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プロフィール
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Zazen meetingさんのプロフィール

住所
久留米市
出身
未設定

英文法話も掲載しております。外国の方の坐禅指導も致します。

ブログタイトル
Giken osho Zazen meeting
ブログURL
https://www.facebook.com/giken.yositomi
ブログ紹介文
坐禅会案内 出張講座もいたします。
更新頻度(1年)

46回 / 365日(平均0.9回/週)

ブログ村参加:2015/09/24

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ハンドル名
Zazen meetingさん
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Giken osho Zazen meeting
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Zazen meetingさんの新着記事

1件〜30件

  • What is the teaching by Bodidharma?

    WhatistheteachingbyBodhidharma?BodhidharmawasbornasthethirdprinceofanIndiancountry.HehadstudiedZenunderPr......>続きを読むWhatistheteachingbyBodidharma?

  • English lecture ’What is Zen for Sri Lankan Buddhist?’

    Englishlecture’WhatisZenforSriLankanBuddhist?’Englishlecture’WhatisZenforSriLankanBuddhist?’

  • English lecture 'To be one with things'

    Englishlecture'Tobeonewiththings'Englishlecture'Tobeonewiththings'

  • English lecture 'The background of Buddha's birth'

    Englishlecture'ThebackgroundofBuddha'sbirth'Englishlecture'ThebackgroundofBuddha'sbirth'

  • English lecture 'Indian society before the period of Buddhism'

    Englishlecture'IndiansocietybeforetheperiodofBuddhism'Englishlecture'IndiansocietybeforetheperiodofBuddhism'

  • Englih lecture ’What is Suttanipata?’

    Englihlecture’WhatisSuttanipata?’Englihlecture’WhatisSuttanipata?’

  • English lecture 'The Indus civilization'

    Englishlecture'TheInduscivilization'Englishlecture'TheInduscivilization'

  • Mercy

    MercyMercy

  • Zen lecture 'Buddhist faith'

    Zenlecture'Buddhistfaith'Zenlecture'Buddhistfaith'

  • Zen lecture 'Buddhism and art'

    Zenlecture'Buddhismandart'Zenlecture'Buddhismandart'

  • Buddha and merchants

    BuddhaandmerchantsBuddhaandmerchants

  • 空 の 教 え

    ◯ブッダの説いた「空」大乗仏教で「空」は最もたいせつで、最も教義の発展を遂げた教えです。しかしながら仏教で最も古いとされる経典にこれがあることから、仏陀在世のころより一貫した教えといえます。ブッダはここで修行者モーガラージャの「死の王の観察」に関する質問に我執にとらわれないことを説きました。これがブッダの説いた「空」です。死の不安に対しての指導ということができましょう。つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができよう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない。『スッタニパータ』1119節またブッダはピンギヤの「生と老衰の不安」の質問にこのように答えました。ピンギヤよ、ひとびとは妄執に陥って苦悩を感じ、老いに襲われているのを、そなたは見てい...空の教え

  • 仏教の将来性と今後の課題

    *仏教の将来性について昨年、スリランカではキリスト教の教会やホテルが爆破されるというテロが起きました。そのときバナガラ尊師からご連絡がありました。「この問題をどのように解決したらいいか、みんなが悩んでいる。あなたから高校生たちにアドバイスをしてほしい」と。私はバナガラ尊師に申し上げました。「ブッダの言葉を伝えましょう」と。それで昨年の6月、ルーイハイスクールの生徒さん達に「慈しみとブッダの言葉」の法話をさせていただきました。ブッダの時代は戦争の多い、たいへん乱れた時代でした。だから普遍的な教えである仏教が受け入れられたのです。バナガラ尊師はおっしゃいました。「ブッダの教えはいつの時代でも、どのような立場でも役に立つ。だから素晴らしいのだ」と。コロナウイルスの問題は公衆衛生だけではなく、経済問題、政治問題になるで...仏教の将来性と今後の課題

