安倍総理の要請を受けて、全国の自治体や学校関係者が「一斉休校」の対応に追われるなか、金沢市長が「3月2日からの一斉休校を行わない」と表明した。会見後、文部科学省から休校措置に関する協力要請が届き、「今さら遅い」と困惑が広がる茶番もあったようだが、これが政府の実態の証明だ。日頃、煮え切らない発言が多い市長が、「市民の理解を得ることが出来ない」と、毅然と明言した態度に好感を覚えた。新型コロナウイルスの正体が見えないので、不安を煽っているが、社会活動を大混乱に陥れるほど、怯え、萎縮する必要があるのかを、冷静に考えたい。★見えざるウイルスに怯えるな!(前編)
安倍総理大臣は、26日に大規模なイベント等の中止・延期要請したと思ったら、翌27日「全国の小中高校の一斉休校」を指示した。高度な政治判断なので、私見を避けるが、社会全体が動揺している最中に、総理側近の補佐官が、26日に出版記念パーティを開き、記者団の質問に、「東北6県に感染者が出ていない」、「200人程の小規模」、「ほかの議員もやっている」と反論し正当性を主張した。26日は、「Perfume」や「EXILE」のコンサートが中止され、大勢のファンが泣いた。また、これを皮切りに、全国各地でイベントの開催中止・延期等が続出し始めたタイミングでもある。しかも、このパーティは、医療関係者が最も避けたいと指摘する「立食のビュッフェ」方式だったというから、言葉を失う。総理の側近が、長期休校で子供のストレスを思案する親の気持ち...★社会がパンデミックに?
安倍総理が、昨日、新型コロナウイルスの緊急対策として、大規模なスポーツ、文化イベント等の中止・延期・規模縮小等の対応を要請した。一方、国民側にも新型コロナウイルスの脅威に対する理解度が高まり、受け入れる土壌が出来つつあったので、開催当日に急遽中止になったイベントが相次いでも、冷静に受け止める人も多かった。しかし、「今後2週間」としているが、期間は沈静化の状況次第なので、業界団体や関係者は善後策に追われパニック状態に近い。厚労大臣の「検討」の段階から安倍総理の「要請」に転じた途端、世の中の空気の動きが一変したのだから、如何に総理大臣の言葉が重いかを痛感するが、当のご本人に一番、心得ておいて頂きたい。★言葉の重み
東京に出張した県職員が、コロナウイルスに感染し、帰宅後、子供に感染したため、子どもが通う金沢市内の中学校が二週間の休校措置をとった。また、3月8日に開催される予定だった「能登和倉万葉の里マラソン」が中止になった。北陸では、これからがマラソン大会のトップ・シーズンに入る季節なので、他の大会への影響が気掛かりだ。私は、3月22日の「福井足羽川ふれあいマラソン」と4月5日の「新潟ロードレース」にエントリー済みだが、5月以降の大会は、控えることにした。車がトンネルに入った時は、緊張し慎重に運転するが、出口が見えて来ないと、時間を長く感じる。政府にとっては、「不要不急の用事」でも、マラソン大会には応募締切期限があるので、沈静化する時期が気になる。"(-""-)"★新型肺炎の不安と余波(後編)
海外政府やメディアが、クルーズ船を「新型肺炎の温床」にした原因は、日本政府の対応遅れだと批判しているのに対し、日本政府は正当性を曲げない。私の素朴な疑問は、加藤厚労大臣や副大臣が、最初の段階で、現場を自らの目で見て対処策を講じなかった基本姿勢にある。3人の閣僚が、地元の新年会や表彰式等を優先した無責任さもさることながら、対策会議自体が情勢報告の場でしかないことを如実に物語っている。各種イベントの開催についても、必要性の是非を主催者側の判断にゆだねるというが、政府の責任回避の便法に過ぎず、各地で大規模なイベントが次々に中止や延期に追い込まれている。政府の主体的な姿勢と具体的な対策が不透明なままでは、国民の不安が拡大一方だ。★新型肺炎の不安と余波(前編)
