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  • 篤い機会だった

    お雛様以来のiPadによる訪問だった。年齢の衰えは、日常生活者とは違うから仕方ない。が、手持ちの写真を画面に映し出して会話を保とうとした。といっても、私の勝手な相槌で、相手からの発話は大方が理解不能。けれど、通じた。「ケントンさん覚えている?」彼女は思い出したか目頭にタオルを持っていき、感激したようだ。「覚えている、覚えている」と、顔をゆがめるほどだった。(私自身はケントンさんに逢ったことも見たこともない、彼女からの過去の会話かぎりでもある)彼女がケントンさんの第一のご指名で、他にも何人もいて、グランドハイツではトップを占めるほどで、クリスマスには自動車に多くのプレゼントやカードが積み込まれ、私や家族を驚かせたものだった。その中に私が持っている品として「retirementfund」と書かれた本を夫婦の陶...篤い機会だった

  • 新緑の季節は五感で楽しめる

    連休の込んだ日を避けて楽しもうと、散歩用件で出かけた。が、チューリップは八分が終わり、例年とは段違いの早い春の変化を目にした。ネモフィラの海、かわいらしい小花で対面すると口角が延びてくる。大人に対面してこんな顔はしないだろうに、自然は文句なしの相手でもある。草野原でも、緑の茎に赤・白・黄色と腰高ほどのお花畑が広がっていた。黄色のゾーンは菜の花だろうか、近づくにつれ香りが楽しめる。緑の樹木も葉をこんもりと、ふさふさ嵩高で、首をあげまわして生命を感じる。ケヤキは何人と手をつなげば周囲を囲えるだろうか。あっケヤキの枝枝の節辺りに、小さな白いものがついている。手の届く、枝が地面にもつきそうなくらい伸ばしているその白い、ぽっちとした小さなのに触ってみた。これは?ケヤキの花って節と節の、幹とは段違いの大きさで花をつけ...新緑の季節は五感で楽しめる

  • 言葉の真意に反応して書いておこうと思う話題もあるものだ

    現在たいていの物が電子化され、過去の所有物など膨大で、どこまで遡れるのかわからない、それほど私たちの歩みは人によって変化変貌され、便利な暮らしになっている。けれど、刻まれた問題もあるものだ。それが生きている人間に繋がりもし、書いて納まるものもある。言葉の真意に反応して書いておこうと思う話題もあるものだ

  • 珍しい場面に出くわした

    何と言って刀を振り下ろしたのか聞こえなかったけれど、私には珍しい光景。近江八幡に到着した昼。珍しい場面に出くわした

  • 三寒四温無し 春 5月気温

    三寒四温をしながら桜も徐々に開いて春になるのかと思ったら、今年は早い速い速い。4時半現在、パソコンは20度を表示している。鯉のぼりも混在する桜見になるだろうか。小振りのハクレンも咲いている。が、売り物だろうその樹木林、中には枯れ葉を落とせずにそのままの姿で立つのもある。どうやら虫が養分を吸い上げる、人間でいうならば血管に当たるだろう樹木の部位に虫が入っているようなのだ。散策中に知った、春になっても新しい息吹ができず、前の秋からそのような状態で新たな季節を迎えることになった。知ってからは、緑の葉をつけた林の中の枯れ葉づき樹木を痛々しい気持ちで見つめる時もある。病魔に奮闘中ということになる。これからどうなるのだろうか。コロナもマスク着用が個人に任されるようになり、どことなく気持ちは楽で、海外からの来訪客も当た...三寒四温無し春5月気温

  • 大寒近く

    コート掛けからgore-texを取り出して身につけてみた。着丈が長かったり厚ぼったい上着だと、Uターンした頃には腰に巻きつけたりすることもある冬日の散策でもある。 帰りには体がすでに温まっていてのびのびしている体を感じる。これがご褒美で,部屋を出る前には少々目が痛かったけれど、何も感じない心地よさでいる.。歩き始めて胸を合わせようとすると左側のポケットに何か嵩張るものを感じた。右手のスエードの手袋を外して左ポケットの中身を確かめようとした。ひょっとしたら消毒の携帯品だろうかと思っていたが、なんとそれはお菓子の袋であった。 「えっ?」このコートを私はいつ着たのだろうか.。ネパール旅行に行った時に買ったアウトドア用上着で、ひょっとしたらお菓子はコロナ以前からあったのだろうか。 でも思わぬ小さなプレゼントにどこ...大寒近く

