西原容疑者の違法賭博問題に振り回された大谷クンも、その影響から抜け出して活躍を続けている。陰ながら応援している。心から良かったと思っている。同時に、高校時代から彼と同等の素質を持つと言われた藤波クンは今どうしているのだろうか。光と影ということだろうか。どうしても影の方に惹かれる性癖のある自分は成功者よりもその陰でもがく人々の方に興味を惹かれる。大の里も余りにも凄すぎて、応援の対象にはなりにくい。素質と体格に恵まれた人は勝って当たり前。小兵力士の業師の方が好きだ。それはともかく、僕にはどうしてもわからないことがある。西原容疑者の違法賭博問題である。マスコミは大谷クンの関与とか西原容疑者の逮捕や賭博依存症のことのみ報じるが、なぜ違法賭博の胴元のことを報じないのだろう?。違法賭博と分かっているなら何故そこが逮捕...そろそろいいだろうか
今村内は根曲がり竹のタケノコ狩りシーズン。あちこちに車が停まっている。そんな中、愛車のセローというバイクで笠岳に行ってみた。自宅は標高560メートル。目指すは2,076メートルの笠岳山頂。峠の茶屋から30分もあれば登れるが11分から15分くらいで登るのが常。結構急な階段がある。花。花。花。山頂。ここは360度の眺望。北アルプス、浅間山、横手山、岩菅山、上州の山々等々。埼玉の本庄から来たというご夫婦とすれ違う。昨夜は横手山のヒュッテに泊まったという。多分自分よりは年配の方だと思うが色々な山に登っているという。登りに45分かかってしまったと屈託なく笑う。日に焼けた顔がまぶしかった。横手山。岩菅山。このところ農夫に専念。村民農園を3区画借りて、草取りや苗の植え付け、種まき等をしていた。合間に体育の時間と称してジ...2,076メートル
宿泊したホテル朋泉草加は大きな看板もなく、派手なところのない自分たちにはとても好ましいホテルだった。ロビーで無料のコーヒーを頂き、ほっと一息ついた。無料のバナナも置かれていた。基本的にはビジネスホテルだが、男性用の風呂場があった。5人も入ればいっぱいだが、ユニットバスが苦手の自分にはありがたい。朝食付き、ツィンベッドの部屋で5,550円。とてもリーズナブル。朝食がとても素晴らしかった。作りたての暖かい丁寧に作られた和食。このほかにも別に好きなものを持ってこられる料理も用意されている。観光ホテルのバイキングに比べればこんなにうれしいことはない。ホテルの中にある居酒屋ならぬ居食屋で、夕食もここで食べられるらしい。古の旅人もこのような和食に舌鼓を打ったのであろう。この旅に先立って、宿泊処を色々調べた。街道筋で、...旅立ち日光街道2日目
日本橋の地に立つのは何度目だろう。江戸の旧街道の起点。我家は信州。日本橋まで行くのが一苦労。今回はマイカーで高崎。そこから電車で東京駅まで行き、徒歩で日本橋を選択。新幹線は貧民にはつらいし、そもそもこの旅にふさわしくない。トコトコ電車は軽井沢~横川間で分断されてしまった。24時間400円の駐車場も見つかったし、湘南新宿ラインを使えば安く行ける。生憎の小雨模様だが、江戸時代の旅人も雨の日だってあったし、これも風情。川のある風景。良きかな。浅草橋の先のお茶屋さんで休憩。これぞ浅草。これも浅草。インバウンドとか言うらしい。よくわからんけど。自分たちが、よその国に来たようだ。スカイツリーとか言うらしい。ワタシャ、東京タワーの方が好き。北千住の街。芭蕉の像。同じものでもワタシャこちらの方が好き。奥の細道ということは...旅立ち奥の細道へ
『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、』奥の細道の冒頭、『旅立ち』の一節。思い起こせば軽井沢追分から出雲崎までの北国街道を歩き、その後五街道の街道歩きを始めた。中山道を京都三条大橋まで完歩した感動は忘れられない。東海道は箱根...旅立ち
東日本大震災の翌日に信州の北部でも地震があり、栄村でも大きな被害があった。隣接する飯山市の西大滝地区にある地蔵七体のうち、台座を固めていない六体が南から東の栄村の方に向きを変えた。幸い大きな被害はなく「お地蔵さんが守ってくれた」と話題になった。その話は聞いたことがあるが、まだ見たことはなかった。今日それを見た。普通お地蔵さまはみんな前を向いて並んでいるものだが、端の一体を除いて一列縦隊に並んでいた。不思議な光景だった。もう二十三年前になるが、そのままだった。ただ、赤い帽子と前掛けは新しかった。それは知らなかったのだが、もう一つの不思議があった。それがこれだ。何と馬頭観音も同じく栄村の方を向いていたのである。ここは飯山市の北のはずれ、西大滝地区。西大滝ダムがある。JRの西大滝駅がある。そして『ばったり』があ...ばったり
漢字で書くと何とも優雅である。珈琲。coffeeともコーヒーともカフィとも違う。今ではコンビニでも安くておいしい珈琲が飲めるようになった。贔屓の引き倒しかもしれないが、1日に数杯飲むとががんや高血圧が抑制されたり健康増進に効果があるらしい。精神的にもリラックス効果があるし、飲み過ぎさえしなければ飲んだ方が良いらしい。これは珈琲の生豆。上はモカ。少し小粒。下はタンザニア。この豆を200gずつ、手回し式の焙煎器で焙煎している。焙煎後1週間くらいでフレーバーが抜ける。こまめにやるに限る。焙煎の度合いはミディアム。喫茶店で飲む珈琲もおいしいが、値段もばかにならない。その点、自家焙煎は格安で済む。確かに手間は掛かるが定職を持たない身、時間はある。何より楽しい。次はどの豆にしようか。珈琲
本日は4月のそば会。色々重なり参加者は3人。3人なら自分も打てる。そば粉は『縄文』。2人は二八で打ちたいという。もうかなりうまく打てる人たちなので十割で打ってみないかと勧めた。だが、まだ早い、自信がないという。そこで今回は自分が十割そばを打つことにした。2人が打った二八と食べ比べてもらうために、1人前ずつ持って帰ってもらった。『茹で時間は10~15秒。決して茹で過ぎないように!水で冷やした後氷水で締めて腰を出すように。十割は繊細なので雑に扱わないように。茹でたらすぐにたっべる様に。』細かい注文を出した。夜、自宅で十割そばを手繰った。(そばをたぐるという表現は粋だな)人にあげた蕎麦がどんなものか確かめる必要があるからね。問題なくうまかった。多分、その辺のそば屋では味わえない。コシがしっかりとある。濃厚なそば...たかが十割されど十割
山菜の天ぷらと手打ちそば。お店のように美しく盛り付けられてはいないが旨い。桜番付、西の小結。坪井の桜。樹齢600年以上。おやきと桜茶。坪井の桜(2)江戸時代初期の黒部のエドヒガン桜。いよいよ農園ライフが始まる。ザ・春!大分色あせてしまったけれど今も元気に泳ぐ手作りこいのぼり。春の端切れ
その集落には二世帯しか住んでいない。そのうちの一世帯はおばあさんの1人暮らし。もう一世帯が田んぼの会の会長さん宅でご夫婦の二人暮らし。田んぼの会は中山間地というよりもうまったくの山地にある田んぼを拠点にオーナーを募って活動している。田んぼからは見えないが、村の一部からは鹿島槍が見える。この村は桜が花盛り。会長さんはこの5月で92歳になり、奥さんは一つ年下だ。今年も田んぼをやるというので箱並べに行った。ここに籾を播いて芽を出させる。ここは大西の棚田といい、棚田百選にも選ばれている。『耕して天に至る』と刻まれた碑がある。棚田なので下から上まで耕すという意味と生涯耕し続けるという二つの意味があると思っている。苗は35日育てて田植えになる。少しずれるが5月25日に田植えと決まった。作業後の昼食は奥さんの手作り。懐...日本昔ばなしのような村で
