた事がありますか」と意外な質問をする。ここは意味深な場面である。まずその直前で広田は「富士山」と言っている。それが「不二山」と変わっているのだ。音声では両者は同じだ。と言うことはこの漢字の違いは語り手が顔を出した結果ということになる。翻訳ということばも意味が...『三四郎』読書メモ④

  • 『三四郎』読書メモ③

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は三章。いよいよ大学が始まると思ったらそう簡単にはいかない。「学年は九月十一日に始まる」はずで三四郎は学校に行くのだが、学生は誰もいない。そこで事務室へ行く。「講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると云っている。澄ましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がない様ですがと尋ねると、それは先生が居ないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。」どう考えても事務の言うことは納得がいかない話なのに、三四郎は納得してしまうのである。たとえ間違ったものでも権威のあるものに服従してしまう姿がそこにはある。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、どこに行っても集団には共同幻想が存在して居る。その共同幻想の外部の人間はそれに従うことを強要されてしまう。...『三四郎』読書メモ③

  • 『三四郎』読書メモ②

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は二章。三四郎が東京でカルチャーショックを受けている。「凡ての物が破壊されつつある様に見える。そうして凡ての物が又同時に建設されつつある様に見える。大変な動き方である。」こんな激動が東京の現実なのだ。そこに孤独を覚える。「この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。(中略)自分の世界と現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。」母親の手紙に知り合いの従妹が理科大学(今日で言う大学の理学部)にいるので頼りなさいとある。それが野々宮宗八である。野々宮は典型的な世間知らずの科学者である。現実世界...『三四郎』読書メモ②

  • 『三四郎』読書メモ①

    夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は一章。三四郎が熊本から東京に出る。当時はかなりの時間がかかったようだ。もう京都はすぎている。しかし東京へはその日のうちにはつかない。名古屋に一泊する必要がある。計算上、熊本から出ればさらに1日か2日たっていたと思われる。かなりの長旅である。三四郎は不思議な発見をする。九州から人の顔がどんどん白くなる。三四郎は故郷の御光という女性を思い出す。御光さんは三四郎の後に結婚相手候補となる。ここではどういう関係かまではわからない。御光さんは直接には『三四郎』では描かれないのだが、御光さん物語は全編を通じてサブストーリーとして存在している。注目が必要である。御光さんは黒い色の女性であり、三四郎は「お光さんの様なのも決して悪くはない」と思う。京都から相乗りになった女性がいる。夫がい...『三四郎』読書メモ①

  • 映画『ボストン1947』を見ました。

    日本国籍でベルリンオリンピックに出場し優勝した韓国人ソン・ギジョン(孫基禎)と、その先輩であり友人でもあるやはりベルリンオリンピックに出場し3位になったナム・スンニョン、そしてその二人に育てられ、ボストンマラソンで優勝したソ・ユンボクを描いた『ボストン1947』を見ました。感動しました。子どものころ、日本のオリンピックでの活躍の歴史を調べていた時に、マラソンで金メダルを獲得したソン・ギジョン(孫基禎)のことを知り、誇らしく思いました。しかし後にソンは韓国人であることを知り、当時はがっかりしたことを思い出します。当然がっかりしてはいけなかったのであり、最近は自省の意味も込めて思い出すようになりました。この映画はその後のソンの生き方を描いています。韓国人としての誇りを強く持ちながら、韓国人としての主張を許して...映画『ボストン1947』を見ました。

  • 映画『スオミの話をしよう』を見ました

    映画『スミオの話をしよう』を見ました。三谷幸喜ファンとしては期待して見に行ったのですが、さすがにひどかった。期待外れでした。例えば最後にどんでん返しが待っているとか、ドタバタな笑いが頻繁にあるというようなコメディ色が強い作品になっているとか、おもしろい要素が必ずあるものです。しかしこの映画、すべてが中途半端で、一体何を見て楽しめばいいのかわかりませんでした。昔から三谷さんの作品は大成功だと思われる作品も多いのですが、時々失敗作もあります。それでも書き続けてきた持続力が三谷さんを作ったのだと思います。だから今回の映画もしょうがないのかなと思う気持ちもあります。しかしちょっと今回の映画は安直すぎます。三谷さん大丈夫なのかと心配になってしまいます。次回作はぜひいい作品をみたいと思います。がんばってください。映画『スオミの話をしよう』を見ました

  • 石破茂にがっかり

    石破茂氏には期待していました。しかし初っ端から裏切られました。石破氏に期待していたのは議論をすることです。しかし、今回予算委員会開かずに解散をする方向性を示したのは期待を裏切るものです。これまで言っていたことと違いすぎます。小泉進次郎氏が支持を得られなかったのも「すぐ解散」と言っていたことも一つの要因だったはずです。それを議論もしないで解散するのはおかしいと主張したからこそ、世論は石破氏に味方したのです。こんな嘘つきに政権をまかせるわけにはいきません。自民党は巨大組織です。その巨大組織の中で権力が一部の政治家に集中していたからこそ、様々なことが強引に行われていたのです。そしてその一部の政治家に権力集中させていたのが、極右政治団体だったのです。それが日本の政治を歪ませていたのは明らかです。石破氏はおかしいこ...石破茂にがっかり

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