  • 仏教と縁起

    ブッダの最初のころの弟子の一人に、アッサジがいました。彼がマガタ国のお城の敷地で托鉢をしていたとき、遠くからその姿をシャーリープトラが見ていました。シャーリープトラはバラモン教の修行者で、サンジャヤという名の指導者について修行していました。シャーリープトラは、彼の托鉢をして歩いている姿が立派だと思い、彼に話を聞いてみることにしました。シャーリープトラは尋ねました。「あなたのお師匠さんはだれですか」アッサジは答えました。「ブッダです」シャーリープトラはまた尋ねました。「ブッダはどのような教えを説かれていますか」アッサジは答えました。「私は入門してまだ日が浅く、ブッダの詳しい教えをあなたに伝える資格がありませんが、仏陀は日ごろ『物事には種がある』と教えておられます」シャーリープトラは言いました。「私は何年も修行して...仏教と縁起

  • 仏教と縁起

    ブッダの最初のころの弟子の一人に、アッサジがいました。彼がマガタ国のお城の敷地で托鉢をしていたとき、遠くからその姿をシャーリープトラが見ていました。シャーリープトラはバラモン教の修行者で、サンジャヤという名の指導者について修行していました。シャーリープトラは、彼の托鉢をして歩いている姿が立派だと思い、彼に話を聞いてみることにしました。シャーリープトラは尋ねました。「あなたのお師匠さんはだれですか」アッサジは答えました。「ブッダです」シャーリープトラはまた尋ねました。「ブッダはどのような教えを説かれていますか」アッサジは答えました。「私は入門してまだ日が浅く、ブッダの詳しい教えをあなたに伝える資格がありませんが、仏陀は日ごろ『物事には種がある』と教えておられます」シャーリープトラは言いました。「私は何年も修行して...仏教と縁起

  • 仏教と景教と密教

    仏教を上座部、大乗と分けるほかに、二派に加えて密教とで三つに分ける説があります。唐の太宗皇帝(598~649)は宗教に寛容で、当時の中国では景教:ネストリウス派というキリスト教の一派が流行しました。西安には大秦景教流行中国碑があり、これによると国内10省すべてにその教えは広まった、そして国は繁栄を楽しんだとあります。大秦とはローマ帝国のことです。大乗仏教はインドでバラモン教を取り込み、チベットのボン教を取り入れて唐、中国に伝えられました。唐の都、長安には仏教のほかにも道教や拝火教(ゾロアスター教)の寺院があり、密教にはそれらの教義が取り込まれました。ですから密教は総合的な宗教といえます。唐王朝の寛容な宗教政策があって、その後の密教の発展があったといえます。それ故、排他主義は文化的な発展につながりません。弘法大師...仏教と景教と密教

  • 仏 教 と 女 性

    ブッダの教団に女性の弟子ができたのは、故郷のシャカ族の国から義母パジャパティーとその周りの女性たちが入門したときでした。その理由はパジャパティーの出身国がシャカ族の国を攻めるというのでした。結局、シャカ族の国は滅ぼされました。ブッダは尼僧集団を設立するとき、男僧より規則を厳しくするという条件で許可しました。それから150年ほどたって、インド、マガタ国のアショーカ王の治世に、その王女サンガミッターは出家し、数人の尼僧たちとスリランカへ渡り、スリランカ王家(アヌラダプラ)の女性たちに授戒会を催しました。そこに尼僧教団を設立したと伝えられます。現在、スリランカでは独立した尼僧教団はありませんが、尼僧方はたくさんおられます。大乗仏教の時代で、女性にとって特筆すべきことは『大無量寿経』阿弥陀仏の48願の中の第35願「女人...仏教と女性

