おはようございます。前回では、何を以て種子とするかについて大切なところを述べました。種子について、護法菩薩は、人間は本来的に持つ一面(本性住種・ほんしょうじゅうしゅ)と、生活を通して吸収し取得していく一面(習所成種・じゅうしょじょうしゅ)とがあって、二面が備わったのが現実の生きざまであるという人間観を確立されたのです。『大乗阿毘達磨経』には、因果の性質を、「更互(こうご)に果性(かしょう)と為(な)り、亦常(またつね)に因性(いんしょう)と為(な)ると。」と、説かれています。同時因果の教証になります。また、「有情(うじょう)は無始(むし)の時より来(このかた)種々の界(かい)有り。」とも説かれ、「界と云うは、是れ因の義。即ち種子識にして、」種子とは因性なんですね。この因相を、本頌では「一切種」といっています。『...唯識入門(17)
おはようございます。あいにくの空模様です。午後から荒れ模様だそうです。お出かけされる方は気を付けてくださいね。今回は前回に述べました第一番目の刹那滅と第三番目の恒随転を結ぶような形の第二番目の果倶有(かくう)について考えます。言葉の難しさを感じます。どうしても、種子・現行・熏種子(くんじゅうし)と並びますと、それぞれが別に動いていると思ってしまいます。しかし、そうではなくて、現行の一つの側面を言い表しているのですね。現行は種子から引き出され、引き出された現行は、そのまま阿頼耶識(あらやしき)に熏習(くんじゅう)されているということです。深層の阿頼耶識の循環によって、私の生活は成り立っていることを教えています。縁に伴ってということがありますが、厳密には、その縁も自らが引いてきたことなんでしょうね。種子を因として、...唯識入門(16)
今日は、来週からまた初春の陽気になるそうですが、雨模様みたいです。今日明日はまだ冬型ですね、寒いです。前回から種子について考えていますが、少し論題から離れてですね、地獄・極楽を死後の世界と捉えると、死後の世界なんて信じられへんという返事が返ってきます。地獄・極楽は両極端のように聞こえますが、そうではないですね。地獄は極苦処とも、奈落(金輪際)ともいわれて、暗闇の世界を表しています。極楽はどうでしょうか。ネオン輝く繁華街を思い出してください。竜宮ですね。共に、自己を振り返る余裕はありません。そこでは言葉が通じない世界だと、よくいわれます。何故言葉が通じないのでしょう。それは自分の思い(自分の物差し)が強いからでしょうね。浦島太郎の物語や蜘蛛の糸で語られていることは、自己の物差しですね。自己中心の天秤が、それこそ、...唯識入門(15)
おはようございます。一週間早いですね。今日は穏やかな天候に恵まれています。お出かけ日和ですね。さて、今日は種子についてです。種子(しゅうじ)って何?という疑問がでてまいりますが、種子こそ現在の自分を規定している根幹を成すものなんですね。『論』では種子となるものを六つの方面から考究しています。すべてを紹介するのはかえって煩雑だと思いますので、大事なところだけを紹介したいと思います。種子を積極的に規定しているのが、種子の六義の中での第一番目の刹那滅(せつなめつ)と第三番目の恒随転(ごうずいてん)になります。有為法から種子を明らかにしています。有為法は生滅変化するもので必滅の用あるものです。刹那滅というのは、つまり、生ずると即座に滅する、間が無い(間断することが無い)けれども、その中で勝功力(しょうくりき・強い力)が...唯識入門(14)
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