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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • 我国の宰相は「掃除大臣」たるべし 2008 10/8 あの頃も

    悪戯な標題ではない。今を見て臨機に為すべきものを知らなければ「政外」(政治のピントが外れる)こと疑いなし。゛掃除゛は掃き、除くことである。それは倹約につながり無駄を省くことにもなる。歴史に尋ねれば、このような姿が国家、社会、民衆に現れたら、先ずこれに取り掛かるのが権力者の任だった。干支では「戌」の期に当てはまる。草冠をつけると茂るとなるが、同じ「繁」とは異なり、植栽をしない為に風通しが悪くなり樹木全体が枯れてしまうために「刈る」という意味でもある。これを国の機構なり、会社の組織に当てはめると、「弛緩」つまり心の弛みになって組織が停滞し無駄も滞留し「患う」ことになる。多くの組織は人によって動いている。しかし、その人心が弛み、機械などによって労働感性が衰えたりすると全てが受動的になり、国家をして、゛誰かがやっ...我国の宰相は「掃除大臣」たるべし200810/8あの頃も

  • 安岡家、仏間の書籍 08 10/7

    松下政経塾教場茶室筆者「中庸」を語るH19先日、安岡家の仏間の書籍の整理をした際、贈呈された出版物があり、一部を残して関係書籍を大量に戴きました。ご存命なら許可するはずの無い安岡ブランドの出版物も数多ありました。また、時節柄マニュアル本や表層をなぞるものもありますが、かえって知的直観力を衰えさせるようなものもありました。「知って教えず、学んで行なわず」そんな人間の粗製乱造が甚だしい傾向ですが、是非一頁でもいいですから、3回再読し、音感に触れる言葉を探すと、自然に肉体化され、単なる「知」を振り回さず、深い思索と観照が容易になります。同じ書物でも小説や解説本とは異なる味わいが出てきます。「好きで楽しくならなければ覚えない」とは孔子さんですが、人の勉強は見るのではなく、自身で行なうものです。先生がよく開いたペー...安岡家、仏間の書籍0810/7

  • 上質の国でありたい

    国なるものの在り方は生活圏や生まれ育った「郷」に棲む人間のありようでもある。以前、大分県の知事が「一村一品」として特徴ある産品の生産販売を提唱した。筆者は、一品は品物ではなく、人品(住む人間の品性)の姿だと付け加えた。江戸時代の農民出身の山田方谷(ヤマダ-ホウコク幕末期の儒家・陽明学者、備中松山藩士)は財政再建のため、先ずは自身を正すべきと考え、信頼を得ることを本意として私塾をつくり人材をそだてた。当時松山藩は財政がひっ迫し困窮していた時だった、方谷は「理財論」を説き藩の財政立て直しに取り組んだ、その要点に「その目先の小さなその場しのぎの「利」を追うのではなく、綱紀や法令を整えるという「義」を明らかにすることによってそれを基準にして物事を分別すれば自ずと本当の「利」が手に入る」である。「義」を明らかにする...上質の国でありたい

  • 日本人は日本を学べ

    横浜港の見える丘公園外国館BBC放送の日本語部長、ジョン・ニューマンはそのように日本人に問いかける。高校生の頃、ロンドンで行なわれた柔道の試合を通じて日本を知った。それはアクロバットのように相手を投げつける巴投げに魅せられた。講道館五段の腕前でもある。それはヨーロッパ選手権に優勝後、柔道の盛んな奈良県天理への柔道留学から、オリンピックのイギリス代表監督を経て、母国の大学で日本語をマスターしている。知識は頭から、智恵は汗からとは言うが、柔道を通じた礼儀と鍛錬が彼を真の日本通にしている。民間外交にも一家言もっている。ヨーロッパで行なわれる日本文化、とくに古典芸能にある歌舞音曲だが、在留日本人に其のことを尋ねても何の知識さえ持っていない。芸能人のゴシップは世界共通だか、アメリカはカントリー・ジャズ、イタリアはオ...日本人は日本を学べ

