《認知症8年目・83歳》〈7月〉私が不調でほとんど寝ていた。母はどうしていいかわからない。こういう状態なのでと書いても言ってもだめ。「どうすればいいの」「何もできないのに」と。母の食欲が落ちている。ケアマネさんにどうですかと聞かれ、「食欲旺盛」「食いしん坊」「何でも食べられる」街へ。テンションが上がり「このまま○○に行くか」「○○のじいちゃんばあちゃん死んだしなあ」○○は母が若い頃住んだ所。ネルルの夏服をネットで購入。かわいいかわいいと着せ替えていた。友達からの電話、喜ぶ。デイサービスから、手作りと思われるクッキーを数個アルミ箔に包んで持ち帰る。スタッフに見せると、デイの物ではないらしいが、持ち帰ってもらう。夕食に桃を出したが残したので、桃だよ、と言うと、「桃?生の桃?」と驚く。このところ、送ってくれたデ...認知症8年目・下半期
《認知症8年目・83歳》〈1月〉この年から、母のノート(マンスリー型のB5版スケジュールノート・予定や出来事を書き込む)がない。用意はしたのだが、書かなくなった。ケアマネさん来訪。すーっといなくなったり庭へ出たり落ち着きがなかったが、母が昔編み物を習っていた話から、私が、母がその頃編んだコートとマフラーを持って来て見せた。とてもきれいな仕上がりなのでひとしきり盛り上がった。以前デイサービスからブローチを持ち帰り使っていたので、返す。数日して、デイから電話があり、母がこういうブローチをしている、本人は自分のだと言っているがどうかという内容。それは母のだったが、デイ側が「この前の事があるので」と言うのもわかる。母のアクセサリー類は全て写真に撮っておき、当日は何をつけたかチェックするようにした。デイから帰宅。靴...認知症8年目・上半期
《認知症7年目・82歳》〈7月〉外出先でソフトクリームを残し、「持って帰る」とバッグに入れそうになる。エアコンをつけたので、エアコンのない部屋にいた母を呼ぶと、「意地悪をされる」「底意地が悪い」と泣いてののしる。汗をかいては着替えて手洗いして干す。次々と替えるので下着がなくなって、冬の肌着や外出着、薄い上着を着ている。「死んだ方がいい」「早く死にたい」叔母と母、私で母方のお墓参り。意欲的に草取りしたり、木陰で休んでもらったり。行き帰りの道も含め母にとって懐かしい所ばかりだが、ほとんどわかっていなかった。久々に会えた親戚には嬉しそうだった。〈8月〉毎夏恒例のカエル退治。夜になると各部屋の床をどんどん踏み鳴らす。父方の、母とは仲の良い親戚が来て楽しく話すが、途中、「足がつった」とフェイドアウト。話についていけ...認知症7年目・下半期
《認知症7年目・82歳》〈1月〉ぜん息が起き、点滴に数日通う。〈2月〉雪かきをしていたので、体に障るからしなくていいと言うと、「この雪!!」とくってかかる。後で、雪かきするくらい元気になったねと言うと、「私雪かきしたの?」買い物がてら遠回りしてのドライブは大好きで機嫌がいい。結露した窓ガラスに指で書いた“バカヤローー”「何食べたい?」と聞くので、オムライスと言うと、「じゃあ作るから。ご飯ちゃちゃっとして卵巻いて塩すればいいもの」→忘れる冬季は自分で自分の湯たんぽを用意する。街への外出に喜んで拍手。〈3月〉こたつでテレビを見ていた私を見ながらノートに何か書いていたので後から見ると“何様?”CMの能年玲奈を見て「この子何だっけ?」。あまちゃん、と教えると「連続ドラマか」夕方不穏になることが多い。玄関のドア、バ...認知症7年目・上半期
《認知症6年目・81歳》〈10月〉朝、父に呼ばれ「どうして俺がこうなったか話すから集まれ」と言われたそうで、きょとんとしていた。前の夜、私も「俺がなんでこうなったか言うから」と言われたが、聞かされず。父、意識を失い救急搬送。母と私も同乗。入院になったので手続きなどで時間がかかったが、待っててもらう。母の呼吸器科の定期通院。あまり思わしくなく点滴に。父が入院したことを忘れては思い出す繰り返し。朝、久し振りにみそ汁を作っていた。「なんだか食べたくなって」とのこと。その日の昼から何度か父の病院から連絡。主治医の話を聞きに行き、母がずっといられないので帰宅。その後の連絡で駆けつける。駐車場から院内に向かう間、「覚悟しないと」「落ち着け」と自分に言い聞かせていた。何か感じ取っていたのか。父、死去。葬儀社との打ち合わ...認知症6年目・10〜12月