昔から年賀状を書かないヒトだった。もらってもこちらからは出さなかった。そんなことが続くと、次第にもらう枚数も減ってきた。何も儀礼で出す必要もないし、年明けにすぐ会うような人に出しても仕方がない。そんな中で、こちらから出さなくても毎年必ず年賀状をくれる人が数人いた。根負けしてその人たちだけには出すようになった。それも書くのは年が明けた後だ。箱根駅伝を見終わった後、昨日休業していた温泉に行った。今年は辰のタオル。毎年干支のタオルがもらえる。お正月仕様の天ぷらうどん。これを食べるのが恒例。夜、年賀状を書いた。おめでとうと掛ける状況ではなくて、工夫がいった。昨日の能登の大地震。今日の羽田の航空機事故。新年に立て続けに起きた。どんな年になってしまうのだろう。『心配し過ぎない。頑張り過ぎない。自分にできることをやる。...年賀状
年明け早々の大地震。びっくりしました。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。明けましておめでとうとはとても言える状況ではありません。当地でも、緊急地震警報が突然鳴り響き、ややあって振幅の大きな横揺れがしばらく続きました。為す術もなく固まっておりました。今年で45年目になる飯縄登山に行ってきました。例年になく積雪が少なく、比例するように人影も少なかった。標識の飯の字がやっと出ているのが普通だったのに、暖冬、温暖化もここまで来たかとこれからの地球を案じざるを得ませんでした。お地蔵さんの前掛けも2枚取り替えてきました。下山後恒例の温泉に行きましたが、今年は31日、1日と休業。少し前サウナ小屋が火事になってしまったことも影響しているのかも知れません。明日明後日は箱根駅伝の観戦。終わった後は自分でもできるだけ動こ...45年目の飯縄登山
この三日間、そばを打っていた。そば会で年越しそばの指導をし、自宅で皆さんに配るそばを打った。新しく大きめのそば打ち台を作った。五人前でも余裕の大きさ。そば粉は高山製粉の最難関と言われる「玄挽」という粗挽き粉。太すぎず細すぎず、程よい切り方を心掛ける。ちなみに、カミさんは細い方が好き、私はやや太めが好き。全部で三十九三人前を打った。毎年楽しみにしてくれる人がけっこういる。簡単にヤメルわけにはいかない。午前中にそばを配り終え、ほっとひと息。静かな大晦日だ。年越しそば。おめでとう、タイガース。今年は孫たちも来なくて落ち着いた大晦日の夜。そばの会便りの新年号を作っている。編集長がいつか偏執長と脳内変換され、こだわり過ぎるなと警報音が鳴り響く。編集後記も編集後期と何やら後期高齢者を想起させるような言葉に変換。何しろ...静かに一年が終わっていく
朝に夕に眺める山がある。左と右がほぼ対称の優美な山。山頂が白くなっているのが飯縄山。右のピークは霊仙寺山。その中腹にスキー場がある。そこの白い雪形が、天空の城ラピュタの庭園で花や小鳥の世話をするロボットに見える。更に見ていると色々なものが浮かんでくる。今度は黒が主役だ。ロボットの顔と左腕の間に魚がいる。右腕と胴の間にニワトリがいる。左腕と胴の間にはペンギン。その右には蝶がいる。一度解析してしまうとそのようにしか見えなくなる。ひとつの場所にこんなにもたくさん潜んでいる場所が他にあるだろうか。それにしても今年は雪が少ない。元日はあの頂に登る予定だが、過去最少の積雪になりそうだ。自分へのプレゼント。普段履きの靴。山に行くときも、ランニングをするときも、街道歩きをするときも履いているのはトレランシューズ。二万円近...雪形
2018年1月4日、信州下諏訪からそれは始まった。信州から越後の北国街道、日本橋から京都三条大橋への中山道、そして東海道を歩き終え、次に選んだのは甲州街道。約210キロの旅。何回か歩き継ぎ、相模湖まで歩いた時、代風18号による小仏峠の通行止めで1年待機。そしてコロナ化による県外への外出禁止令。ようやく再開できたのは今年の春。小仏峠を超え、高尾の駅まで歩いた。次いで高尾から府中が前回。今度は府中から新宿駅まで。なお新宿から日本橋までは前回の東海道歩きで踏破してあるので、今回が最終章。距離は約18キロ。今回は青春18切符で立ヶ花から高尾経由で京王線飛田給駅までがアプローチ。5時55分の長野行はまだ明けない夜の中を律儀にやってくる。ここは飯山線。わさびそば。松本駅で乗り換え待ちの時間。ほっと一息つく。車窓から甲...甲州街道最終章
慈雨のような雨が降っています。心の中に沁み込むような雨です。もう冬枯れと言っていいような庭ですが、山茶花やビオラが咲いています。少し遅めに播いた白菜やキャベツも活き活きしているようです。本来ならこの季節、雪になっていてもおかしくはないのに。ミニハウスにキンギョソウとビオラを植えました。小松菜のタネも播いてみました。もちろん暖房などありません。ここにはキャベツ、ニンジン、ニンニク、タマネギ、小さな温州ミカンの木、イチゴなどが育っています。北信濃では、無暖房のハウスではミカンなど無理だと思っていたのですが、この温暖化でもしかするとイケルのでは、とも思っています。一冬で数度、氷点下七度くらいになる日があります。その時は何か対策をしようと思います。長いこと投稿をしませんでした。また具合でも悪いのかと心配してくださ...近況報告
Gooblogから一年前に投稿した記事はこれですというお知らせが届いた。『七十一歳の挑戦』という記事。何気なく読んでいたら、誤字があることに気づいた。仮装と書くべきところを仮想と書いていた。恥ずかしい誤字をそのままにしておくのも嫌なので修正した。それを公開するのボタンを押したら、現在の記事のような形で一番上に表示されてしまった。自分の中では一年前の位置に修正されて収まるものと思い込んでいた。これではまるで一歳サバを読んでいるようで後味が悪い。これは一年前の記事です!あのレースを引退レースと決めてその後はどうしてるの?とお思いの向きもあるかもしれない。そこで少々その後の一年間を記そう。今年は自治会の役員になり、時間はともかく気持ちに余裕がなくなった。ブログの更新もサボり勝ち。それでも最低週三回はランニングを...一年前
残り一キロ、猛然とスパートをかける人がいる。釣られて付いていく。ほどなくして並ぶ。次々と周囲の人を置き去りにする。五百メートルほど併走し、少し前に出る。次第に引き離しゴール前十五メートル、持っていたカメラでゴール風景を撮る。その隙にあとから来たライバル(知らない人だけど)がゴールを駆け抜けていた。黒い服装の人。ここだけ書けば、すごいレースをしたようだけど、実は途中色々な写真を撮りまくり、給水所ではゆっくりとリンゴやどら焼きを食べ、真剣には走っていなかったのだ。息子に強引に誘われ、『わかほとびっくらん』という大会でハーフマラソンを走る羽目になった。関門がある。第一六キロ地点四十五分第二十二キロ地点一時間半第三十八キロ地点二時間半ゴール三時間今回は時間内に走れれば良しと目標を立てた。息子に半ば強引に誘われて出...七十一歳の挑戦
我が愛するタイガースが38年ぶりに日本一を決めた。今シリーズ、オリックスも良く戦った。敬意を表する。余韻に浸りためペン(指)を置く。38年ぶり日本一おめでとう!
