テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
政治経済から芸能スポーツまで、物書き小谷隆が独自の視点で10年以上も綴ってきた250字コラム。
圧倒的与党支持で愛国主義者。巨悪と非常識は許さない。人間が人間らしく生きるための知恵と勇気、そしてほっこりするようなウィットを描くコラム。2000年11月から1日も休まず連載。
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テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小
驚いたことにユキヨは東京の生まれだった。葛飾区で生まれ、江東区で育ち、名の知れた短大も出て、3年間は都銀の支店に勤めていたという。 仕事のストレスから夜な夜なテレクラに電話をするようになり、そこで知り合った相手と男女の仲になった。男に貢いで作った借金を
「一緒にいてあげる」 ユキヨはそう言って、半ば強引に僕をホテルから引きずり出すように車で彼女の家に連れていった。家はコールガールの胴元がある札幌ではなく苫小牧にあって、比較的新しい1DKの小綺麗なアパートだった。「ここだったら宿泊費もかからないわ」とユキ
軽井沢を離れて1年半も経っていた。5人で暮らした家に独りで住むのは寂しかったし、そもそも義父との繋がりもなくなれば僕が会社にいる意味もなくなった。 社長の座はマキの妹の夫に譲り、僕は潔く家を出た。皮肉なことに、事故の賠償金で僕は一生働かなくても暮らせる
ひとしきり泣いたあと、僕はシャワーを浴びた。それからベッドに戻って、横たわる彼女のバスローブを剥ぐと、貪るようにその豊満な肢体を抱いた。そして倒れるように眠りについた。 夢を見た。僕はマキや子供たちと食卓を囲んでいた。そこに真実も、ミチコさんも、ミカも
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テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小
驚いたことにユキヨは東京の生まれだった。葛飾区で生まれ、江東区で育ち、名の知れた短大も出て、3年間は都銀の支店に勤めていたという。 仕事のストレスから夜な夜なテレクラに電話をするようになり、そこで知り合った相手と男女の仲になった。男に貢いで作った借金を
「一緒にいてあげる」 ユキヨはそう言って、半ば強引に僕をホテルから引きずり出すように車で彼女の家に連れていった。家はコールガールの胴元がある札幌ではなく苫小牧にあって、比較的新しい1DKの小綺麗なアパートだった。「ここだったら宿泊費もかからないわ」とユキ
軽井沢を離れて1年半も経っていた。5人で暮らした家に独りで住むのは寂しかったし、そもそも義父との繋がりもなくなれば僕が会社にいる意味もなくなった。 社長の座はマキの妹の夫に譲り、僕は潔く家を出た。皮肉なことに、事故の賠償金で僕は一生働かなくても暮らせる
ひとしきり泣いたあと、僕はシャワーを浴びた。それからベッドに戻って、横たわる彼女のバスローブを剥ぐと、貪るようにその豊満な肢体を抱いた。そして倒れるように眠りについた。 夢を見た。僕はマキや子供たちと食卓を囲んでいた。そこに真実も、ミチコさんも、ミカも
痛手というほどの痛手ではなかったけれど、やはりしばらくは正常な精神状態ではなかった。少しでも気を抜いたらとんでもなく深い闇に落ちそうだったところを、必要以上に饒舌になることで必死にしのいでいたというのが実際だった。 こんな気持ちを一つの歌にしてみようと
失恋したらたいていは無口になる。高校時代には1ヶ月ぐらいほとんど誰とも口をきかなかった記憶がある。もっともそれは周囲にそれと気づいてほしいがゆえのパフォーマンスだったかもしれない。全身で失恋を表現していたのだ。 それに対して、このときの僕はとても饒舌だ
失恋はいつも痛手ではあるけれど、このケースは過去のそれとは違った不思議な浮遊感を残していった。ウェットな要素が何もない、晴れ上がった秋空のように乾いた気持ちが僕を支配していた。 僕はニヒルな男を演じていた。村上春樹に傾倒しすぎた者が陥りがちなあれだ。振
問題は、いろんな意味で彼女をまっさらな状態で帰してあげられなかったことだった。いうなれば、僕は彼女に爆弾をしかけてしまったのだ。 ただ、彼女はそのことについて何も触れなかった。気にしている素振りさえなかった。特に訊いたわけではないけれど、自分は絶対に妊