静岡駅南口からシャトルバスに揺られて、約40分で日本平ホテルに着いた。標高308mに建ち、「風景美術館」と評される素晴らしい眺望を誇るホテルは、一昨年、久能山東照宮を山下から歩いて参拝した時からの念願だった。部屋の窓は、床から天井までサッシのない全面ガラス張りで、景色を遮るものがなく、雲海が墨絵のように広がっていた。翌朝、真正面に雪を頂いた秀峰富士山が姿を現した時、思わず、感嘆の声が漏れた。眼下に静岡市街地と駿河湾、三保の松原、清水港、左に東名高速と東海道新幹線が広がる大パノラマは、まさに風景美術館の名にたがわない絶景だった。今まで、御殿場や伊豆箱根、河口湖などから仰ぎ見た富士山を、ベッドの中から眺めた時の感動と満足感は、筆舌に尽くしがたいものだった。富士山を借景にしたレストランの朝食が美味かったことは言うまで...★駿府城・日本平紀行(後編)
2月16日、浜松マラソン終了後、空模様が怪しかったので、着替えをそこそこに済ませ静岡に向かった。昼食後、徳川家康が、今川氏の人質として幼少期(2~19歳)を過ごし、晩年、秀忠に家督を譲り、大御所として君臨した駿府城跡を訪ねた。降り始めた雨が強くなったが、駅北口から、駿府城公園までの約1.2kmを地下道とアーケードを利用すると、殆ど、傘をさす必要がなかった。しかし、広大な駿府城公園には、二の丸櫓や石垣、外堀が残っているが、天守台の発掘調査中で、往時の面影を感じることが出来ず、家康が駿府に拘った理由が分からずじまいだった。静岡駅に戻り、南口から出ているホテルのシャトルバスで「日本平ホテル」へと向かった。★駿府城・日本平紀行(前編)
東京マラソンの出場機会を失った一般参加者には、参加料の払い戻しがないのは当然だが、来年の参加資格が与えられるので、喜ぶべきだ。私は、昨年、千曲川氾濫で、須坂マラソンが中止になった時、同じ経験をした。市役所のHPには、当初、予定通り開催するとあったが、開催2日前に変更されたために、二軒のホテルのキャンセル代金も負担した。しかし、北陸新幹線が不通になり、現地に行く手段もなく、災害支援の一助と割り切った。また、2011年の会津若松鶴ヶ城マラソンでは、募集開始と同時にエントリーしていたが、東日本大震災の影響で、会場近くの宿泊先を確保できず、断念した。東京マラソンの場合、チャリティ参加料の扱いに関して、不満が出ているが、確定申告すれば、約半分の税金還付の可能性があり、全損にならない。マラソンランナーなら、開催費用に占める...★東京マラソン中止の場外編
日を追って、新型コロナウイルスの国内感染者が増え始め、新たなフェイズに入り、静岡から帰り、「東京マラソンの一般参加者レース中止!」を知った。さかのぼって2月15日、北陸本線特急「しらさぎ」に乗り、米原で東海道新幹線(ひかり)に乗り換え、名古屋でもう一度、同じホームで新幹線(こだま)を乗り継いで浜松に向かった。毎年、名古屋で下車し、昼食をとってから新幹線で浜松に向かっていたので、時間がかかったが、名古屋駅構内の雑踏を避けることができた。こだまの車内は空席が多く、外国人観光客にも会わなかった。総理大臣が、ご飯論法で誤魔化し、不規則発言で陳謝する政府に大切な命を預けるより、大げさでも自己防衛に努めた方が「備えあれ憂いなし」で賢明だ。★第16回浜松シティマラソン(後編):備えあれば、、、
レース当日の2月16日の朝、窓ガラスを打つ雨音で目を覚ますと、予報が的中し、外は土砂降りだった。早い朝食を終える頃、雨脚が弱くなったので、会場まで行って、棄権するかどうかを決めることにし、レースウエアの上から雨合羽を着込み、バスで会場に向かった。雨を避け、トレッチで体をほぐすうちに小降りになったので、雨合羽を脱ぎ、スタート位置に並んだ。午前9時のスタート時には、雨がほとんどあがったが、体が思うように動かず、昨年より2分程悪い37分35秒でゴールした。レース後から、ふたたび雨が降り始め、JR静岡駅に着いた時には、本降りになっていた。1月の武豊町ゆめたろうマラソンの時と同様で、「晴れ夫婦」のジンクスは、レース限定のように感じた。★第16回浜松シティマラソン(前編):ジンクス