《認知症6年目・81歳》〈7月〉トイレに入って、どんどん床を踏み鳴らす、いつものカエル退治。台所に行ってどんどん。「カエルうるさい」と。カエルの鳴き声はしていない。茶の間から→庭→ポストを見る→玄関→カギがかかっている→庭→茶の間を何度か繰り返す。服選びが難しくなり、私が着る順番を直しながら、思わずため息をついたら、「うんざりした?」半分食べたパピコをペン立てに。デイから帰宅時、母のバッグに知らないポーチ。あわててスタッフさんを呼び止め、渡す。母「隣にあったの間違えた」私が送迎車を呼び止めようと大きく手を振ったのが、熱烈な見送りと思われたようで、そのまま行ってしまうところだった。ものすごく走った。父の汚れた寝具、下着、服を取り替えるのを手伝ってもらう。私が父を支えて母がお尻を拭いてくれた。〈8月〉親戚と母...認知症6年目・7〜9月
《認知症6年目・81歳》〈4月〉「(お父さんは)私がどうやったらめげるかやってんだから。めげるものか!」父が倒れた時の思い違い、作話続く。「知らせてくれた人に菓子折りやった」「その場で渡した」倒れた時にお母さんもいて菓子折りも持ってたの?と聞くと「うん。○○ちゃんにあげようと思って持ってたの」救急車を呼んでくれた人、その人にお礼をと気になっているからか。父の食事のおかず作りをしている。朝起きてすぐ「今日も元気だ頑張ろうーーー!」母が父のラーメンを作っていると、父「早くしろ」「もったいぶって」50円玉と1円玉はにせものと思っている。使えるよと言うと「え〜なんか嫌だ」桜のきれいな通りに「花に元気もらった」父にふざけて踊りを踊って見せることがある。父は笑う時と、顔をしかめて「あっちに行け」と言う時がある。在宅介...認知症6年目・4〜6月
《認知症6年目・81歳》〈1月〉父が入院中なので購入したお節料理でのんびり。見舞いや留守番、デイサービス、持病の定期検査。父、救急搬送された病院より家に近い病院へ転院。移動の際、母は病室にあった、清拭やおむつ替えで使用されると思われる箱入りのゴム手袋を数枚バッグに入れていた。これはうちのじゃないんだよと言うと、「うちのだよ!」と言い張るので、病院にごめんなさいと思いながら転院。〈2月〉父、転院先を退院。父が晩酌を始めると、一緒にテーブルについていた。2人とも無言。母、夜中うなされていた。父に親切にするが、うざったがられ、キレられていた。父の文句。「好きでない」と言うので、好きで結婚したんでしょと言うと、「違うよ。お父さんのおばさんて言う人にだまされたんだ」何てだまされたかは不明。父の夕飯用にかぼちゃを煮て...認知症6年目・1〜3月
《認知症5年目・80歳》〈2月〉母のノートに数ヶ月間、“今77才”と書いてある。〈5月〉デイに持って行くバッグの中に小さいチューブ入りのはちみつを入れていたので取り出す。時々スティックシュガーを口に入れたりする。甘い物を食べると落ち着くと。デイの送迎時に父が庭にいると嫌がる。「見られる。恥ずかしい」〈7月〉デイの迎えを待つ間、父が庭にいるので「恥ずかしい」「みっともない」「わざとやってる」「中に入って」などと大声で言っていた。なだめても止まらず。父もかたくなに動かず。父は普通のおじいさんの家着で庭仕事なのだが、デイのスタッフさんに何か言うのではと思い込んでいる様子。〈8月〉母のノートに“77才だと思ったら今は80才デシタ”と書いてあった。〈10月〉買い物に出ようとして、母に「(玄関の)カギかけた?」言われ...認知症5年目