1918年イギリスで初めて女性参政権が認められた、とNHKの映像の世紀でやっている。日本では1945年の敗戦まで待たねばならない。確かに女性参政権は認められてはいるが、当自治会の三役候補にはリストアップすらされない。選考基準に男性に限るとか明記されていない。人々の頭には男性がやるのが当たり前と刷り込まれているのだ。田舎ではまだまだジェンダー平等など浸透していない。来週には来季の役員を選考する会議がある。選考委員長が選んだ候補名には女性は一人も入っていない。対象は65~70歳の人で、男性は全員リストアップされているのに。異を唱えるのは”空気が読めない男”の烙印が押されることは十分わかっている。が、さてどうしよう?自分は副選考委員長なのだ。頭が痛い。ジェンダー平等
昨夜の冷え込みは厳しかった。五竜岳が雪化粧。鹿島槍の双耳峰は秀逸。爺ヶ岳。白馬岳。槍ヶ岳。これからの季節、北アルプスを眺めるのが毎朝の日課となる。今は埼玉に住む昔の山の友達から三陸のサンマが送られてきた。近年サンマは不漁で、もはや高級魚。ありがたいことだ。あはれ秋風よ情(こころ)あらば伝えてよ――男ありて今日の夕餉(ゆうげ)にひとりさんまを食ひて思いにふけると。佐藤春夫の秋刀魚の歌も大好きだ。そして五代目圓楽の目黒のサンマもいい。もう簡単には食べられない秋の味覚。東北の支援にもなるからと毎年贈ってくれる。明日は外で北アルプスを眺めながら炭火焼き。雪化粧
地元の高社(たかもり)神社の秋の例大祭があった。区の役員なので灯篭を担いで参加した。何分区として氏子に加えてもらったのは数十年前。何百年と続く他の区に比べれば、全くの新参者だ。他の区のように獅子舞もなければ笛太鼓もない。四時間余り、他の区の獅子舞をボーっと見ているだけ。子どもの頃のように屋台にトキメクわけでもない。その上寒いことこの上ない。辛い苦行のような時間。まったく自分たちのお祭りの気分になれない。子どもの頃、境内で夜通しチャンバラ映画をやっていたものだ。まだ家庭にテレビなどない時代のことだ。同級生の女の子が私服で、その瞳にアセチレンの炎を映しているのを見た。学校で見るのとは別の人のようだった。今見ればチャチなオモチャだけれど、当時は屋台を見て歩くだけで楽しかった。あの時代はもう帰らない。秋祭り
老夫婦二人暮らしの友人宅、八十になる旦那さんが心臓の不調で入院した。心臓に人口弁が入っているが、耐用年数八年のところ、現在七年目で不具合が出たという。そこで取り換えの手術を行うことになった。予定していた樹木の剪定や伐採が出来なくなり、こちらに出番が回ってきた。うっそうとした柿の木は剪定。上の方にだけ葉が付いたモミジは根元から伐採。込み合ったビワの木は剪定。剪定と伐採の後はスッキリした庭になった。残念ながらアフターの写真は撮り忘れた。退院してきた旦那さんを気持ちの良い庭が迎えてくれるだろう。*****60年間押しのタイガース、日本シリーズ進出を決めた。あの暗黒の時代を耐えてきたものとして喜びは格別だ。剪定
高齢の知り合いからバイクをもらってくれない?と声を掛けられた。二つ返事で引き受けた。225㏄のセローを持っているが、原付バイクもあればいいなと。かごが付いているので実用性ばっちり。さっそく前のナンバーを返納し、新しく発行してもらった。自賠責の保険を申し込んだ。時速30キロではツーリングは厳しいがちょっとした買い物などには便利そうだ。かごが痛んでいたので交換。この地では、高齢になれば交通手段をどう確保すればいいのだろう?近くに歩いて行ける店舗などない。免許返納となれば足がなくなる。義姉は返納してシニアカーを購入した。街場なのでそれでいいが、ここは中山間地。基本傾斜地だ。すぐにバッテリーが終わってしまうだろう。そんなことをうっすらと考える。深刻に考えても仕方ないから。あと何年乗れるのだろう?などと考えるのは辞...原付バイク
今年は紅葉が少し遅れているようだ。晴天。そして今日は結婚記念日。四十二年目。紅葉の名所松川渓谷をさかのぼり、山田牧場から笠岳へ。トレランシューズ、笠岳でデビュー。急な階段は最高六十度くらいあるのでは。山頂からは三百六十度の展望。写真ではうまく伝わらないが、帰りの道中は紅葉が一層進んで、身も心も周りの空気さえも紅葉色に染められるよう。十月十日前後には毎年ここに来る。今年は赤が少し少ない気がする。これで笠岳も静かに長い眠りに着くのだなといったら、自分が来たからと言ってこれから来る人もいるんだから勝手に眠らせないでよとカミさんが言った。紅葉狩り
今ランニングの時に履いているのは少し古いトレランシューズ。登山の時には一番新しいトレランシューズを履く。ランニングで使っているのが大分痛んできた。そこで思い切って新調することにした。一万数千円~二万円くらいするので年金生活者にはおいそれとは買えない。靴は履いてみないとえらい目に合うので、通販でというわけにはいかない。長野市にトレイルマウンテンとい店があるので行ってみた。自分の足にはモントレイルの靴がぴったりくる。ずっとモントレイルのトレランシューズを買ってきた。今回行ってみると、モントレイルトリニティマックスという最新モデルが置いてあった。サイズも26.5。この靴は26.5とはいっても実際は通常の27くらいの大きさがあるが大丈夫ですか?と店長は言う。履いてみて多少ゆるめだが、きついよりはいい。この機会を逃...トレランシューズ新調
長野県飯山市旭でイノシシの罠を見に行った男性が、罠にかかっていたクマに襲われたらしく近くで死亡していた、というニュースが流れた。実はこの場所は、僕がこれから歩こうとしている信越トレイルの富倉峠がある場所の近くだ。例年になく東北でも北海道でもクマによる事故が起きているが、長野県も例外ではない。この秋、歩こうとしていた信越トレイルの続きは延期したほうがよさそうだ。この先のコースはブナの森、クマの宝庫だ。そこに今踏み込んでいく勇気はない。クマよけにラジオという定石も今では通用しないこともあるという。タケノコ取りに、迷子にならないようにラジオを灯台代わりにしてそこにザックなどとともに置いておくと、ラジオのところに御馳走があると学習したクマが寄ってくる場合がある。ラジオは万能ではないのだ。熊鈴は高い音の方が効果があ...臆病風?