  • なるほど、この手があった 2013 あの頃

    教職員の早期退職が流行っている。勤務年数の関係で期限をのこして早くやめた方が得をするということだ。なかなか目先がきいた行動だ。それに苦言をいう第三者がぞろぞろ出てきた。≪子供の心を踏みにじる≫≪金のことしか考えないのか≫四角四面で手前勝手な理屈の応戦だが、一方は「子供たちのために有終の美を飾りたいが・・・・」、と。糸を引くのは女房だろうか・・・悪いことに子供の自殺や体罰、教師のわいせつ行為、縁者の便宜採用が放置されている現状での金にまつわる話だ。考えようによっては税を俸給にしている公務員は教師だけではない。警察官、議員、国・地方公務員などがあるが、裁判官もいる。ある裁判官は裁判途中で公証役場の席が空いたので、ということで担当裁判の途中で退職している。これを職場放棄というのだろうが被告も唖然とした。今回は警...なるほど、この手があった2013あの頃

  • 安岡氏は謂う 『稚拙であるが、いずれも痛いほど現実をつかんでいる』

    20152/15あの頃思春期の子供の目線だが、物知りの下手な批評より正鵠を得ている。なによりも辛辣だが唸るような短章だ。あの頃の童の観察眼は、教員や政治家より優れている成長するにしたがって余計で無駄にもなる知を詰め込むと、こんな発想力は湧いてこない。サラリーマン川柳も秀逸だが、そんな親の思いまで読み取るような齢でいえば年少の下座観は、家庭だけでなく社会や、国内外の状況も的確に観察しているのだろう。バングラデシュ子供新聞キシロチェトロ編集長プロビール・シャカ氏筆者が仲間とベンガル子供新聞を創刊したのも、そのような子供の観察を世代の智慧として活用し、大人社会への忠告、警鐘としたかったからだ。子供が取材し、子供が描き、書く。そして無料で配布する。識字率は上がり世代間共通の問題意識が生まれる。子供たちへの、゛お返...安岡氏は謂う『稚拙であるが、いずれも痛いほど現実をつかんでいる』

  • 『請孫文再来』の読後感 15 3/30 再

    孫文と山田兄弟上は弟純三郎下は兄良政生家の向かいは陸羯南の家で、多くの薫陶を受けている兄弟の叔父菊池九郎初代市長、代議士東奥義塾・東奥日報の創設者以下は小生の拙書にいただいた読後感である。それは大分過去のことだ。読書には「古教照心」と「照心古教」がある。前は本の内容に知った・覚えたと得心するが、後は、己の心を以て内容を照らすことだ。ことさら拙書を批評したり、なかんずく誉めたり迎合したりすることは容易だが、その読書感をもって志操の座標を掲げる見事さは筆者としても望外な悦びでもある。「書籍の山」とあるが、いずれ切り口を変えて宝の山になるだろう。つまり詮索、研究に没頭するより「眺め」に至る途だからだ。実はこの読後感も送達された時期と現在では、筆者自身も観点が変わっている。想うに読者においても揺るぎない座標軸に狂...『請孫文再来』の読後感153/30再

  • 賢者に請う 拙稿『請孫文再来』について 9 2/23 再

    http://sunasia.exblog.jp/ブログ編冊子「天下為公」人師、佐藤信慎一郎先生との数々ある想い出の多くは、感動感激体験を語りながら時節の憂いに共感するも,ときには共に惜涙し、あるときは欣快の心地を忘れまいとして杯の乾くのも忘れ清話の宴に興じたことだ。まさに《第宅器物その奇を用せず。有れば有るにしたがって愉しみ,無ければ無きに任せてまた安ジョたり》と、詠んだ徳川光圀の境地に似たものだった。愉しかった、嬉しかった、そして何時も歯唇の間に溢れる誠言に心耳を澄ました。思考や疑似体験は天空を渡り、志操を育んだ弘前や海を越え大陸にも飛んだ。辛亥革命恵州にて殉死山田の兄良政まるで偉人,賢者が添っているかの如く孫文も山田も眼前に現れる。そんな気持ちを忘れまいと紙上に遺そうと思ったとき、師はつねに寄り添っ...賢者に請う拙稿『請孫文再来』について92/23再

