政治経済から芸能スポーツまで、物書き小谷隆が独自の視点で10年以上も綴ってきた250字コラム。
圧倒的与党支持で愛国主義者。巨悪と非常識は許さない。人間が人間らしく生きるための知恵と勇気、そしてほっこりするようなウィットを描くコラム。2000年11月から1日も休まず連載。
仮にハルとどこかですれ違っても、たぶん彼女は僕であるとは気づかないだろう。きっと僕もハルには気づかない。何しろ話を聞く限り彼女はテカテカのヤンキー娘になっているわけだから。 けれどそんな勝手な想像はあっさり吹き飛ばされることになる。僕はその女の子をひと
いちど交わった直線は二度と交わることはない。けれどそれはユークリッド幾何学での話だ。そんな平面も空間もこの宇宙には実は存在しない。数字の教師が1年生のときにぽつりと言ったことが、僕の頭の隅に残っていた。 そのこととハルのことが結びつくのは高3の夏のこと
あの思い出は決して消えることはない。けれど時が経つほどに記憶は少しずつデフォルメされ、捨象され、分解され、わずかな断片が時おり意識の隅にちらつく程度になっていた。思い出してふとほくそ笑むぐらいの話だ。 ハルはもう、まったく違う世界に生きている。僕の人生
あの夏の終わりに別れて以来、ハルとは一度も顔を合わせることはなかった。両親を通しておぼろげな噂だけは耳にしていた。 ハルはあれから、簡単には行き来できない遠く離れた土地で新しい父親と一緒に暮らしていた。あの翌年には父親違いの妹が生まれた。 家庭の複雑
僕は小学校から中学校までそこそこいい成績をあげ、地元では一番の進学校に進んだ。といっても田舎のこと。東大に進むような秀才は何年かに一人出るか出ないかといった、どちらかといえばのんびりした校風の学校だった。 僕は器楽部に入って、ビートルズのコピーバンドで
夏休みもあと2日を残すだけになった日、叔母がハルを迎えに来た。外の車で待っていたのは叔父ではない見知らぬ男の人だった。「あの人が新しいパパ」 事もなげにそう言ったハルがとてもおとなびて見えた。「バイバイ」 ハルは車に乗ると窓から身体を乗り出すようにし
その日を境に、僕とハルは裸で抱き合うのをぴたりとやめた。その代わりに手を繋いで寝ることにした。「赤ちゃんはおとなになってからね」 騒動の日の夜、ハルは寝床でそう言って、握った手に力を入れた。「そうしよう」 僕も手を握り返した。「チュウもやめようね」
ハルはそのあと無事「出産」した。最後の最後まで赤ちゃんが産まれると信じてひとり和室にこもって気張っていたので、とうとうトイレには間に合わなかった。母と姉に助けてもらって洗面所で汚れた下着を替えているあいだ、ハルは「赤ちゃんがうんちになっちゃった」と泣き
僕もハルも、こんなことをしていたらいつか赤ちゃんが産まれるなどと口にはしていても、やはりおとなの営みと比べたら自分たちのそれには何かが足りないことを薄々わかっていた。赤ちゃんなんて産まれるはずがないと本音のところでは思っていたのだ。 だからハルの身体に
8月も終わりに近づいて、夕暮れ時には秋めいた風が吹くようになってきた。 そんなある日の夕方、近所を散歩していたとき、ハルは少し青ざめた顔でお腹が痛いと僕にこっそり打ち明けた。「赤ちゃんが産まれるのかな」 ハルはまじめな顔で僕に言った。その目から大粒の
裸で抱き合うことをおぼえると、僕とハルは毎日のようにそんな時間を共有した。日中、二人で留守番する時。夜、みんなが寝静まった時。決まってハルから「赤ちゃんしよ」と誘った。僕たちはいそいそと服を脱ぎ、意味もわからないまま黙々と抱き合った。 あるときちょっと
「どうするの?」「わかんない」 何もひっかかりのないハルの股間は、9歳の男の子から見れば何かが欠けたようにすら映る。あるべきものがない。代わりに小さな割れ目がある。僕のそれとこの割れ目との間で何が起こるのかなど知るよしもなかった。 覗き見たおとなの営み
ハルのなめらかな肌から体温が伝わってきた。部屋の蒸し暑さよりはるかに高い体温を感じると、逆に鳥肌が立った。「赤ちゃん、やるよ」 ハルは耳元で言うと、布団の上に仰向けに寝そべった。僕はどうしていいかわからないまま、おとなのテレビで垣間見たシーンを思い出
締め切った和室は蒸し暑かった。僕はかすかな罪悪感に包まれて、とっさにカーテンを引いた。日中に作られたこの不自然に薄暗い場所がこれから始まる儀式をとても厳かなに演出していた。 僕も服を脱いだ。裸になってみると、いつも風呂で見られているはずなのになぜか恥ず
あのときの彼女の物言いはとても7歳の女の子のそれじゃなかったと思う。彼女はとても早熟だった。思えば彼女の生まれ育った環境が彼女を早熟にしたのかもしれない。早くおとなにならなければ生きていけなかったのだ。「にいちゃん、お布団しいて」 僕が押入れから敷布