《認知症4年目・79歳》〈1月〉ケアマネさんから、新しくできたデイサービスが母に合いそうなので見学してみては、という提案。母と私が見学に。自然があり、建物も新しく、利用者もこれから集まるようで、落ち着いた感じ。私が、自分ならここがいいと思い、母も気に入った様子。母のノートに“デイサービス見学に行って来ました。楽しい事がいっぱいありそう”というメモ書き。母の認知症を知っている人が、母の前で「アルツハイマーなんかになったら終わりだ」と言う。母「私アルツハイマーだよね」私「うん」さすがに、あっ、という顔をしたが、この人は言葉の端々に、認知症に対する偏見が感じられた。「お母さんには話した。忘れてると思うけど」と含み笑いしたり。〈2月〉デイサービス1日体験。スタッフさんからの連絡によると、リハビリに取り組み、他の利...認知症4年目
《認知症3年目・78歳》〈1月〉茶碗蒸しとお雑煮を作る予定だったが、手順がわからなくなっていた。茶碗蒸しをなんとか作りお雑煮はパス。↪︎その後父にお雑煮とあんこもちを出していた。後日も「とり肉買わなきゃ」「お雑煮作らなきゃ」◎認知症専門医に。前年、私が認知症関連の講演を聞きに行き、専門医による検査、診断が必要との話に納得し、調べて予約。2ヶ月待ちだった。問診票、血圧、体温、体重など測定。私への質問コーナー。母と私同室の質問コーナー、先生と母の対話。長谷川式テスト(30点中18点)、MMSE(神経心理検査)、ADAS、尿検査、採血、心電図、レントゲン、心理検査、MRIなど。後日、SPECT(脳血流検査)、心理検査など。結果は、アルツハイマー病の可能性が高い、とのこと。MRIでは大脳萎縮、側頭葉の隙間、海馬が...認知症3年目
〈10月〉母がよく言う「お父さん死んだ夢見たの(笑)」「私みたいに人生達観すればいいのに」「私なんか喜んで行くよ」(デイサービス)「お父さん気位高いから。そりゃ他の人となごやかにやるにはばかにならなきゃないよ?!」「脳が残念なことになってる(笑)」鏡を見ると毎回「きたない顔だねぇ〜」と言う。以前母から聞いたのは、親戚のおばあさんが鏡を見るたび「イヤな顔だねぇ〜。憎らしい顔だねぇ〜」と言っていたと。デイケアの契約中、突然「私昨日ね、夢見たの。もうどこも悪くないからどこにも行かなくていいんだ。ばんざーい、ばんざーいってやってるの(笑)」ケアマネさん「……そっかぁ〜」と苦笑。細かい事が気になり言いたがりの父と、日々混乱しがちな母がぶつかり、言い合うことが多い。母「何が気に入らないか言って」父「すべて」デイサービ...認知症2年目・下半期②
〈7月〉父が暑さで日課の散歩に行かないと「1日中寝てばかり」行くと「この暑いのに」脳外科。本人がデイサービスに行こうかと言っている、と伝えると、いろいろと提案してくれた。ケアマネージャー、事業所との契約、デイサービス見学など。母は自分の脳活性化のためという考えもあり、「じいさん(父)の顔見てるよりいい」とも言うが、私のためでもあるのだろう。ケアマネさん訪問。母、気に入った様子。私にとっても初めてのケアマネさんだったので、ケアマネさんてこういう職種なんだ、ものすごく頼れるんだ、と安心。後々、何度か交代したケアマネさんと接するにつれ、最初のこのケアマネさんがとても優秀であり、とても親身になってくれて、親しみやすい人柄だったと知った。要介護度認定調査。身体の動きは良く、質問にもだいたい答えていた。〈8月〉「ずっ...認知症2年目・下半期①
《認知症2年目・77歳》〈1月〉2日に「暮れだからお雑煮作らないと」。その後何日か「お雑煮作らないと」を繰り返す。元旦に作ってもらったよと言うと「私本当にばかになった」脳外科。MRI変化なし。長谷川式テスト19点(前回24点)私が体調を崩したので、母に買い物を頼む。行き来の交通、買う物をメモして渡す。無事バスで行き来できたがメモを見なかったようで買い忘れ多い。父に頼まれた物が買えていなかった、怒られると気に病んでいた。体調の悪い私のために、りんご煮とくず湯を作ってくれた。〈3月〉何か刺激をと、雑誌の定期購読。夜、少し地震があり、私は玄関を開けたりしたが、母は「お父さんが」と父を起こそうとした。父は気づかず寝ていた。雑誌のクロスワードパズルなど、ヒントを出すと解ける。「私の宿題」と意欲的。問題に、○チ○○○...認知症2年目・上半期
