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活かして生きる 〜放禅寺の寺便り〜
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2015/01/12

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  • 「今」ということ3

    「一切のもの」は何時でも完全な状態であり、充実した相(すがた)であるということです。それが「道(法)」というものです。私たち衆生は「ものが見える、聞こえる、話が出来るから生きている」といいますが、それらは全て「生きているという事実の説明」にすぎません。それらは、「今(今の事実)そのもの」ではなくて、「今(今の事実)の説明」にすぎないことです。「事実と説明(言葉)」の間にズレが生じていることに気付かなければなりません。「事実」というものも、なくならない限り「今(今の事実)」ではありません。ものをつかむための「今(今の事実)」ではありません。「今(今の事実)」そのものに成るための今(今の事実)」です。「今」ということ3

  • 「今」ということ2

    「今」というものは、もののない、認めようがないものです。ものの有る無しの「無い」では有(在)りません。ですから相対的な考えの「無い」では有(在)りません。私たち衆生の日常生活は「生死を超越した処」で行われているのです。これを「今」といっているのです。私たち衆生は「今」が存在しているように思っていますが、それは「私(個)というものを認めた所産」なのです。ですから「本来の自己」を見極めれば「存在するように思っていた今」はないということが分かるのです。「今」は「もともとないものの中で出来たもの」ですから「解決しよう(分かろう)」と思っても「解決の仕様がない(分からない)」のです。「今」ということ2

  • 「今」ということ1

    私たち衆生の日常生活を見てみると、ほとんどの人が過去と未来の中にしか日常生活が出来ていないと思います。すなわち「過去というのも過ぎ去ったことであり、未来というのは未だ来たらずということ」なのに、往々にして過去は愚痴になり、未来は不安の種にしてしまっているような考えで常に生活しているように見受けられます。「過去と未来が有(在)る」ということは必ず「今」がなければなりません。「今」が有(在)るから過去と未来が生じるということです。此の事は「道(法)」が分かる分からないということに関係なく「今」は有(在)るのですが、其の「今」の説明が出来ません。説明が出来ないということは、私たち衆生はそのくらい「何もない世界」に何時もいる、ということです。本当に「何もない状態」が「今」なのです。「今」ということ1

  • 「真の成功」とは

    人は必ず死ななければなりません。如何なる「成功」も「死」には張り合うことは出来ません。如何なる財産を持っていても「死」に臨んで一時間の生命を買うことは出来ません。此処に「法(道)を求める」必要が何方にもあるのではないでしょうか。「真の成功」は「永久」でなければなりません。「時と所と位(くらい)」に因って変化すべきものではないのです。何人もその分量が同じでなければなりません。「禅」はそれを発見して「真の成功」に満足を与える無上の妙術です。「真の成功」とは

  • 「空」とは6

    「境遇は結果」です。「結果」はどうすることも出来ないものです。「結果は即ち、真理」です。この事を仏教では「因縁生空」といっています。私が「因」であり、貴方が「縁」なのです。貴方と私とが因と縁によって結びついた処が「結果」なのです。即ち「私たち衆生はその境遇に満足しなければならない」のです。「私たち衆生は全く一つの物」です。「空」とは「一つの物」ということです。離れることはどうしても出来ないのです。「空」とは6

  • 「空」とは5

    「因縁生」というお言葉があります。全ての物が集まって「一つの物」を形作っているのです。様々な現象が世界には有(在)る訳ですが、みんなそれは「自分の分かれた物だ」ということです。「元を質(ただ)せば、本当に一つの物」です。それぞれの物がそれぞれの立場にきちんと他の領分を侵さない様にしてあるということを「空」といっているのです。「空」というのは何も無いということではありません。「比較するものが無くなった」ということです。別の言葉で言えば、只、思い込みの取れたことです。「空」とは5

  • 「空」とは4

    「空」というと、あるものがある時期において「ある縁に因って其の物に成った」と考えがちですが、そういうものではありません。「空のままにものが有(在)る」ということです。「空」のなかにものが、様々な「法として、差別として有(在)る」ということです。別の言葉で言えば、「それぞれのものが全て空のままに、無いながらにして有(在)る状態」を仏教で謂う所の「空」と説明している訳です。「空」とは4

  • 「空」とは3

    「此の物自体」は「空」なのです。「実体」が無く、自性(じしょう)が無いものなのです。「一つの物」というものは有り様がありませんので、これを「空」といっているのです。「全ての事実」を「空」と名付けたのです。これは一応説明として「空」と名付けたのです。ですから、「此の空」も「認める事の出来ないものであり、実体の無いもの」なのです。「縁」に応じて自由に変化していき、その変化していく活動が「業」というものです。「修行に因って、自分が空に成った」という人がありますが、それは間違いです。私たち衆生はもともと「空」なのです。「空」とは3

  • 「空」とは2

    「空」とは何かあるべきものが不在している状態をいうのではありません。相対的に「空」に対する「有(う)」を想定したものでもありません。「空の空、空の縁、空の自分」ということです。何故「空」なのかというと、「有形、無形の一切の物は全て因縁に因って出来ている」からです。「因縁の法則」は最初から「絶対の法則」として存在していた訳ではありません。おシャカ様が「法、道、空」を理論的に説明しなければならない為に「因縁の法則」を打ち立てたのです。「空」とは2

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