10月のそば会。私を含めて五人の参加。座学は延し方の動画。ほんの数分だけれど、口頭で伝えるよりも分かりやすい。.今回初参加の人もいる。普段当たり前にやっていることでも初めての人に教えることで、改めて基本に立ち返ることができる。もう四年半近くもやっていると、マンネリというか、新鮮なトキメキがなくなって来ているような....。何か変えなくちゃ。そんな気持ちがある。そこで座学。そして、何より新しい人。さらに加えて、茹で方の実演と試食。家で打って持って行ったそばをみんなで試食。茹でる人が違うとそばの食感が違ってくることも体験。こんなことも刺激になる。来月にはおそらく新そばを打てる。楽しみだ。そして12月には年越しそば。のめり込み過ぎると急速に熱が冷めることがある。適度な距離を保ちつつ付かず離れず、がいいのかも知れ...十月のそば会
明日は月に一度のそば会の日。コロナ騒ぎの中で、そば打ちは続けたが、そばを茹でて食べることは自粛していた。その間にそば会に参加した人もいる。そろそろそばの茹で方の実演も必要だ。それに、ただ打つだけでは面白くない。しばらく前から、座学として映像で学ぶ時間も設けた。明日は試食会も加えよう。本当はその場で打ったみんなのそばを少しづつ試食するのがいいのだけれど、時間的にそうもいかない。そこで、事前に打って持っていくことにした。粉は黒耀。昨年の粉だが、専用の冷凍庫で保存しているのできれいな緑色。切ったそばは二つ折りになっているので、長さは約60cmのそば。食べるにはちと長すぎるが、長いそばも打てることを示したい。普段練習で使っているそば粉とは違って、田舎蕎麦風の黒っぽいそばが出来る。食感の違いも楽しんでもらおう。その...そば打ちとサツマイモ掘り
何気なく訊かれて考え込んでしまう言葉がある。「毎日なにしてるの?」リタイアしてから、決まったことをしていない。自由と言えば確かにそうなのだが、毎日自分は何をして過ごしているのだろう?後で思い返してみても、何をしていたのか数日たてば思い出せない。毎日を無為にやり過ごしているのではないか?自問自答してみる。年寄りには『教養』と『教育』が大事。ではなく『今日用』と『今日行く』が大事なのだと。やること、やらねばならないことがあるというのは幸せなことなのだな。自分に残された時間は限りがある。ならば、有意義に過ごしたい。そこで、毎晩その日の出来事を振り返ることにしている。簡単にOneNote(電子ノート)に記録する。その後明日の予定を考えてみる。中期の課題などもつらつらと考える。例えば今日。畑に行ってサツマイモのツル...毎日何してるの?
台風十九号の影響により千曲川が氾濫したのは2019年10月13日のことだ。明日で四年目。二年程前から堤防の強化工事をしている。そこはかつてのランニングコースだ。今はどうなっているのだろう?小布施橋の北側。向こうに見えるのは高社山。この辺りはもう工事が終わっている。以前は未舗装だった。桜の樹と同じ高さだった。これは反対側の北から南を見た場面。まだ盛んに工事が行われている。全体に1メートルほどかさ上げされている。堤防はここで終わり、一般道に出る。釣り人。ここが昔の渡し船の船着き場。川幅が一番狭まっている場所だ。ここで上流の水流を滞らせてしまい、ついに氾濫するに至った。人間の力ではどうしょうもない。神仏に祈るしかないのだろう。丁度飯山線のディーゼル車がやって来た。立ヶ花橋。目的地に到着。線路は続くよどこまでも。...あれから四年千曲川の堤防
今日村の保健師さんが訪ねてきた。健康診断の結果を持って。実は十月初めに結果が出るから、保健指導をするのでセンターに来て欲しいと言われてはいたが、「いいえ、結構です」と断っていた。説明が始まる。「血圧が高いですね。家でも測っていますか。」「はい、朝晩測って正常範囲です。あそこに行った時だけいつも高く出るんです。」診断結果は153/99。家で測れば130/80以下だ。「白衣高血圧という事もありますから、家で測って大丈夫ならいいですね。で、中性脂肪の方は?」「これはいつも高いんですが、あまり肉は食べないし、油物もそれほど食べない。運動もしている。」「何の運動をしているんですか?」「歩いたり走ったり、一日平均一万二千歩以上にはなります。たまに山に登ったり。これ以上どうしろと?」「そうなんですか。ところで、薬は飲み...検診結果
中学1年生の僕は毎日白黒テレビを食い入るように見つめていた。49年前の1964年10月10日。日本中の青空をそこに集めたような東京の国立競技場で東京オリンピックの開会式が行われていた。この大会でのマラソンのアベベ、体操のチャフスカが今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。10月10日はそれから体育の日になった。現在は曜日に合わせて日にちが変わるけれど、僕にとっては10月10日は動かすことのできない記念日なのだ。晴れの特異日でもある。秋の長雨の季節が終わる頃だ。ここから秋が本格的に深まっていく。借りている畑のヒマワリの片づけ作業をした。種は収穫して冬の小鳥の餌になる。茎は山形に積み上げて乾燥させて燃やす。今年いっぱいで畑を返すので一応草を刈り耕す必要がある。これが二面ある。今後は今年から借りたかなり小さな村民農園だけにな...10月10日
そばの会便りを毎月一回発行している。その中のコーナーにリレーエッセーがある。書き手をリレーして何か書いてもらうというコーナーなのだが、原稿用紙1~2枚程度のスペースしかない。短すぎて意外と難しい。毎回無理を言って書いてもらっているのだが、そろそろ自分も書かねばならないようだ。記事も書きエッセーも書くのでは全く独占になってしまうという後ろめたさも少しある。が、書かねばなるまい。今日は朝から雨。粗大ごみ回収や村民運動会の行事が終わってほっとひと息。あと21日の高社(たかもり)神社の例大祭で今年の自治会の行事もほぼ終わる。疲れを癒しに温泉保養。鍋焼きうどんの季節になりましたね。サウナにも入り水風呂にも入りました。そして、そこでエッセーも書きあげました。使い回してこのブログにもアップ。隠れ家毎日会社から帰ると約四...エッセー隠れ家
最近、ネットニュースで山の遭難や事故が異常に多い気がする。一体どうなってしまったのだ。非常事態ではあるまいか。最近のネットニュースは、その人が見た記事のデーターを解析して優先的にその傾向の記事を提示するのだろうが、それでも多過ぎる。このところ毎日数件以上の遭難や事故がある。身近なところでは戸隠の蟻の塔渡りで今日滑落事故があった。この場所は若いころ月に一度は登りに行っていた場所で、両側が深く切れ落ちている。200メートル落ちたそうだが、助からなかった。みんながみんなそうだというわけではないが、この時期の山を甘く見過ぎていないだろうか。山の上は既に冬山だと思った方がいい。五月の山もそうだ。天気が崩れれば冬山だ。かなり年配の登山者が事故を起こしている例が多い。年配だからと言って経験者だとは限らないし、経験者だと...一体どうなってしまったのだ
ゆらゆら揺れる炎はいつまで見ていても飽きない。小屋に薪ストーブを設置した。これまでのストーブはもう一回り大きかった。それだとすぐに温まり、あっという間に四十度近くまで上がってしまう。今年小さなキャンプストーブに変えた。外に持ち出しても使えるが今のところその予定はない。朝晩は結構冷えるので、火を入れて楽しんでいる。小屋は夏仕様から冬仕様に模様替え。机と椅子だったが、小さな平机に替えた。まだまだ余計なものがたくさんあって、もっともっとシンプルな小屋にしたいと思っている。何もない庵のような小屋で心だけは豊かに秋から冬を過ごしたいものだ。*****散歩の土手に最近咲いている花。ツリガネニンジン。刈られても新しく花を咲かせた。冬支度
