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2015/09/24

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  • 第146回 甲府のガイドブック4

    甲府のガイドブック4江戸時代もガイドブックが出版されています。ガイドブックには嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものと明治5年(1872)に出版されたものがあります。嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものは「甲府独買物案内」とタイトルがつけられ、明治5年(1872)に出版されたものは「甲斐市中買物独案内」とタイトルが付けられています。明治5年の「甲斐市中買物独案内」は嘉永7年の「甲府独買物案内」の様式を踏襲しており、両方とも扱っている商品ごとにイロハ順で店が掲載されています。これらのガイドブックには扱っている商品は記載されていますが、商品の値段は表示されていません。明治5年の「甲斐市中買物独案内」に掲載された案内の1例を示します。「甲斐市中買物独案内」は嘉永7年の「甲府独買物...第146回甲府のガイドブック4

  • 第145回 甲府市のガイドブック3

    商店のガイドブック3江戸時代もガイドブックが出版されています。ガイドブックには嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものと明治5年(1872)に出版されたものがあります。嘉永7年(改元されて安政1年、1854)に出版されたものは「甲府独買物案内」とタイトルがつけられ、明治5年(1872)に出版されたものは「甲斐市中買物独案内」とタイトルが付けられています。明治5年の「甲斐市中買物独案内」は嘉永7年の「甲府独買物案内」の様式を踏襲しており、両方とも扱っている商品ごとにイロハ順で店が掲載されています。今回は明治5年のものです。明治5年版は国会図書館のアーカイブに収録されており,インターネットを通じて閲覧できます。また,山梨県立博物館にも収蔵されていますが,山梨県立博物館の者は現存するページが少ないよう...第145回甲府市のガイドブック3

  • 第144回 江戸時代の甲府商店のガイドブック2

    江戸時代の甲府商店のガイドブック2江戸時代もガイドブックが出版されています。甲府の商店については文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と幕末の嘉永7年((改元されて安政1年、1854)の甲府独買物案内,明治5年(1872)の甲斐市中買物独案内がのこっています。文政11年(1828)の甲州道中商人鑑については前回書きました。今回は幕末の嘉永7年((改元されて安政1年、1854)の甲府独買物案内についてです。甲府独買物案内は横19㎝,竪10㎝の大きさのガイドブックで,「こうふひとりかいものあんない」と呼ばれています。最初に扱っている商品ごとのイロハ順の索引が付いています。412件の案内が掲載されていますが,複数の商品を扱っている店がありますので,店の数としては307軒です。甲府独買物案内は甲州文庫などに残されていま...第144回江戸時代の甲府商店のガイドブック2

  • 第143回 江戸時代の甲府商店のガイドブック1

    商店のガイドブック1江戸時代もガイドブックが出版されています。甲府の商店については文政11年(1828)の甲州道中商人鑑と幕末の嘉永7年(1854)の甲府独買物案内,明治5年(1872)の甲斐市中買物独案内がのこっています。甲州道中商人鑑は甲州文庫に残されており,山梨県立博物館で閲覧ができます。甲州道中商人鑑には30軒の甲府の商店の案内が商店ごとに掲載されています。旅籠が5軒,薬屋が5軒,菓子屋が4軒,水菓子が2軒,呉服太物が2軒です。その他小間物,雛人形,足袋,袋物,たばこ,紅おしろい,伽羅油,袋物,ろうそく等も掲載されています。店の案内には,屋号,所在地,商店主の名前,扱っている商品が記載されています。店の位置は、「柳町1丁目」、「山田町2丁目北側中程」のように町名が記載されています。店先の絵も掲載している...第143回江戸時代の甲府商店のガイドブック1

  • 第142回 甲府へ帰る

    甲府へ帰る◎5月20日京都を出発して甲府へ帰ります。この日は大降りです。5月20日は新暦の6月22日で梅雨の時期に当たり、この帰途では雨に逢うことが多くなっています。帰途は中仙道を通っています。帰りを急いでいたせいか,途中の名所の記述はほとんどありません。京都三条橋まで次郎左衛門と藤七が見送りに来ています。次郎左衛門は甲州の国府村から来た者で、藤七は日野屋の手代です。次郎左衛門と一緒に京都に来ていた国府村の「与左衛門を供につれ」とあります。朝五つ時に出立です。途中の守山宿,武佐宿で「この辺大雨にて難儀」とあります。途中の野洲川を渡るのに32文,横関川を渡るのに50文かかっています。野洲川は守山宿の東側にある川です。横関川は現在の日野川で,当時横関川渡しがありました。東路記(新日本古典文学体系、岩波書店)には船渡...第142回甲府へ帰る