第16回浜松シティマラソンに参加するため、明日の早朝、金沢を発つが、いつになく、気が重い。参加者の中に、新型肺炎の”隠れ感染者”がいないとも限らないし、とりわけ、感染しやすい「高齢者で持病がある人」に該当するので、なおさら不安になる。スタートするまでの時間帯に、マスクを着用しようかと考えているが、当日、雨の予報が出ていることも手伝い、「棄権」の二文字が頭をよぎる。心配すればきりがなく、何もできなくなるが、コロナウイルスの感染経路が不明なところが不気味で、ストレスを高める。★気が重い!第16回浜松シティマラソン
テレビのバラエティー番組ランキングで、「ポツンと一軒家」が高視聴率との新聞記事に興味を感じ、9日の夜に初めて視聴した。見事に期待を裏切られて失望したが、反面、日本が抱える課題を垣間見た気がした。経済成長と文明の発達は、自然破壊と家族崩壊をもたらしたが、IT・IOTが、その狭間を埋め、都会のストレスから逃れることを可能にした。自然豊かな環境の中で、不自由を意に介さず、自給自足の生活を楽しむ姿は、豊かさの尺度を問いかける。また、「オフグリッド生活」に憧れる人が増えているのも背景が同じように感じる。この国の原風景へのノスタルジーにも映るが、私には到底、真似できないし、真似たくもない。結局、高視聴率の理由が分らなかった。★ポツンと一軒家:不思議な人気
2月16日に開催される「第16回浜松シティマラソン」のゼッケン類が届いたが、新型コロナウイルスの影響が及ばないかと思うと、気合が乗ってこない。一番の原因は、WHOの動静を待つ政府の対策が後手後手に回っているからで、中国以外での感染者数では、日本が断トツに多いにも拘わらず、国民は安心できない。WHOは、風評被害を避けるため、正式名称を「COVID-19」と命名したが、SNSやメディアが必要以上に微細な情報を流すので、余計なストレスを生む。これから、花粉症やインフルエンザがピークを迎える時期でもあり、旅行に出かけるのすら、躊躇してしまう。★第16回浜松シティマラソン
数年前から、ほとんどの大会で妻の後塵を拝するようになり、会場についたあとは、すべて別々のメニューで行動するようにした。まさに、”集団の中の孤独を味わう”マラソンの醍醐味で、自分自身を冷静に見る良い機会になった。スタートラインに並んでいる間に、色々なことを思いだすが、過去を振り返ればキリがない。思い出を捨てないと、新しい夢を担ぎきれない。古希を迎えた時、「過ぎし日の記憶にすがり老いるならまだ見ぬ夢を追いて走らん」と詠んだ。喜寿を迎えるにあたり、「過ぎし日の記録をすべて捨て去りて見果てぬ道を探し進まん」と詠み替えた。これからは、スタート位置に並んだら、般若心経を唱え、「同行二人」のレースを楽しむつもりでいる。★プラチナ・ランナーの軌跡⑪フィナーレ
手元に残っていた記録証は、フルが24枚だったが、記憶によれば、他に6レース出場している。更に、ハーフ1・10㎞1を加え、8つの幻のレースがある勘定だ。自分の意思でゼッケンを外すのを棄権、競技条件をクリアできないのを失格とするなら、「棄権6、失格2」になる。二つの失格は千歳マラソンで、棄権の6は、フル4、ハーフと10㎞各1だが、ハーフと10㎞はオーバーペースによるもので、未熟さを晒した。しかし、4つのフルは、木津川では2回とも30㎞、弘前では32km、東京では25km地点でギブアップしたもので、体調や気象条件よりも、走る気力を喪失した結果だった。幻のレースを通じて、マラソンを完走する極意は、「完走したいと思う心の強さ」にあることを学んだ。★プラチナ・ランナーの軌跡⑩幻のレース
