今回は「み」から「ん」までで最後になります。変体仮名4
「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。
母方の鹿沼市下粕尾の大塚家を調査中です。同地にある大塚城跡との関連を調べています。大塚氏はこの地に集住しており、古い家系は母方と同じ違鷹羽紋を使用しています。大塚城は天亀、天正のころ、大塚信濃守綱利が佐野の支城として築いたと伝えられる。綱利は初め左衛門尉といった。後裔は大塚貞之助氏。のち粟野地区は皆川氏の勢力下にあり、綱利は佐野氏から離脱、大塚氏の城付近でひそかに余生を送り慶長十七年(1612年)二月死去。菩提寺は慈眼寺。自然石の墓石が残る。大塚城は栃木県鹿沼市下粕尾にあり、粕尾小学校(栃木県鹿沼市下粕尾1444−1)の西側、今は廃業したが美容室ミチ(栃木県鹿沼市下粕尾1520−1)反対側の小高い山、地上から約80メートルにある。大きな堀切等が残っている。大塚城鹿沼市下粕尾
江戸時代には大小、飢饉が35回あったと云われますが、1732(享保17)年、1783~87(天明3~7)年、1836~37(天保7~8)年の飢饉が特に大きかったので三大飢饉と云われています。これに寛政(1642~43)の飢饉を入れると四大飢饉となります。他、大地震も何度もありました。人類の危機は周期的にやってきていました。これらに対して改革を行ってきました。特に松平定信の寛政の改革、德川吉宗の享保の改革、水野忠邦が主導した天保の改革が知られています。今日、日本が新型コロナ感染拡大防止とその後の改革の主導主になれるのか?未曽有の国難に備えよ!挿絵は大老水野忠邦。江戸時代の大飢饉
COVID-19の感染拡大被害は底知れぬものがありますが、90年前、1930年の世界恐慌以来の深刻な状況のようです。さらに90年をさかのぼると、アメリカで1837年恐慌があり1840年まで続きました。どうも経済危機は90年サイクルで来ているようです。問題は何年で経済復興するのか?世界恐慌の時は10年かかったそうです。今日、COVID-19被害は、日本の場合は他国ほど感染者数も少なく、ワクチンができればに2~3年で復興してほしいという思いはありますが、他国の感染状況などをみると楽観視できない状況にあり、専門家筋の情報によれば、やはり10年かかるとみているようです。貿易などを通して他国に頼りすぎている状況は日本だけに限ったことではないからです。10年後、何歳になっているのか?人によっては人生が終わっている人もいるで...コロナ禍後の経済再興は?
流れを変えたいと思ったとき、「100日実践」というのを行っています。実践は部屋の掃除、食器洗い、挨拶を率先してやる、トイレ掃除等々何でもいいのです。行動が変われば、習慣が変わる、習慣が変われば、流れや運気も変わるということです。100日もやれば習慣化することは可能です。ちなみにほぼ全身の細胞が入れ替わるのは100日だそうです。良い習慣が身につけば流れが変わるはずです。これによって奇跡的な成功体験、勝利体験を持っている人が多いのです。しかし、信じることができず、やる前から疑ってかかったら効果はありません。途中で信じることができなくなる人はどんな人でしょう?やったりやらなかったり、忘れてしまったりしていては、結果を信じきれるまでいかないのです。途中で漏れてしまっているのです。いい加減にやっているから駄目だろうな~と...信じる
