searchカテゴリー選択
chevron_left

カテゴリーを選択しなおす

cancel
プロフィール PROFILE

白州ふるさと文庫 山口素堂資料室さんのプロフィール

住所
北杜市
出身
甲府市

郷土の資料(有形・無形)急速に消失しています。先人たちの足跡を顕彰することは現代人の使命と思います。

ブログタイトル
三枝雲岱と周辺の人々
ブログURL
https://blogs.yahoo.co.jp/saegusauntai
ブログ紹介文
山梨県古代・中世・近世・現代の歴史文学旧跡を紹介しています。
更新頻度(1年)

4回 / 365日(平均0.1回/週)

ブログ村参加:2015/08/13

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、白州ふるさと文庫 山口素堂資料室さんの読者になりませんか?

ハンドル名
白州ふるさと文庫 山口素堂資料室さん
ブログタイトル
三枝雲岱と周辺の人々
更新頻度
4回 / 365日(平均0.1回/週)
読者になる
三枝雲岱と周辺の人々

白州ふるさと文庫 山口素堂資料室さんの新着記事

31件〜60件

  • 仙洞献覧即長点の歌 柳沢吉保

    仙洞献覧即長点の歌    嵐ふく生駒のやまの秋の雲 曇りははれて月そ更行      

  • 武田家および家臣の年齢

    https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-02/saegusauntai/folder/1075193/93/39413793/img

  • 飯田蛇笏 芥川龍之介

    飯田蛇笏 芥川龍之介  或木曜日の晩、漱石先生の処へ遊びに行っていたら、何かの拍子に赤木桁平が頻しきりに蛇笏を褒めはじめた。当時の僕は十七字などを並べたことのない人間だった。勿論蛇笏の名も知らなかった。が、そう云う偉い人を知らずにいるのは不...

  • 白州町 教来石民舞の館跡の人骨

    ・ https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-02/saegusauntai/folder/1075193/41/39409441/img

  • 「甲斐国志」(かいこくし)71巻。

    「甲斐国志」(かいこくし)71巻。 松平定能編集。1814(文化11〕年11月成立。(「山梨百科事典」山梨日日新聞社刊) 江戸幕府の甲府勤番支配であった松平伊予守定能が、幕府の内命を受けて、1806(文化3)年に編集にかかり、同11年に完成...

  • 馬場美濃守信房公の生涯

    馬場美濃守信房公の生涯 ◇ 初陣 享禄四年(一五三一)四月、武田信虎、国人層の叛将今井、栗原、飯富らとこれを援けた信州の諏訪頼満、小笠原長時の軍と、塩川河原部(韮崎市)で決戦しこれを破る。諏訪衆三〇〇人、国人衆五〇〇人討死し、栗原兵庫も斬ら...

  • 馬場美濃守の生涯

     馬場美濃守信房公 御年譜 長禄四年 1460 ● 馬場参州(法名 臨阿)死す。『一蓮寺過去帳』馬場美濃守との関係は不詳。 文明年間 1469〜86 ● 馬場民部(法名 浄阿)死す。『一蓮寺過去帳』馬場美濃守との関係は不詳。 永正十一年 1...

  • ◇馬場美濃守信房 戦陣五つの信条

    ◇馬場美濃守信房 戦陣五つの信条  戦場常在  ある席で五、六人の若武者たちと語り合った。 「美濃守殿は二十一回も敵と組み討ちして、お屋形様からそのつど感状を戴いておりますが、一度も負けたことがないのはどうしてでございますか」 と問われた。...

  • 馬場美濃守と『地頭慶長郷村帳』 馬場美濃守と白須家

    馬場美濃守と『地頭慶長郷村帳』  義直卿 慶長八年(1603)卯正月受封於本州云々…『地頭慶長郷村帳』  馬場民部(四百石)。  真田隠岐守信尹(三千石・馬場美野守の男の女婿) 馬場美濃守と甲府城番   城番  慶長十二年(1607)義利卿...

