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Kekkokamen
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大川市
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2015/08/02

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  • 「明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの樹を植える。」

    「明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの樹を植える。」 宗教改革者として知られたマルチン・ルターにこんな言葉があるそうだ。 「明日、地球が終わりであっても、私はリンゴの樹を植える。」 彼がどのような意図でこの言葉を記したのかは、普通の日本の庶民の私としては知るよしもない。 ただ、この言葉に触発されて、以前私なりの詩を作ったことがあるが、それについてはここでは触れない。 地球の終わりを自分の終わりに置き換えて考えたらどうなるのだろうかという、思考実験くらいはしておいてもよいだろう。 終わりのない物事や現象というものはない。この宇宙でさえ、興亡の渦からは逃れられない。ましてや、たかが120年ほどが、現在考えられる人間の生命の限界ならば、なおさらのことだ。 いかなる動物も心臓が15億回鼓動する以上の生命は保てないということだ。 しかし、病魔に冒されていたら、終末には意識な..

  • 良い人生とは

    良い人生とは 日本人は、古来この世を去るに当たり、辞世をしたためるという習慣があった。 死の直前にしたためるばかりではなく、自分の死生観を基に、この世を去るときの思いを、事前に用意しておいてももちろん、辞世と認められる。 第一、死の直前によい言葉や考えが浮かぶはずもない。覚悟の自殺の場合は別だが、ほとんどの場合は意識が朦朧としているはずだから。 さて、私が一番好きな辞世は新門辰五郎のそれである。 町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番であり、彼の娘は最後の将軍、徳川慶喜の妾になった。 また、最後の将軍の親衛隊長でもあり、勝海舟とともに、いざとなったら江戸を火事から守る手はずなどにも取り組んでいた。 彼の辞世は実に見事なものだ。私がいう「見事」とは、勇ましいとか、壮絶とか言うことではない。彼の死生観をきちんと表していると思うからだ。 「思ひおく 鮪..

  • 50年後のなごり雪

    50年後のなごり雪 入院を待つ君の横で 僕は余命を気にしている 期待外れの検査結果 「東京で入る病院はこれが最後ね」と さみしそうに君が呟く 検査結果は怖くて言えぬ ふさぐ心を 励ましながら 今 病室が空いて 君は白髪が増えた 去年よりずっと白髪が増えた 動き始めた タンカー上で 僕に顔を向けて 君は何か 言おうとしている 君の口びるが 「さようなら」と動くことが 哀しくて 下を向いてた 時が行けば 元気な君も 病人になると 気づかないまま 今 病室が空いて 君は白髪が増えた 去年よりずっと白髪が増えた 君が去った ロビーに残り 医師から余命を知らされた 今 病室が空いて 君は白髪が増えた 去年よりずっと白髪が増えた

  • 嘘にも負けず

    嘘にも負けず 捏造にも負けず 反日にも左翼にも負けぬ 豊富な歴史知識と論理的で明晰な頭脳を持ち 慾はなく 決して瞋らず いつもほがらかに笑っている 一日にワイン一瓶を呑み チーズとたくさんの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れず よく見聞きして分かり そして忘れず 都会の片隅のこんもりとした林の の 小さな住宅にいて 東に汚鮮された都知事がいれば 行ってリコールを応援し 西に反日左翼がいれば 行ってその屁理屈を喝破し 南に米軍基地反対をする左翼がいれば 行って徹底的に論破し尽くし 北に反日勢力と揉めている人がいれば 保守派は正しいから一緒に闘おうと言い 左巻きが来れば全力で阻止し 在日が来れば早く朝鮮半島に帰れと言い みんなに木偶の坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい

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自獄論者の酔生夢死
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