古幡氏は長野県下では安曇野市穂高牧と穂高に最も集住している(家紋は橘紋)が、今回は松本市内の古幡さんからの依頼。松本市内は松本市奈川黒川渡に最も集住していました。行ってみたら山に囲まれた辺ぴな地域に古幡氏が何軒もありました。ここの古幡氏は家紋が剣片喰と笹竜胆の二種類でした。笹竜胆は源氏ゆかりの家紋と言われますので、見た瞬間、予想外な感じがしました。奈川村誌の中に、嘉永二年(1849年)の文書によれば、江戸後期の奈川村庄屋の古幡彦一郎は、もとは永嶋姓で家紋も永の文字紋だった。文久元年の文書では古幡姓になっていて、家紋も笹竜胆に替えたという。依頼者の古幡さんは丸に剣片喰紋。奈川の半分くらいはこの家紋と同じでした。木曽福島町で庄屋を務めた古畑氏も丸に片喰紋。古畑(古幡)伯耆守家重(ふるはたほうきのかみいえしげ)は通称...松本市奈川黒川渡の古幡氏調査
写真は降旗神社。場所は古幡郷と呼ばれていた松本市梓川上野。滋野氏の一族西牧氏のもとで古幡氏は管理(古幡牧)を任されていた。フルハタさんは、古幡のほか、古畑、古畠、古旗、古籏、振旗、降旗、降籏といろいろ。ルーツは同じかと思ったら単純ではありませんでした。平重衡の処刑後に遺児の重度が鎌倉幕府から逃れ、信濃国に勢力をもっていた仁科氏を頼って現在の安曇野市明科東川手名九鬼に落ち延び、そこで名を降旗氏に改め隠れ住んでいたという。同じ降旗氏でも清和源氏木曽氏族流もあった。岡谷市の降旗氏、木曽地方の古畑氏は鷹の羽紋も多い。木曽福島町で庄屋を務めた古畑氏は丸に片喰紋。古畑(古幡)伯耆守家重は通称孫兵衞または孫助といい、木曽家村の三子黒川三郎家景の後裔と伝える。安曇野市穂高牧及び穂高の古幡氏は橘紋。松本市奈川の古幡氏は丸に剣片喰...長野県フルハタ氏調査
石川県能登町の岡田氏調査、家紋は蔦でした。清和源氏義光流源義光の子・親義(ちかよし)は、保元元年(1156)に平野神社領(のちに岩清水八幡宮領)であった信濃国筑摩郡岡田郷(長野県松本市岡田町)の浅間神社領の荘官として下向し、岡田冠者を称した。また「武田系図」には佐竹正義の子・親義が、信濃国筑摩郡岡田郷を領して岡田氏を名乗ったとある。寿永2年(1183)の越中国志保山合戦で、木曽義仲に従っていた親義は平知度(たいらのとものり)を打ち取り、同族の岡田久義(義の次男)は平為盛(たいらのためもり)と組打ちをしている。「武田系図」「尊卑分脈」諸説あり〇源義光-義業-佐竹昌義-岡田親義(冠者)-重義〇源義光-岡田冠者親義-重義・久義清和源氏満政流山田重親の次男・泰親が、尾張国知多郡岡田(愛知県知多市岡田町)を領して岡田氏を...石川県岡田家ルーツ
富山県黒部市にある地名です。ちょっと下ネタ系ですかね。谷底に向かって放尿したような、男子のみわかる快感・・・じゃないか!笑笑びっくり地名小便谷
「毛沢東の大飢饉」という話をご存じでしょうか?中国の人々にとっては最大タブーであり、トラウマとなっている中国共産党史上最悪の出来事です。それは1958年から62年まで続き総死者数4500万人と言われています。毛沢東の「大躍進政策」の一環として害虫駆除を始めました。害虫とは「ハエ、蚊、ネズミとスズメ」の4種類ですが、スズメまで入れた理由は稲を食べてしまうから。スズメを絶やすことで稲作が増えると思い、これを徹底的に駆除しました。その結果どうなったでしょうか?翌年から農業の生産性が極端に落ち、かなり食べるものに困り果て、ひどいときは死んだ獣や人間の死体まで食べたといいます。(中国の人は食べ物に対してそうとうな執着を示すのは何故か?と思っていました。四つ足のものは机以外何でも食べるとか、こうもりを食べるとか・・・理由は...毛沢東の大飢饉ご存じですか?