秋。信州ではそばの花が咲いている。戸隠では一面に白いそばの花が咲いている。清楚で美しいのだが、香りはあまり良くない。はちみつもあまりおいしくない。僅かばかりだが、畑にそばの種を播いた。白い花を咲かせ、もうじき実が付く。三ヶ月で収穫できるのだ。別のところに赤そばの種を播いた。周りには白いそばの畑が沢山あるが、赤そばは珍しい。そば粉にするには少なすぎるので、観賞用だ。十一月になれば信州産の新そばが出回る。待ち遠しい。赤い花白い花
心安らぐ場所がある。東、南、北を山に囲まれた田園と果樹畑。ここは僕のグランドだ。坂道ばかりのこの村の中で、ほぼ水平の道が1キロ続く。横にそれると上り下りの道もある。ほぼ稲刈りも済んで、ハゼ掛けしているところもある。中には大型の稲刈り機で脱穀までして乾燥処理に回している田んぼもあるが、やっぱり天日干しがいい。弥生人の魂がそこに籠っている気がする。僕はここでランニングをする。農耕者以外はほとんど通らないし、人目も気にならない。太陽が斜めから射し、次第に弱弱しくなっていく。秋が深まり、やがて深い眠りにつく。その前の静かな田園のひととき。かたはらに秋草の花語るらくほろびしものはなつかしきかな牧水僕のほろびたものは何なのだろう、若く美しかった憧れなのだろうか。田園
急激に秋がやって来た。こんな夜は鍋がいい。白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり牧水そんな歌を思いながら、鍋をつついて酒ではなくビールを静かに飲んだ。二十代の前半に青年団体で一緒に活動した仲間が相次いでこの世を去った。ひとりは一つ上のひげの男性。その風貌から”麻原彰晃”と呼ばれていた。気のいい男だった。もうひとりは一つ年下の女性。利発で勝気な保育士の女性だった。「うちへお婿さんに来ない?と親が言っている」と言われたことがある。僕はその親に会ったことはない。「いいよ」と言っていれば違った人生もあったのかな。そんなことをしみじみと思いながら二人の冥福を祈ったのであった。白玉の歯にしみとおる秋の夜の
10月3日は”とお”と”さん”で登山の日だそうな。ブナの森と歴史が彩る関田山脈の尾根を伝い大河と火山が生み出した苗場山麓の大地を縫う全長110㎞の信越トレイルの旅、第一歩を踏み出したのは8月17日。斑尾山頂がスタート地点。この時は希望湖(のぞみこ)まで歩いた。アプローチも含めると22㎞、6時間半位の旅だった。信越トレイルは知る人の間では憧れのロングトレイルなのだろう。かなり遠いところから来た人の記録がヤマップでも見られる。もう少し早い時期ならば湿原は花盛りなのだろうが、この時はほとんど咲いていなかった。この時は袴岳の手前で反対方向から来る男性二人とすれ違っただけで、静かな山旅ができた。そして今日第2弾、希望湖から毛無山を越え、涌井集落まで歩いた。距離は7.1㎞。コースタイム2時間25分。スタート地点の希望...信越トレイル希望湖~毛無山~涌井
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願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃先日、内科で聴診器を当てられたとき、心音がおかしいと言われ、心電図とエコーの検査。脈が120あると言われ、不整脈も見られるし、心臓の弁からの逆流もある。このままでは脳梗塞の恐れがある。長嶋さんのようになると脅された。一日平均13,000歩ほど歩き、ハードなランニングもしていた。低山の山歩きもしていた。検査の前夜かなりの夜更かしもしていた。多分そんなことも影響していたと思うのだが、とにかく予防のために薬を処方するということになった。とりあえず行動は制限しないという。そんなことで、ハードなランニングは中断した。そして歩く際にも最大心拍数を気にするようになった。自然治癒力があるので、次第に良くなると信じているので、悲観はしていない。花の季節、穴場の花見処に。花の下で敷...花の下にて春死なん
松代町東条、あんず祭りが開かれていた。この辺りでは、更埴の森のあんずが有名だが、僕は30年近く前から、こちらのあんずの花を見に来ていた。祭も行われていなくて、一面にピンクのじゅうたんのようなあんず畑が広がっていた。尼飾松代町東条、あんず祭りが開かれていた。この辺りでは、更埴の森のあんずが有名だが、僕は30年近く前から、こちらのあんずの花を見に来ていた。祭も行われていなくて、一面にピンクのじゅうたんのようなあんず畑が広がっていた。尼巌(あまかざり)山と奇妙山という山が近くにあって、山に登りがてら花を見ていた。遠くに残雪の後立山連峰、特に秀麗な双耳峰、鹿島槍と、名主五竜岳が背景にある。ずいぶんあんずの畑が減ってしまったけれど、桜に先駆けて咲くあんずの花は大好きだ。あんずの花
待ちに待った春の妖精たちスプリングエフェメラル
前日の朝、重い雪が降った。暑さ寒さも彼岸までというが、最近の気象は油断が出来ない。打って変わって今日は、風は冷たいが、暖かい陽光が降り注いだ。あれから30年。新築の家の引き渡しの日。娘の卒園式の日。そして地下鉄サリン事件の日。色々な記憶がよみがえる。ともかくもあれから30年、何とか生きてきた。これから先、持ち時間はどれくらいあるのだろう。同年代の知り合いたちが次第に欠けていく。そういう年齢になったのだな。毎日が同じように見えても、いつの間にか世の中も人も変っていく。方丈記の世界。安かった野菜、コメを始め諸式が著しく値上がりした。珈琲豆も例外ではない。およそ1.5倍~2倍近くなった。それでも朝、夕には飲みたい。比較的安い豆を取り寄せた。5日分位づつ自家焙煎する。酒は飲まない、タバコも吸わない、パチンコもしな...春分の日
少し北に行くとまだ深い雪がある。これは飯山からの高社山。散歩コースに雪が解け始めた北斜面があって、そこでフキノトウを見つけた。これはもう散歩どころではない。両ポケット一杯になるまで採って持ち帰った。『そんなにいっぱいあればそばだな』カミさんが言った。今年初めてのフキノトウだ。天ぷらにしよう。異論はない。春の使者がこうして訪れた。春の使者に捧げるそば。これは気張らねばなるまい。このそば粉は手引きメッシュという超粗挽きのそば粉。これと『縄文』を1対3の割合で混ぜ、ここに繋ぎの小麦粉を1加えた。これはオリジナルブレンド。加水率が分からないので、勘で47.4パーセントで打ってみた。良きかな。こんな感じ。拡大写真。これからまた寒の戻りもあるだろう。春の来ない冬は無い。(だが、冬の来ない秋もないといつものように言うの...春の使者
体育の時間。毎日の時間割にある。1時間程度のウォーキング&ランニング。これは雪だろうが雨だろうが変更はない。わが村は西傾斜の村で扇状地なのでほぼ平らな道はほどんどない。我家から2キロほど坂道を登っていくとこんな景色がある。この地域は嘗て山持ちの家が多くてとても裕福だった。だが、輸入材が使われだして、林業は廃れていった。雪も多く、学校も遠くて、村に商店もほとんどなくなり、街への買い物も不便で、もっと街に近い場所に出ていく人が増えた。最近この場所で、横浜ナンバーの車が停車して村を見下ろしていた。都会では見れない風景。雪が降り出し風が吹いた。雪道だが、下りなのでここからランニング。凍ってはいないので滑ることはない。一息つくにはもってこいの場所。今では便もずいぶん減ってしまったけれどバス停だけは立派だ。避難小屋の...山村の冬景色
