百箇日とは卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業するという意味があるそうです。気持ちや手続きなども落ち着き、悲しみも薄れてくる頃なのでしょうか。確かにそうだと思います。母のことで泣くことも減り、母のことを話して来る人もほとんどいません。とはいうものの。先日、確定申告の準備のために母の病院の領収書を整理していたら、泣けてきました。母が生きていた時のもの。この頃は母がいたんだ、と。保険会社からの入院に対する給付金の書類も整理し、その中の1枚の『死亡』という記載を見てどきっとし、また悲しくなりました。死亡保険金の手続きもしましたが、母のそれはとても少額です。昔、自分の病気や死に関すること、それでお金を残すことに嫌悪感を持っていた父が、加入していた保険の全てを解約しました。なぜか母のものまで...百箇日というものの
母の百箇日が過ぎました。特に法要などする事はなく、お墓に行っただけですが。100日というと長い気がしますが、約3ヶ月というとまだ3ヶ月という感じです。そしていまだに全てが不思議な感じです。母の銀行口座の解約も済み、もうこの銀行に来ることもないんだなあ、と帰り道、次々なくなっていく母の事を思いました。昨年の秋くらいから、感染者数が減少し出して、対策をしつつの外出なら気兼ねなくできていましたが、また激増。そろそろ旅行でも…という希望も絶望に。暖かくなればまた時期的にも人の移動が多くなる。3回目のワクチンを終えた、医療従事者の友人は、やはり副反応はあったけれど、2回目よりは軽かったそうです。なので、1、2回目ともほとんど副反応がなかった私は、3回目も大丈夫かな、と思いました。でも、バス停で会った高齢の女性は、「3回目...母の百箇日過ぎて
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