特集:スピリチュアルなお盆のおはなしお盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事です。一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多く、古神道における先祖崇拝の儀式や神事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たと考えられています。仏教用語の「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれます。盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を備え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もあります。現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域があります。盆の明確な起源は分かっていませんが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する...家系譜新聞スピリチュアルなお盆のおはなし
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今回は「み」から「ん」までで最後になります。変体仮名4
今回は「て」から「ま」です。変体仮名3
主な旧仮名づかいです。難読文字は「変体かな字典」が出ています。変体仮名2
天明茂先生のご講話。公認会計士であり「家系分析」でも有名な先生をお呼びできました。少ない人数でも来ていただきました!天明茂先生のご講話
変体仮名を少しずつ紹介いたします。変体仮名1
歴代天皇の一覧表です。解像度が低く古い資料ゆえ修正があります。125代が上皇陛下、126代が今上天皇、2019年~。歴代天皇の一覧表
軽視されがちな母方ご先祖家系というと、概して一家の主である夫の家系ばかりを重んじてしまいがちです。日本の古い時代は、男尊女卑の社会であったため、夫方の先祖は貴重視しますが、妻方の先祖は極端に軽視されていました。現在も少なからずその傾向が残っています。しかし、それはとんでもないことで、子の立場から見ると両家ともに間違いなく血を分けた先祖です。ちょうど車の両輪のようなもので、夫方と同等に妻の家系も大切です。幸せを呼ぶ母系供養のすすめ佐藤玄明氏の『幸せを呼ぶ母系供養のすすめ』(現代書林)という本に母系供養の重要性について書かれています。仏教ではよく障り(さわり・霊障)という言葉を耳にします。障りとは、一般的に支障、妨げを意味しますが、怪我や事故、あるいは思わしくない出来事に対して、先祖との間に因果関係を持たせた...2025年6月号特集:母系供養の大切さ
幕末、川越藩主・松平直克は上野国の前橋城を再建し、居城を川越城から前橋城に移転したことで、松平領は前橋藩と改められた。その際、武蔵国内の比企郡・高麗郡・入間郡・埼玉郡周辺の6万石余の領地が前橋藩から見て飛び地になることから、この地域の統治を行うために松山に陣屋が建設されることとなった。前橋藩松山陣屋跡
家系譜商品チラシです。ご案内
松下幸之助掃除は仕事と同じ松下幸之助が人材教育において、掃除を励行させていたのは有名な話です。「私の若いころには、掃除一つをとっても自分の家の前だけでなく、向う三軒両隣の家の前も掃除したもので、お互いにお隣さんに負けずにやろうというところがありましたが、こうした気構えが最近あまり見かけられなくなったのは、少々残念なことです」(『松下政経塾報』一九八二年七月一日)松下氏は「掃除と仕事は同じ」と言っています。一般でも掃除をするようになって商売がうまくいくようになったという話をよく聞きます。今月は掃除について考えてみました。志賀内泰弘掃除で人生が変わる「なぜそうじをすると人生が変わるのか?」(志賀内泰弘・しがないやすひろ・もちろんペンネーム)というビデオを見てみました。だいぶ痩せておられることが第一印象でした。...特集:「掃除で人生が変わった」
伊與久(いよく・伊与久)という名字。写真は伊與久家の古い供養塔。群馬県伊勢崎市境伊与久発祥で群馬県以外はお目にかかったことが無い。戦国時代に記録のある地名、伊勢崎藩士にその名が有る。伊與久
今日は下仁田ネギで有名?な甘楽郡下仁田町白山へ家系調査に行きました。家紋は大概一家系に一つですが、表門、裏紋の二つが墓に家紋が入っている墓もある。写真の裏紋は「右万字菱紋・みぎまんじひしもん」といい、仏教をアッピールしていることと、瑞祥的意味を持つ。「瑞祥」とは、めでたいことが起こるという前兆。、兆の意味を持つ。これは珍しい。右万字菱紋
人生って長いようで短いものですね。時が過ぎるのはあっという間。特に60歳過ぎるとね。今のうちに沢山残そう良い思い出。想いのこし
世に残る偉業は集中力の賜物天才と言われる人たちは人並外れた集中力を持っていました。家系を調べていて優れた家系がありました。(集中力も遺伝するのでしょうか)何事にも集中力が大事ですが、現在の世の中は集中をしにくい環境になっています。何かをやるにも、テレビを見ながら、音楽を聴きながら、「ながら」が当たり前になっています。せっかく情報や刺激が多いのに、ただ流しているだけに過ぎないですね。麻痺してしまっている習慣を打破し、能力をいかんなく発揮するにはどうすればよいかと考えました。そこで「集中力アップのためのメソッド」です。目的意識を持つ一つは目的意識を持つということ。例えば買い物をするとき、ついつい衝動買いをしてしまう人がいます。店内を見回すのは新しい刺激を得られたりするので良い効果もあるかもしれませんが、「何の...2025年4月号特集「集中力アップのためのメソッド」
群馬県は西毛、北毛、中毛、東毛等と地域ごとに分けて呼んでいますが、「毛」とはどういう意味が有るのでしょうか?前期古墳時代に群馬県は「上毛野(地域名称)」と呼ばれていました。(栃木県は下毛野。)しかし大宝4年(704)に国名は2文字と定められたとき、「毛」の文字が抜けて「上野」としましたが、地元では古代より上毛と呼ばれていました。平安時代に坂上田村麻呂により造られた胆沢(いさわ)城跡(岩手県水沢市)に「上毛」と書いた資料があります。ちなみに上毛野氏(かみつけのうじ)の氏神様は赤城神社です。第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命を祖とする皇別氏族で、「上毛野君(公)」のち「上毛野朝臣」姓を称しました。写真は三夜沢の赤城神社。上毛の「毛」とは何でしょう?