恒例の味噌作り。大豆は西山大豆。4キログラム。甘味噌仕立てにするので、工事は.5倍の6キログラム。塩は減塩で40%の1.6キログラム。ミンサーをセット。以前は足踏みでつぶしていたが、文明の利器を使用。麹と塩を合わせる。捏ねて団子にする。そば打ちの時の丸のしの技法で、手の平で強く押し付けながら中の空気を抜いて行く。上に塩を振り、和紙を乗せ、焼酎を吹いて完了。これで16キロの味噌が出来る予定。味噌の寒仕込みが終わったので、夜はそばでという要望が。丁寧に水回しをした。この時期のそば粉は、寒さに耐えながら甘さを増し、一番おいしいと思われる。なかなかおいしそうに撮れない。盛り付けがちょっと雑だったかな。この数日、大雪が降って、ネギはその下になってしまったので無し。代わりに長いもでとろろを作った。掛け値なしでおいしか...味噌の寒仕込み
テレビでソロキャンプなどの放映をしていることがある。『ぼっちキャンプ』などと呼ばれることもある。だが、この『ぼっち』という言葉が、一年半ほど前に中野市で起きたあの四人殺害事件のキッカケとなったことを考えると、これはもう禁句だなと思う。少なくとも自分では使わない。今の社会ではジェンダー平等とやらで、使えない言葉や使いにくい言葉がやたらと増えた。相手の人格や尊厳を傷付けないことが一番大事なことだと思うけれど、時と場合、相手との関係性によるところも大きいと思っている。そば打ちをしていて捏ねた生地の状態を瑞々しい柔肌と(恐る恐る)言ってみる。「あたしんのはまだ七十代だな」とご婦人が言う。「これが十八歳」と自分の生地を見せる。「それじゃ触れないな」と老紳士が言う。多分、時と場合によっては立派なセクハラなのだろうなあ...禁句
メディアの在り方が鋭く問われている。物事の真実よりSNSやメディアを上手く操った方が選挙に勝ってしまう。テレビ局の姿勢の問題も問われている。何よりも自分の信念を持ち、科学的な知見や常識を持ち、批判的に物事を見る事を忘れてはならない、と自分に言い聞かせる日々。長野駅前で通り魔事件が起きた。亡くなられた犠牲者の方にはご冥福を祈る。この田舎で事件が起きる怖さ。社会が酷く病んでいる。庭先にエサ台を設えてある。いつもはスズメやシジュウカラが主だが、最近はメジロも来てくれる。心癒されるひと時。そばの写真を旨そうに撮る、というのが今年のテーマ。粗挽きそば粉を打ったものだが、少しは旨そうに見えるだろうか。リタイアした身は自由で悠々自適の暮らしができると思っていたが、それはぼくらの世代の10年位前までのことだ。年金は減らさ...心癒されるひと時
味噌の寒仕込みの時期になった。材料の大豆の買い出しに西山地域へ出かけた。西山とは長野市の西側に広がる里山。そこは良い大豆が採れるので西山大豆と呼ばれている。この地域の代表的な山、虫倉山。山姥伝説の里。唐松から五竜へ続く稜線。遠見尾根の奥に後立山の盟主、五竜岳。双耳峰、鹿島槍。山村と後立山連峰。小さな縄文遺跡公園がある。住居跡。竪穴式住居。縄文。なんて魅力的な時代。一万五千年前から二千七百年前。弥生時代になり生産力が上がり、貧富の格差が出来始めた。それが現代では極限まで膨れ上がっている。現代は極めて野蛮な時代だ。目的の大豆は、昨年の天候不良で品薄だという。温暖化の影響がここにも。値段も一キロ百円位上がっている。昨年は五キロ購入したが、今回は四キロ。西山大豆はこれしか無かった。大豆は数年前まで栽培していたが、...西山大豆
山一つ越えた向こうの里に小さな山がある。名前は離山。少し離れたところにある臥竜山と対になる山で、こちらはあまり有名ではない。晴れた日、気軽に歩きに行くには格好の山。登り口。北側には雪が残って、近所の保育園の子供たちがそり遊びをしている。のどかな、のどかな山村の風景。尾根には雪があり、踏み跡はない。そうそう物好きはいない。子供たちの遊ぶ風景は平和そのもの。ここのほうがいいな。冬枯れの山は明るい。北アルプスの展望台。奥にはお宮(神社よりはお宮がふさわしい)一応お賽銭を入れて参拝。今では上流にダムが出来たが、かつては暴れ川であったであろう百々川(どどがわ)は頻繁に氾濫を起こしたのだろう。百々川の流域にできた二つの小さな山を、このような民話にしたご先祖様にはただただ感嘆するのみ。今はもう寒村としか言いようがないこ...里山に遊ぶ
「えーと、175-110、。念のためもう一度測ってみましょう。うーん、183-114、高血圧ですね。」いつも繰り返される村の健康診断風景。自宅では130-80以下がほとんど。最近でこそ家庭血圧が優先となってきたが、以前はそうではなかった。それでも、一応精密検査を受けてくださいと言われ、受けてきた。診断名白衣高血圧。そういうお墨付きを頂いて村の保健予防課に提出してきた。自分は精神修養がなっていないせいで、病院などで測ると高くなるのではないかとへこんでいる。気が弱かったり緊張しいの原因もそこにあるのではないかと。先日、高血圧予防教室があるので参加するようお達しが。3回あり、2回参加してきた。高齢者の9割が高血圧とか。色々怖い話も聞いてきた。その中で?と思ったこと。高血圧の基準がコロコロ変わり、今の値が信じるに...精神修養がなってない
サイバー攻撃とやらで、2日からGooblogにログインできなくなり、5日ころから繋がったが、いいねとか応援などのボタンが反応しなくなっていた。今日やっと復旧。さほどネット依存体質でもないので構わないと言えば構わないのだが、他の方がいいねなどを付けてくれていたので局所的な不具合だったのだろうか。そばの雑誌などで見る蕎麦の写真はとても旨そうに見える。もちろんそばそのものもすばらしいのだが、写真の撮り方にもよるのではないかと最近思っている。これは正月に打った粗挽きそばを拡大した写真。全体像の時はそばのみずみずしさや光沢、ブツブツ感、黒い斑点等がはっきり写らず、あまりおいしそうに感じない。これは食べても我田引水だが、最高級に旨かった。粗挽きのそば粉に他のそば粉をブレンドしたオリジナル。珈琲のブレンドと同じではとん...ブログ復旧&そばの写真
明けましておめでとうございます。昨夜の紅白の途中で、突然テレビの放送が途切れた。同時にネットも繋がらなくなり、電話も不通になった。みんな地域の通信情報会社経由。そこで不具合が起きたに違いない。自分はさほど興味もなく見るともなく見ていたに過ぎないが、カミさんはかなり怒っていた。1時間ほどして復旧したが、多くの家庭で見たい紅白が見れなくて困ったに違いない。復旧した後ネットのNHK+で紅白を再生してあげた。年初めの能登地震に始まり、冬場にボイラーが壊れ、初夏に冷蔵庫が壊れ、年末に紅白が見れない事態に見舞われた2024年が終わった。恒例の飯縄山登山。近年にすれば雪が多かった。ミッションの赤い前掛けをお地蔵さんに着ける作業は断念。フルにまた来よう。生憎富士山や北アルプスは見えなかったが、妙高、黒姫、戸隠の山々は良く...46年目の飯縄元旦登山