ノートに書き留めていた母の記録は膨大で、特に書き始めの頃は、細かな変化も気にしていたためノートも1年で3冊になっていました。他に病院メモもあります。なので、年、月ごとになるべく短くまとめたいと思います。《認知症1年目・76歳》1年前くらいから日付があいまい。物忘れがひどくなる。本人の自覚あり、落ち込んだり笑ったり。〈6月〉私が母の1日のスケジュールを書いておく。薬の管理をする。〈7月〉母が忘れたことに対して父が「バーカ!」と言ったり笑ったりするのに、母「笑うのはいらない!」と立腹。認知症の検査をしてもらうため脳外科へ。以前一緒に脳検診を受けたことがあったので、より家に近い、違う病院はどうか母がやってみてと誘った。MRIは特に異常なく小さい脳梗塞が2つ(無症候性脳梗塞で年相応。記憶にはあまり影響なし)質問形...認知症1年目
このブログは元々、母の介護のことを書くために始めました。ですが、時々登場する父の病気、介護のこともまとめたいと思い、何回かに渡り、記事にしました。ざっとではありますが、まとめてみて、すっきりしたところはあります。落ち着いた感じです。今までも母のことを書いてきましたが、認知症のことをまた1からまとめたいと思います。10冊以上になる日々のことを記録したノート、病院メモを見直し、細かな出来事や認知症の進行具合など、書き留めずには、書かずにはいられなかったのだなあとその時々の切羽詰まったような感情を思い出しました。ノートをとって置いて、もし誰かが見た時に、大変だったんだと思われたい気もしましたが、このブログにまとめた後、紙の物は処分しようと思います。持ち物の片付けでもありますが。母のこともまとめ終えたら、また私の...次は母のこと
近所の方々の弔問も終わり、各種手続きも進めました。母は父の死を忘れたり思い出したり。「人、1人死ぬと大変だから100まで生きる」とか、父のことを「あんたが小さい頃よくおんぶして」「自転車に乗せてしょっちゅう実家に行ってた」「子煩悩だった」「ケンカしながら暮らした」と言っていました。四十九日には祭壇が撤去され、後日、仏壇やお墓の購入、納骨となりました。父が3食にみそ汁を欠かさないので、母が作れなくなってからは私が作りましたが、父が入院してからは作っていませんでした。それが、ある日の朝、母が早起きして作っていました。具は忘れましたが、冷蔵庫にあるものを入れたかもしれません。「なんだか食べたくなって」と言っていました。母はみそ汁にこだわりはなく、その日の午後に父が亡くなったので、少し不思議な感じがしました。不思...父、その後と不思議なこと
家族葬にしたので、通夜、葬儀には住居も間柄も近い親戚のみ参列。式の前は、久し振りに親戚が集まった和やかさがあり、特に父の妹(6人兄弟の末っ子で1人娘)の思い出話がかわいらしく父を送るにふさわしいなあと思いました。通夜の儀式も会食も、なんだかすぐ終わって、母がいるので泊まり込みはできず、後は葬儀会館の方にお任せしてそれぞれ帰宅。葬儀の日の朝、母が足が冷たいと言うので足湯をしました。母のことをゆっくりやるのも久し振りな気がしました。また会館に集合し、出棺経の後、出棺。火葬場に移動。身体ある父との最後のお別れ。父の胸元には、小さな花束がありました。朝、母が庭に咲いていた白い小さな花を摘んでリボンを結んだものでした。こしらえた気持ちも、出来上がりも母らしくて、式の流れも焼香もわからない母ですが、父に寄り添うのにこ...父、通夜・火葬・葬儀
父が亡くなった夜はなかなか寝付けず、うとうとして午前3時には目が冴えました。ちょっと不整脈が出たりしました。母はよく寝ていたようで安心。翌朝、母に礼服を着せてみました。母は、自分が父より先に死ぬと思い込んでいて、また、誰の葬儀にも参列したくないため、その頃の自分に合う礼服を用意していませんでした。それで私がこっそり一式用意していた物です。少しでも首元が見えると嫌がる母に、黒いレースのハンカチを足したり。その日は納棺でした。近くに住む親戚夫妻が来てくれて、納棺師のイリュージョンも見て、父は白い着物姿に。ひげを剃ってもらっている姿は、普通に床屋さんでやってもらっているようでした。わらじをはかせたり、お金を持たせたりという一連の流れを終え、父の旅支度が整いました。母は、父の葬儀ということはわかっていて、うちに親...父、納棺