信濃源氏依田一族飯沼氏:義仲に依田城を譲った依田次郎の次子行俊が飯沼氏を名乗った。飯沼地域は依田荘の中心地域の一つである。御嶽堂地域の依田川の河成段丘の東端は中城と呼ばれ飯沼氏の館跡である。中城居館跡の歩いて直ぐの所に飯沼神社がある。上田市生田周辺を歩く
「3.11」が近づいてくると毎年、地震による被災の回想番組が多くなります。実は福島県双葉郡○○村の墓地調査をしたことが有ります。2018年の夏、震災7年後の事です。現地に行く前に図書館で調べ物をしていたら、駐車場に止めていた私の車が当てられてしまいました。これは「行くな」という警告の意味でしょうか?そこに行って先ず驚いたのは、放射能測定器が、道路に数百メートルおきに配置されていることと、おびただしい数の放射性廃棄物が黒いシートに包まれ、多くの畑に置かれていることでした。田畑で働いている人は皆無で、拡声器が付いた軽のワンボックス自動車が見回りに時々来ていました。私みたいな外から来た車両を監視しているのでしょうか?放射能の量が多すぎて、田畑は作物が作れないので、この地の家は他の地に引っ越ししているのでしょう。...もとには戻らない景色
経験が少ない人を信頼するのは簡単ではありません。自分の部下に対して、或いは二代目を引き継ぐ自分の息子に対して。信頼して、すべてを任せて、聞いてくるまで口出ししない。それは失敗もするだろうが、そんなことは計算に入れて当然のように受け止めなければならない。信頼できない自分がいるとすれば、それは「呪い」でしかない。相手に対してネガティブな思いを持っていれば、自分もネガティブな状態になってしまう。信頼できないことは自分自身を呪っているようなものだ。一方、信頼は「祈り」のようなもの。その祈りはポジティブな現実を引き寄せる。自分に大きな実となって帰ってくる。不信は呪い信頼は祈り
最近、とても多くなっています。次のような症状が出ている人を見かけたら、加齢によるものか?とあきらめることが多いですが、かなり脳の機能障害が起きています。若い人にも起きています。全てがだらしなくなっています。こういう人がいたら病院行きを勧めましょう。ときどき風呂に入らない。仕事が遅くなっている。簡単な計算に手こずっている。遅刻が多くなった。読み書きがおっくうになっている。重要書類を放置している。心の整理がついてない様子。まわりに居ませんか?
