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  • 7月7日の七夕

    七夕を話題にするには早そうですが、ニュースは早いほうが良い?ですかね。選挙のポスターを張るボードが建てられました。見ると30人分の枠があります。注意書きに「東京都知事選挙、投票日7月7日」とある。家に帰って「知事選挙に30人分のボスター枠がある掲示板が出来たよ」そう話したら、都議会議員選挙の間違いでは,と反論された。今、小池知事が立候補するかどうか話題になっているらしい。たった一人に現在でも24人はすでに予定があるそうだ。それにしても3か月も先の七夕の話なのに・・・7月7日の七夕

  • 神田川

    神田川と書くと、すぐ思い出すのが、次の歌。「神田川-南こうせつ(KosetsuMinami)」実際に川そのものを見た人は少ないと思う。JR中央線の水道橋、その橋の下の川が神田川である。(水道橋)(水道橋の上からみる神田川)この川の左側にJR水道橋駅はある。歌詩の実在場所は中野区の末広橋当たりのようで、歌碑が残されているそうです。しかしその昔はこの辺りの川の両側にも、安アパートが点在していて、近隣の中小企業の工場群に通う職工さん、神田、お茶の水の学校に通う学生たちの神田川の歌詞と同じような良き住まいがあったようです。ボクも独身の頃は、歌詞にあるような部屋に住み、近所の銭湯に寒さに震えながら通いました。世田谷の松陰神社駅の近くでした。石鹸をカタカタ鳴らせながら歩きました。もう60年も前の話です。神田川-南こう...神田川

  • 花壇

    公園の花壇が花盛り!そろそろ初夏に向かって、植え替え時か・・・花壇

  • 浄土宗 高養山 成学寺ー金沢で2(芭蕉の道を歩く 76)

    芭蕉は金沢では、小杉一笑の追善句会の他に、句会を開いていることが、「おくのほそ細道」の文中からも分かる。「その兄追善を催すに、・塚も動け我泣声は秋の風ある草案にいざなはれて・秋涼し手毎にむけや瓜茄子途中唫(ぎん)・あかあかと日は難面(つれなくも)あきの風」と詠んでいて、句会が何度かあったこと、また、この三句から主題が「秋の風」であることが、よく分かる。願念寺を出て、門を背に右手に「日蓮宗妙立寺」の看板が見え、奥に沢山の絵馬が掛かっているのが見える。金沢の案内書から推測すると、どうやら忍者寺の裏口のようで、絵馬が掛かっている横を構わず奥へ入っていくと、妙立寺(忍者寺)の正面本堂前に出た。(妙立寺の裏門)(奥に見えた絵馬の数々)(妙立寺正面)(妙立寺の案内)本堂前にはたくさんの外国人を交えた観光客がいたが、ボ...浄土宗高養山成学寺ー金沢で2(芭蕉の道を歩く76)

  • 小杉一笑を偲ぶー金沢で1(芭蕉の道を歩く 75)

    松尾芭蕉が「おくのほそ道」で金沢に来たのは、芭蕉が、まだ一度も会ったことがないけれど、通称茶屋新七といって、加賀では俳句に思わぬ優れた人と、かねがね噂に聞いていた小杉一笑と言う人に会いたくて金沢に来たが、芭蕉の来報を待たずに、昨年の冬早世したと聞いて、すこぶる残念に思った。芭蕉の来報に、一笑の兄が追善句会を願念寺で行った。その願念寺には、金沢駅からバスに乗って「広小路」で降りると、すぐ後ろに願念寺への通路が見えた。細い道を入っていくと門があり、願念寺に着いた。(願念寺)その願念寺には一笑の塚がある。願念寺の門を入って、右手に手水場があり、龍が水を吐いており、正面に本堂があり、すぐ左手に門塀に沿って、その塚は立っている。(願念寺本堂)(右手の手水場)本堂前には、沢山の靴が下駄箱らしき板に積まれており、中でい...小杉一笑を偲ぶー金沢で1(芭蕉の道を歩く75)

  • 象潟(3)-ねぶの花(芭蕉の道を歩く 74)

