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2015/07/14

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  • 夏休み小旅(5)摩周湖でエゾリスに出逢う

    7月12日=小旅行3日目です小旅行最終日~弟子屈→摩周湖→屈斜路湖→えりも霧の摩周湖ですが、曇りながらも見えます。強風、寒いです。連休前ですが、結構な数の観光客。売店の外に出ると思わぬ珍客が~餌を求めてエゾリスが愛くるしい姿を!かなり慣れている様子です。観光客も次々と写真を~嬉しい出逢いでした!!摩周湖は寒いので早々に引き上げ、屈斜路湖に向かいます。こちらは、あまり人は見かけません。クッシーはどこへ消えたのでしょうか?あっという間の二泊三日の小旅行。相方と帰りたくないね、と言いながら帰路につきました。夏休み小旅(5)摩周湖でエゾリスに出逢う

  • 夏休み小旅行(4)~硫黄山を訪れ、川湯温泉に泊まる

    7月11日~小旅行二日目です。午前中に然別湖温泉を出て、一路弟子屈町に向かいます。山中の鹿や熊まで出そうな近道を使っても、かなりの距離です。北海道は、広い。でも時おりのぞむ山々は、気高く美しい威容を保っています。少しづつ変って行く風景を楽しみながら~ようやく目的地の弟子屈町に入りました。まだ、宿泊地の温泉に入るには、勿体ない時間です。何回かこちろも訪れていますが、硫黄山に寄りました。薄く黄色っぽい煙が、大地から噴き出ている風景。登別温泉にある地獄谷とは、また違った趣きです。昔はここに頬かむりした女性が数人立っていて、ここで作った茹で卵売ってました。今は一人もいません。連休前だからでしょうか?外国の観光客の方もまばらです。唯一、わき目もふらず進んで行くのは、我等二人でした。(売店で温泉卵を一つ求め、二人で分け合っ...夏休み小旅行(4)~硫黄山を訪れ、川湯温泉に泊まる

  • 夏休み小旅行(3)~然別湖の遊覧船に乗船=面白い船頭さん(船長)に逢う

    7月11日朝の陽が眩しく、5時に目が覚めました。(精進が良いので?快晴。水面が煌めいています)チョット気取って坐ってみました。北海道出身の田辺画伯の絵の通りの、美しい風景です。ホテルのローカに掛けられていました。朝9時出航の遊覧船に乗りますが、乗船客は二人(家人と私)貸し切り。船長さんは、愉快なお人柄の元根室の漁船員だった方~口調が漁師さんです。リタイアして今は夏の間だけ、こちらでアルバイトをしているとの事。白い制服が素敵ですが~湖の上からは、様々に表情を変える湖畔の山々が見えます。小さな島にもしっかりと鳥居が祀られています。おそらく古い時代の面影をそのまま残している本当に貴重な姿。森林浴を浴び、また豊かな温泉の湯に活力を頂き、元気を取り戻します。感謝礼拝夏休み小旅行(3)~然別湖の遊覧船に乗船=面白い船頭さん(船長)に逢う

  • 夏休み小旅行(2)然別湖畔温泉に~旅館「風水」に泊まる

    7月10日夕刻、神秘の湖である、然別湖に到着。湖は大雪山国立公園の中にあり、自然環境を保護するため、しい規制があります。(原則として、自然を改変してはいけません)湖畔の西側にあるホテル型の温泉旅館「風水」宿泊は3度目です。山の天気は変わり易く、霧が出ています。名前のとおり、何となく神秘めいた、ご利益のありそうな~曹洞宗大本山永平寺の故禅師様もお泊りになったことがありました。お部屋にもお軸が、掛けられています。フロントとレストランは三回に当たる部分。湖を眺めながらの夕食になります。夜ナイトツアーがあり、満点の星を「ネイチャーセンター」の方のご案内。あるいは、20時からの遊覧船の「ナイトクルーズ」に乗ってと、思っていたのですが~立派なネイチャーセンターです。どちらも催行がかなわない程の霧が、時間を追うごとに深まり...夏休み小旅行(2)然別湖畔温泉に~旅館「風水」に泊まる

  • 夏休み小旅行(1)神田日勝の馬に逢いに行く

    7月10日~12日ひとあし早い夏休みを頂き道内の小旅行へ二泊三日の旅です。10日午後、まず訪れたのは広大な土地がひろがる十勝地方。河東郡鹿追町に伺いました。立派な建物が並び、良く手入れされた花や緑が見事です。(~くまが可愛い!)この建物に連なる「神田日勝記念美術館」が、一番目の目的地です。1937年東京に生まれた神田日勝は、1945年8月の東京大空襲にみまわれ、一家で北海道に移住します。拓農民隊(戦災者集団離農計画)として、十勝の厳しい風土の中で、農業に励むのです。やがて、兄が東京の美術学校に進学し、彼はそれを支えて働きながら、独学で絵を描き続けるのです。NHK連続テレビ小説「なつぞら」の山田天陽のモチーフとなった画家が、日勝です。テレビの影響は大きく、いつもは静かな館内ですが、訪れる方も多いようです。早速「...夏休み小旅行(1)神田日勝の馬に逢いに行く

  • 道立近代美術館=東山魁夷「唐招提寺御影堂障壁画展」に!