時代遅れの男になりたいという河島英五の歌がある。時には僕もそんな気持ちになることがある。東京都知事選で二位になった候補者、兵庫県知事選で再選された候補者、ともに僕には異星人のような違和感がある。共にSNSを駆使して票を集めた。当事者ではない僕が何を感じたか少しだけ記そう。真実が何なのか少し離れているだけによく見えていた気がする。だが、そのことに関しては黙していよう。多分気分を害する人もいよう。ただ、僕はデジタル社会の今の在り様がどうにもしっくりこないところがある。今から四十六年前、初めてマイコンというコンピユーターに触れた。日本語はカタカナしか打てなかった。記憶媒体もカセットテープだった。新しい技術というのは面白かったし、その後の進化に目をみはったりもした。それが、今やスマホに結実し、持っていないことで驚...時代遅れ
冷たい風が吹いた。山が美しく化粧した。吸い寄せられるように安曇野を目指す。鹿島槍爺ヶ岳五竜岳穂高神社七五三で賑わう人形の展示が面白い菊花展も開かれている安曇野行の目的の一つはわさび漬けを買うこと穂高神社の前の小笠原わさび店は一番のお気に入りの店松本から上高地に向かう途中に山の店、カモシカスポーツがあり、10日までガラクタ市が開かれている。定価の半額なので取り敢えず見に行く。これが第二の目的。定価18,480円のフリースが半額の9,240円で売られていた。ずいぶん軽くて、フード付き。汗が抜けやすいのでこれからの季節に活躍してくれると、ややためらいつつ購入。穂高神社は福岡あたりの海の民、安曇族がここに住み着いたのが起源だという。穂高岳という日本で有数の山岳が海と関わりがあるというのは面白い。安曇野
芸術の秋、食欲の秋、物思う秋、色々な秋がある。暑い日々の中をヨタヨタと走り続けてふと気づけば空気が乾き、樹々の葉が濃い緑色を失い始めている。この春から夏、僕は何を実らせてきたのだろう?無心に柔らかい葉を食し続けていた青虫がふと頭を上げて不安げに辺りを見回すように、心の中の深いところの湖を覗き見る。実りの秋とは言うもののつまるところひとつ歳をとったというだけのことではないのか。というように妙にシニカルでセンチメンタルな気持ちになったとき、ふとそば博物館に行ってみようと突然思った。『うん、秋の博物館、いいじゃないか』秋に博物館は妙によく似合う。戸隠にあるそば博物館とんくるりんは戸隠のメイン通りへ行く途中にある。いつもは横眼で見て通り過ぎるだけだった。今回は違う。じっくりとそばと戸隠の歴史について深く学ぼう。と...とんくるりん
さあ、日本政府もいよいよ核兵器禁止条約を批准する時だ。何かを選考するというのは、選考する側の見識も問われる。佐藤栄作元総理が受賞したときはまさか?と思ったが、今回はもろ手を挙げて歓迎する。日本被団協ノーベル平和賞おめでとう!
検察が上告を断念といううれしいニュースが飛び込んできた。弟の無罪を信じて戦い続けた秀子さんには本当に頭が下がる。人生の半分以上を費やして支え続けたことに最大の敬意とおめでとう!の言葉を贈ります。秀子さん長い間お疲れさまでした
西原容疑者の違法賭博問題に振り回された大谷クンも、その影響から抜け出して活躍を続けている。陰ながら応援している。心から良かったと思っている。同時に、高校時代から彼と同等の素質を持つと言われた藤波クンは今どうしているのだろうか。光と影ということだろうか。どうしても影の方に惹かれる性癖のある自分は成功者よりもその陰でもがく人々の方に興味を惹かれる。大の里も余りにも凄すぎて、応援の対象にはなりにくい。素質と体格に恵まれた人は勝って当たり前。小兵力士の業師の方が好きだ。それはともかく、僕にはどうしてもわからないことがある。西原容疑者の違法賭博問題である。マスコミは大谷クンの関与とか西原容疑者の逮捕や賭博依存症のことのみ報じるが、なぜ違法賭博の胴元のことを報じないのだろう?。違法賭博と分かっているなら何故そこが逮捕...そろそろいいだろうか
今村内は根曲がり竹のタケノコ狩りシーズン。あちこちに車が停まっている。そんな中、愛車のセローというバイクで笠岳に行ってみた。自宅は標高560メートル。目指すは2,076メートルの笠岳山頂。峠の茶屋から30分もあれば登れるが11分から15分くらいで登るのが常。結構急な階段がある。花。花。花。山頂。ここは360度の眺望。北アルプス、浅間山、横手山、岩菅山、上州の山々等々。埼玉の本庄から来たというご夫婦とすれ違う。昨夜は横手山のヒュッテに泊まったという。多分自分よりは年配の方だと思うが色々な山に登っているという。登りに45分かかってしまったと屈託なく笑う。日に焼けた顔がまぶしかった。横手山。岩菅山。このところ農夫に専念。村民農園を3区画借りて、草取りや苗の植え付け、種まき等をしていた。合間に体育の時間と称してジ...2,076メートル
宿泊したホテル朋泉草加は大きな看板もなく、派手なところのない自分たちにはとても好ましいホテルだった。ロビーで無料のコーヒーを頂き、ほっと一息ついた。無料のバナナも置かれていた。基本的にはビジネスホテルだが、男性用の風呂場があった。5人も入ればいっぱいだが、ユニットバスが苦手の自分にはありがたい。朝食付き、ツィンベッドの部屋で5,550円。とてもリーズナブル。朝食がとても素晴らしかった。作りたての暖かい丁寧に作られた和食。このほかにも別に好きなものを持ってこられる料理も用意されている。観光ホテルのバイキングに比べればこんなにうれしいことはない。ホテルの中にある居酒屋ならぬ居食屋で、夕食もここで食べられるらしい。古の旅人もこのような和食に舌鼓を打ったのであろう。この旅に先立って、宿泊処を色々調べた。街道筋で、...旅立ち日光街道2日目
日本橋の地に立つのは何度目だろう。江戸の旧街道の起点。我家は信州。日本橋まで行くのが一苦労。今回はマイカーで高崎。そこから電車で東京駅まで行き、徒歩で日本橋を選択。新幹線は貧民にはつらいし、そもそもこの旅にふさわしくない。トコトコ電車は軽井沢~横川間で分断されてしまった。24時間400円の駐車場も見つかったし、湘南新宿ラインを使えば安く行ける。生憎の小雨模様だが、江戸時代の旅人も雨の日だってあったし、これも風情。川のある風景。良きかな。浅草橋の先のお茶屋さんで休憩。これぞ浅草。これも浅草。インバウンドとか言うらしい。よくわからんけど。自分たちが、よその国に来たようだ。スカイツリーとか言うらしい。ワタシャ、東京タワーの方が好き。北千住の街。芭蕉の像。同じものでもワタシャこちらの方が好き。奥の細道ということは...旅立ち奥の細道へ
『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、』奥の細道の冒頭、『旅立ち』の一節。思い起こせば軽井沢追分から出雲崎までの北国街道を歩き、その後五街道の街道歩きを始めた。中山道を京都三条大橋まで完歩した感動は忘れられない。東海道は箱根...旅立ち
東日本大震災の翌日に信州の北部でも地震があり、栄村でも大きな被害があった。隣接する飯山市の西大滝地区にある地蔵七体のうち、台座を固めていない六体が南から東の栄村の方に向きを変えた。幸い大きな被害はなく「お地蔵さんが守ってくれた」と話題になった。その話は聞いたことがあるが、まだ見たことはなかった。今日それを見た。普通お地蔵さまはみんな前を向いて並んでいるものだが、端の一体を除いて一列縦隊に並んでいた。不思議な光景だった。もう二十三年前になるが、そのままだった。ただ、赤い帽子と前掛けは新しかった。それは知らなかったのだが、もう一つの不思議があった。それがこれだ。何と馬頭観音も同じく栄村の方を向いていたのである。ここは飯山市の北のはずれ、西大滝地区。西大滝ダムがある。JRの西大滝駅がある。そして『ばったり』があ...ばったり
