J.S.Bach/Vivaldi-OrganConcertoinAMinorBWV593-Drum/PianoJ.S.Bach/Vivaldi-OrganConcertoinAMinorBWV593-Drum/Piano
坐禅会案内 出張講座もいたします。
英文法話も掲載しております。外国の方の坐禅指導も致します。
1件〜100件
カボチャの種
Zenlecture'BuddhismandArt
仏教無用論に反論仏教無用論に反論
百喩経より百喩経より
仏法僧仏法僧
Zenlecture'Buddhistfaith'Zenlecture'Buddhistfaith'
苦、思うようにならない・四苦=生老病死。サンスクリット語はドゥッカー、思うようにならない。・高神覚昇(1894~1948)は真言宗の僧侶で仏教学者。『般若心経講義』は昭和9年に発刊され、長年ベストセラーでした。当時12回に分けてラジオ放送された講話記録。・苦の自覚をもたない人は、人生の見方が浅薄です。皮相的です。「最も苦しんだ人のみ人の子を教える資格がある」というのはそれです。お坊ちゃん育ちは、とかく何事も見るにつけするにつけ、みんな浅薄です。浅はかです。子どもを育てる場合でも、この「こつ」が必要です。・Aさんの手術に際して家族が医大の先生に呼ばれた。大手術でした。手術の前に先生が「命の保証はありません」とおっしゃいました。私は「80年も生きてきましたので、この後の人生はおまけです。ですから存分にやってく...苦、思うようにならない
Buddhism and Zen lecture 'Buddha taught Karma' by Giken oshyo
BuddhismandZenlecture'BuddhataughtKarma'byGikenoshyoBuddhismandZenlecture'BuddhataughtKarma'byGikenoshyo
無常について無常について
BuddhaandmerchantsBuddhaandmerchants
「古池や蛙とび込む水の音」芭蕉(1644~1694)仏頂禅師と芭蕉の問答「今日のことはいかがですか」「雨過ぎて青苔うるおう」「青苔いまだ生まれないときの仏法はどうか」「蛙とび込む水の音」古池や、は後から付け足した・『禅と日本文化』「禅と俳句」鈴木大拙「芭蕉の俳句を閑寂の味わいと解するのは要領を得ていない」「実際には直感そのものである」・大箴和尚の俳句人生「石に噛み入るセミの声」俳句を語る資格は俳人になってから。禅を語るのは本当にその境地になってから。知っているのと実践したのは違う。・中道や無常を説く教えは他にもある。無我を説くのは仏教だけ。無我について
中道について中道について
MercyMercy
母の心はブッダの心母の心はブッダの心
Buddha'spersonalityBuddha'spersonality
スリランカ仏教における禅の原点禅はインドで生まれ中国で発展し日本に伝えられた。アッサジの托鉢のすがたとシャーリープトラの入門禅は「捨てる」ということがモットーである。サイのように歩めスリランカ仏教における禅の原点
四つの真理と白隠禅四つの真理と白隠禅
ハスの花は悟りのシンボルハスの花は悟りのシンボル
正見について正見について
ブッダの人柄ブッダの人柄
スリランカ仏教の印象スリランカ仏教の印象
English lecture ’What is Zen for Sri Lankan Buddhist?’
Englishlecture’WhatisZenforSriLankanBuddhist?’Englishlecture’WhatisZenforSriLankanBuddhist?’
