chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • レストラン 〈ヴォートウム〉

    ここ2、3年で私たちの住むハノーファーの外食環境が充実して来まして、ミシュラン2つ星のレストランが2軒、1つ星が1軒あります。そして市の中心部にある2つ星レストランが〈ヴォートウム〉なのです。州議会議事堂の一角を占める広々とした空間で少々冷たい印象ですが、スタッフはみんな暖かいサーヴィスをしてくれます。私たちのテーブル・レストランの内部6品のコースメニューから希望により5品または4品にすることが出来、その他アップグレイドの料理としてロブスターとキャビアの2品を選べます。そして好みにより、それぞれの料理に合うワイン又はアルコールフリーの飲み物が提供されます。我々は4品のコースメニューにロブスター料理を付け加えて5品にし、それぞれの料理に合うノンアルコールの飲み物を頼みました。アペリティフアペリティフももちろ...レストラン〈ヴォートウム〉

  • 森の小さなお城

    講演をした町から次の講演をする町に移動する途中で、小さなお城風のホテルに宿泊しました。その昔、北ドイツのクリヴィッツとシュヴェリンの間にあった「森の小さなお城」に旅人が立ち寄ることが出来なくなって50年以上経った時、そこに新しいホテル・レストランを建設しようと1996年に礎石をおいて1998年に開業したのがこんにちの「森の小さなお城」です。2014年に開業16年を祝い、経営者が2代目になりました。正面玄関・右斜めから左斜めから・右真横から裏側森と畑が交互に現れる平野を走る道路脇にポツンと一軒だけ立つ「森の小さなお城」に入ると、暖炉と応接セットといくつもの人形を置いているフロアがあります。少し想像をたくましくすればお城の雰囲気がないこともないですね。レセプションとロビー・ロビーの一角20しかない客室の中で私...森の小さなお城

  • バストホルスト城館

    依頼された講演に行く途中で、家屋が十数軒の村のはずれにある城館ホテルに一泊しました。バストホルスト城館は、もともと19世紀の前半に建てられた農場付属の住宅を20世紀になると同時に城館に改装した建造物です。2、3度所有者が代わった後ナチスの時代の所有者は農場経営を近代化し、城館を家族の住居にしました。終戦と同時に所有者の家族が皆西ドイツに逃亡したあと、お城はまずその土地の人々に荒らされ、そしてソ連軍に差し押さえられて沢山の設備品が略奪されました。その後戦争難民の宿舎になったのです。1948年に最後の難民が出て行った後城館内に50のベッドをもつ結核療養所が出来、1970年にそれが東ドイツの保健省に属する予防的健康管理施設に転換されました。その後1977年にシュヴェリン行政区が城館および付属の施設と庭園を記念文...バストホルスト城館

  • ザ・リッツ・カールトン大阪

    この秋に一時帰国して大阪に2週間滞在したのですが、そのうち4泊を大阪のザ・リッツ・カールトンで過ごしました。利便性を考えて北区梅田にしたのですが、4連泊するので広い部屋が良いと思い、スタンダードより少しだけランクの高い部屋で43平方メートルあるこのホテルにしたのです。滞在中に義弟夫婦とホテル内にあるミシュラン一つ星のフレンチレストラン〈ラ・ベ〉で私の誕生会を兼ねた食事をしようと思い、ハノーファーの自宅から予約を試みましたが、残念ながら満席。それでやはりホテル内の〈スプレンディード〉というイタリアレストランに席を予約しました。食物アレルギーの有無などに関して個人的に連絡を取ってくれ、「さすがザ・リッツ・カールトン」と思わされる対応でした。正面玄関前広場ザ・リッツ・カールトン大阪は、ホテル王セザール・リッツの...ザ・リッツ・カールトン大阪

  • ホテル ヴィラ フローリ

    この夏、スイスとの国境に近い北イタリアの山岳地帯にある町ティラーノからドイツに帰国する為ミラノ空港に行く途中で、コモ湖の西岸にあるホテル〈ホテルヴィラフローリ〉に宿をとりました。19世紀のヴィラを改装した宿泊施設で、パーケットフローリングのエレガントな客室(大理石のバスルーム付)を提供しています。庭・庭から見るホテルこのヴィラフローリの歴史は、19世紀中頃にライモンディ侯爵が彼の娘とイタリアの司令官ジュゼッペ・ガリバルディの結婚式の贈り物として、そこに元々あった建物を復元することを決めたときにさかのぼります。その結婚はうまく行かず、数年後に侯爵は別荘をフローリ家に売却しました。20世紀の中頃に別荘はホテルになり、今世紀も10年が過ぎた頃に全面的に改装されました。ホテルにはジュゼッペ・ガリバルディにちなんで...ホテルヴィラフローリ

  • トリフェルス城塞

    ドイツの中堅都市カイゼルスラウテルンから南東に50km離れた場所にあるトリフェルス城塞の歴史は、おそらく11世紀中頃にさかのぼります。初めて文献に現れるのは11世紀末です。そして12世紀前半から200年間、帝国城塞(皇帝の命令によって建てられた中世ドイツの城)の地位を保持し、歴史的出来事の中心地でした。この当時、城は著名人のための刑務所としても機能していました。その後所有者がたびたび代わり、城は次第にその重要性を失い、17世紀初めに落雷後の火事で大部分が焼失してしまったのです。三十年戦争(1618年-1648年)の前半城跡は避難所として機能していましたが、ペストの流行後に最終的に放棄されました。その後この複合施設は採石場として周辺地域の住民から悪用されました。つまり、城の建築材料であった砂岩を持ち帰り、自...トリフェルス城塞

  • ナンシュタイン城塞

    ドイツの中堅都市カイゼルスラウテルンからほぼ真西に約20km離れた丘陵地帯に、ナンシュタイン城塞の廃墟があります。正面・模型要塞として建造されたこの城の歴史は12世紀にさかのぼります。時が経つにつれて領地はもはや封建領主に戻ることはなくて世襲制になり、その後の相続で財産は徐々に小さな単位に分割されて、最終的にはいくつかの家族が城を共有するようになりました。その為さらなる居住空間が必要となり、城は恣意的にそして非体系的に拡張されて行きました。その結果、城塞の防御能力が低下していったのです。15世紀後半、城の共同所有者になったある騎士が他の共同所有者からその権利を買い取って、城を個人所有することに成功しました。そして16世紀の後半にこの騎士の子孫が戦いに敗れてナンシュタイン城に退却したのですが、近隣の帝国諸侯...ナンシュタイン城塞

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、お城でグルメ!さんをフォローしませんか?

ハンドル名
お城でグルメ!さん
ブログタイトル
お城でグルメ!
フォロー
お城でグルメ!

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用