  • 仏教と徒然草

    『徒然草』第243段(現代語訳)私が八歳になった年に父にこのように尋ねた。「仏とはどのようなものですか」。父は「仏は人がなるのだ」といった。また尋ねた。「人はどのようにして仏になるのでしょうか」。父はまた「仏の教えによってなるのだ」と答えた。また尋ねた「(その)教えた仏を誰が教えたのですか」と。(父は)また答えた。「それもまた先の仏の教えによって(仏に)なったのだ」。また尋ねた。「その教えをはじめた第一の仏は、どのような仏でしたか」と言った。そのとき父は「空よりふったのだ。土よりわいたのだ」と言って笑った。「(私は)問い詰められて、まったく答えられなくなった」と人々に語って面白がっていた。(解説1)『白隠禅師坐禅和讃』の冒頭に、「衆生本来仏なり・・・」とあります。「生きているものは元々仏の姿である」という意味で...仏教と徒然草

  • 仏教と美術

    紀元前4世紀後半、アレクサンダー大王の東征によりギリシャ文化がパキスタン北東部伝えられました。大王はギリシャから石工そのほかの技術者を連れてきました。その後、仏教伝来により両者が融合し仏像彫刻が生まれました。これをガンダーラ美術と呼びます。頭初、彼らは石板にブッダの物語をレリーフに彫りました。その後、ブッダの苦行像のような形ができていきます。このギリシャ風文化はインドで紀元2~3世紀に栄え、その後、グプタ朝(4C~6C)時代にふくよかな形の仏画や仏像が流行し、これが中国、日本の仏教美術に大きな影響を及ぼしました。もともと仏教徒はブッダの像を作りませんでした。尊いお方の姿を像にすることは失礼だと思われていました。それが、仏像ができてから仏教徒はそれまでよりずっと増えました。ガンダーラ美術がなければその後、仏教は広...仏教と美術

  • ブッダの教えと商業

    ◯仏教以前のインド社会アーリア系民族が現在のパキスタン北部のパンジャブ州に移住してきたのは紀元前1500年ごろです。彼らは馬に乗って移動しました。紀元前1000年ごろになると彼らはインド東北部ガンジス川流域にその領土を広げ、アーリア系16カ国と呼ばれる国々ができます。この時代は悲惨な戦争がつづく時代でした。小アジアのヒッタイトにその起源をもつ鉄器文化は、このころインドに伝播し、青銅製武器が鉄製になったことで、それまでより戦争が拡大し、悲惨なものになっていきました。ブッダはそのような中、紀元前5世紀にシャカ族の国に生まれました。ブッダ出家のきっかけは『本行集経』「四門出遊」の逸話にありますように、仏陀がお伴の者とカピラ城の東西南北それぞれの門を出たとき、老人病人死人修行者と出会って、出家を決意したとあります。この...ブッダの教えと商業

  • 仏さまの知恵

    「悲智円満」という仏教の言葉があります。仏さまの知恵はやさしいばかりでなく、ときには厳しいこともあります。そのような表情を感じるのは奈良、興福寺運慶作の(薬師)如来像です。江戸時代に西の金堂が焼け落ちてお釈迦さまの頭部だけが残りました。この仏像の表情は神秘的です。頭だけが焼け残ったという由縁を含めて不思議な存在です。近年になって古文書の研究から運慶の作だと分かったのだそうです。興福寺の国宝館にあるこの首だけの像は背筋がぞっとするような美しい表情です。仏像の姿だけではなく、お堂のなかの荘厳や境内の建物、庭園、木立、境内の外、借景の山々、鳥の声などあわせて仏さまの智慧を表現しています。仏教寺院で神聖な場所は塀の中だけではありません。塀の外の世界を含めて清浄世界で、ずっと大きく広がっていきます。京都、南禅寺の庭園を例...仏さまの知恵