漢字で書くと何とも優雅である。珈琲。coffeeともコーヒーともカフィとも違う。今ではコンビニでも安くておいしい珈琲が飲めるようになった。贔屓の引き倒しかもしれないが、1日に数杯飲むとががんや高血圧が抑制されたり健康増進に効果があるらしい。精神的にもリラックス効果があるし、飲み過ぎさえしなければ飲んだ方が良いらしい。これは珈琲の生豆。上はモカ。少し小粒。下はタンザニア。この豆を200gずつ、手回し式の焙煎器で焙煎している。焙煎後1週間くらいでフレーバーが抜ける。こまめにやるに限る。焙煎の度合いはミディアム。喫茶店で飲む珈琲もおいしいが、値段もばかにならない。その点、自家焙煎は格安で済む。確かに手間は掛かるが定職を持たない身、時間はある。何より楽しい。次はどの豆にしようか。珈琲
本日は4月のそば会。色々重なり参加者は3人。3人なら自分も打てる。そば粉は『縄文』。2人は二八で打ちたいという。もうかなりうまく打てる人たちなので十割で打ってみないかと勧めた。だが、まだ早い、自信がないという。そこで今回は自分が十割そばを打つことにした。2人が打った二八と食べ比べてもらうために、1人前ずつ持って帰ってもらった。『茹で時間は10~15秒。決して茹で過ぎないように!水で冷やした後氷水で締めて腰を出すように。十割は繊細なので雑に扱わないように。茹でたらすぐにたっべる様に。』細かい注文を出した。夜、自宅で十割そばを手繰った。(そばをたぐるという表現は粋だな)人にあげた蕎麦がどんなものか確かめる必要があるからね。問題なくうまかった。多分、その辺のそば屋では味わえない。コシがしっかりとある。濃厚なそば...たかが十割されど十割
山菜の天ぷらと手打ちそば。お店のように美しく盛り付けられてはいないが旨い。桜番付、西の小結。坪井の桜。樹齢600年以上。おやきと桜茶。坪井の桜(2)江戸時代初期の黒部のエドヒガン桜。いよいよ農園ライフが始まる。ザ・春!大分色あせてしまったけれど今も元気に泳ぐ手作りこいのぼり。春の端切れ
その集落には二世帯しか住んでいない。そのうちの一世帯はおばあさんの1人暮らし。もう一世帯が田んぼの会の会長さん宅でご夫婦の二人暮らし。田んぼの会は中山間地というよりもうまったくの山地にある田んぼを拠点にオーナーを募って活動している。田んぼからは見えないが、村の一部からは鹿島槍が見える。この村は桜が花盛り。会長さんはこの5月で92歳になり、奥さんは一つ年下だ。今年も田んぼをやるというので箱並べに行った。ここに籾を播いて芽を出させる。ここは大西の棚田といい、棚田百選にも選ばれている。『耕して天に至る』と刻まれた碑がある。棚田なので下から上まで耕すという意味と生涯耕し続けるという二つの意味があると思っている。苗は35日育てて田植えになる。少しずれるが5月25日に田植えと決まった。作業後の昼食は奥さんの手作り。懐...日本昔ばなしのような村で
昔から年賀状を書かないヒトだった。もらってもこちらからは出さなかった。そんなことが続くと、次第にもらう枚数も減ってきた。何も儀礼で出す必要もないし、年明けにすぐ会うような人に出しても仕方がない。そんな中で、こちらから出さなくても毎年必ず年賀状をくれる人が数人いた。根負けしてその人たちだけには出すようになった。それも書くのは年が明けた後だ。箱根駅伝を見終わった後、昨日休業していた温泉に行った。今年は辰のタオル。毎年干支のタオルがもらえる。お正月仕様の天ぷらうどん。これを食べるのが恒例。夜、年賀状を書いた。おめでとうと掛ける状況ではなくて、工夫がいった。昨日の能登の大地震。今日の羽田の航空機事故。新年に立て続けに起きた。どんな年になってしまうのだろう。『心配し過ぎない。頑張り過ぎない。自分にできることをやる。...年賀状
年明け早々の大地震。びっくりしました。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。明けましておめでとうとはとても言える状況ではありません。当地でも、緊急地震警報が突然鳴り響き、ややあって振幅の大きな横揺れがしばらく続きました。為す術もなく固まっておりました。今年で45年目になる飯縄登山に行ってきました。例年になく積雪が少なく、比例するように人影も少なかった。標識の飯の字がやっと出ているのが普通だったのに、暖冬、温暖化もここまで来たかとこれからの地球を案じざるを得ませんでした。お地蔵さんの前掛けも2枚取り替えてきました。下山後恒例の温泉に行きましたが、今年は31日、1日と休業。少し前サウナ小屋が火事になってしまったことも影響しているのかも知れません。明日明後日は箱根駅伝の観戦。終わった後は自分でもできるだけ動こ...45年目の飯縄登山
この三日間、そばを打っていた。そば会で年越しそばの指導をし、自宅で皆さんに配るそばを打った。新しく大きめのそば打ち台を作った。五人前でも余裕の大きさ。そば粉は高山製粉の最難関と言われる「玄挽」という粗挽き粉。太すぎず細すぎず、程よい切り方を心掛ける。ちなみに、カミさんは細い方が好き、私はやや太めが好き。全部で三十九三人前を打った。毎年楽しみにしてくれる人がけっこういる。簡単にヤメルわけにはいかない。午前中にそばを配り終え、ほっとひと息。静かな大晦日だ。年越しそば。おめでとう、タイガース。今年は孫たちも来なくて落ち着いた大晦日の夜。そばの会便りの新年号を作っている。編集長がいつか偏執長と脳内変換され、こだわり過ぎるなと警報音が鳴り響く。編集後記も編集後期と何やら後期高齢者を想起させるような言葉に変換。何しろ...静かに一年が終わっていく
朝に夕に眺める山がある。左と右がほぼ対称の優美な山。山頂が白くなっているのが飯縄山。右のピークは霊仙寺山。その中腹にスキー場がある。そこの白い雪形が、天空の城ラピュタの庭園で花や小鳥の世話をするロボットに見える。更に見ていると色々なものが浮かんでくる。今度は黒が主役だ。ロボットの顔と左腕の間に魚がいる。右腕と胴の間にニワトリがいる。左腕と胴の間にはペンギン。その右には蝶がいる。一度解析してしまうとそのようにしか見えなくなる。ひとつの場所にこんなにもたくさん潜んでいる場所が他にあるだろうか。それにしても今年は雪が少ない。元日はあの頂に登る予定だが、過去最少の積雪になりそうだ。自分へのプレゼント。普段履きの靴。山に行くときも、ランニングをするときも、街道歩きをするときも履いているのはトレランシューズ。二万円近...雪形
2018年1月4日、信州下諏訪からそれは始まった。信州から越後の北国街道、日本橋から京都三条大橋への中山道、そして東海道を歩き終え、次に選んだのは甲州街道。約210キロの旅。何回か歩き継ぎ、相模湖まで歩いた時、代風18号による小仏峠の通行止めで1年待機。そしてコロナ化による県外への外出禁止令。ようやく再開できたのは今年の春。小仏峠を超え、高尾の駅まで歩いた。次いで高尾から府中が前回。今度は府中から新宿駅まで。なお新宿から日本橋までは前回の東海道歩きで踏破してあるので、今回が最終章。距離は約18キロ。今回は青春18切符で立ヶ花から高尾経由で京王線飛田給駅までがアプローチ。5時55分の長野行はまだ明けない夜の中を律儀にやってくる。ここは飯山線。わさびそば。松本駅で乗り換え待ちの時間。ほっと一息つく。車窓から甲...甲州街道最終章