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ときどりの鳴く 喫茶店 https://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。

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2015/09/16

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  • 「松本」学、あるいは「松本」考:6 山家」の読み方

    「松本」学、あるいは「松本」考:66:山家」の読み方山家」の読み方---・三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり---・上っていくと、「山家城跡」というのがあります。ここらあたりから、入山辺」と言いますと、先に書いた。この「山家」は、「やまや」と読むとばかりに思っていた。里山辺を散歩中に、地元の人との会話で、この城跡は「やまべ=山家・城」だと知った。散歩中に、この会話がなければ知りえなかったことである。山家城跡:写真「山家」を「やまべ」とは、難読の極みである。松本が、城下町の体裁を整えて、人口を増やしてきた折、新参者は「山家」を「やまや」と読みえず、呼び名は習わしであることから、当て字の方を「山辺」と変えたのであろう。そして「山家城」の主の統治の領域は、里山辺、入山辺、三才山辺りであったのではなか...「松本」学、あるいは「松本」考:6山家」の読み方

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:5

    「松本」学、あるいは「松本」考:55:裏庭・美ヶ原裏庭・美ヶ原ルート:2・・・、三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり、バス停は「美ヶ原」に通じていた。美ヶ原温泉郷から、細い道を縫っていくと、美鈴湖に合流する脇道もある。ここいら一帯は、見渡す限りのブドウ園で「種なしデラウェア」の産地である。ここを、バスでも良し、歩行でもよし、でブドウ畑の間をヒタすら上っていくと、「山家城跡」というのがあります。ここらあたりから、入山辺」と言います。入山辺のブドウ園:写真さらに上ると、「三城牧場」に着きます。近くに、扉鉱泉」もあります。---・なにせ・・五十年プラス前のことゆえ、いまだに牧場をやっているのか、鉱泉が名前をかえたのか、そこらへんはご容赦を・・・「三城牧場」は、大学の「オリエンテーリング」の時のハイキン...「松本」学、あるいは「松本」考:5

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:4

    「松本」学、あるいは「松本」考:44:裏庭・美ヶ原裏庭・美ヶ原母校(信大)の脇を通って橋を渡ると「浅間温泉にでる。橋を渡った直ぐには、「川島芳子」が住んだ家がある。(----戦中に、渾名男装の麗人、東洋のマタ・ハリとも呼ばれた人、機械があれば深追いするが・・・)温泉旅館、温泉ホテルを突き抜けてそのまま上ってゆくと、・・・、三年間住んだ里山辺の近くには美ヶ原温泉郷もあり、バス停は「美ヶ原」に通じていた。ここいら一帯は、見渡す限りのブドウ園で「種なしデラウェア」の産地である。ここを、バスでも良し、歩行でもよし、でブドウ畑の間をヒタすら上っていくと、・・・、美鈴湖の手前で合流する。美鈴湖と言えば、50年目r当時、「浅間温泉国際スケートセンター」があった。---・油氷とか言って、好記録続出の「アウトドア・スケート...「松本」学、あるいは「松本」考:4

  • 「松本」学、あるいは「松本」考:3

    「松本」学、あるいは「松本」考:33:松本市の由来そもそも、松本は、城の改名からきている。それまでの城の名称は、「深志城」であった。・・・松本市の由来松本市の名前の由来は、天正10年(1582年)に小笠原貞慶が深志城を「松本城」と改称したことが要因。「待つ事久しくして本懐を遂ぐ」との懐述「待つ(松)本懐」から「松本」になったと言われている。また、佳字を用いた瑞祥地名とする説もある。・・・写真:松本城理由は上記のとうりであるが、読んでのように、全く後で無理やり付けた理由のようで、納得が行くようなものではない。小笠原貞慶」が出てきたので、中世・府中の領主の名前を、歴史的に振り返ってみよう。建武の新制の時、足利高氏は、六波羅探題で、信濃武士を束ねて京都警備をしたことがある小笠原宗長に同志を依頼したことに始まり、...「松本」学、あるいは「松本」考:3

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