    以下は2012年に旅した記録です。芭蕉が「おくのほそ道」の象潟で詠んだ俳句、・象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花の西施については、前回理解した。ねぶの花は合歓の花のことで、これは象潟の蚶満寺(かんまんじ)の門前近くに沢山あると、「奥の細道の旅ガイドブック」(三省堂)にある。訪ねてみると、真新しく見える(西施像)があり、その手前に「ねむの木」は一本植えてあるが、見渡した所、周りにねむの木は無かった。このとき見た合歓の木が、ボクが初めて合歓の木と知った合歓の木であった。先ず手始めに、我が家の近所の植物園に行って、「ねむの木」はありますかと訊いて、生えている場所を聞いてから、植物園で「合歓の木」を見た。残念ながら花は無く、一本の合歓の木が葉を繁らしていた。(西施像)(西施像横の合歓の木)さて花は6月下旬から7月...象潟(3)-ねぶの花(芭蕉の道を歩く74)

  • 象潟(2)-西施とねぶの木(芭蕉の道を歩く 73)

    芭蕉が歩いた道をたどって、訪ねる事を始めたボクは、秋田県にかほ市象潟を訪ねた。2012年に旅した記録です。松尾芭蕉が「おくのほそ道」で、本州の日本海側最北端、象潟へ行ったのは良く知られている。(象潟の芭蕉像)そこで詠んだ俳句、・象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花も有名であるが、西施とねぶの花については、いずれも名前は知っていても、さて、どんな人、どんな花と聞かれると、説明が出来ない。「西施(せいし)」について、絶世の美女と言われるが、世界三大美女の中には入っていない。入っているのは「楊貴妃、クレオパトラ、小野小町」となっている。美女というと、その容姿は時代によって左右されるから、何とも言えないが、切れ長の目でうりざね顔の柳腰が美女の時代、おたふくで代表される美女の時代もあったに違いない。今はAKB48に代...象潟(2)-西施とねぶの木(芭蕉の道を歩く73)

  • 象潟(1)-蚶満寺(かんまんじ)(芭蕉の道を歩く 72)

    2012年に旅した記録です。(芭蕉像、看板に奥の細道最北の地とある)(象潟(きさがた)鶴岡から船で坂田(現酒田市)へ七里、酒田は、米、大豆、紅花などを出荷して、塩、木綿、木材などを入荷する。四~11月までの間に2,500艘の船が出入した港と言う。2012年の旅の記録です。酒田市は当時、大商業地であったらしく、芭蕉も歓待されたのであろう、滞在途中、酒田から象潟へ向かい、九十九島、八十八潟を眺めて、四日後には酒田に戻り、酒田には実質九日間も逗留している。その象潟へボクも尋ねた。芭蕉の頃は、仙台の松島に似て、海に点々と浮ぶ美しい小島であったに違いない、九十九島、八十八潟と言われる海に浮ぶ島々は、今は稲穂がたれる田圃の中の小山に過ぎない。(九十九島の一部)しかし芭蕉は、象潟で船に乗り象潟の島々を眺め、蚶満寺(かん...象潟(1)-蚶満寺(かんまんじ)(芭蕉の道を歩く72)

  • 湯殿山神社ー「語る無かれ、聞くなかれ」の霊域(芭蕉の道を歩く 71)

    以下は2012年に旅した記録です。(湯殿山の大鳥居)(湯殿山神社)月山から、芭蕉は「奥の細道」に(月出でて雲消ゆれば、湯殿に下る。)と書いている。2012年に旅した記録です。月山から湯殿山に下る途中、三尺ほどの桜の木が、花開きかけているの見つけて、月山は雪深いが、桜は雪に埋もれていても、春を忘れないでいる花の心はすばらしい、と感心している。「おくのほそ道」を見ると、月山から芭蕉は山を下って湯殿山へ向っているが、ボク達はバスで、月山を下り、湯殿山神社へ上っている。湯殿山神社の赤い大きな鳥居が見える駐車場で、シャトルバスに乗り換え、十分ほどシャトルバスに揺られ、湯殿山神社の神域に入る。ここから先は、カメラ撮影は禁止区域だと念を押される。さらに細い山道を登り、ご神体のある場所の手前、お払い場所に到着する。(駐車...湯殿山神社ー「語る無かれ、聞くなかれ」の霊域(芭蕉の道を歩く71)

  • 月山の八合目ー弥陀ヶ原湿原(芭蕉の道を歩く 70)