  • トーハク詣で

    ひときわ大きな絵で、お正月にふさわしい初音を聴く集まりでしょうか。奇麗な絵で、お年玉展示とも言えます。題名は美音1907年島崎柳ウトーハク詣で

  • 初めて弘前歩きで知ったこと

    明治時代の洋風建築が残っている。他にも慶応元年・江戸時代後期・明治4年・大正・昭和10年~の日本・西洋建築物が残って楽しめた。パンフの説明と実写物を照らし合わせながらもう一度確かめてみようかと思う。なぜこれほど残っているのか、それが無知な私の問でもあった。3泊中には朝小雨が降るという天気でもあり、傘が離せなかったけれど、昼に晴れれば、広い道路を気ままに歩くのは気持ちよかった。初めて弘前歩きで知ったこと

  • リンゴが木になって

    いるのが見たくて、そうそう寒くないうちにと、「コロナ開けたかしらん」と気持ちがはやり、数年ぶりに旅準備するのも、どこかわくわく気味だった。数泊旅、それも新幹線で北に向かうのは初めてだった。はやぶさで3時間、速い、こんな北まで、あら青森は目と鼻の先。地図上の感覚で、随分遠い場所だと思っていたが、動いてみて近いのにびっくり。これも新幹線鉄道網のお陰です。青森どんなところ?と青函連絡船きり知らなくて、それでも弘前からとことこ電車でも1時間はかからなかっただろう。駅近くの広い空の近くにはねぶた会館が象徴的で、建物が斬新で目を惹いた。埠頭を歩き、展示物により、青森の変化を知る。遅いお昼を済ませて弘前に向かう頃には薄暗くなっていた。駅に付随した情報センターの方は丁寧な対応をし、バス路線の時刻を教えてくれた。ヨーカドー...リンゴが木になって

  • どこに行けばいいか・・・

    と、出かけた場所で興味深い本を見つけた。「韓国写真史」1631-1945力作の翻訳で、パラパラとページをめくり、おやおや、<東学指導者金開男撮影者未詳日本軍に逮捕された時の姿>とあり、ドラマとともに非常にタイムリー。歴ドラの出来栄えは史実脚色キャストともにいい作品だ。俳優の醍醐味ともいえる、時を超えて何度も何人にも生きられる仕事を見せている。オールスタッフにより、歴史事件の中から見出す真価を伝えている。どこのどんな場所の時代においてもこれだけは失うまい、と小説の言葉とは違うわかりやすいエンタメを届けている。写真の歴史の中で「規制と弾圧」という箇所もあり、その中には間島事件関係者の顔写真や繋がれて公判に行く記録写真も掲載されていた。そうだったんですね、と言いながら私はページを開くことだろう。大変な仕事が一冊...どこに行けばいいか・・・

  • ぱっやり睡眠はちょっとしたお宝だね♪

    トーハクで見てきた慶豊図巻の一場面トラが市中に描かれ、興味深かった。どんな人が飼って引き連れていたのでしょうねエ。と、今朝思い出した写真があり、ぱっやり睡眠はちょっとしたお宝だね♪

  • もう自律神経の受難は去った?

    天気の変動は意欲さえも影響する、何せ体が資本だから。セミは一切鳴かず、虫のコーラスが始まりだした。タクトを振らないのに、雑草郡ではまるでオーケストラのようにテンポの違った昆虫があちこちからリズムを奏でる。「彼女~彼氏~」と!?彼岸花もむしろ日陰気味なところで密集して緑の葉も持たずに、少しばかり不気味な色で咲き出した。淡いクリーム色のをみるとどこかほっとする。が、冷気と日暮れの速さに秋を感じはするが、暑さをしのがせるどころか再び夏日のような気温を時々もたらしてくれる台風様がよおくお出ましだ。と、コロナも落ち着き始めてはいるのに、行楽模様に脚がすっと出ようともしない。連休も不安定な天気のようだ。あっしめじがニョキニョキもう自律神経の受難は去った?