内観とは?家系の流れを修正する方法の一つとして「内観」を勧めています。内観とは、本来修養法として開発された吉本伊信氏の内観法を医療、臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)のことです。1960年代から精神医療現場に導入されるようになり1978年には日本内観学会を発足し、国際的な評価も得られており、2003年には国際内観療法学会も設立され現在に至っています。内観の効果内観はアルコール依存・薬物依存や摂食障害、心身症、抑うつ、神経症など比較的広範な精神疾患に対する効果も報告されていますが、不登校や非行など学校での問題、親子・夫婦間などの家族間の問題にも効果が見られます。内観の手順母、父、兄弟、自分の身近な人に対しての今までの関わりを、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の...2025年3月号家系の流れの改善と内観
こんにちは。「家系譜新聞」をほぼ毎月、縁を持った方々に送信しています。内容は毎回様々ですが、家系の流れを変えるアドバイスと思って書いています。宜しくお願い致します。2024年6月号特集:関係性の薄い家系の特徴は?フレデリック大王の実験現代では決して許されない人権を無視した話ですが、産業革命後のヨーロッパは捨て子が多く、修道院で育てたそうです。フレデリック大王という人は、修道士にマスクをさせて、赤ちゃんに対して一切目を見てはいけない、笑ってはいけない、語りかけてはならないと、赤ちゃんに一切の情をかけず、ただ物理的にのみ育てる実験をしたのです。結果は実験期間の一年が終わらない間に、赤ちゃんは死んでしまったそうです。マスクの効果と弊害コロナパンデミックの時、学校や職場でマスクを強いられていました。コロナが5類に...特集:関係性の薄い家系の特徴は?
医療で用いられる家系図医療で用いられる家系図をジェノグラムといいます。普通の家系図と違うところは、受け入れる関係を二重線で、反発する関係を並線で描きます。父方、母方をジェノグラムに書き出してみると、家系に流れる歿年齢の傾向や、親子関係の連鎖、性格や病気の遺伝的傾向などが良くわかります。それらを理解することで、発症予防にもつながり、疾患の正しい理解ができるようになります。実際の医療の現場では、精神病や癌の予防などにもつながっています。昔のことを思い出すと脳が活性化昔のことを思い出して懐かしさに浸ることは、誰でも多少はあると思います。思い出にはネガティブなものも有りますが、人間の脳には忘却機能のようなものが有って、嫌な思い出とか、苦しい思い出はフィルターにかけられるように、消えてなくなる傾向があるようです。た...家系譜新聞5月号特集:家系譜の癒し効果
江戸時代の蘭学者、1733~1817年、84歳歿で当時としてはだいぶ長生きをした方です。5つの内容は基本が押さえられていて、現代にも通じる健康法だと思います。これをもとに健康の秘訣について考えてみたいと思います。まず老化の原因として思い当たることをいくつか取り上げてみます。老化の原因:活性酸素活性酸素を消去する酵素などの働きも弱まることにより、体内で必要以上に増えると、健康な細胞まで酸化させ、老化が進みます。酸化とは「サビる」ということ。細胞膜の脂質が変化したり、遺伝子が傷ついたりした結果、細胞の変異や死滅によって、白髪や肌のシミ・シワ、メタボリック症候群、物忘れ、動脈硬化やガンなどの老化現象や病気が起きるとされています。老化の原因:AGE老化を早めるとされる悪玉物質に、AGE(終末糖化産物)があります。...家系譜新聞4月号特集:杉田玄白の5つの健康法
YAP遺伝子の分布日本人はどこから来たのか?いつも話題になります。「もともと日本文化などというものはなく、中国や朝鮮から伝わった。」と教え込まれてきました。ほんとうにそうでしょうか?日本語は他に類を見ない謎の言語と言われていること、父親から息子に受け継がれるYAP遺伝子も、中国や東アジアの人々にはない特徴が有り、一部の中東地域(イスラエルなど)、一部のチベット人と日本人だけが持つようです。この地図は縄文人的特徴を持つ人々と渡来系(中国や朝鮮半島等からの渡来)の特徴を持つ人々の分布地図です。北海道は中間的、平均的で関東地方の分布と同様に見えます。また、アイヌの人のデータは入っていないと思われます。いままで渡来人は九州北部に上陸したと学んできましたが、このデータを見ると全く違った傾向です。九州は全体的に縄文系...2024年3月号特集:日本人はどこから来たか?
