過去の日記を読み返すと、すっかり忘れてしまった出来事の記載があり、何度読み返してもハッキリとは思い出せないようなことを書いてある。まぁ、あったんだろうなとは思える。こういう風に過去に経験した出来事を忘れてしまっているということは、その経験が無駄だったように思われ、人生全体も結局すべて無駄なのかと落胆しそうになる・・・死ぬ間際に走馬灯のように過去のことを思い出せたとしても、それで何になる?という気に...
自分という存在、この世界の存在、一体、なぜ、存在するのか?
何故何もないではなく何かがあるのか?それも、よりによって、何故自分が存在するのか?
人生の中で人は成長していく。幼かった頃、学生だった頃、社会人なりたてだった頃、責任ののしかかるMidlifeCrisisの頃、そして老年期・・・性格が変わる、考え方が変わる、言動が変わる、まるで石破首相のように。それは仕方の中いことだ。むしろ人格が熟してくると言える。人格が変わっていく、しかし、意識は同一だ。意識の同一性とは何だろう・・・人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村...
今はそういう状態じゃなくて、やがてそういう状態になるかもしれないとして、その状態に何年か何十年かしてなったとき、自分はそれを喜べるのだろうか?今すぐにでもそういう状態になってほしいと思っていたとしても、実際にそういう状態になったとしたら本当に喜べるものか?思っていたのと違うのではないだろうか?(リアルに想像してシミュレーションしてどんな感じか、初めに思っていたのと違うようになるか検証したい)今そう...
マトリックスのようにこの世が幻でも自分以外の他者が存在しないとしてもそうじゃない可能性があるわけだしただただ平凡な世界が意味なく存在しているだけかもしれないしにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
人生は死ぬまでの暇つぶしという人もいるだろうが、人生の意味は死ぬまでの考察のネタと言うわけには絶対いかない。。。死ぬまでに見つからなくても、死んだときにわかるよと楽観的に言う人もいるだろうが、だから死ぬその瞬間まではそんなに必死に考えなくていいと言うわけには絶対いかない。過程が大事だというわけではない・・・努力や経過などよりも、もっと真剣に・・・人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村に...
最近、関東などで緊縛強盗が多い。SNSで闇バイトに応募した男性らが短期間で多額の金を稼げるというのにひっかかって、指示役に繰り返し繰り返し犯罪を促されるパターン。彼らは、顔は良いけれど、頭が最悪に悪くて、物事の判断が全然できない鶏以下のケダモノなのだろうが、彼らが欲しがる数万円の金の大家が刑務所行き及び遺族への生涯の償いと、一家離散と、社会復帰困難で、本当に愚かだ。本当に求めるべきは、人生の意味だろ...
言葉がダメなわけではない言葉だけでは伝えるのが困難なわけであり言葉を交えつつも一瞬で自分あるいは他者へ悟らせることのできる媒体が必要とされるそれが単なる映像的な物では下等な動物と同じになってしまう映像とか音とかでは伝えきれないもの、かつ言葉だけでは伝えるのに効率の悪いような抽象的な事を悟らせるようなそういう媒体があるはずだにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
真理を実感するには言葉では無理なのかもしれないし、他者へ心理を伝えるのには言葉では伝わらないのかもしれない・・・人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村...
死ぬ瞬間、人は何を見るのか?一瞬の最期の光景に今までの人生の経験を映像として感じる。それは言葉は一切不要だ。まさに「空」。人に何かを伝えようとする時に、言葉が生まれたかもしれないし、自分で何か抽象的なことを考えようとした時に、言葉が生まれたのかもしれないけれど死ぬときの最期の瞬間は言葉では遅すぎるから。そして、困っている誰かを助けるのに、言葉では助けられない。にほんブログ村にほんブログ村にほんブロ...