インダス文明とインドにおける鉄器文化インダス文明とインドにおける鉄器文化
BuddhaandmerchantsBuddhaandmerchants
『般若心経』の歴史『般若心経』の歴史
『観音経』の教えから『観音経』の教えから
観世音菩薩観世音菩薩
仏像の立像と坐像◯立像の意味「困った人がいたら助けに行くぞ」◯坐像の意味「大切な事を始めるときには、先ず坐ってから始めよう」◯「人生には入学試験や就職など節目がある。そのようなときは坐って考えることだ。寝っ転がって考えるようではだめ。それが生きた坐禅だ。お寺での坐禅だけが坐禅ではない」◯実はもう一つ涅槃像がある。涅槃は「火が消えた」という意味だが、実は「いかに生きるか」という意味である。ブッダは死に方を教えたのではない。如何に生きるかを説いた。涅槃像を拝むときはこのことを考えて欲しい。親としての生き方、学生としての生き方、社会人としての生き方など、どのようなブッダの声がきこえるか仏像の前にゆっくり坐ってみたい。仏像の立像と坐像
ブッダを拝むブッダを拝む
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
仏壇の祀り方仏壇の祀り方
仏事の作法仏事の作法
白隠禅師「坐禅和讃」その10白隠禅師「坐禅和讃」その10
白隠禅師「坐禅和讃」その9白隠禅師「坐禅和讃」その9
白隠禅師「坐禅和讃」その8白隠禅師「坐禅和讃」その8
白隠禅師「坐禅和讃」その7白隠禅師「坐禅和讃」その7
白隠禅師「坐禅和讃」その6白隠禅師「坐禅和讃」その6
白隠禅師「坐禅和讃」その5坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。白隠禅師「坐禅和讃」その5
白隠禅師「坐禅和讃」その4 水と氷の如くにて水を離れて氷なく衆生の外に仏なし
白隠禅師「坐禅和讃」その4白隠禅師「坐禅和讃」その4水と氷の如くにて水を離れて氷なく衆生の外に仏なし
白隠禅師「坐禅和讃」その3衆生本来仏なり白隠禅師「坐禅和讃」その3衆生本来仏なり
白隠禅師「坐禅和讃」その2坐禅と和讃白隠禅師「坐禅和讃」その2坐禅と和讃
白隠禅師の紹介坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。白隠禅師の紹介
Zen・Введение в практику дзадзэн в Японском доме (Москва)
ВведениевпрактикудзадзэнвЯпонскомдоме(Москва)Zen・ВведениевпрактикудзадзэнвЯпонскомдоме(Москва)
・・・この門を入れば涼風おのづから森永湛堂老師(1900~1975)・・・(English)Bystepintothisgate,wehaveacoolbreezeasnatural.・・・(Deutsch)NurmitdemSchrittindiesemTor,habenwirschoeneinekühleBrisealsnatürliche.Zen-masterTando-Morinaga(1900~1975)・・・●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350初回参加のみ千円。二回目以降つづけていただければ無料です。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用...山門
2015年9月27日於圓通寺福岡大学医学部社会学研究会研修趣旨:人の生死についての認識には宗教が大きくかかわっているといわれている。仏教、とりわけ禅ではこれをどのように説くのか。研修プログラム‣受付、坐禅の説明14:00・坐禅14:10~14:40・休憩14:40~14:50・法話14:50~15:20・ディスカッション15:20~15:50・片づけ掃除15:50~16:00法話「生死(しょうじ)について」・医師が遺族に臨終を伝えるとき・義父の臨終のとき主治医の先生は脈拍と動向を見て合掌された。言葉はいらなかった・大往生ということばは遺族への賛辞。禅では如何なる死も大往生。・輪廻転生のインド思想執着すれば悩みになる・この世を極楽にするのが修行であり仏教信仰臓器移植に関して・生死は分けられない。理屈を述べれば限が...生死について
眼の光を紙の裏に透して読み、心の矢を意義の真中にあてようと必死の覚悟で見るべきところである。幸田露伴は著書『般若心経第二義注』(意訳)この世のすべては実体がない、常に変化している。自分自身も同じである。*「空」をきびしく受け止めるだけでは現実の生活は成り立たない。それで「空即是色」と現実重視の姿勢が求められる。(色即是空)災難があったが、みなさんのおかげで(空即是色)今がある。あるいは病気をしたお陰で、病人のつらさが分かるようになった。そのように暖かく受け止めるべきである。そのように愛情に目覚めるところが、ブッダの教えの主眼であり、この経典のねらいであるといえる。・信者さんでSさんは先日、私にこのようにいわれた。「和尚さん貧乏するのもいいよ。今が有り難い」「お母さんは本当に苦労して私たちを育ててくれました」Sさ...色即是空空即是色
仏の心に生きる・Living with Buddha‘s heart
*CareforhiswifeMr.Hirayama‘swifehadleukemia.Thedoctortoldhimthattherewasnothinghecoulddoforher,sohedecidedtotakecareofherathome.Afewdayslater,however,shewashospitalizedagainbyambulance.Mr.Hirayamasaidtome.“Iknewherconditionwassoserious.Iwantedtodosomethingforher,butitwastoohardtodoanything.So,IwenthomeandbroughtthebookofHannyashingyoSutra,andchanteditatmywif...仏の心に生きる・LivingwithBuddha‘sheart
