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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 小学に観る 習慣学習と、その活学 其の一 07 12/17再

    無機質な教育を有機的な学問に(官制学校歴と真の学問歴)亜細亜大学教職専攻課程226号1st12:302st2:50①有機的に教えるということ⑩成長に沿った学問②自と分について⑪古典を尋ねる③活き方を探す⑫ある警告④満州崩壊と土壇場の学問⑬鬼平犯科帳の頃⑤トヨタの小学の活用と継承⑭亡国の後、その亡国を知る⑥吾を活かす青年⑮世代の調和と礼⑦今に無い明治復興のカリキュラム⑯トヨタの合理と歴史の科学⑧憲法は権力制御⑨小学に観る習慣学習と躾ゲストスピーチ金沢明造弁護士の堕落と学問サキール・カーン日本における大学というところ村岡聡史教学随聴記寳田時雄特別講義を終えて今回はゲストとして金沢明造、サキール・カーン、村岡聡史の各氏を招請し、サキール・カーン氏には日本の学生への率直な感想を英語のスピーチで、金沢明造氏には裁判...小学に観る習慣学習と、その活学其の一0712/17再

  • 「人間考学」は無限空間での「心の標(しるべ)」である

    ≪解題≫【寳田氏の「人間考学」を含めて、その他の作品群を集積し、分類し、然るのち体系化することは可能である。作業としてはできる。しかしほとんど無意味だ。氏の思想と文章は一個の芸術だからである。氏のどの個々の作品の中にも全体が貫徹し、全体を観ればそれが個々の作品を写影している。戦後、発展した複雑系の数学では、これを基本原理(フラクタル)になっているのだが、要するに芸術の芸術たる所以は人々に生き活きとした感動を与える事にあるのであって、体系化や分析をした途端、何かおかしなものになってしまう。「目黒の秋刀魚」になる恐れがある。読者に注意を喚起したい。※「目黒のさんま」とは七輪で丸ごと焼いたさんまは美味いが、骨を取り頭と尻尾を取って身だけ献上しても丸ごとの焼きさんまの美味しさとは違うと殿様の面白噺である。】宇宙は...「人間考学」は無限空間での「心の標(しるべ)」である

  • 小学に観る 習慣学習と、その活学 随聴記 7 12,24再

    寶田教学随聴記≪その志、嗣ぐものあらんことを≫国策研究会元評議委員村岡聡史亜細亜大学における寶田時雄氏の特別講義の内容それ自体について、私が独言(論評)を展開することは極めて難しい。何となれば「屋上屋を架す」の恐れがあるからです。それゆえ本稿では「何故に寶田時雄という日本人離れした大型の人物が形成され、皆さんの教壇の前に立つに至ったか?」という視点から寶田教学の本質と学問の方法論に就いて随聴記を編んでみました。実相観入して神髄を極めるところ、寶田教学の本質と学問の方法論は、佐藤一斎(註�)の次の言葉に尽きる。「学は自得を貴ぶ。人徒らに目を以って有字の書を読む。故に字に曲し、通透することを得ず。当に心を以って無字の書を読むべし。乃ち洞して自得するところ有いん」【言志四録】問題はそこに至った寶田氏自身の学問上...小学に観る習慣学習と、その活学随聴記712,24再

  • 陸奥斗南の憧憬. 15. 11/23 あの頃

    陸奥湾を望む八戸から青い森鉄道、途中、野辺地から大湊線に分かれて一路下北へ・・この章を記したとき、女性自身」の皇室担当記者松崎敏彌氏から「むつは秩父宮様のご縁で松平さんと行きました。市長さんも立派な方で此れからも期待できるところですね・・・・」と妙縁を教えて頂いた、その後、台湾同行した津軽の方々との再会と今夏のむつの再訪を期していた松崎さんは病の床から戻る事はなかった。そんな縁を抱いての津軽墓参の途に、ふとむつに想いを運んでみたくなった。その日は偶然にも田名部神社の大祭だった。久々に見た郷の力つよくも雅な祭りだった。歴史ある郷の新たな期待、それは臨機応変、縦横無尽に繰り出す機略ある若い市長に委ねられていると聞く。以下は昨年の備忘録だが・・・・・左松崎さん台湾亜東関係協会蔡秘書長平田元空将青森県津軽地方の行...陸奥斗南の憧憬.15.11/23あの頃

  • 相撲も野球もプロという興行 2011 あの頃

    写真はデイリースポーツより選手や力士に罪は無い全国津々浦々の興行、イベントは未曾有の震災に配慮して中止や延期をしている。街のスナックや居酒屋で予約されていた送別会や親睦会までキャンセルが多くなっている。なかには、形式的な付き合い宴会に疑問を持っていた若者にとっては、ごく自然に受け入れられた。時宜を得た選択という名目があったとしても、歳時の倣いになった酒会は考え直す風潮にある。形式的といえば冠婚葬祭が代表的なところだが、結婚は経済事情もあり地味婚が流行り、葬儀は家族葬、密葬と称して経費のかからない葬儀が多く見られるようになったあのとき、陛下のご平癒を祷り歌舞音曲も控えた。地震災害や火山の噴火もそうだった。だだ、これも納得性の問題なのか、青少年の育成を冠としたスポーツや催しについては計画通り行なわれることが例...相撲も野球もプロという興行2011あの頃

  • 佐藤慎一郎氏に観る 官房機密費という銭 2010 加筆再

    ≪最近、以下の内容に極めて似た著作が出版された。濾過された情報の又聞きだが、実直な作者ゆえか、佐藤先生象の感受表現は改めて懐かく感じられた。もし先生にお会いして盃を交して著作にある記述を拝聴するならば、P44のような言動をするような風はないと認識するでしょう。また「おれ・・・(俺)」は、申が上から押されて下部が曲がった姿、つまり男性シンボルが押し曲げられた、いわゆる男の機能はないと、「日本人は面白い呼称をする」と云われたことを笑い話として語られた。残置された書類はすべて焼却を切望していましたが、書類現物があることは不思議なこと。残っていたとしても触れた御仁は師の切望を知らぬはずはない。真実を追うことが学問だと認識するのは勝手だが、切望の意を曲解なり隠匿することそのものを利とするのなら、どこかの国の大量破壊...佐藤慎一郎氏に観る官房機密費という銭2010加筆再

  • 「人間考学」 人の心の進む方向を知る 再

    それはコンビューターの2000年問題が起きる以前、今から27年前のことだった純朴で稚拙な童のころに目にした西洋の章を想起したその結果は民族固有の暦(カレンダー)を亡きものとして西洋歴に収斂される企てだと、後で知った。人々の成功価値は数値による財貨に向けられ、そのグランドも降り注ぐ「情報」という案内(インフォメーション)に先導され、ハーメルンの笛吹の逸話や羊飼いの群れのように、笛や一頭の牧羊犬に従順となってきた。掲げられた「民主と自由」によって人々は仮装した自由を疑いもなく受け入れ、嬉々として民族の連帯を解きつつも、個別から孤独への道に迷い込んた。国家は融解し固有の情緒も崩壊した。戻るべき所もなく、唯一偶像視する財貨の欲望に狂騒し、為政者の執る政治すら無意味なものとした。それは、気がつかないように、いや気が...「人間考学」人の心の進む方向を知る再

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