    以下は2012年に旅した記録です。(車窓から見た月山ー遠くの奥に見える右側の山)(月山の弥陀ヶ原湿原)芭蕉は、出羽三山では、羽黒山から月山・湯殿山と参詣して、湯殿山ー月山ー羽黒山と戻り、鶴岡に行っている。昨日羽黒山へ行ったから、芭蕉と同じように、月山に向う。月山に向うといっても、羽黒山の階段ですら昇れない年寄りのボクは、標高1984mある月山には、八合目までバスにお願いする。八合目まで行ったとしても、そこから頂上まで行ってかえるには、健脚の方で2時間半かかると言うから、ボク達は月山の雰囲気だけ味わう意味で、八合目にある弥陀ヶ原湿原を歩く事になっている。2012年の旅の記録です。(月山ー弥陀ヶ原湿原)湿原とは言いながら、1時間ほど前までガスが掛かって、一メートル前も見えない状態であった場所。幸運と言うのか、...月山の八合目ー弥陀ヶ原湿原(芭蕉の道を歩く70)

  • 金沢での食事(金沢紀行3)

    旅行案内では、金沢の食事について、いろいろ紹介がしてあるが、伝統ある加賀藩のこと、老舗の料理店がいくつもある。加賀料理としては代表的なものに「治部煮」がある。金沢に来て、近江町市場を知らない人は少なかろう。魚では、ほたるいか、ぶり、鮭など、その他日本海の荒波にに揉まれた新鮮な魚貝群、ボクだってこのくらいは知っている。忘れてならないのは、この時期は北陸近海でとれる、のどぐろ。島根県出身の錦織圭選手が、四大選手権のウインブルドンテニスに敗れて、帰国途中のインタヴユーに答えて、帰ったら、のどぐろが食べたいと答えた。そののどぐろを期待して寿司が入っている日本料理が食べてみたい。残念ながら、「治部煮」は入っていたが、のどぐろは入っていなかった。その夜の日本料理に「治部煮」と「のどぐろ」が入っていて、満足した。夜の食...金沢での食事(金沢紀行3)

  • こどもの日に

    元気な子供に育つように、こどもの日には菖蒲湯で、厄除けや健康を祈願します。その菖蒲がいろいろ咲いています。(代表的な菖蒲の色?)バス停横のつつじの中にたった一輪咲いていた。(真っ黄色の菖蒲)(黄色に色交じりの菖蒲)白いのも紺色のもありますね。お子さんの健康を祈願して!こどもの日に

  • 金沢駅で見た不思議な造形物(金沢紀行2)

    金沢駅の東側の造形物、金沢駅を出てきたところです。(金沢駅1)(金沢駅2天井がガラス張り)駅を出ても商店街のアーケードのようになっており、天井ガラス張りで、「弁当忘れても、傘忘れるな!」が格言になっている金沢地方のこと、雨が降っても濡れない工夫がしてあるという。(金沢駅3)(金沢駅4)ここを中心にして、ロータリーが出来ていて、ロータリーに沿って、バス停が並んでおり、金沢市中心街を周回するバスを中心に、各方面へ伸びるバス発着所が出来ている。汽車から降りて、バスに乗り換えるのに、雨の時も傘要らずで目的地に到着できる。両側の柱は伝統芸能の能楽に使う和楽器の「鼓」を表しているという。俗に「鼓門」と言うらしい。(鼓門)さて、反対側の駅の出入口には、奇妙な造形物がある。(反対側の駅の出入り口)通りがかった中学生にお聞...金沢駅で見た不思議な造形物(金沢紀行2)

  • 北國新聞ー笠谷幸生氏の訃報(金沢紀行1)

    金沢へ行くことにした。目的はただ一つ、芭蕉のお弟子さん、小杉一笑の塚を見たかったからだ。とりあえずホテルで見た新聞「北國新聞」の一部。ご覧ください。[時鐘]五輪などで生まれた異名は名選手の証である。「暁の超特急」「フジヤマのトビウオ」はさすがに歴史上の言葉だが、「日も丸飛行隊」なら、五輪に興奮した初期の記憶として脳裏に焼き付いている。▼小学校の休み時間になると、友人に支えてもらい、前傾姿勢でズボンをバタバタさせて無邪気にまねた。雪面に段差をつくり、ジャンプ台にして遊んだのも懐かしい思い出である。▼1972年の札幌冬季五輪で金メダルを取った笠谷幸生さんが80歳で亡くなった。(中略)▼72年の出来事を調べると、横井正一さんが帰還、あさま山荘事件、沖縄返還、田中内閣発足、日中国交回復と大型ニュースが目白押し、戦...北國新聞ー笠谷幸生氏の訃報(金沢紀行1)

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