IaskedaquestiontomymasterDaishinoshyowhenenteringBuddhism.“Whydon’twestudy‘Fournobletruth’or‘TheNobleEightfoldPath’intheZendojo?TherearealmostnomentionsofthemintheancientZenmasters’writings.”Mymasteransweredinthisway.“Wedoitonthepremisethatwealreadyknowthem.Zazenhasthepowertosurpasseverything.”私は入門したころ先師、大箴和尚にこのように尋ねたました。「僧堂ではどうして八正道や四諦などを学ばないのですか。祖師の語録にもこれら...坐禅Zazen
TheTathagata,NyoraiisthesublimeenlightenedfigureoftheBuddha.TheBodhisattvaoftheMahayanaBuddhismistheTathagatawhodarestodescendfromhighplaceinaformofanordinarypersontogiveasermontous.ItissaidthataBuddhistimageisafigurethathasenduredhumansufferings.Therefore,eachofyouareaTathagataoraBoddhisattva.Afriendofmine,SriLankanTheravadaBuddhistVenerableMastersaidtome.“...TathagataandBodhisattva
先師、大箴和尚(1900~1988)は若いころ大分の万寿寺僧堂で修行時代を過ごしました。そのころの思い出などをよく語ってくれました。「万寿寺に久留米の梅林寺僧堂香夢室老師(1871~1945)がおいでになると接客役はそのお世話が大変だった。老師さまだから上座に坐っていただかなければならないのだが、私はここでようございます、と言われて末席から動かれないのだった。香夢室老師は昭和20年に肺炎がもとで遷化(逝去)された。そのとき久留米医専病院(現久留米大学医学部病院)に入院された。禅僧は坐禅をしながら死ぬのがならいになっておる。老師は最期だと思われたのか、ベッドの上で坐禅をしておられたそうだ。看護師さん方は老師のベッドの前を通るときは頭を下げておられたそうだ。ある朝、ある看護師さんは老師が病院のトイレの下駄をそろえて...香夢室老師
InBuddhism,aseedisnotonlyaplantseedbutalsoahumanactionorthought.ThisisadistinctivefeatureofBuddhism.Goodthoughtsbringusgoodactions,goodresults,andevenagoodsociety.RohanKoda(1867-1947),anessayistintheperiodofMeiji,Taisho,ShowainJapan,said.Peoplemustdecidetocarryoutasfollows;Dowhatyoushoulddo,don‘tdowhatyoushouldn’tdo.Thinkwhatyoushouldthinkanddon‘tthinkwhatyo...TheSeed
俳諧文学の中に「空に徹する」を考えてみたい。正岡子規と共に客観写生の作風で知られる髙濵虚子(1874~1959)に次の句がある。.去年今年貫く棒の如きもの虚子.この句は昭和25年の作で句集『六百五十句』にある。私たちはこの句に何を読み取ることができるか。昭和25年は戦後間もないころだから復興の決意ととらえるのか。あるいは虚子の生きる決意ととらえるか。さまざまな枠をはなれて「空に徹する」といえるのではないか。言葉で表現してしまわないところが俳句の特徴である。この句、17文字を広げると小説にもなりそうだ。.初空の雲静かなり東山虚子.虚子は現松山市出身で、旧制第三高校、現在の京都大学に進んで、その後、仙台の第二高校に転校した。この句が読まれた時期は不詳だが「東山」とあるので虚子19歳、明治26年(1893)ごろだろう...空に徹する
AboutEffort-ExcerptsfromRohanKoda’sDoryoku-rontheTheoryofEffort23)何でも為すべきことを為し、為すべからざることを為さぬ。思うべきことを思い、思うべからざることを思わぬと決意実行する。Peoplemustdecidetocarryoutasfollows;Dowhatyoushoulddo,don’tdowhatyoushouldn'tdo.Thinkwhatyoushouldthinkanddon’tthinkwhatyoushouldn’tthink.24)人もまた張る気で事を做(な)し務を執るのと、弛(ゆる)んだ気で事を做し務めを執るのとでは大いなる差異をその結果に生じる。Thereisahugedifferencebetweenworkin...努力について4幸田露伴『努力論』より
AboutEffort-ExcerptsfromRohanKoda’sDoryoku-rontheTheoryofEffort14)儞、脚あり。儞、歩むべし。儞、手あり、儞、捉るべし。Youhavelegs,soyoumustwalk.Youhavehands,soyoushouldcatch.15)分福の工夫を疎かにして人の上に立つことは甚だ難い。Itisverydifficulttostandaboveotherswithoutsharingtheblessings.16)努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。Effortisthefulfillmentoflife.Effortisthedevelopmentoftheindividual.Effortist...努力について幸田露伴『努力論』より
