chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 https://blog.goo.ne.jp/seikannamo

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思ってい

唯識に学ぶ・誓喚の折々の記
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/11/27

arrow_drop_down
  • 唯識入門

    今年もあとわずかの時間になりました。ブログも長い間綴っておりませんでしたが、ここにきて、また書こうかなという気持ちが生まれてまいりました。それは僕の気持ちを揺り動かせてくれた人との出会いが大きいと思います。私は、私の力で、私の意識で何事も推進できると思い込んでいますが.,私の力ってほんの微々たるものです。それは人との触れ合いの中で教えてもらいました。触れることの大切さを再認識させられた今年の後半期でした。人との触れ合いの中で、喜んだり、悲しんだりという感情が生まれてきます。喜怒哀楽という感情ですね。この喜怒哀楽は自分の内面から生じてくるわけですが、内面を見せてくれるのが触れることに由るわけですね。唯識は、触れることに於いて感情が生まれ、言語活動を通して意識が働くと教えます。つまり、何に触れるかが人格形成に大きな...唯識入門

  • 唯識入門

    おはようございます。昨日は認識はどのような構造で成り立っているのかを簡単に説明しました。つまり、眼が対象に向かって、対象を捉えた時に認識は意識の上に登ってくるのですね。ここに、捉えるべき眼と、捉えられる物と、知覚する意識が一つとなって、私たちの認識は起こってくるのだと、このようなことを述べました。ここに、私たちはどのような間違いを起こしているのかを護法菩薩にお聞きしますと、対象は眼の外に存在しますから、外境と言い表しています。この外境は、意識の働きと同じように、固定的・実体的に存在し、その外境が意識に働きかけてきて、私の心が波打つんだと執しているところから誤りは起こってくるといいます。それは自分が勝手に作り上げた世界だと。しかし、これが私の実体なんですね。ですから、ここから逃げるのではなく、ここを立脚地として、...唯識入門

  • 唯識入門(3)

    おはようございます。一週間あっという間ですね。そして年末も押し迫ってまいりました。慌ただしくお過ごしのことと思います。本年最後のブログになりますが、来年度も引き続きよろしくお願いいたします。「唯識入門」といえ、かなり難解な熟語が出てまいります。出来るだけ現在の言葉に置き換えてご理解していただけるように努力を重ねてまいりますので、よろしくお願いいたします。仏教といえば、すぐに「悟り」を連想されると思いますが、唯識は、初めから悟りを目指すのではなく、悩み、苦しんでいる(苦悩の群萌)に対して、正しい仏教理解をしていただけるように、心の構造を開いて、先ず、理解を深めていただきたいと願っているのです。私が、苦しんだり、悩んでいるとき、何に苦しみ、何に病んでいるのか?あまり深く考えたことはないようです。それは「私という存在...唯識入門(3)

  • 第一回目 『唯識入門』講義全文掲載

    唯識入門今回は2012年にお話させていただきましたところから、抜粋して投稿します。『成唯識論』講義第一回この『成唯識論』、唯識を学ぶという入門講座について前々回の往生礼讃の会の後にこちらの住職からお話をいただきました。自分にこのような大役が務まるのかどうか全く未知の世界で、まだ人前で長い時間お話をしたことがないことがありまして、随分考えさせていただいたのです。私は、自分自身が問いをもって自分自身が答えていく、そして自分自身を明らかにする、そういう歩みをしたい、とずっと前から思っておりました。そしていつかは自宅を開放してでも一度『成唯識論』というものを読んでみたいとも思っておりましたので、ご住職が仰ってくださったことにたいして、甘えさせていただこうと思った次第です。また、私から話を聞いていただくということで非常に...第一回目『唯識入門』講義全文掲載

  • 唯識(ゆいしき)認識の構造

    おはようございます。一週間あっという間ですね。今日は師走も半ば、何となく気持ちが焦っています。前回の記事に対しまして、漢字が読めない、意味が分からないという指摘を受けました。ありがとうございます。前回につきましてはコメントで対応させていただきました。今回より、出来る限りフリガナを付けるようにします。タイトルの唯識(ゆいしき)についてですが、唯(ゆい)は、ただ、二つ並ぶことの無い、唯一無二(ゆいいつむに)を表します。識(しき)は認識を起こす働きです。認識はどのように成り立っているのか、簡単に説明しますと、認識が成立するためには、認識する側(能動体)認識される側(受動体)がマッチしなければなりません。そして認識を起こす根拠として、普通は六識が考えられています。このことが、私の精神構造のすべてであると教えているのです...唯識(ゆいしき)認識の構造

  • ブログをはじめるにあたって。

    今日は。ブログは2009年より綴って最近に至っていますが、初めの投稿から少し自分を見つめ直したいという思いから、Twitterと連携して週一のペースで更新できればと思います。先ず初めに、「生きること」のプロローグを書いてみます。「私が本当に大切にしているもの。人それぞれ違うでしょうが、月並みに「幸せ」でありたいと思っているのではないでしょうか。私も「幸せ」でありたいと思っています。しかし現実は自分の思いとは裏腹に一向に幸せ感が達成できません。せれどころか、いちばん嫌だと思っているいざこざが絶えないのが日常の在り方です。何故なんでしょう?ではなぜ思いと違った方向に行くのでしようか。心の闇と一言で片づけるには、大きな問題が横たわっています。闇の問題は、自分を大切にという思いから、他を大切にしていない事実が浮かび上が...ブログをはじめるにあたって。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、唯識に学ぶ・誓喚の折々の記さんをフォローしませんか?

ハンドル名
唯識に学ぶ・誓喚の折々の記さん
ブログタイトル
唯識に学ぶ・誓喚の折々の記
フォロー
唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用