「赤ちゃん?」僕はびっくりした。「なんで?」「知らない」とハルは言った。「でも、ママは赤ちゃん産まれるって。だからパパとリコンするって」 当時の僕に性の知識らしいものなんてほとんどなかったけれど、男女が何らかの行為を交わすことで子供ができるということぐ
際どいシーンはほんの10秒ぐらいだった。そのあいだ僕たちは黙ってアイスキャンデーをしゃぶっていた。「あれ知ってるよ」とハルが言った。「ママがやってた」「ママ?」「うん」「パパと?」「うん。あと、知らない人も」 幼心に僕はその意味を何となく悟った。
お盆過ぎのことだった。ハルと二人きりで留守番を任された日があった。 1970年代の日本は8月の半ばを過ぎるとずいぶん秋めいていた気がする。僕とハルはプールから帰ってきて、母の用意しておいた昼ごはんを食べたあと、居間のソファに二人で腰かけてアイスキャンデ
午前中はハルに勉強を教え、午後からは二人で公営のプールに出かけて遊ぶ日が続いた。夜は一緒に風呂に入り、身を寄せ合って寝た。 朝から晩まで、トイレに入るとき以外、ハルはほぼ1メートル以内の距離にいたと思う。僕にいろいろと事付けする姉には敵愾心すら抱いてい
「一緒に寝る」 ハルは僕の胸に顔を埋めて言った。その声が少しかすれていた。泣いていたのかもしれない。今になってホームシックになったのか。「しっかりしてよ」と僕はハルの頭を撫でながら言った。「お嫁さんなんだから」「うん」とハルは絞り出すように言った。「お
夜半過ぎから強い雨になった。プレハブ造りの家では屋根を打つ雨音が部屋まで伝わってくる。その音に目を覚ますと、もうなかなか寝つけなかった。 横を見ると、常夜灯のかすかな灯りにハルの寝顔があった。しばらくして目が慣れてくると、彼女の目は閉じていなくて、じっ
「じゃあ、婚約しよ」「婚約?」「うん」「だっていとこだよ?」「いとこは結婚できるってママが言ってた。あと、16歳になったらね。そのときにいちゃんは18歳だから結婚できるって」「そうなんだ?」「そう」「わかった。結婚する。だから」 僕はハルの肩に手
その晩は和室に二人分の布団を敷いてもらい、僕はハルと並んで寝た。 二つ上の姉は臨海学校、父は夜勤で、母も早々に床についていたから家は9時を回るとかなり静かだった。ハルは学校での話を楽しそうに話してなかなか寝つかなかった。僕は僕で、浴室以来のもやもやとし
「おしっこ溜まってるから」 とっさに僕はそう言い訳して身体も拭かずにトイレに飛び込んだ。 実際おしっこが出た。さっきよりは少し固さの弛んだそれの先から、糸を引くように飛び出していく。そのあいだ、えも言われない心地よさが全身に行き渡り、鳥肌を覚えた。精通
僕は下腹がくすぐったいような感覚に包まれていた。そのときはそれが何なのかまったくつかめなかったけれど、今から思えばあのとき僕のそれは確実に勃起していた。男の子は乳児の頃から意味もなく勃起を繰り返しているという。けれどそのときの勃起は確実に意味のあるもの
「夫婦は一緒にお風呂に入るんだよ」とハルは言った。「パパとママも一緒に入るし」 彼女は浴槽で僕と向かい合わせになっていた。7歳の女の子なんて、髪が少し長いことと股間の付属物がないことを除けば自分の身体とほとんど何も変わらなかった。だからそれを見て気持ちが
ハルは夕飯時も甲斐甲斐しく僕の母の手伝いをした。訊きもしないのに、何かにつけて「お嫁さんですからぁ」と甲高い声で得意げに口にしていた。「お利口ねぇ。ほんとにお嫁に来てほしいわ」などと母が褒めると、ハルは小鼻を膨らませてほくそ笑むのだった。僕にしても、こ
思えばハルは言葉を発するようになってすぐに「にいちゃんのお嫁さんになる」と口にしていた。両親の都合で1ヶ月以上も家を離れることになったのに、母親が「にいちゃんのお嫁さんになる練習ね」と言ったら飛び上がって喜んでいたという。 我が家へ来たときも、ハルが寝
男女が肌を合わせる。きっとそれは気持ちのいいことなんだろう。必然そう思う。テレビでも抱き合う男女は決まって恍惚の表情だ。 となればやってみたくなる。何しろ好奇心旺盛な子供だ。そんなとき、渡りに舟とばかりに、夏休みのあいだ2つ歳下の従姉妹をうちで預かるこ
人の性欲はいつ芽生えるのか。幼児期に指をしゃぶることさえ性欲の一端だとする説もある。人は生まれながらに助平だということなのだろう。 我が身を振り返ってみる。最初に性を意識したのはたぶん9歳の夏だったと思う。性の知識など皆無だったけれど、おとな向けのテレ
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