絵画は見る人によってとらえ方が違ったりする。ある人にとってはとても素晴らしく啓示的に見えるだろうし、別な人から見れば陳腐で単なる風景だろうと見えるかもしれない。絵画だけでなく音楽や文学などもそうだ。それを受け取る側の意識次第で価値が変わってくる。死ぬ瞬間、人は何を見るのか?一瞬の最期の光景に大きな意味を見出せる人もいるだろうし、何も感じないまま動物のようにそのまま亡くなる凡人も多いだろう。一瞬で大...
人生の目的にインスピレーションを与えている。これも使命だ。つまり、何のために生きるのか考えるという課題をテーマにした僕は、そういうようなことを考えさせられる人生に否が応でも歩まさせられている。ぎゃくに、楽しければそれでいいという自己中心的な世俗的な考えの人間はそういう楽しさを求め他者と競争する人生を歩むことになるだろう。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
自分が何で存在しているのか考えることができる者は、高等な人間しかない。石ころはもちろんだめだし、ウイルスや虫でもだめだし、犬やサルでも不可能だ。小さな子供ももちろん無理。そして、そこらへんにいる大勢の凡人も考えることはできない。何で、人生の意味を考えるか?それは世界や生命の進化の過程で、何故この世に誕生したのかを解明したいという思いが高等人類に託されて、私やその他高等人類に使命として託されているの...
チャイルドフリーに関する規制について(子どもを持たない人生)以前、https://ameblo.jp/taitakau-tan/entry-12868416072.htmlという記事も書いたが、日経新聞(2024/10/05)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR3138M0R30C24A8000000/逆に、ロシアの国策がより自然な人間らしい道というようにも思えてきた。カトリックなどは女性の人工妊娠中絶を罪としているが、今回のチャイルドフリーに関する規制が女性が無理に社会進出...
人生は苦しいし、悲しいこともあるし、嫌な場面もあるし・・・反出生主義のように、わざわざ子孫を残すのは子孫にたいしてかわいそうである。華やかなセレブや芸能人などは人生を謳歌しているような姿を見せるが、あれはまるで麻薬で感覚を麻痺させて酔っ払ったよう姿だ。今までの人類のなかでこういう人生に対して真摯に生きる姿をみせた人はいるか?仏陀か?イエスか?いや、今までそんな尊敬できるような立派な人はいない。古今...
テレビでお笑い番組を見ていればよくわかる。芸人たちが必死に笑いをとろうとしている姿に、その顔に、悲壮感が隠れているのが。まるで蜘蛛の糸のようだ。笑いという名のもとに、人生の悲惨さがにじみ出ている。この世の中、楽しく幸せに生きている人はいるけれども、本当にはそうではないのだ。むしろ、そういうのを勘違いして生きている人は地獄へまっしぐらに進んでいる。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログ...
若者の自殺が増えているという若者と言っても、ただ、毎日、働いて、家帰って、寝て、翌日また仕事に行って、かえって、寝て、休日は昼もずっと寝て、、、という繰り返しの若者に自殺が多い。まったく、人付き合いが苦手で、能力も資格もなく嫌な仕事を延々とさせられ、働き甲斐も生き甲斐もないなら、やがて気が滅入ってくるのは必然だ。しかし、それを吹き飛ばすのは、視野を広げられるか否かにかかっているだろうにほんブログ村...
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過去の日記を読み返すと、すっかり忘れてしまった出来事の記載があり、何度読み返してもハッキリとは思い出せないようなことを書いてある。まぁ、あったんだろうなとは思える。こういう風に過去に経験した出来事を忘れてしまっているということは、その経験が無駄だったように思われ、人生全体も結局すべて無駄なのかと落胆しそうになる・・・死ぬ間際に走馬灯のように過去のことを思い出せたとしても、それで何になる?という気に...
自分も変わってしまう。懐かしかった昔の自分の気持ちも今は違っている。同じ自分というのはあり得ない。これから先だって、違う自分になっていくはず・・・...