    7月に入っても、肌寒い北海道です。先日仕事の合間に、札幌市にある「道立近代美術館」を訪れました。おりしも、東山魁夷画伯の『唐招提寺御影堂障壁画展』が開催中。「唐招提寺」はご存知の方も多いと思いますが、「律宗総本山」のお寺です。奈良の西ノ京、秋篠川の近くに、建っている静かな佇まいの御影堂。753年、命を懸けて渡来し、日本に「戒律」を伝えた鑑真和上が祀られています。東山画伯は、この御影堂の障壁画と、鑑真和上像を納める厨子の扉絵を依頼され、約十年かかって完成されたのでした。この傑作が北海道で鑑賞できるというので、大勢の方々が来館。拙僧も、是非にと予てから思っていました。勿論全体の配置が復元されたものとして、観ることはかないません。しかし、それぞれの間が、それだけで観るものを圧倒し、言葉を失わせるのです。数え年55歳で...道立近代美術館=東山魁夷「唐招提寺御影堂障壁画展」に!

  • 日本最北の岬=宗谷岬の風に

    7月5日~6日大事な仕事があり、宗谷岬へ行ってきました。共に風の強さで一二を争うえりも岬と宗谷岬。(本州の皆様には想像がつきにくいと思いますが)片道575キロの距離を車で往復です。ご縁の深いお寺の前住職様が遷化され、その逮夜(通夜)のお説教を務める役目。本当は余分な時間はないはずでしたが、お話の前にこの地で生まれ、殆どの人生を過ごされた方の生涯を想像するために、最北の塔の前にたってみたかったのです。この岬の先には、宗谷海峡、さらに先には間宮海峡。有名な間宮林蔵の像もこの浜に立ち、遠く海峡を見つめています。7月上旬なのに、午後2時の気温は14度。浜から吹く風も冷たい~えりも岬と同じそして、我が故郷の『襟裳岬』(岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲)を意識したような、『宗谷岬』(吉田弘作詞、船村徹作曲)の歌碑が立っています...日本最北の岬=宗谷岬の風に

  • えりも岬の穏やかな一日

    一年の二百六十日以上、風速10メートル以上の風が吹くというえりも岬別名『風極の岬』とも、呼ばれます。先日も山口からお出での方を御案内しましたが、20メートル近くの風が~六月にしては寒い、震える日でした。近くの岩場に群生するゼニガタアザラシも見えませんでした。別の日に寄ると、今度は穏やかな凪ぎ。風がないとラッキーですが物足りない気もします。大勢の来客を御案内していますが、風が強い時の方が印象に残るようです。そんな人間の計らいを超えて、東の海から上り、西の海に沈んで行く夕陽です。「風はひゅーひゅー浪はざんぶりこ。誰か私を呼んでるような~襟裳岬の風と浪」えりも岬の穏やかな一日

  • 半夏生の日に~えりも岬百人浜の一石一字塔

    七十二候の一つ=半夏生の日かつては夏至から数えて11日目としていましたが、陽暦では7月2日頃を言うようです。夏安居の中日、宗門では「大布薩講式」を修行して、常日頃の日常を省み懺悔する日です。小雨また少しれのえりも。十五分車を走らせ、えりも岬の東側に向かいました。このあたりは、昭和二十年代後半まで「えりも砂漠」と呼ばれていました。開拓に入った人々が木を伐り砂漠化した一帯に、官民一体で植林をし、ようやく緑をよみがえらせた場所です。この一画は「百人浜」と呼ばれていますが、ここに「悲恋沼」という小さな沼があります。この沼の側の整備された駐車場の隅に「一石一字塔」の碑が建てられているのです。江戸時代、南部藩の船が難破し、百人以上の乗組員が飢えと寒さのために、を落としたという~その供養・慰霊のために、石塔が建立されて...半夏生の日に~えりも岬百人浜の一石一字塔

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風極の岬 えりも 法光寺住職の「善き人々に出逢う旅
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