  • おはなし おはなし

    一方、当地満州では文化が興隆し、映画協会やら交響楽団さえ発足した。1938年李香蘭満州映画入り。この年には杉原千畝がビザをユダヤ人救済のためにビザを発給し、満州に逃れてきたオトボール事件も1938年で、西側でもまさに戦況状態に突入し、当地では朝鮮教育令を改正し、朝鮮語の授業が実質的に禁止され、翌年朝鮮人の強制連行が開始された。1937年美也子所有物として平壌府其林町109家具一式13,000.-衣類等8,000.-1938年陽徳小学校増設費200・-寄付満州事変勃発に際し朝鮮号合流献発起100・寄付ミヤが連れてきた君子は幼く小柄だったためハナが用意した衣類が合わなかったが、成長期でもあり、新天地にすぐに馴染み、活発に指示を受けて動いてくれた。近隣との付き合いもみるみるうちに広げて生き生きとしていった。13...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    1937ラジオ保有者在朝日本人6万台朝鮮3万台当時先頭を切っていた後藤さん他お偉いさんがすぐ近くでこの世を動かす影響力になっていた。菊池寛も当地に来て満鉄のことやら匪賊の話題も残している。一葉の惚れ人も記者だったそうだ。日本の基幹産業となる企業がこの場所で最先端の技術でまさに開花しようとしていた。こんな話もあった。平南に工業地区が展開するそうだ。 1935年には自分名義で宅地平安南道陽徳村4500坪を90.000で購入。5万坪を李という別の男から1,500,000で購入。平安南道陽徳郡陽徳村山村390万坪を100,000・-で購入。ハナ名義黄海道海州府北旭町宅地911坪44,930.-藤本亀蔵より住宅2棟365坪18,250.-藤本亀造より購入。私は1935年に38歳、日の本商工会(平壌府仁興里)を起こし...おはなしおはなし

  • どこでもねんね

    どこでもねんね

  • 私の場合

    日中戦争がはじまろうとしていた。私は12歳。福原に住んでいたミヤさんが「一緒に行くかね?」の声に一つ返事で応えた。というのも本郷で親代わりに守ってくれたおばあさん・おじいさんが、自分の老い先と私の将来を心配して知人からの紹介に繋いだのだった。私の出生地、今の大宮辺りであった。生まれてすぐに、まだその両親の顔さえわからない頃、本当に覚えがない頃に引き取られた。ただ覚えている男の人は八の字ひげを付けた立派な成り立ちで怖そうな警官だった。その人は家に時々やってきたことぐらいだった。母は浅草の空襲で亡くなったと聞かされた。つじつまが合わないのは祖父母なりの配慮が働いたのだろう。両祖父母も本家で守るにも守り切れない当時のくいぶち状況だった。1930年頃は5つぐらいになっていたが、世界中が不況に見舞われていた。兄は別...私の場合

  • この時季になると開くもの

    昭和万葉集復員兵の悲しみ嫁ぎし君を恨むこともなし戦いはかくて終わりしいまを郷里にもどってみたものの我妻は弟の妻となり、家を保っていた。あるいは遺留品やら事実手違いだったか。こういう哀れもあちこちであったようだ。ただただ吐露された句を詠むなり、ページを閉じた。そしてこの本を開くたびに、義父が買った本なのだろうか、と思いやる。同居したことがあり、本人のお姉さんを法事で見かけたことがあるけれど、顔つきはよく似て、がっしりした輪郭に頬骨もあがり、目はくぼみがちだがけして小さい瞳ではなかった。が、その義父と何かをぽつぽつと交わすのは、こうして残した本によってでもある。昭和万葉集第7巻は昭和54年4月18日、とあった。この本を初め、どの本も手垢がなくきれいだ。新刊がでると買っていたようなかすかな記憶がある、家具職人を...この時季になると開くもの

  • 書く発動だったのだろうか・・・

    私にとって両親の歳の差は何か問題があっただろうか。子供に対してそれを揶揄したり非難されたりしたことはなかった。ただ父のことをあまり知らなくて、言葉も活発に交わす年齢にならずに異界に住む関係になった。ここ数年それをたどり、小さな過去の日常の風景を浮かび上がらせ、心境を巡らしたりする機会になっている。ひょっとしたら、これが核だったのだろうか。書く発動だったのだろうか・・・