AboutEffort-ExcerptsfromRohanKoda’sDoryoku-rontheTheoryofEffort8)福を分かつの心は、実に春風の和らぎ、春日の暖かなるが如きもの。Theheartofsharinggoodfortuneislikeawarmspringdaywithagentlespringbreeze.9)静かに定まった心の働きと、動いた乱れた心の働きとは大分に違う。Thereisabigdifferencebetweentheactionofacalm,settledmindandtheactionofamoving,disorderedmind.10)あらゆる拙なること、愚かなること、好からぬことの原因を自己一個に帰して、決して部下を責めず、朋友を責めず、他人を咎めず、運命を...努力について・2幸田露伴『努力論』より
努力について幸田露伴『努力論』よりAboutEffort-ExcerptsfromRohanKoda’sDoryoku-rontheTheoryofEffort1)努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する。それが真のよいものである。Strivetostrive,itisnottrulygood.Forgeteffortandstrive.Thatisthetruegood.2)我流で碁が強くなる事は甚だ望みが少ない。卓絶な先生に頼って学んだ方が速やかに上達する。ItisveryunlikelythatyoucanbecomegoodatGobyyourself.Youwillimprovemorequicklyifyoulearnfromagoodteacher.3)文明ということは、...努力について
「ミュンヘン市役所」2012年の6月、ミュンヘンを訪れた。ミュンヘンの市役所の玄関前に小さなドームがあって、そこの階段を降りたところに鉄砲を抱いて兵隊が寝た形のブロンズ像がある。右の壁に「第一次大戦ドイツ人兵士死者○○名」とあり、左の壁には「第二次大戦ドイツ人兵士死者○○名」とあった。それ以外の説明は書いてない。十字架もない。このドームをくぐると市役所の玄関前へ出る。もちろんこのドームをくぐらなくても市役所に入れる。だが初めて訪れる人は当然このドームをくぐるだろう。ミュンヘンは第二次大戦の折に72回の空爆があったそうだ。「歴史に学ぶ」ためにこのドームがあるのだと理解すべきだろう。私はこの時このドームが「煩悩の海」に思えた。これをくぐって歴史に眼を向ける。私のような戦後世代は、その歴史をあらためて学んで日常の世界...ミュンヘン
彼岸太郎という俳句の季語がある。彼岸の第一日目が晴天だとその年の稲の実りがよいのだという。擬人化した日本的な表現である。他にも「土用三郎」といって土用の三日目が晴天だと秋は豊作だという。異常気象の近年ではこれが当たるかどうかは定かではない。戦前の宮中では彼岸の中日のころに皇霊祭といって皇室の先祖を祀った。これが戦後になって自然をたたえ生物を慈しむための国民の祝日になった。もともと神道において農事始めに神事を営むころであり、平安遷都以降に仏教が法会を営むようになって彼岸会が定着した。彼岸会は日本仏教の習慣であって他の国にはない。彼岸会は摂津の四天王寺で始まった行事であるだとか、桓武天皇(在位781~806)の怨霊払いが始まりなど諸説あるのだが、先に述べたように農耕社会の日本だから仏教行事として受け入れられたといっ...彼岸太郎
富士山に登るとき「六根清浄」と声をかけて登るのだそうだ。「六根清浄」とは『般若心経』にでてくる「無眼耳鼻舌身意」のことである。五感を浄めて「意」つまりこころを浄める。富士登山はこころを浄める修行なのだ。小学校六年生から三年間、静岡市清水区(旧清水市)に住んだ。郊外の丘陵地、日本平から眺める冬の富士山はきれいだ。「今日の富士山はきれいだね」と地元の方に言うと「そうだね」と言ってくれるのだが、見慣れているので特に感激の様子はないようだ。実は「あたりまえ」になっているのが「清浄」の世界である。「六根清浄」とはそのように、特別ではなく生活の中で「あたりまえ」にとけ込んでいなければ「清浄」とはいえない。2012年の6月にドイツ、アウグスブルグへ行った。ドイツ人は森を大切にする。国内のいたるところに森があって、平日でも休日...六根清浄
戦前、東京の下町には一町内に一件の焼芋屋があって、夏にはそれが氷屋にかわったのだそうだ。江戸時代には焼芋屋の看板に「八里半」とあって「栗に近い」という意味だという。「くりよりうまい」という当て字で「九里四里うまい十三里」と書いた看板もあったのだそうだ。(『日本大歳時記』講談社)いずれにしても少年のころの焼き芋の思い出は良い思い出である。甘藷(いも)焼けてゐる藁の日美しく高浜虚子(1874~1959)「おじちゃん、今年は焼き芋しないの」と次男のお友だちが言うので、境内の隅で「焼き芋」をした。7人ほど集まってくれた。焚き火をするのに皆、大騒ぎである。住宅地では焚き火はできないので珍しいのだろう。アルミ箔にサツマイモを包んで焚き火で焼けた落ち葉の中に入れると20分もすれば焼き芋ができる。ムラサキ芋をその中にまぜておく...焼き芋
J.S. Bach - Partita No. 5 in G major BWV 829 - Glenn Gould
J.S.Bach-PartitaNo.5inGmajorBWV829-GlennGouldJ.S.Bach-PartitaNo.5inGmajorBWV829-GlennGould
幸田露伴「般若心経第二義注」その8幸田露伴「般若心経第二義注」その8
幸田露伴「般若心経第二義注」その7幸田露伴「般若心経第二義注」その7
歌劇「蝶々夫人」より/G.プッチーニ歌劇「蝶々夫人」より/G.プッチーニ
幸田露伴「般若心経第二義注」その6解説吉富宜健幸田露伴「般若心経第二義注」その6解説吉富宜健
幸田露伴「般若心経第二義注」その5幸田露伴「般若心経第二義注」その5
幸田露伴「般若心経二義注」その4幸田露伴「般若心経二義注」その4
幸田露伴「般若心経第二義注」その3幸田露伴「般若心経第二義注」その3
幸田露伴「般若心経第二義注」その2幸田露伴「般若心経第二義注」その2