  • 第141回大和周り02

    大和周り02寛保2年4月25日(1742年5月28日)京都から大和周りに出発しています。奈良県から和歌山県,大阪を回り,5月8日(6月10日)に京都に戻っています。京都の宿である日野屋久兵衛,肴屋仁兵衛,大仏前長兵衛が同道しています。奈良県は北から南に横断し,吉野川(紀ノ川)を船で下って和歌山に出ています。第140回では奈良県を縦断して土田までの進んだ様子を書きました。今回はその続きです。◎5月昨日は吉野川(紀ノ川)に沿って,阿太(五条市),五条,橋本,かむろ(学文路),かね(河根)まで進んでいます。かね(河根)の丹波屋佐助という宿で泊まりです。橋本からは和歌山県です。阿太の付近で日食にあい,「昼時分なれど暮合のようになる」とその状況を記録しています。五条は「よき町あり。繁盛に見える」と書いています。宿はずれに...第141回大和周り02

  • 第140回大和周り01

    大和周り1寛保2年4月25日(1742年5月28日)京都から大和周りに出発しています。奈良県から和歌山県,大阪を回り,5月8日(6月10日)に京都に戻っています。京都の宿である日野屋久兵衛,肴屋仁兵衛,大仏前長兵衛が同道しています。奈良県は北から南に横断し,吉野川(紀ノ川)を船で下って和歌山に出ています。図は大和周りの経路を示しています。赤く塗られた丸が立ち寄った主な寺社,赤丸が宿泊地です。25日は五条の橋から,伏見街道を通って木津までです。東福寺,深草の宝塔寺,仏国寺,宝蔵院,宇治平等院を通って,木津の木賃宿松木善兵衛に泊まっています。東福寺では「唐木の庫裏,高麗木,朝鮮木など彫物あり」とあります。都名所図会には唐木という木の絵が描かれていますが,この木のそばの庫裏の事でしょうか。それより仏国寺へ向っています...第140回大和周り01

  • 第139回 伊勢参宮-京都2

    伊勢参宮-京都2八日町の商人の大津屋五郎右衛門は寛保2年旧暦3月(1742年)に甲府から伊勢参りに出発しています。一行12人の旅で、甲府から京都までの旅の様子は第66回と第119回に書きました。伊勢参りが済むと現地解散のようで,五郎右衛門は京都に向かいました。五郎右衛門は伊勢参りの一行と別れて、京都、奈良、和歌山、大阪を回る旅行をしました。今回は京都滞在の具体的な様子です。寛保2年4月13日(1742年5月17日)草津を立って昼時に京都に着きました。宿は富小路姉小路上る日野屋久兵衛というところです。4月24日(1742年5月28日)までここに滞在しています。4月24日には大和周りに出発しており,またここに帰ってきています。14日は井筒屋次郎右衛門と同道して六角堂を参詣してから,奈良屋彦兵衛,安井太兵衛を訪問して...第139回伊勢参宮-京都2

  • 第138回 伊勢参宮-京都1

    <strong>伊勢参宮-京都見物1八日町の商人の大津屋五郎右衛門は寛保2年旧暦3月(1742年)に甲府から伊勢参りに出発しています。一行12人の旅で、甲府から京都までの旅の様子は第66回と第119回に書きました。伊勢参りが済むと現地解散のようで,五郎右衛門は京都に向かいました。五郎右衛門は伊勢参りの一行と別れて、京都、奈良、和歌山、大阪を回る旅行をしました。今回は京都滞在の様子です。寛保2年4月13日(1742年5月17日)草津を立って昼時に京都に着きました。宿は富小路姉小路上る日野屋久兵衛というところです。4月24日(1742年5月28日)までここに滞在しています。4月24日には大和周りに出発しており,またここに帰ってきています。日野屋久兵衛の処に甲客井筒屋次郎右衛門が滞在していました。五郎右衛門の日記には...第138回伊勢参宮-京都1

  • 第137回 慶応4年(4) 甲府町民への対策

    慶応4年(4)甲府町民への対策慶応4年(1868年)は明治維新の年で、明治元年と改元されます。第71回に慶応4年の官軍進駐について書きました。今回は官軍による甲府町人への政策について書きます。前回と同様に日付はすべて旧暦です3月17日と18日の両日,甲府町住民13754人に賑米423石7斗5升が支給されています。この米は甲府城の外御蔵場に保存されている米です。17日には5279人,18日には8475人に支給されており,出役として甲府代官中山誠一郎手代岡野金次郎,御蔵方,立会として松代藩1人が出ています。支給された量は1人京枡5升宛です。この米は町ごとに支給されています。例えば,柳町には126分63石1斗(88俵端米3斗5升)が支給されています。各町の町役人と家持総代が人足をつれて外御蔵場へ受取りに出向いています...第137回慶応4年(4)甲府町民への対策

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