私のマラソン美学は、「フル6時間、ハーフ3時間、10㎞90分」以内なので、一昨年、金沢マラソンでフルを最後にし、昨年から10㎞以下のレースに集中したが、その砦を脅かされそうになってきた。2019年9月29日の「塩尻ぶどうの郷ロードレース」は、レース自体、悪い出来ではなかったし、ゴールしても余裕が残った。しかし、計測タイムは1時間25分15秒で、ワースト記録を更新し、「90分以内」の危険水域に近づいてきた。7㎞地点の関門(1時間)を30秒前に辛うじて通過したが、陸上競技場に入ると、「ゼッケン1049番をつけた最終ランナーが間もなくゴールします。盛大な拍手をお願いします!」と、場内アナウンスが流れた。ゴールテープが張り直され、優勝者さながらに拍手に迎えられたが、生まれて初めて最下位を味わった。本人の意識と結果のギャ...★プラチナ・ランナーの軌跡⑨不名誉なレース
200をこすレースにまつわる思い出となると、快走した時よりも苦い思いをした時の方が多い。JAL千歳マラソンは、記録証が10枚(フル1、ハーフ9)残っていたが、まぼろしのフルが二つあって、いま思い出しても赤面する。一つは、関門の制限時間に間に合わず失格し、もう一つは、完走したが途中のコースを間違えて失格になったもので、翌年、3度目に「4時間28分45秒」で、辛うじて無念を晴らした。言い訳すれば、当時のルールは現在よりも厳しく(39㎞5時間⇒現在5時間40分)、コースも違った。その後、開催時期も変更(9月⇒6月)になり、ハーフに転向して妻と一緒に走ることにしたら、2年連続で土砂降りにあい、走友から「雨夫婦」と揶揄された。「3年連続で雨だったらもう出ない」と決めて臨んだ2010年。晴天に恵まれ、新緑の国立公園を走る魅...★プラチナ・ランナーの軌跡⑧JAL千歳マラソン
ラン&ウオークのゴール地点のカピオラニ公園まで並走した妻と別れ、坂を上る頃から応援の数が減り、日の出とともに暑さとの戦いになった。折り返し地点では気温が30度を超え、復路は暑さと筋肉痛に耐えながら、歩いたり走ったりして、ゴールしたが、完走した達成感は無かった。翌日、ハワイ島観光が組まれていたが、歩く元気もなく、ホテルの部屋のベッドで寝転がり、妻の帰りを待っていた。この時の記録「5時間46分32秒」は、2018年の「第4回金沢マラソン」まで不滅のワースト記録になった。3度目の2003年では、本番の数日前に開催されるカピオラニ公園を周回するペアマラソンに妻と出場したら、フランク・ショーターやメアリー・デッカーと一緒になり、夢のような時間を貰った。私のフルマラソンは、異国の女神のいたずらで始まり、生まれ故郷の金沢で幕...★プラチナ・ランナーの軌跡⑦ホノルルマラソン(後編)
法隆寺ハーフマラソンは別格として、二番目に思い出深いのは、初フルとなった「ホノルルマラソン」で、きっかけがユニークだった。1998年。通っていたフィットネス・クラブが企画した「ホノルルマラソン招待キャンペーン」に面白半分で応募したら、くじ運の悪い私が当選した。(^_-)-☆妻は、観光気分で便乗し応援ツアーに加わり、10㎞のラン&ウオークに出たが、私は54歳で走り始めて1年足らず。しかも、3月に初めて10㎞のロードレースに出場しただけの未熟者だった。準備期間の3か月間、自己流の猛練習を重ねたが、不安を抱えたまま12月13日を迎えた。午前5時、打ち上げ花火とともに3万人のランナーから歓声があがり、スタートする光景は噂にたがわぬ大イベントでテンションの高まりを抑えられなかった。スタート地点のアラモアナ公園からワイキキ...★プラチナ・ランナーの軌跡⑥ホノルルマラソン(前編)
★プラチナ・ランナーの軌跡:⑤斑鳩・法隆寺マラソン(3/3)