幸田露伴「般若心経第二義注」その1幸田露伴「般若心経第二義注」その1
What is the teaching by Bodidharma?
WhatistheteachingbyBodidharma?WhatistheteachingbyBodhidharma?BodhidharmawasbornasthethirdprinceofanIndian......>続きを読むWhatistheteachingbyBodidharma?
歴史学者ハラリ教授に聞く コロナが抱える危険性,そして未来【報ステ×未来を人から 完全版】【未来をここから】【Yuval Noah Harari】
歴史学者ハラリ教授に聞くコロナが抱える危険性,そして未来【報ステ×未来を人から完全版】【未来をここから】【YuvalNoahHarari】歴史学者ハラリ教授に聞くコロナが抱える危険性,そして未来【報ステ×未来を人から完全版】【未来をここから】【YuvalNoahHarari】
AIMI KOBAYASHI – Preludes, Op. 28 (18th Chopin Competition, third stage)
AIMIKOBAYASHI–Preludes,Op.28(18thChopinCompetition,thirdstage)AIMIKOBAYASHI–Preludes,Op.28(18thChopinCompetition,thirdstage)
TheZenCenterinKyotoholdsazazenmeetingforelementaryandjuniorhighschoolstudentsonaschoolexcursion.OneofthemwasfivehighschoolstudentsfromYokohamawhowantedtohelpwithcleaning.Afterzazen,theyhelpedusforacoupleofhoursbycleaningoutsideandweedingthegarden.Theytoldusthatwasfun,thenleftthecenter.IrememberthatanelementaryschoolinSaitamasentus500hand-sewnragsasathank-you...SamuandZazen
Whenyouhaveachildandraiseit,youwillunderstandtheloveandhardshipsofyourmother.TheBuddha’steachingshouldbeunderstoodthroughsuchexperiences.Irememberthestorytoldbymyseniormonk.Afterthelastwar,therewasawomanIknewwhohadcomebackwithhertwochildrenfromKoreanPeninsula.Shethoughtitwasdifficulttobringthembackwithher,sosheleftheroldestsontoacouplefromtheKantoregion.Ihea...LivingwithBuddha‘sheart
“The lecture of Hannyashin sutra” by Kakushyo Takagami The 6th-1
Thesixthlecture‘AwakenKarma‘59)Thericedealersaidmakingajokewithlaughingyesterday.BecauselisteningtheEmptinessorMuintheholysutralectureeverysingleday,so,Idon’thavetoworryifIsufferanylossesever.Evenifdon’tunderstandtheprofoundmeaningofemptiness,oratleast,havingabroad-mindedandloosefeelingsthatyouareasmuchasenoughwiththebirthofthenakedness,arecorrectasitis.60)R...“ThelectureofHannyashinsutra”byKakushyoTakagamiThe6th-1
Thelotusflower(orwaterlilyinIndia)bloomsinmuddyfieldsandisnotstainedbymud.Forthatreason,itisthesymbolofenlightenment.InancientIndianliterature,itisasymboloflove,andinBrahmanism,itissaidthatBrahmawasbornfromalotusflower.Ifyoulookatalotusflowerfromabove,youwillseethatitalreadyhasseeds.Inotherflowers,seedsareformedaftertheflowerbloomsandthestamenispollinated,bu...Lotusflower
The extract from “The lecture of Hannyashin sutra” by Kakushyo Takagami The fifth lecture
‘Onewhocommithisheartandsoulintoemptiness.’48)InMay,theseasonoffreshgreeneverysingleyear.Irecallthefamousverse.‘Thegreenleaveforeyes,themountainlittlecuckoo,thefirstbonitofishinearlysummer.’Japanesepeopleshouldbeabletofullyunderstanditwithoutexplanation.Andthen,Irecallanotheroneinaddition.‘Whatasweetsmellofadheredindigotomypalminseasonalchangeofclothing.’Thi...Theextractfrom“ThelectureofHannyashinsutra”byKakushyoTakagamiThefifthlecture