過去から現在、そしてこれからの未来の自分・・・すべて違う自分。アイデンティティとは「いうけれど、自己同一性なんて幻に過ぎない。入れ物がちがうだけで、中身(本質)は自分という魂であり、それは7本質的には変わらない、というふうに考える人もいるだろうが・・・...
http://utantomyu.blog89.fc2.com/blog-date-201909-2.html6年前の上記にも書いたが、マラキの預言は大ウソであった。しかし、時代も世界もまるで弾けて消える泡沫のように不条理だ。...
独我論が正しければ、この世は自分自身が自分のために何かを思考錯誤か、シミュレーションか、実験するために、いろんな森羅万象を経験させている。そして、その目的に合わない自分自身の行動に対してはストップをかけるべく邪魔をしてくる、好事魔多しのように。自分の意志や目的はどうなっているのだろう・・・...
自分の力で何かを成し遂げたと思っていることも、何の根拠もなく、儚く、脆い。それでも、現実はこつこつ地道にやっていくしかないし、蟻地獄に落ちそうな蟻のように滑っても滑っても前へ向かって歩いていくしかない。以前の成功体験でこれからもやっていけるなんて努々思わないほうが良い。...
人生の意味JIBCここをおすすめするわけではない、あくまで個人的なしおりだ・・・57:50~自分の存在の意味などどうでもいいが、か弱い者、守ってあげなければいけない者への存在の意味はとても意義が深い・・・...
現実的な困難や雑用は本当に心を煩わされる・・・しかし、そんなことよりももっと大事なことを優先したい・・・...
夢をいろいろ見ていて、いろんなことを感じ経験し、慌てたり、不安になったり、感動したり、喜んだりして、朝目が覚めた時、「あ、夢だったんだ」と思って起床。この時、夢の中での自分の行動や感じたことや考えたことなどは、あっという間に忘れ去られてしまうだろう。つまり、夢の中でのいろんな苦労や考えは無駄に忘れ去られてしまう。夢という経験が何の意味もなくなってしまっている・・・思い通りにはいかない現実と、まった...
自分しかいない世界、つまり夢をみているときの世界。この時、理不尽や不条理はあるだろうか?もちろん、夢の中で包丁で刺され殺されそうな夢を見て実際おなかがきりきり痛むような嫌な夢で起きたときに「あ~夢で良かった」と思うけれど、これを不条理とは感じないはずだ。...
ブログ開設当初の記事を読み返したりもするが、あまり進歩がないなあと思えてしまう・・・進歩はないけれど、雰囲気が違うのは、その時の自分のプライベートの影響があるからだろう。過去の自分を見ていると、生意気だなと思ったり、恥ずかしく思ったり、自分で自分が嫌になる。。。...
人生の意味、これを毎日毎日追い求める、まるで強迫的に。毎日毎朝毎昼毎夜。寝ても起きてもそればかり考える。自閉症の人でもそれは無理だろう。...
自閉症の人は、極度に強迫的に集中して取り組むという。普通の人なら、嫌なこと、単調なことでも、自閉症の人にとって興味あることならば限局的に繰り返し繰り返し時間を忘れて取り組めるらしい。たとえば、絵を描くこと。細部まで、丁寧に、自閉症の人は描ける。普通の人ならもういいや、と疲れてくるのに。独我論もそうだ。この世界は苦痛や倦み疲れることがおおいが、自閉症的にそこを何とも感じず、ただただ自分の限局的な過集...
独我論が正しければ、人生に意味が持てる期待を抱けるには、どういう意味がいいのだろうか...
自分中心ではなく、他者を想うことの重要性・・・もし、独我論が正しい場合、すなわち、自分以外の人は存在せず、この世界は自分の意識だけ存在し、あとは全て幻だった場合、他者を思いやったり、他者の幸せを願ったり、憐れんだり、共感したりという想いは無駄なのだろうか?いや、そんなことはない。なぜなら、この世界で観る他者という存在が幻というより、自分の分身である可能性もあるからだ。(そうすると、他者を想うという...