午前中、母と病院へ行くと、昨日より悪化した感じで、反応もなし。水枕をした頭が左右に小さく動くだけ。手がかさかさだったので、クリームを塗る。おむつとパッドを置いて、一旦帰宅。昼過ぎに病院から電話で、先生の話があります、と。胸水が溜まり、炎症反応の数値が上がり、熱は下がらず。抗生物質も効かないなど、状態が悪く、回復は難しいとのこと。万が一の事を覚悟して下さい、と。父は重篤な人が入る個室に移動。何か好きなものを持って来て食べさせてもいいと言われましたが、食べさせられる状態じゃないのでは、無理に食べさせてそれで死んでしまうのでは、と、思いました。母が長い時間じっとしていられないので、また一旦帰宅。車で15分ほどの距離でした。午後に、病院から呼吸が浅く血圧も低下していると知らせがあり、駆けつけました。私は途中、あ、...父、最期の日②
父は、訪問歯医者さんの治療のためイスに座ると、すうっと意識を失いました。頭ががくんと後ろに倒れ、白目になったので、これは危ないと思い、訪看さんからもらっていた緊急用の連絡先や手順の用紙を出し、訪問看護ステーションに電話。状態を伝え、救急車を読んで病院にと指示をもらい、そのように。歯医者さんは治療を中止して、父についていてくれましたが、搬送のジャマになるからと帰られました。ぼんやりしていましたが、意識が戻った父に、救急車を呼んだと言うと、すんなり受け入れました。大げさだ、うちの車でいい、などと言いそうですが、自分でも悪くなっているとわかったのでしょう。母には「ピーポー鳴らさないで来てもらって」と言ったそうです。しかしすでに電話を切っていたため、ピーポーを鳴らして救急車が到着。私は携帯用の酸素ボンベなど持ち物...父、最期の日①
ある夜。午後10時過ぎから父にひっきりなしに呼ばれました。「もらしたようだ」と言われて確かめるとそれ程汚れてもいませんでしたが、気になるのだろうと下着、ズボンを取り替えて、リハパンをはいてもらいました。しばらくして呼ばれ、「さっきもらしたって言ったの、夢見たんだ。もらして誰かに怒られる夢」ああそうだったの、と笑いながら、誰かって私なんじゃないの?下のことでは怒った事ないけどねと理不尽に思いました。まあ他のことでカッカした事はあるので何とも言えず。またしばらくして、「寒いーー寒いーー」と大きな声がしたので、寝具を足す。またしばらくして、「寒いーー寒いーー」と言うので上に毛布を足す。またしばらくして呼ばれると、「あったかいけど重い」毛布をはずして様子を見る。父は電気毛布も湯たんぽも嫌がったので、どうしようか考...父、家で過ごす最後の日
家族以外の人に接する機会があった方がいい、また、体調をチェックするために、訪問看護師さんと契約をしました。父の介護においては、ケアマネさんと訪看さんが頼りでした。私は家で、体温計、血圧計、パルスオキシメーターでチェックしていましたが、訪看さんは24時間対応で、体調の変化があったら連絡、相談、その電話は最初に訪問看護ステーションにつながり、夜間など誰も出ない時は個人の電話につながり、それでも出ない時は病院に、という困ったら確実に指示がもらえるシステムでした。救急の時も救急車を頼んだら、かかりつけの病院に搬送を頼めるので、その手順や電話番号が書かれた書類を、クリアケースに入れて、いざという時に慌てないよう、何度も何度も確かめました。契約の日、訪看さんが父の部屋に入り、あいさつや今後の説明をすると、父は「金かか...父、訪問看護師さんに悪態をつく
肺気腫や前立腺肥大などで約2ヶ月の入院後、在宅酸素療法、要介護となった父は、朝は7時頃に起きてダイニングで新聞を読みながら朝食。服薬。その後は茶の間で読書したりテレビを観たり。そして昼食。自室で服や持ち物のチェック。新聞やテレビ。そして夕食。就寝。という1日の流れでした。それがだんだん食事以外ベッドで横になる時間が増えました。具合が悪いか聞くと、眠いだけと言ったり。夜中は咳き込みが多く、頻尿のためトイレに行ったり尿瓶を使うことも多いので、熟睡できていないのでしょう。服薬は錠剤数種の他、吸入もあったのですが、それが上手くできない。私が用意し、吸入器もセットして、はい吸ってーーーとタイミングを測りましたが、吸う力が弱かったです。食事もだんだん食べたり食べなかったり。やわらかい、食べやすいものにするため、ブレン...父、在宅介護の1日