魏志倭人伝に邪馬台国と書かれていると云われているし、女王卑弥呼が統治していたなどと教科書にも書かれている。本当だろうか?実際には「邪馬壹國」と書かれている。それをある歴史学者が壹を臺の間違いだろうとして、邪馬台国にしてしまった。たしかに似ている字ではあるが、壹は壱であり(現代では)一である。臺は台である。あきらかに違っている。つまり邪馬一国が正しいことになる。また邪馬台国はどこに有ったか?などと150年も論争していますが、いまだに不明のままです。書かれている距離をまともに捉えると、フィリピン辺りに行ってしまいます。これは、大国から挨拶に来たとか、とてつもなく遠方から訪れたと言いたいわけです。つまり国の力を誇示するため大袈裟に表現している可能性が有ります。1000里は100里くらいだと思ったほうが良いわけで...決着つかない邪馬台国論争
今まで日本は旧石器時代は無かったと考えられ、縄文時代以前は誰も住んでいなかったということになっていました。ところが昭和21年(1946年)に相沢忠洋氏が、群馬県みどり市の岩宿で発掘をしていたら、関東ローム層の中から磨製石器を発見し、今から35,000年前と推定されました。その後も次から次へと磨製石器が発見され、一番古いものは38,000年前とされました。これはなんと、世界最古です。世界では約10,000年前から磨製石器が使われたというのが常識です。古いと言われているオーストリアで26,000年前、中国大陸では15,000年前です。朝鮮半島においては7000年前からと言われています。もしかすると人類文明発祥は日本ではないだろうか?(なにをもって文明とするかはそれぞれの判断だが)磨製石器の前は打製石器があり、...日本旧石器時代は世界最古
日本人はどこから来たのか?いつも話題になります。「もともと日本文化などというものはなく、中国や朝鮮から伝わった。」と教え込まれてきました。ほんとうにそうでしょうか?日本語は他に類を見ない謎の言語と言われていること、父親から息子に受け継がれるYAP遺伝子も、中国や東アジアの人々にはない特徴が有り、一部の中東地域(イスラエルなど)、一部のチベット人と日本人だけが持つようです。この地図は縄文人的特徴を持つ人々と渡来系(中国や朝鮮半島等からの渡来)の特徴を持つ人々の分布地図です。北海道は中間的で関東地方の分布と近く見えますが、これはアイヌの人のデータは入っていないと思われます。これを見ると、渡来人は九州北部に上陸したと学んできましたが、このデータを見ると全く違った傾向です。九州は全体的に縄文系に近いです。渡来系の...日本人はどこから来たか?
古い時代の文書は難易度が高い家系調査のなかで古文書を解読するという作業は難しい問題ですが、避けて通れません。そこで限界を感じ、お手上げ状態になる人が少なくありません。特に古い時代のものは難易度が高いです。戦国時代や南北朝以前の時代は一般人ではなく僧侶や公家、武士などの身分の人たちです。異体字・くずし書き・変体仮名家系調査でお目にかかるのは、ほとんど江戸時代以降の文書です。公的文書は「御座候」で記されていますが、一般は「異体字」「くずし書き」「変体仮名」が主流です。明治になってからは、「平仮名」読点や句読点が出てきますが、江戸時代より古い文書には、句読点はありませんので、少し難しいかもしれません。戦後になってからは当用漢字が現れ、変体仮名は消滅しました。これは「異体字」「くずし書き」「変体仮名」です。現在で...家系譜新聞2月号特集:古文書を読む
昔から識字率世界一一般に黄色人種は西洋人や黒人に比べて知能指数が高いと言われています。特に日本人の知能指数は世界一と言われます。いくつかある理由の一つは、江戸時代の識字率(字が読める人の割合)が6割、江戸内では7割を超えていたということです。当時のヨーロッパでは平均3割にも満たなかったというデータからすると、確かに日本人の識字率はずば抜けていました。江戸時代の中期以降、現在の学校に当る寺小屋が急速に普及し、武士や商人、百姓ですら読み書き、そろばんが出来たのです。また論語読み等で勤勉さも培われてきたと思います。日本語の複雑さところで、韓国では1446年からハングル文字(日本でいえば平仮名)が交付され、近年では漢字を教えた教師が処罰を受けていました。オリジナルを重んじる異常なプライドの高さ故、中国発祥の漢字の...特集:知能指数が劣化している?