与沢翼氏のX投稿やYoutube配信が途絶えて数日たつ。きっと、今、そんなことが物理的にできない状態にいるんだろう。。。生きていく意味おそらく、入院中か、または留置中か・・・ なにしろ、寝ずに何かをしていないとそわそわ落ち着かない心境だから、フリーな状態、何も制約されることのない状況だったら、何かしているだろうから・・・自分という存在とは?人は何もしない時間も持つべきなんだろう・・・頭の中では求めつつ・・...
与沢は自分のことばかりあれこれ考えているが、もっと他者のために考えられないのだろうか?子どものため、元妻のため、親のためのことをもっと必死に助けようと考えないのだろうかおそらく、覚醒剤の後遺症がそういう他者のために思いやる気持ち、他者のために願う気持ちなど、人として崇高な脳機能が壊れてしまったのだろう…やはり、覚醒剤は怖いし、大麻も危ない…軽佻浮薄な人格、ニヒルというか、うすら笑い・嘲笑の人の思考は...
何故祈りを大事にするかは、おそらく、他者のために思い考え願うことだからだろう。人は自分中心で自分のために考え思い煩うことが多い。今日何を着ていくか。思い煩うのはやめるように、とイエスは言っていた。だから、祈りでなくても、考えるであっても、他者のためならばそれはりっぱな思索になる。...
大川牧師は、自分で考えたりしないで、ただただ祈って神により頼もうとしているであろう。ほとんどのクリスチャンは考えずにただただ祈る。自分の力で考えて何かを得られるなんて、そんなのおこがましいと思っているからだ。たしかに僕も考えて答えが得られるなんてそんなに楽観的ではない。しかし、それでも僕は考える。祈るだけではなく、考える。どっちかというと考える方が重要だと思っている。...
与沢翼氏が東京霞が関にある警視庁に行った・・・本庁舎の正面玄関で数人の警察官と色々話したらしいが、案の定門前払いに会ったのだろう。精神病の人が何か事件を起こす前に警視庁に行って何かを訴えるというのはよくある。はじめは親し気に話し、別の日にはいきなり刃物で襲おうとしてくるなどというのは当然あり、今後の与沢氏が本当の事件を起こさないかが心配である。桜田門のきちんと公務を行っている警察官の方も大変であろ...
他人の楽しんでいる様に共感できることはあまりない他人が悲しんでいる姿には共感できるさらには不幸を克服して何とか頑張っている他人の姿には共感できるにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
細胞にとって、自意識の有る人間は、輝くダイヤのように、他の土・石とは違った高貴な存在なのか?人間の霊魂のような死後、収穫される高貴なエネルギーなのか?悩める自意識が重要なのか?自己中心的で俗物的なそういう意識は細胞にとってはゴミのような不要なものなのか?収穫されたらどうなるのか?いつ解放されるのか?それを欲しがる細胞はそもそも何故存在するの?にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
自分を自覚する意識というのが、何故この細胞にとってプラスなのか?自分を自覚しないような下等な意識には用がないのか? 自意識があるほうがよりリアリティのある感覚となると言っていた工学部教授がいたが、それは細胞にとってより美味しいグルメ的な価値があるということなのか?ペットの犬がどんどん品種改良されて可愛くなっていくように、動物の中から人が自分を意識してより高度な倫理的な品位を持つようになって、それが...
人間の意識自我を自覚する自意識これの必要性は何か?この意識をエネルギー源とする生命体がこの世界なのかもしれない。まるで細胞内でATPを消費しているように、人間の意識がATPで、この世界が細胞。植物や下等動物に意識がないものの、人間のような自意識というのはとても質が良く、この世界を活発にするエネルギーがある。(マトリックスみたいな世界観になりそうだが、それは目的ではない)世界は人間の意識を欲している。しか...