あらゆる介護サービスを拒否し、デイサービスもショートスティも却下した父ですが、1度だけ、ホームへの入所をほのめかしたことがありました。まさに今頃、ゴールデンウイークの頃でした。少し体調が良くなり、テレビで野球のデイゲームを見たり、リハパンではなく普通のパンツで過ごす父。一方、母はゆっくりでしたが進む認知症。自分のことがわからなくなっているのに、介護が必要になった父にどうしていいかわからない。ずっと父の文句を言い、二言目には「お父さん施設に入れたい」などと、状況は悪くなるばかり。ある日、父が大声を出したので、母が部屋に入って行きました。多分、咳払いだと思います。父の咳、咳払いは大音量なのです。母の「何、大声出してんの?!」父の「何?聞こえない!」という会話から、強い言い合いが始まり、2人とも興奮状態に。母の...父、1度だけホームに入ろうかと言った
母のケアマネジャーさんに父のことも頼みました。退院前に準備したのは、介護ベッド、トイレの手すりがレンタル。シャワーチェアと浴槽イスが購入。介護保険利用で。ケアマネさんが来ることをメモ書きで父に知らせると、その横に“不要”とお返事が。月1回訪問してケアプランをやり取りする決まりだけど、プラン通りにしなくてもいいとして、ケアマネさんは来ると別室の父の顔を見て、体調など聞くだけでした。気難しい父と対面するのは誰もが緊張というか、ゆううつだったと思います。でもケアマネさんは朗らかな方で、父を、今まで見てきた方々の中で3本の指に入る頑固さと言いながら、自然に接し、父のオナラが聞こえると、「わははは!」と大笑いしていました。しばらくして介護保険更新のための調査がありました。父は調査員の方に悪態つきまくりました。名前を...父、介護サービス全拒否
在宅酸素療法になり、父の部屋に機器が設置されました。そこからカニューラ(細いホースのようなもの)で鼻孔に酸素が送られます。カニューラは家の中を移動できる長さで、父はトイレに行ったり茶の間でテレビを見たり、時には庭に出たり。カニューラが引っかかるので、家の中のマットや敷物は撤去。つけたままなので、すれて鼻孔に傷がついたり、耳に掛けているため耳の後ろがカサカサになったり。カニューラをイスで踏んでしまい、酸素が送られなくなって警告音が鳴ったり。突然の停電で機器が作動しなくなり、慌てて携帯用のボンベに切り替えたり。私は毎朝、機器のフィルターを掃除するのが日課になりました。小さなフィルターで簡単なのですが、父が朝食でダイニングにいる間にベッドの整え、尿瓶の処理、掃除など一気にやるため、バタバタでした。時には食欲がな...父、定期検査と在宅酸素療法
父は歯の治療、新しく部分入れ歯を作るため、訪問歯医者さんにも来てもらうことになりました。以前からの歯みがきなどを適当にしていたため、歯槽膿漏が進んでおり、前の部分入れ歯が合わなくなっているのにつけていたため金具が歯茎に刺さっての痛みもあったり。歯石取り、歯茎の腫れが引くのを待つなどで、部分入れ歯作りはまだ先のこととなった上、歯科医の話では、父の喉の仕組みが通常と違うため、型を取ると窒息する恐れがあるとのこと。となると入れ歯を作れないかもしれないと。取りあえず細かな治療や、手遅れな歯の抜歯。抜歯の際、状態を見るためレントゲンを撮ると言われ、え?今から歯医者で?と思っていたら、家の中で撮れるのですね。安全ですがおうちの人は部屋から出て下さい、と言われ、詳細は見ていませんが。そして1本抜歯。あと2本の抜歯は病院...父、訪問歯医者さんに来てもらう
「ブログリーダー」を活用して、へなちょこかいごさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。