私たちは日常の中からほっとしたものを見つけ出そうとしている。まさにあああ自然災害紛争事件記事無力感コロナ健在伝えられやるせなく開かずの間に一瞬収納する節分にどんどんと合図のように空に向かって音が飛び出し、神社で火渡りでも始まるのだろうか、豆もイワシも恵方巻も用意せず、SNSでセツブンソウを知る。子育て中はこの時とばかりに、ひとにぎりの大豆を(少しばかり惜しみながら)外に向かって大声を発し投げたものだった。が、私は家の中に「福は内」と言って投げ放っただろうか?年齢分だけ食べる、と子供と共有したが、どれほど面白かっただろうか、忘れてしまった。子供にせがまれ友達も同乗した神社の節分帰りのことである。夜になって凍った雪に苦労した時もあった。飛び散った豆畳敷で拾いあう親と子可笑しさ楽しさ今何処豆まきの前は畳の塵を払...あああの続き