  • 南無阿弥陀仏と禅 Ⅲ

    ●作務禅では祈りと同様に作務(作業労働)をたいせつにする。その原点が古い経典にある。チュッラパンタカとマハーパンタカの逸話である。祝利は極の意味である。この比丘は鈍かった。ブッダは、掃箒(の偈)を誦(とな)えるように教えた。箒(ほうき)をもって妄(まよい)をはらうようにしよう。掃(掃除)をもって忘をはらうようにしよう。六年間に専心にこれをとなえた。意(こころ)は遂(つい)に解悟した。そうして自らおもって言った。箒は篲(ほうき)。掃は除く。箒は即ち八正道のたとえである。糞は三毒の垢(あか)である。八正道の篲をもって三毒の垢を掃うことである。所謂(いわゆる)掃箒の意味は正(まさ)に此(これ)をいうのだろうか。深く此の理(ことわり)を思えば心は即ち真理を了解できる。阿羅漢の道を得させた。『分別功徳論五』(現代語訳)チ...南無阿弥陀仏と禅Ⅲ

  • 南無阿弥陀仏と禅 Ⅱ

    ●『教行信証』翻訳鈴木大拙は浄土真宗の教祖、親鸞の著である『教行信証』を途中まで翻訳したところで逝去された。その訳語の中に阿弥陀信仰と禅との関係がうかがえる。禅では「行」を「修行」ととらえる。禅の立場で「行」を英訳すればPhysicalpracticing(身体的な実践)となる。ところが浄土真宗には修行はない。だからこの翻訳ではいけない。生活そのものが「行」でなければならないからである。そこで大拙博士はthetrueLivingと翻訳した。つまり南無阿弥陀仏は「真実の生活」ということだ。そもそも禅の眼目は何か。それは「外に向かっては利他行であり、内に向かっては自ら随所に主となす」である。言い換えれば「人にやさしく、自分の置かれたその場において自主的な働きができる」である。『教行信証』の「行」と何ら変わりはない。...南無阿弥陀仏と禅Ⅱ

  • 南無阿弥陀仏と禅 Ⅰ

    ●南無阿弥陀仏でいいですかよく檀家さんから「禅宗ではお参りするとき何と唱えますか」とたずねられる。私は「南無釈迦牟尼仏と唱えてください」と答えている。あるいは「南無阿弥陀仏ではいけませんか」といわれると「それでいいです」と答えている。答え方があいまいなのだが相手の信仰を否定しないのが禅宗のモットーである。ここに少し「南無阿弥陀仏と禅の立場」を考えてみる。臨済宗僧侶の葬儀では最後にこのように3回唱える南無西方極楽世界大慈大悲阿弥陀仏なむしほうきらしかいだいずだいひおみとーふ一般に日本の臨済宗では檀信徒に「南無阿弥陀仏を唱えてください」とすすめていない。僧侶の葬儀にはこれを唱えているのだからこれを唱えていいはずである。同じ禅宗でも黄檗宗はこれを唱える。台湾やベトナムの臨済宗もこれを唱える。日本の臨済宗僧侶葬儀でこれ...南無阿弥陀仏と禅Ⅰ

  • About Zazen ・坐禅について

    *AboutZazenItseemstobesomemisunderstandingaboutZazen.IfImentiontoconcludeaboutZazen,itisnotonlytomeditateonthecushionbutalsoeverydailylivingtobeso.Cleaningroomsandgardens,cookingatdining,servingacupofteatoavisitor,wehavetobeonewiththingsinasimilarwaytomeditationtimeaswell.Imadeavisittomyfollower’shomeandwasservedacupofteaatBonseveralyearsago.Isaidlikethatbec...AboutZazen・坐禅について