サプライズ企画を企てたのが誰かは、薄々、察しがついたが、つき止める気はなかった。遡ること2年前、ひとりの課長が「20世紀最後の記念に何かに挑戦したい」と言うので、一緒にマラソンを走ろうと誘ったら、彼は、翌日からジョギングを始め、初フルが私と同じホノルルマラソンになった。その後、彼はサブスリー・ランナーにまで成長し、奥さんと、当時1歳と3歳だった息子さんも加わり、マラソン家族になった。数年前、4人で完走した写真を添えた年賀状が届いた時、本当に嬉しかった。私が、退職直後に病いに倒れ、長いブランクから復帰したのを知って、2003年11月の「大阪・淀川市民マラソン」に、かつて法隆寺を走った仲間を集め、私の快気祝をしてくれた時、長い間の謎が解けた。「人生はマラソン」の譬えは、レースを山あり・谷ありになぞらえてのことだが、...★プラチナ・ランナーの軌跡:⑤斑鳩・法隆寺マラソン(3/3)
★プラチナ・ランナーの軌跡:④斑鳩・法隆寺マラソン(2/3)
私は、会社を辞めることを口外しなかったが、株主総会の議案で嗅ぎつけた誰かが画策したらしかった。有志(約50人)の大半が「にわかランナー」で、それぞれ走力見合いの種目に出場し、レース後に法隆寺前の料理屋で、打ち上げパーティを用意していた。1,000人に見送られるより、50人の心こもった気遣いに、覆面送別会として妻と共に料理と酒に酔い、人の心に酔いしれ、会社主催の送別会を辞退した。今もなお、思い出深く感じるのは、彼らの温かい心根だけでなく、これを契機にランニングを続ける仲間が数多く誕生したことだった。一方、私はサブフォー目前で、充実したランニング生活を送っていたが、2か月後、東欧旅行の最中に病いに倒れ、ブダペストの病院で長い入院生活を余儀なくされたので、まさにこの世は一寸先が闇だと思う。★プラチナ・ランナーの軌跡:④斑鳩・法隆寺マラソン(2/3)
★プラチナ・ランナーの軌跡:③斑鳩・法隆寺マラソン(1/3)
200近くのレースそれぞれに、それなりの思い出があるが、どれか一つを選ぶとすれば、2002年2月11日に開催された「第31回斑鳩・法隆寺マラソン」をあげる。世界文化遺産に登録された法隆寺をはじめ、史跡藤ノ木古墳、法輪寺、法起寺など歴史・文化が息づくいかるがの里を巡るコースの魅力もさることながら、私の人生のターニング・ポイントでもあった。4月に36年間のサラリーマン生活を卒業するつもりで、大好きな奈良の町を夫婦で走り、奈良ホテルで夕食をとる計画をたてた。レース当日の朝、会場に着いた頃から雪が降り始め、道路が白くなるのを見て、棄権しようかと相談していたら、法隆寺前に会社の仲間が集ってきた。全員、ランニング・ウエアを着こんで、挨拶代わりに「一緒に走りますよ!」と言われた時、熱いものがこみ上げてきた。★プラチナ・ランナーの軌跡:③斑鳩・法隆寺マラソン(1/3)
書籍や旅行写真類を含め、大抵の身の回り品は昨年暮れまでに処分したが、生きる証ともいえるマラソン大会の記録証だけは、記念に残しておいた。あらためて記録証を読み返すと、裏面に反省点をメモっており、その時その時のレースの思い出とだぶり、片付け作業の手が重くなった。そこで、22年間のレース記録表を作成して残し、あとは廃棄することにし、思い出深いレースをいくつかブログにアップすることにした。すると、完走記録証が残っているレース数は196で、種目別には、フル24回、30㎞6回、ハーフ67回、10㎞73回、その他26回だった。次回以降、思い出深いレースを振り返り、エピソードを添えて綴っていきたい。★プラチナ・ランナーの軌跡:②歴戦のデータ
ゆめたろうマラソンでは、距離が短い2マイルにも拘わらず、レースの途中で足元がふらつき、呼吸が乱れる場面があった。トレーニング不足を棚に上げ、「レースに出場できるのはいつまで?」と考え込んでしまった。限りある時間だから、直近のレースを精一杯、満喫しようと思っても、元気な頃の記憶を断ち切れない。ついては、今年7月に喜寿を迎えるにあたり、22年間のランニング生活に関する記念品や完走記録証などを全て廃棄し、新たなスタートを切ることにした。★プラチナ・ランナーの軌跡:プロローグ
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