The extract from “The lecture of Hannyashin sutra” by Kakushyo Takagami The 4th ‘The eternal life.’
35)Inshort,‘emptiness’is‘emptinessofHannya’anddoesnotsimplymeanlikeadualism,tobeornothing.OneofancientChineseBuddhistmaster,ShyukenDaishi(644~712)said.Ifsee‘formisemptiness’,hewillgetthegreatwisdom.Ifsee‘emptinessisform’,hewillgetdeepaffection.Thisversemakesmeconsider.Becausegreatwisdommeansprofoundwisdomandistruewisdomnamely.36)CorrectJihi;loveisnotblindlov...Theextractfrom“ThelectureofHannyashinsutra”byKakushyoTakagamiThe4th‘Theeternallife.’
世界が注目する「禅」とは何なのか?世界が注目する「禅」とは何なのか?
The extract from “The lecture of Hannyashin sutra” Ⅲ by Kakushyo Takagami
Thethirdlecture‘Emptinessisform’21)IrememberedthehaikuwrittenbyNagaoOgasawara.Sãriputta,look,‘emptinessisform’infullbloom.ThishaikuisacompleteexpressionoftheverseofHannyashinsutra.AndIwillintroduceittoday.NeedlesstosayThissimpleverseexpressesskillfully,thewordofemptinesswhatHannniyashinsutrapowerfullyteacheswithearnestlyeffortisnotdefinitelysimplymeaninglike...Theextractfrom“ThelectureofHannyashinsutra”ⅢbyKakushyoTakagami
The extract from “The lecture of Hannyashin sutra” Ⅱ by Kakushyo Takagami
Thesecondlecture.‘Bettertowalkthantotalk’8)Thereisfourwaysoftolookatthingslikeastosee,toobserve,toinspect,toperceive.Incidentally,toseemeansseeingwiththenakedeye.ToobservemeansAvalokitesvara’sobservation,iswhattoseeinviewofhart.So,toobservemeanstoseewiththehearteyeminutely.Totellthetruth,weabletonoticerealfeaturedistinctlybytoobserve.9)MusashiMiyamotosaidtha...Theextractfrom“ThelectureofHannyashinsutra”ⅡbyKakushyoTakagami
The extract from “The lecture of Hannyashin sutra” by Kakushyo Takagami
KakushyoTakagami(1894~1948)wasamonkbelongingShingonsectandaBuddhistscholar.“ThelectureofHannyashinsutra“waspublished1934andwasthebestsaleforlong.Itismarvelousrecordinglecture.Itisusefultounderstandforordinarypeopleduetowritingdownforradiobroadcastingwhiledividedtwelvetimes.HestudiedZenbywayofDr.KitaroNishidainOtaniuniversityinKyoto.So,hehadknowledgeofZen.The...Theextractfrom“ThelectureofHannyashinsutra”byKakushyoTakagami
AcompanyJapanHouseinMoscowinvitedmeasaspeakerinthefall2017.Ispokeon‘ZencultureandthedrawingofZen’.Aladyaskedmeaquestionafterthelecture.‘WhatdoesBuddhasenlightenmentmean?’Iansweredher.‘TheBuddhasenlightenmenthasprofoundcontents,so,Ihavenothingqualificationtotalkaboutit.Butwehaveachanceofatinyawakeninginourusuallylife.Doyouhaveafamilyorchildren?Youhadthediffic...Atinyawakening