  • 部屋のお掃除

    ペットがいるかいないかで部屋の散らかり様も多いに違う。粗相をしないようにわざと物を置いたり、壁の爪とぎを防ぐために物を置いたりと、体毛を考えていてはカーテンの洗濯もしなかった場所もある。何せ、冷暖ともに見つけるのが上手だからだ。こんなところに隠れていたの?と掃除をしながら関心させられている。○○さんが日本に来るからと床の間にあれを置いたんだったわ。でもいつものようにお決まりのコースをご夫婦に案内し、いつもの食事を招き、駅まで届けた。などとも掃除をしながら思い出している。湿度のために座布団が重かったが、干しあがりの軽さを知り、これが用立つこともあるだろうか、」などと座布団カバーの片づけと利用はあるだろうか、と、まさに今日的事情も垣間見る。和室に座布団を枕に寝ころび、天井を眺めるのも気持ちいいだろう。部屋のお掃除

  • 旅立ち けなげなペットから教えられたこと

    便秘がちは、高齢になるとペットでもおこる。そのころ対処して食べるものを変えたとたんにお腹が緩み、医者に連れていくほどひどかった。その後アドバスを契機にささみやらお刺身などを与え、4月ごろは買い物が忙しかった。体力温存のため、便秘は気に留めないことにした。5月の頃、かつて跳躍力のある本領が発揮されたのか、頭で1,2の3とカウントを取ってなんとキッチンの上にも飛び上がるようになって驚くやら困るやらでもあった。もともとが洗面所のシンクに飛び乗ってちょろちょろ蛇口からでる水を飲むのが大好きなむ~ちゃん。催促されて椅子を立ち、お互いの筋力維持のためとできることを受け入れていた。が、気候の変化には体調が多いに影響され、食が進まず、体もだるそうになった。朝は早く6時前に起こされ、猫様自発で、ふすまの隙間から枕元まで来て...旅立ちけなげなペットから教えられたこと

  • オリンピックの恩恵?

    コロナ報道も変化が見られるようになり、不織布マスクを着用し、電車でお出かけするのも気楽になり始めた。他の人の受け止めはわからないが、車内で込み合う時間でもなく、駅の構内は以前とそれほど変わらないけれど、改札を抜けると町の変化に出会えて外出モードに気持ちも明るくなる。上野公園口は車の進行ルートが変わったのか、公園口はまさに名前のように広場に直接つながり、壮観だ。原宿の駅も変わり、木造のレトロの名残はなくて、出口が明るくなった。新宿南口はどうなっただろうか、まだ横断歩道を越す必要があるだろうか。かつての名残はあるけれど、駅構内は奇麗に明るく整えられた。東京駅八重洲側は広場が駅舎に映える気持ちの良さ、開放感を味わえるほどになっている。修学旅行の学生さんが安心して通行し、一般の訪問者は写真も納めやすいだろう。あれもこれ...オリンピックの恩恵?

