おはようございます。唯識を学ぶ上で、どうしても避けてはならないところがあります。例えば、本識(阿頼耶識)と転識(前七識)との関係、或いは、表層の前六識と深層の二識との関係、表層でも、第六意識と前五識との関係ですね。そして、何が一番大切なことを教えているのかといいますと、第八阿頼耶識の行相・所縁です。行相は行相見分といわれていますので、阿頼耶識の積極的な動きであり、所縁は対象。阿頼耶識は何を対象としているのか、ここははっきりとしておかなくてはならないところです。少しづつ説明していかなければなりませんが、その前提となる種子(しゅうじ)。法律の場合は(種子)しゅし、ですが、唯識ではすべては阿頼耶識の中から生み出されてくる因として(種子)しゅうじを考えています。定義は「本識の中にして親しく自果を生ずる功能(くうのう)差...唯識入門(13)
今日はもう一題投稿します。この種子―薫習-現行は同時に起こってきます(三法転展同時因果といいます。)現行されたものが種子となり薫習され、薫習されたものが縁にふれ現行されてくることから、三法は同時に起こっているのです。私たちは本当に一期一会の時間を与えられていることがよくわかりますね。末那識とは、manasuマナスの音写なんです。定義としては、「思量するをもって性とも、相ともなす。」といわれています。何を思量するのかといえば、我を思いつづける、我の思いどうりにしたいと寝てもさめても思い続けるということを本質としているということなんです。この思量されたものが、阿頼耶識に蓄えられて、意識に上り現実の行動となって現れてくるのです。人間にとって一番大切なことはこの末那識の転換ですね。転換とは、知ることなんですね。自我意識...唯識入門(12)
おはようございます。気持ちの良い朝ですね。来週は雨の日が続く予報がでていますが、暖かいみたいです。「ただ識のみあり」と断定しますと、何もないのかという疑問が出てくると思います。外界にはいろんなものが存在するではないか、それを「無」というのには合点がいかない。僕もそう思っていました。言葉を足しますと、外界は確かに存在する。しかし実体的、固定的に存在するのではなく、私が認識しているような外界は存在しないと教えているんだろうと思います。意識はどのような動きをしているのかといいますと、表層の前五識に影響を与え、深層意識に経験値として蓄積する働きを持っています。つまり、外界が問題ではなく、意識の本質と動きが私という存在を生み出しているといっていいんではないかと思います。難しい言葉でいいますと、「了境為性相」(りょうきょう...唯識入門(11)
唯識入門も10回目の投稿となります。安田先生は、「分からなくなったらはじめにかえる」、と教えてくださいました。少し戻って唯識の全体像を見ていきたいと思います。唯識は、2000年以上も前から仏教の世界では連綿として伝わってきた思想です。唯識とは、「ただ識のみあり」、私たちが認識を起こし感情を持つのは、認識作用である自分の心だけであるということを教えています。対象に触れる作用です。触れるとそこに心が揺り動かされ、自分という認識のフィルターを通して、自分の心にインプットしていきます。この作用が自分という一個の人間の人格を形成していくのです。「ただ心のみがある」とはどういうことでしょうか。私たちは私と周りの外界(環境)、あるいは私と私とは無関係に存在すると考えている外界の二つがあると考えています。所謂、主客二元論です。...唯識入門(10)
おはようございます。昨日は、僕の一言で大切な人の心を傷つけてしまいました。後悔先に立たずですが、思考と意思決定は、過去に自分が何を考え、どのような行動をとってきたかに由るわけです。現在の行動は、自分はこのようなことを考えていたんだなと、教えられるのですね。こうのように書いている瞬間もうすでに過去の出来事なんです。何回も同じことを言いますが、現在は過去の集大成であり、未来は現在の集大成であるわけです。同じことの繰り返し、同じことの過ちを犯してしまうのは、何を基準として日暮をしているのかに関わってきます。金子大栄師は「人生をはやり直しはできないが、見つめ直すことはできる。」と教えてくださいました。これは、自分の依り所、自分の立ち位置を確認しなさいということなのですね。ここで云えることは、人生には師が必要であるという...唯識入門
おはようございます。お正月休みもほとんどの方が今日までですね。土日が重なったこともあり、長い連休になりました。お疲れ様です。さあ、一年の始まりです。ある人のブログを拝見させていただきまして、感じさせられたことは、お仕事に取り組まれる姿勢が素晴らしいんです。考え方や、人と接するときの気遣い等、お若いとは思えないほどしっかりされています。これからも頑張ってほしいです。私たちが日常、良いこと、悪いことの判断として、他人に迷惑をかけることが悪、他人に良い影響を与えることが悪と、大雑把にいえばこういうことになるんだ労を思います。ところが、仏教では善・悪は他に対してではないのですね。簡単違説明しますと、『善は私たちにとって大切な行為ですが、本来、自身が涅槃に向かう道なんです。それと共に他を利する道でもあるんですね。涅槃はニ...日曜雑感
今晩は、箱根駅伝興奮しましたね。東海大の二連覇ならず、青学が制しました。前評判はあまり高くなかったけれども、チャレンジャーの気持ちが前面に出ていましたね。創価大も初シードおめでとう。熾烈な戦いでしたが、選手も、スタッフも、応援団も、地域のボランティアの方々も、人と人とのつながりの大切さを学びました。この学びが、人生を生きぬく上で大きな役割を果たしてくるのですね。このような活動の積み重ねが大輪の花を咲かせます。『大乗阿毘達磨経』にですね、「無始時来界」(始めなき時よりこの方界たり)と説かれています。界は「因の義、種子なり」と説明がありますが、今、私は何を成しているのかが、それが将来の結果を引き起こしてくると教えているのですね。仏教では、善の方向、悪の方向に分かれて説かれます。善は、心の平安が保たれ、空しく過ぎるこ...唯識入門
皆さんこんにちは、今日はお正月の風物詩、箱根駅伝が始まっています。さて往路優勝はどこの大学が制するのでしょうか。興味津々です。唯識(ゆいしき)というと、何か雲を掴むような話ですが、皆さん、いろは歌をご存知ですね。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」。漢字を添えますと、色は匂えど散りぬるを(諸行無常)わが世誰ぞ常ならむ(是生滅法)有為の奥山今日越えて(生滅滅已)浅き夢見じ酔いもせず(寂滅為楽)となります。すべてのものは、縁によって生じ、縁によって去っていく。すべてのものは移りお変わっていき、ひとつとして実体的に存在するものは無い。自分という存在を考えてみよう。自分という存在が一人で存在することは不可能である。関係的存在として、関わり合いの中で助けたり、...唯識入門
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。私たちは、生まれてからこの方、私と、私を取り巻く環境と、私のものという存在が有ると信じて疑いません。論者は問いを提起します。「もし、私(我)と、私を取り巻く環境と、私のもの(法)という認識と存在が、ただ、心の働きだというのであれば、どうして世間や経・論・釈の聖教に我・法が存在すると説かれているのか」と。慈恩大師は「唯(ただ・ゆい)は境(対象・相分・ノエマ)の有(実体的存在)を遮す(否定する)。有に執(執着)するものはその真(本当の在り方)を喪う(そこなう。失う)。」と解釈されています。世親菩薩は「仮の存在・仮の認識に基づいて。我・法があると説く」と答えられます。仮の存在、仮の認識という、「仮」が大事な意味をもってきます。すべての存在は一瞬たり...唯識入門
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