  • 馬場美濃守の家臣早河彌三左衛門

    馬場美濃守の家臣早河彌三左衛門  家臣 早河彌三左衛門馬場氏の裨将ナリ。後勝頼没後井伊家ニ属ス。 受馬場氏ノ傳一兵學ニ秀ツ武州八王子信松院ニ幸豊ノ所寄賜軍船ノ雛形(大小二箇)保衣並ニ添状アリ。 早河の由緒ハ大石和筋栗原筋ニ委シ。

  • 馬場美濃守と『甲斐国志』内藤修理亮昌豊の項

    馬場美濃守と『甲斐国志』内藤修理亮昌豊の項  昌豊ハ爲 人度量アリ。閑雅小節ニ不抱馬場美濃守 山懸ニ抗衡シテ諸将の魁タリ。永禄12年(1569)信玄略地武相ニ至リ逼小田原昌豊東道ノ先鋒トシテ進ミテ四ツ門蓮池ニ入ル戦将ニ酣ナラントスル時馬場美...

  • 馬場美濃守と馬場半左衛門昌次

    馬場美濃守と馬場半左衛門昌次  木曾千次郎義就ノ家老ニ馬場半左衛門昌次ト云者アリ。後に幕府ニ仕ヘ尾州義宣卿ニ附属セラル。彼先祖ハ木曾義仲ノ裔讃岐守家教ノ男家村稱讃岐守家村ノ第三男ヲ云常陸介家景始メ以馬場爲氏數世ニシテ半左衛門ニ至ルと云。本州...

  • 馬場美濃守と下ノ郷信州起請文六河衆馬場小太郎信盈

    馬場美濃守と下ノ郷信州起請文六河衆馬場小太郎信盈  下ノ郷信州起請文六河衆ノ列ニ馬場小太郎信盈花押アリ。(是ハ永禄中ナリ)後年マテ彼筋ニ土着セル馬場氏ノ事ハ士庶部ニ詳ニス。教来石・白須・臺ガ原、三吹・ 逸見ノ小淵澤等傳領セリ。民部信春ト云者...

  •  甲斐の御牧の概要 安易な定説化は歴史を混乱させる

     甲斐の御牧の概要  平安時代頃(或いはそれ以前より)に甲斐の国巨摩地方に在ったとされる天皇の勅旨牧(御牧)は今その面影を忍ぶものは歴史書物以外には何も残っていない。  勅旨牧とは天皇の命令によって天皇のために置かれた牧のことで、『延喜式』...

  • 甲斐上代国政関係者一覧 『甲斐国志』「姓氏部」

    甲斐上代国政関係者一覧 『甲斐国志』「姓氏部」 ◇ 甲斐前司家国(宗国)  建長、正嘉の引付番の内に見ゆ。初甲斐国に任ずる人なるべし。姓氏を知らず。    建長(1249~1256) 正嘉(1257~1259)『東艦』 ◇ 甲斐守為時(為成...

  • 真衣野牧考察

    真衣野牧   甲斐の駒や御牧と北巨摩地域との関連はみえない。武川村の牧ノ原(牧野原)と真衣野の語句類似と真衣郷(比定地不明)結びつけてあたかも古代御牧の一つが現在の武川村牧ノ原に所在したと言う定説は疑問。牧ノ原の地名は古代ではなく中世以降の...

  • 交通の整備と明治天皇御巡幸 白州町台ケ原を中心に

    交通の整備と明治天皇御巡幸 文明開花、殖産興業を目指す政府のもとで意欲的であった藤村県令は、道路整備にも積極的であった。着任して一年を経た明治七年(一八七四)一月の告示で「四方ノ声息通ジ難ク、民情随テ固廼ニ安ソジ物産工業為ニ興ラス」(山梨県...

  • 甲斐国天保騒動

    甲斐国天保騒動 甲斐国民奮起す  甲州街道犬目宿  清七らが伊豆韮山の江川代官屋敷へ送られていってからまもない八月下旬のある日、清七は代官所の屋敷内が異様にあわただしいのに気づいた。  見まわりの下役人たちの会話から、甲斐で一揆が起こったら...