  • 日本版 「人民監督網」 15/4

    巷の株価の様相はバブルのようだと評者は謳う。政治は政策焦点すら定まらず、恒例となった金の問題で世間をにぎわしている。よく官僚は指示がくると、まず、<やらなくてもよい理由を探す>と某次官は嘆いていたことがある。省益に係わることは、<可能な条文を探索>しても邁進する。隣国の宦官のようだと識者は嘆くが、記載されたらセーフなどといった普遍なる常識さえ毀損する政治資金規正法を、まるで泥棒が縄をよる(作る)ように助言したのも狡猾な官吏である。落ちればタダの人となる議員でも、使いようによっては役に立つ、官域に問題があれば官僚作成の答弁書を読んで、言い訳したり、謝ったりしてもらえる重宝な人たちだ。少しでも高飛車になれば江戸の仇長崎とばかり、選挙法を駆使して警察に捕縛させ、記載漏れは裏金としてようやく認定したのは、数次にわ...日本版「人民監督網」15/4

  • 文は経国の大業にして不朽の盛事なり 13 7/30再

    東大文系法学部は知識習得の前提とした「本(もと)」のあることが分からないのか、既得済と確認しないのか、それとも「もと」など説明論拠が立てられないからと、無意味と考えているのか、ともあれ学び舎エリートと称する学徒が群れのよう暗雲となって世情を覆っている。それは「観人則」が簡便な数値判別となった頃から顕著になっている。国家経営の歴史的証である文書が、改ざん、隠蔽、廃棄が平然と行われるようになった。裁判所も恒常的に行われ、行政官庁も倣ったように断捨離に勤しんでいる。金貸しが証文を勝手に書き換えたり廃棄したら生業は成り立たないが、組織活動体でもある国家なるものでも、敗戦時、中央、地方問わず官域では書類廃棄(焼却)が続いた。多くの、改ざん、隠蔽、廃棄は見られたら都合の悪い、つまり責任者を特定されないよう、あるいは無...文は経国の大業にして不朽の盛事なり137/30再

  • 【一官九族に繁える】 7 11/6 再

    「一官九族に繁える」親戚縁者が一人でも高位高官に昇ると縁者も共に繁栄する以前のプログ「安倍晋三・・・」連載内「昇官発財」を参照平成12年9日〈時事AFP〉北京で息子の大学受験に付き添う父親のツァイ,ジョンションさんは一カ月の収入を上回る1800元(約23,000円)を試験場近くのホテルに支払い『この試験に私たち一家全員の未来がかかっているだ』と決意を語っている。宋代に『勧学文』と称して皇帝が学問を奨励しているが、その文は『書中、自ずから黄金の部屋あり』『書中、自ずから女あり』と、食、色、財の欲望を際立たせ、しかも試験に合格し、めでたく登用され官位が昇れば金や女が自ず(自然に)と近寄ってくるというのである。しかし、このことも平穏に怠惰をむさぼっている民情なればこその戯れであり、それが証拠にあれほど朱子学を端...【一官九族に繁える】711/6再

  • 中国でさえ危機ととらえ、元総監は「警察はサンズイが捕れないだろう」と嘆いた

    故鎌倉節氏辞めた議員が「分かる人には分かる、分かりたくない人には分からない」と捨てぜりふを吐いたが、この事は国民も承知だ。サンズイとは汚職である宮内庁長官だった元警視総監の鎌倉氏の慚愧の念だ氏は皇室を敬愛し武士(もののふ)の風儀が漂っていた。国民が憂慮する公官吏や政治家の弛緩した実態でもサンズイは無い、という。無ければ国民は幸せだが、今のところは無いはずがないと読んでいる。ちなみに警視庁の捜査二課は知能犯罪の捜査を担当するが、政治家や官吏の贈収賄の摘発などに専従している。ほかには選挙違反などがあるが、国民が期待しているのは、必ず有るであろう政官財のトライアングルと云われた関係での便宜供与に伴う斡旋収賄だ。もともと所轄署は地方公務員や市長もしくは出先の公官庁とは協力関係にあるためか、相身互いでなかなか摘発は...中国でさえ危機ととらえ、元総監は「警察はサンズイが捕れないだろう」と嘆いた

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