自分中心な人自分のことしか興味ない人他の人のことやこの世界全体のことや自分だけじゃない世の中全てに思いを馳せられない人は、たしかにいる。それを反面教師に自分自身ももっと視野を広げたい・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
久石譲の天空の城ラピュタや風の谷のナウシカなどのサウンドトラックを聞きながら思索をすると、思索に集中できて、良いインスピレーションを得られるように感じるのは、気のせいだろうか?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村...
光・・・ 人気ブログランキングへにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村...
東浩紀は真面目に人生の意味について探求するかと期待したが、だんだんダメになっていくのではないだろうか?とくにアルコール依存になっていくような気がする。。。残念だ。。。東浩紀雑談3チャンネル...
真実を覆い隠すためか、この世の多くの事象は幻想にすぎない。本当の真理に気づかせないように巧妙に張り巡らされた罠・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
真面目で真剣なのも大事だ・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
http://utantomyu.blog89.fc2.com/blog-entry-752.html?spへの訂正人生に何故苦しみや不幸があるのかという問いに対する答えに、「苦しみがあってこそ他者に同情・共感できるから」というのがある。他者に心から同情するのはとても大事な行為だ。そもそも他者とコミュニケーションし同じ価値観で協力協調して生きるのが人生の目的かもしれない。もちろん、幸せや喜びを他者と共感というのは無理であろう。むしろ、幸せや喜びなど幻...
記憶は時間の経過を現わすもの。時間の経過はこれからの将来の自分には必ずしも必要ではない。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
本来人はこの人という生き物の行動、社会、人生について、不条理さや理不尽さや汚らしさなどを感じて、自分自身や人生について嫌悪感を持たなくてはいけないと思う。よく、三度の飯より自分自身が好きという自己愛性パーソナリティの人がいるが、それはそれでうまくいっているのは運がいいだけで、本当に正しい人生は、自分や自身の生き方や人生について嫌悪感や憤りを抱きながら真剣に向き合うことなのではないかと思う。にほんブ...
ユニバース25というネズミを使った実験が再現性があるのかどうかわからないしかしだいたい想定範囲の内容だユニバース25にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
未来や宇宙や技術の発展に心躍らせられるのはもうないだろう...
意識に記憶が無かったらどんなに生きやすいかしかし実際には記憶がある。記憶があるから、進歩するのだろうがにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
人生に何故苦しみや不幸があるのかという問いに対する答えに、「苦しみがあってこそ幸せがより幸せに感じられるから」というのがある。これは本当に馬鹿な答えであり、まったく間違っている。まるで、美味しい物をより美味しく食べるために1週間絶食して空腹にして食べると美味しさが倍増すると言っているのと同じくらい馬鹿げている。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
夜に意識をなくして熟睡すること。これは寝てから翌朝目覚める間の、自分という魂が試されているチャンスであり、普段強く思っていることが、この睡眠中に出てこなかったらそれは訓練が足りないという証と言えるだろう・・・にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村人気ブログランキングへ...
今でも時々苦しかった学生のころの記憶が頭に浮かんでくる。とくにあの頃聞いていた曲を聴くと連想されて思い出す。良い思い出だろうと嫌な思い出だろうと、このような記憶の回想法が何か重要なのかもしれない。昔のことを思い出すとそれが懐かしいと、その記憶がどうこうではなく、あの頃に戻りたいという非現実的な空想に向かってしまう。それは良いことなのかどうか。記憶は懐かしむためにあるのではなく、不可能なことを羨望す...
記憶があることで、朝目覚めた時に自分が何者でどこにいてどういう生活・人生を送っていて、などの情報をすぐに思い出して、普段通りの、昨日の続きの人生をスムーズに再開できている。そして、自分というものを考えるとき、こういう生活背景や自分の個人情報などをまとめて自分自身だと認識していることが多い。しかし、全ての記憶を亡くした全生活史健忘のような人でも自分は自分だと認識できているはずだし、自分というものの本...