  • 武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社)

    武川衆下之郷起請文(長野県上田市 生島足島神社) 永禄10年 丁卯(1567)8月7日  六河衆(武川衆)の馬場信盈らが六郎次郎(武田信豊)を介し、武田信玄に起請文を捧げる。 〔懸紙〕 (ゥハ書) 「 青木 山寺 柳沢 六河衆 丁卯 八月七...

  • 駒と甲斐年表 (700~803)

    駒と甲斐年表 (700〜803) ☆持統天皇、在位(690〜697) ☆文武天皇、在位(697〜707) ○文武 4年( 700) 3月17日           【続日本記】 …即位四年三月、令諸国定牧地放牛馬。 諸国に命じて牧馬の地を定...

  • 「奈良~江戸期に起きた富士山噴火」

    「奈良〜江戸期に起きた富士山噴火」 山梨県文化財保護審議委員 小川考徳氏発表(山日2001、3、10)抜粋。 …小川さんによると、古文書に記載、確実に噴火があったとされる富士山噴火は、奈良時代から江戸時代にかけて計九回。このうち八六四(貞観...

  • ○延暦21年  《諸牧(甲斐)課欠駒》 

    ○延暦21年( 802) 8月14日 《諸牧課欠駒》   【日本記略】 …諸牧の課欠については、必ず担当者を処罰し、馬を弁償させることを、甲斐など諸国に命じる。 ○延暦22年( 803) 3月 9日 《諸牧課欠駒》   【日本記略】 …諸牧...

  • 甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人を改姓

    ○延暦 8年( 789) 6月 9日 《改姓》      【続日本記】 …甲斐国、請願により渡来人山梨郡の人、要部上麻呂・古爾鞠部・解礼らの本姓を田井・玉井・大井・中井に改姓する。

  • 武田信玄 家臣団の住居 馬場美濃守信房の住居

    https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-02/saegusauntai/folder/1075193/75/39406375/img

  • 石川五右衛門 釜茹での図

    https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-02/saegusauntai/folder/1075193/54/39406354/img

  • 馬牧の図示 果たして甲斐の御牧は何処

    https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0e-02/saegusauntai/folder/1075193/48/39406348/img

  • 馬の歴史 ○応神15年(284)~朱鳥1年(686)

    ○応神15年(284)8月6日【日本書紀】《馬の輸入》 …百済王、阿直伎を遣わし、良馬二匹を貢上。百済の国主照古王、牡馬壱疋、牝馬壱疋を阿知吉師につけて貢上れる人、云々。 ○履中5年(404)9月18日【日本書紀】《飼部》 …天皇は淡路島に...

  • 武田家 歌詠み

    武田家 歌詠み ○ 天文四年六月(1535)   今月五日従 甲州敵出張。廿七日に諸勢出陣。八月十九日に万澤口にて合戦。 同廿日に従 相州氏綱兄弟父子、何かに一万計にて出陣。同廿三日に相働。 都留郡主小山田衆。合戦終日侍りて未刻散。小山田衆...

  • 注…真衣郷の歌 (『甲斐国志』巻之四十八 古蹟部第十一)

    注…真衣郷の歌 (『甲斐国志』巻之四十八 古蹟部第十一)   和歌に御真衣野原と詠みたるは是なり ● みまきのはら(夫木集未考 御牧原か或云甲斐) よみ人しらす   名に高き木曾のかけはし引わたし み牧の原やこひしかるらん ● まきの里(夫...

  • 美豆御牧(山城の牧)甲斐の歌ではない

    美豆御牧(山城の牧)甲斐の歌ではない ○ みつのみまき(美豆の御牧)     まこもかるみつの御牧の駒の足 早く楽しき世をもみる哉 『兼盛集』類従群集。巻第二百五十  兼盛−平氏。生、未詳〜没、正暦元年(990) ○ 隔河戀    山城の美...

カテゴリー一覧
商用