  • 布施

    ◯布施・1『法句経』の翻訳で有名な友松圓諦(1885~1973)の幼名は春太郎で、名古屋の米屋の次男として生まれました。名古屋には臨済宗妙心寺派の徳源僧堂があり、雲水さんたちが托鉢で友松コメ店を度々訪れました。春太郎のお婆さんは、いろんなことを春太郎に教えてくれました。お婆さん「雲水さんにお米を差し上げる時は、平等に差し上げるのですよ。春太郎、お布施を差し上げる方ともらうほうではどちらが嬉しいと思うかい?」春太郎「それはもらうほうに決まっているよ」お婆さん「ちがうよ、お布施は差し上げる方がうれしいのよ」この話をすると、春太郎の方が正しいと思う方が多いかもしれません。そのようなお婆さんの気持ちは宗教心から出てくるのです。たとえば赤ちゃんにお乳をあげるお母さんは嬉しいはずです。孫にお小遣いをあげるおじいさんは嬉しい...布施

  • 大乗仏教の起源

    ◯波羅蜜多波羅蜜多とは「悟りの岸に到る」という意味です。ブッダが説法された寺院は、マガタ国の都ラージャガハの竹林精舎、コーサラ国の都シュラヴァスティの祇園精舎、マガタ国のクリドラクータ:霊鷲精舎など5つが知られています。霊鷲精舎は小高い山の上で、ブッダや弟子たちは石窟の中で寝泊まりしていました。信者たちはブッダの説法を聴くために、川をわたり山の上まで登ってきました。その川が増水することもあったでしょう。信者たちは上流まで何十キロメートルも歩いて川をわたり、丘を登って精舎にたどり着いて仏陀の説法を聴きました。それで岸に渡る、パラミータという言葉が使われたと思われます。ブッダをこの目に見て説法を聴く彼らの態度は「柔和質直者」(心が温和で偽りのない人)であった」と『法華経』「如来寿量品」にあります。先に大乗仏教には六...大乗仏教の起源

  • The origin of Mahayana Buddhism

    *WheredidcommenceBuddha’simagecarving?KushandynastywhobelongtoIranracehadtakenpossessionofwherefromCentralAsiatoNorthwestIndiaduring1stBCto4thAD.KingKaniska(thereign144~171)reignedat2ndAD.AndheconservedBuddhismwarmly.ThiscountrywasinthecenterplacebetweenthewesternGreeceandtheeasternChinatheLaterHan.Thus,theyhadgrownrichbyatradingoftheSilkRoad.AlotofGreekgold...TheoriginofMahayanaBuddhism

  • 作務と坐禅

    ◯作務中国に仏教が伝わったのは2世紀ごろです。中国仏教はインドからの経典を翻訳することが中心でしたが、禅宗が独立した寺をもつようになり弟子たちの数が多くなると、彼らはインドのように信者さんたちのまかないだけで生活をすることは困難になりました。特に禅宗の僧侶たちは荒れ地を開墾し、農作業をするようになりました。粟や麦を植え、収穫し、脱穀して粉に引き、調理するという作業が必要になり現実主義へと変化しました。作務という言葉が初めて見えるのは六祖慧能(638~713)の語録『六祖檀経』です。そのころになると禅宗において作務は、修行としての大切な教義として発展しました。慧能は五祖法演禅師のもとで坐禅修行をしたのではありません。数百人の修行僧をまかなうために毎日、納屋で粉ひきをしていました。ある日、法演禅師が後継者を決めるの...作務と坐禅

  • 仏法僧

    「仏とは何か」「仏とは何か」ときかれて「歴史上の人物である」と答える方は多いでしょう。この質問に日本人は「亡くなった人」と答える人が多いのです。「人は亡くなれば欲を離れる」という意味でそのようにいうのです。これは日本人の宗教観です。実は「仏」とは私たち自身のことです。私たちは生きていますので欲をもっています。時々は我儘になることもあります。ところが「人の役に立ちたい」という気持ちももっています。他の人が何か困ったことがあって、自分がお手伝いしたら喜んでいただいたという経験を、みなさんもっておられるでしょう。お互いにそのような姿を見出していきましょうというのが仏(ブッダ)の教えです。「法とは何か」ブッダはサールナートのミッダガーヤというところで5人の友人たちに最初の説法をされました。かつて5人の友人たちはブッダと...仏法僧

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