OneofthedisciplesofTheVenerableHonen,whofoundedJapaneseJodosectwasformerlyathief.WhenhewassleepingintheroomnexttoHonenatnight,Honenmutteredsomething,sohesecretlyopenedtheslidingdooralittle.HonenhadmadeaninvocationofAmitabhawithsittingonhisbedconfidentially.Honennoticedhimandlieddowntosleep.ThedisciplewassurprisedthatHonenmadeefforttomakeaninvocationofAmitabh...InvocationofAmitabha
All sentient beings have Buddhas heart
Whatdoessentientbeingsmean?Itmeanswhatexistsandhastheirlife.Itmeanshumanbeinginthefirstsenseandalllivingthingsinthebroadsense.ItiswritteninSanskritas‘sattva’andmeansthatthereisbloodflow.AnimalsdonotneedBuddha’steachingbecausetheyalreadyhaveBuddha’sappearance.Carnivorouseatsomethingelse,butitisnotbadthing.Itisaprovidenceofnature.Itishumanmerelythathavetolearn...AllsentientbeingshaveBuddhasheart
J. S. Bach / Vivaldi - Organ Concerto in A Minor BWV 593 - Drum / Piano
J.S.Bach/Vivaldi-OrganConcertoinAMinorBWV593-Drum/PianoJ.S.Bach/Vivaldi-OrganConcertoinAMinorBWV593-Drum/Piano
幸田露伴「般若心経第二義注」その2幸田露伴「般若心経第二義注」その2
English lecture 'The Indus civilization'
Englishlecture'TheInduscivilization'Englishlecture'TheInduscivilization'
What Was The Indus Valley Civilisation?
WhatWasTheIndusValleyCivilisation?WhatWasTheIndusValleyCivilisation?
WhatIsBuddhism?WhatIsBuddhism?
AcompanyinMoscowinvitedmeasaspeakerinAutumn2017.Ispokeon‘ZencultureandthedrawingofZen’.Aladyaskedmeaquestionafterthelecture.‘WhatdoesmeanBuddhasenlightenment?’Irespondedher.‘Buddhasenlightenmenthasprofoundcontents,so,Ihavenothingqualificationtotalkaboutit.However,wehaveachanceofatinyawakeninginourusuallylife.Doyouhaveafamilyandchildren?Youhadadifficultytobir...Atinyawakening
幸田露伴「般若心経第二義注」その9●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その9
幸田露伴「般若心経第二義注」その8 舎利子是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
幸田露伴「般若心経第二義注」その8●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その8舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減
幸田露伴「般若心経第二義注」その7幸田露伴「般若心経第二義注」その7
授戒と戒名◯授戒の意義いずれの宗教でも入門の儀式があります。禅宗の場合、戒師はブッダ以来正しく伝えられた法を保っている老師:長老です。もう一人の長老は、声明師と呼ばれ、入門の信者に礼拝......>続きを読む授戒と戒名
幸田露伴「般若心経第二義注」その6解説吉富宜健●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その6解説吉富宜健
幸田露伴「般若心経第二義注」その5●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その5
幸田露伴「般若心経二義注」その4幸田露伴「般若心経二義注」その4
幸田露伴「般若心経第二義注」その3●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料初のみ1,000円詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その3
「ブログリーダー」を活用して、Zazen meetingさんをフォローしませんか?
J.S.Bach/Vivaldi-OrganConcertoinAMinorBWV593-Drum/PianoJ.S.Bach/Vivaldi-OrganConcertoinAMinorBWV593-Drum/Piano
幸田露伴「般若心経第二義注」その2幸田露伴「般若心経第二義注」その2
Englishlecture'TheInduscivilization'Englishlecture'TheInduscivilization'
WhatWasTheIndusValleyCivilisation?WhatWasTheIndusValleyCivilisation?
WhatIsBuddhism?WhatIsBuddhism?