  • おはなし おはなし

    記録のない空白が何を語っているだろう。俺、私にも手繰り寄せることができなくなり始めている。誰か覚えていれば教えてほしい。1932年、写真館で代表者としての写真を撮ってもらった。35歳の時である。会社の名前は「日の本商工社」買い物は水田碧城郡加佐面21万坪は尹氏1.680.000.-畑6万坪は同じ地域で180.000.-で藤本氏から購入。首都が新京から長春に移り、満州ブームが起きている頃であった。都市はまさに開発文化発展の機運にまい進しようとしていた。昭和不況と呼ばれる影響はあったものの、大連では最先端のショッピングモールに匹敵する連鎖商店街がアメリカをヒントに設立された。東京からマネキンガールを入れてキャンペーンを始め、施設には映画館・中国料理店・浴場・共同暖房設備・医院・看護婦会・公共機関事務所等商店数180...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    「清水さんの生まれは確か山梨だったろうかねえ。」山男にしては色白で華奢だ。「へえ、よく覚えてもらって嬉しいすが。うちはりょうしの家なんデす。じゃけん海じゃあねえずら。これっくらいの山があっても不景気で食べられねえのが家にごろごろいても仕方ねえしよオ。本にねえ。そいで兄貴に誘われて一緒にこっちに来たんす。山にあるダイヤを掘れば金に困るはずもねえずら。んで北の方の山にいたんすよ、2,3年前にはね。ツルハシ握って汗かいて、酒飲んでぐったり死ぬようにして寝て、そいで朝がきて、飯をかけ込んで又ツルハシ担いで、そんな毎日だべえー・・人に振る舞えるくらいの暮らしができたんけんど、俺は兄貴みてえに暮らせやしねえからと、欲もなく、半年して金をそこそこためてこそっと逃げてきたんす。兄貴が猟銃でもねえけんど、ちっぽけなこいつを持って...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    恵まれた平野で、米はむすびにしても旨かった。菊の役割は家畜の餌やりで、日々甲斐甲斐しく動いていた。まだ温もりのある卵を網かごに入れてにこにこと運んでいる時には、小さな口をさらにつぼませて顔をほころばせ、幼馴染で見覚えのある可愛い顔がそこにはあった。土地を与えられた後に、東拓から管理監督者ともいう人材が紹介された。日雇い労働者の労務管理ともいえる。こちらでの仕事経験はあり、助言などもしてくれた。入れ替わりはあったが、結局ふたりの男が多くの時間で俺の援助者となり、かばん持ちにまでになって支えてくれた。母国を離れた男たちは、異国の新天地に入るや、それまでの窮屈さがとれてしまったのか、物価の違いからくる気楽さか、することなすことの規模は桁が外れていた。不景気で活路を見出そうと爆心する男(民間人、それも公務・自由業の割合...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    俺は山の楽しみは知っているが、水の方は川ぐらいだ。大同江の氾濫で、道路を警官がゴムボートに乗って救援に当たったという。二階のある家は、てんやわんやの様子を子供も大人も半ば楽しみながら驚きながらただ茫然と見ていた。だなんて、まったく子供の目と同じだ。独特のキムチの匂いとでもいえばいいだろうか、黄色く土気で濁った冷たい水がどっと町の主要道路を流れて、ナマズやウナギといった川魚がこの時ばかりは簡単に釣れたようだ。自然災害でもあったけれど、聞いたとたんに楽しそうだ、などと口に出したら叱られそうだ。それにしても、来たばかりの頃、1917年には黄海道でも大変な洪水に見舞われた。驚くばかりだ。他にもある、こちらに来て畦の扱いが違い、大いに感心した。一つの畦に高さと位置を季節によって対応し、種類の違った粟・稗・大豆と大麦・小豆...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    夫婦水入らずの時は飯を食う時だったかもしれない。2,3年順調に米や大豆の収穫を続けてきた矢先、日本で大変な災害が起きたのを知った。関東震災であった。本家や姉が心配になり、時期を計らって郷里に出向いた。少しばかりの手土産として珍しい雑穀物産と価値になりそうな豆や人参を荷に詰めた。やっぱり郷里は地盤が固く山も海もないから、震災の影響は幸いにも、聞かず、胸をなでおろした。生活拠点に帰ってから、まず、倉庫を見回り、担当の古屋に留守中の経過を聞いた。大陸の近くでは共産という新たなスローガンが掲げられ、周辺の国々にも門戸が開放され、北方では交易もなにやら始まりそうだ。新たな異国人が流入しているらしい。冬にはクロテンの帽子や外套をまとえる。他の産物では取引の競争相手にもなり、俺は収穫物の収益を逐次見比べながら、肥料や工程・運...おはなしおはなし

  • おはなし おはなし

    正月休みには姉と従兄弟たちの顔を久しぶりに見てお互いの近況を交わした。皆は俺が始めた農作に大いに関心を寄せてくれた。それもそうだ、桁が違う。自分が頑張った分だけ報われるのを俺の言葉を通して想像していた。現地を見ないからこそ大きな絵を風土の違った場所にそれぞれが思い描いていた。かつての俺の目や期待と同じだろう。何人かの年ごろの女たちも紹介され、再び事業地に向かった。なんということか、疫病だ。1918年8月、1919年7月、1920年8月の時期に波があった。世界中で広まったスペイン風邪をはじめとして天然痘・コレラといわれる代物が事件でもない命に係わる病として近くに忍び込んできた。郷里とは違う土地と気候にどう対処して自分の身を守ったらよいだろうか。戦々恐々としていた独り身であった。当たり前のように、一人ではなくて支え...おはなしおはなし

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