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2015/05/16

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  • 三島由紀夫の言葉 「明日死んでも……」

    三島由紀夫の言葉「明日死んでも……」1968年茨城大討論会「明日死んでも十分な生き方をしなきゃならん。今日は死ぬかもしれないという気持ちだったら、どれだけ人間は全身的な表現を毎日繰り返せるかわからない」1968年、56年も前の話になるが、茨城大学の学友会が主催する学園祭に作家の三島由紀夫が招へいされた。1968年11月16日のことだ。1968年の世相この年の1月には、東大医学部無期限ストに突入・東大紛争が始まり、2月には成田空港阻止・三里塚闘争集会等社会不安が募り始め、学生運動が活発になり、デモ行進が頻繁に行われ、学生間のイデオロギー対立に基ずく、暴力事件も頻繁に起こり、警官隊との衝突も頻繁に起こった。新進気鋭の小説家石原慎太郎は政治家としてのスタートを切り、青島幸雄、横山ノック等タレント議員が出現した。...三島由紀夫の言葉「明日死んでも……」

  • 駅弁

    駅弁立ち売りなんとも懐かしい「駅弁立ち売り」の写真である。かつては、旅の風物詩として旅情を誘う風景であった。「ベントーベントー」と大きな売り声で、ホームに入った列車が停車している間の短い時間のうちに弁当を売り歩く「弁当屋さん」とそれを買う客との間のやり取りが私は好きだった。発車の合図のベルがホームに流れ、「ゴトン」と汽車がゆっくり大きな車輪を回す。窓からお金を握りしめ、弁当屋を呼ぶ声に緊迫感がある。今と違って汽車はゆっくり発車するから、お金をとりそこなったとか、逆にお金は渡したが弁当をもらえずになんてアクシデントは起きなかったのだろう。懐かしい昭和のプラットホームの風景である。現代のようにファミレスがあり、コンビニやスーパーには多彩な弁当が並んでいる時代と違って、日常から非日常の世界へ旅立つ旅行者にとって...駅弁

  • 「夫のうれしい涙」

    「夫のうれしい涙」うれしい時も、悲しい時も、涙は流れてくる。「人前では泣くな」「男は泣くな私の子ども時代には、そういわれて育った。「泣くな」、「泣くな」。どんな悲しいことがあっても、辛いことがあっても涙をこらえて泣かなかった。もっと正確に言えば、人前で泣かなかった。こらえた。小学低学年のころ、いじめにあった。不快感は残ったが、それだけのこと。しかし、同じようないじめが続けば、我慢ができなくなる。反撃に出る。相手を力でねじ伏せる。暴力によって相手を委縮させる。喧嘩は負けては意味がない。勝つために手段は選ばない。相手が泣いて悲鳴を上げるまで徹底的に痛める。それでいじめはなくなった。決して泣かない少年だった。それが崩れたのは、嫁いだ姉が亡くなった時だった。物言わぬ姉の顔を見て、こらえていた涙がとめどなく流れた。...「夫のうれしい涙」

  • 能登半島災害を謳う

    能登半島災害を謳う多くの人がこの連休を利用して故郷へ帰省し、道路も、鉄道も、飛行機もほぼ満席の状態であった。海外への脱出旅行で飛行便もほぼ満席。能登半島地震から5月1日で4カ月が過ぎた。大勢のボランティア希望者が県の特設サイト登録し、現地の希望に沿ってボランティアを派遣するシステムがととのっている。登録者はほぼ埋まっているが、受け入れ側の態勢整わずに、抑制気味だという。どこでどんなボランティアが必要なのかさえ、なかなか把握できない現状がある。4カ月過ぎた現在でも被災地では、インフラが十分でなく、ボランティアは500円のボランティア保険に加入し、食事や飲み物、マスクなどは各自で用意することになっている。(朝日新聞5/1掲載珠洲市のボランティア・水野義則氏撮影)朝日歌壇から能登地震関係の短歌を集めてみた。地震...能登半島災害を謳う

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