AcompanyinMoscowinvitedmeasaspeakerinAutumn2017.Ispokeon‘ZencultureandthedrawingofZen’.Aladyaskedmeaquestionafterthelecture.‘WhatdoesmeanBuddhasenlightenment?’Irespondedher.‘Buddhasenlightenmenthasprofoundcontents,so,Ihavenothingqualificationtotalkaboutit.However,wehaveachanceofatinyawakeninginourusuallylife.Doyouhaveafamilyandchildren?Youhadadifficultytobir...Atinyawakening
幸田露伴「般若心経第二義注」その9●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その9
幸田露伴「般若心経第二義注」その8●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その8舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減
幸田露伴「般若心経第二義注」その7幸田露伴「般若心経第二義注」その7
授戒と戒名◯授戒の意義いずれの宗教でも入門の儀式があります。禅宗の場合、戒師はブッダ以来正しく伝えられた法を保っている老師:長老です。もう一人の長老は、声明師と呼ばれ、入門の信者に礼拝......>続きを読む授戒と戒名
幸田露伴「般若心経第二義注」その6解説吉富宜健●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その6解説吉富宜健
幸田露伴「般若心経第二義注」その5●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その5
幸田露伴「般若心経二義注」その4幸田露伴「般若心経二義注」その4
幸田露伴「般若心経第二義注」その3●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料初のみ1,000円詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その3
ブッダの最初のころの弟子の一人にアッサジがいた。彼がマガタ国のお城の敷地で托鉢をしていたとき遠くからその姿をシャーリープトラが見ていた。シャーリープトラはバラモン教の修行者で、サンジャヤという名の指導者について修行していた。シャーリープトラは彼の托鉢をして歩いている姿が立派だと思い、彼に話を聞いてみることにした。シャーリープトラは尋ねた。「あなたのお師匠さんはだれですか」アッサジは答えた。「ブッダです」シャーリープトラはまた尋ねた。「ブッダはどのような教えを説かれていますか」アッサジは答えた。「私は入門してまだ日が浅くブッダの詳しい教えをあなたに伝える資格がありませんが、仏陀は日ごろ『物事にはタネがある』と教えておられます」シャーリープトラはいった。「私は何年も修行してきたが、そのような教えを聞いたことがありま...ものごとには因(タネ)がある
幸田露伴「般若心経第二義注」その2●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料初のみ1,000円詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その2
諸の法は皆、これ因縁により生じる。因縁により生じるが故に自性無し。自性無しが故に去来なし。去来無しが故に畢竟空なり。畢竟空なるが故にこれを般若波羅蜜と名づける。『大般若経』「理趣分」より『理趣分』は大般若祈祷会の折に導師が中央に坐って唱える。その中ほどにこの一節がありこの経典の中心をなす教えは無我である。般若波羅蜜とはその実践の意味である。『法句経』の翻訳で知られる仏教学者、友松圓諦(1895~1973)は諸法無我についてこのように述べている。私は本来生まれておったのだという人は誰もいない。本来空です。本来空でありますが、なんらかの因、なんらかの縁、これは仕掛けといいます。能く手品師が、種も仕掛けもありません、といって、空っぽの箱をみせてみんなの目をひきますが、仏教の種は因です。仕掛けは縁です。種は近因、仕掛け...無我
幸田露伴「般若心経第二義注」その1●坐禅会毎週土曜日午前6:25~8:00久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺初心者歓迎参加費無料初のみ1,000円詳細は電話でお問い合わせください。0942-34-0350初回参加者は6:15までに来てください。●学校やクラブなど団体研修坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。費用はご希望に応じます。宿泊はありません。幸田露伴「般若心経第二義注」その1
「葬儀不要でいいか」最近「家族葬」という言葉をよく耳にする。本来、葬儀は家族でするものである。縮小型の葬儀という意味でそのように呼ぶのだろうが、それはまったく問題はない。「直葬」という言葉もよく耳にする。これは「葬儀はしない」という意味である。亡くなった方が無宗教でそれが遺言ならそれでもいいが遺族側だけの意向で「直葬」ならば問題があると言えよう。ここにきて(令和2~3年)コロナ禍による葬儀中止の事例が多くあるようにきく。やむを得ないことなのでコロナ禍のおさまった折には是非、後日葬を営んでほしい。ここに「葬儀は何故必要か」について考えてみる。結論から先に述べると「葬儀は仏教徒にとって遺族や近親者のための授戒式である。だから葬儀は必要である」。授戒は生前に仏戒を守ると誓う仏教徒として入信の儀式である。臨済宗各本山で...『葬儀は何故必要か』
山桜
テーマは同じ趣味や興味を持つブロガーが共通のテーマに集まることで繋がりができるメンバー参加型のコミュニティーです。
テーマ一覧から参加したいテーマを選び、記事を投稿していただくことでテーマに参加できます。