僕にはうすうすわかっていた。彼女にとって僕はただの寄り道でしかなかったのだ。最初の夜からして、デートをドタキャンされたか、直前に喧嘩別れしたか、そんな状況だったのはミエミエだった。 僕は自暴自棄になった彼女の慰みものでしかなかった。そんなことは重々承知
終わりのことはよく憶えていない。人間は都合の悪いことや悲しいことを忘れるようにできているというけれど、この色恋の終わりについていえば都合も悪い上に悲しいことだったから、鮮明な記憶が残っている方がおかしい。 電話だったか、対面だったか、とにかく「あなたは
彼女はそれから何日も連絡をよこさなかった。音信不通が一つのわかりやすい答だと知るには、後に何度も痛い思いをする必要があった。未熟な僕はただひたすら悶々と様々な妄想をして過ごした。 大学へも行かず、喫茶店のアルバイトも風邪だと偽って休んだ。留守番電話すら
あの頃はHuey Lewis and the Newsの全盛期だった。リアルタイムでは"Stuck with You"がヒットしていて、その流れで2年前の"If This Is It"が一緒に流れていた。 よく似たシャッフルのこの2曲がけっこう好きでよく聴いていた。実は英語の歌詞の中身までは追えていなかっ
僕は夫になる。父親になる。22歳にして。そんな思いを抱えて僕は秋の街をものすごく速足で闊歩していた。 大学3年生の身にはいささか重すぎるはずの荷だった。それを自ら背負おうとしている。いったい何がそうさせたのかわからない。あとから考えてみたらまったく理解に
翌朝、まるで何事もなかったかのように彼女は鼻歌を唄いながら朝食を準備して、テキパキと身支度をすると、じゃあまた今夜来るね、と言い残してアパートを出ていった。一駅先にある病院へご出勤だ。医療関係者に土日はない。向かいの部屋のおばさんが好奇心丸出しの目で見
もしも彼女が本当に懐妊してそんな段取りになっていたら、その後の僕の人生はどうなっていただろう。今でも時おりそんなアナザーライフを想像することがある。たぶんこの世界とは別のフェーズの世界に、そんな人生を生きている自分と彼女がいるのだと思う。 今ここにある
呆れるほどの静寂をやがて微睡みが包む。目覚めたとき彼女はは隣で静かな寝息を立てていた。スモール球一つの薄明かりに浮かぶ寝顔を眺めながら、僕はこれからの段取りを思い浮かべた。 彼女が懐妊する。二人、いや三人で暮らすアパートを探す。並行して僕はたっぷり稼げ
男が女に対して抱く愛情の本質は性欲でしかない。少なくとも血気盛んな頃はそう言い切って間違いない。愛してるだとか好きだとか、みんな翻訳すれば「やらせろ」でしかない。そんなことをどこかで読んだ気がする。 ある意味これは真理だと思う。生き物の本能として、オス
彼女の火照りが僕にまた火を点けた。唇を唇で塞ぎ、彼女の背中に回した腕の力を強める。たぶんそこに愛情など欠片もなかったと思う。僕は純粋な欲望に支配されていた。「やだ。ほんとにやだ」 彼女は身を強張らせて抗った。「やめて。もういや」 彼女は明らか僕を拒
「どうして?」と彼女は涙声で言った。「どうしてこんなことするの?」 子供がほしいから、と言いかけて僕は言葉を飲み込んだ。ごめん、と言いかけてそれも押しとどめた。「赤ちゃんできちゃったらどうするの?」と彼女は嗚咽しながら言った。「どうしてそんな無責任なこ
果てたあとのまどろみが、そのときは心なしか長かった。彼女は僕から離れると、背を向けてしばらく黙っていた。 僕は僕でいわゆる事後の賢者タイムの真っ只中で、自分のしたことの恐ろしさを今さらのように噛み締めていた。一方で、このまま彼女が本当に受胎してほしいと
彼女との生活を実現するのにいちばん確実な手段は何か。そのうちに僕は悪魔のようなことを考えるようになっていた。 毎晩の営みはいつもほぼ無防備だった。あの夜から、彼女との間を物理的に隔てたことは一度もない。ただクリティカルな場所で果てないことが唯一の防備で
僕はある種の覚悟さえ決めていたと思う。学生の身分ではあったけれど、このまま彼女と結婚してしまおうと真面目に考えていた。 時に22歳。生活はどうする? 彼女の看護師としてのささやかな給料と、あとは僕が必死でアルバイトすれば何とかなりそうだった。 二人で暮
独り暮らしも3年半を過ぎて、僕は少し人恋しくなっていたのかもしれない。ちょうど1年前には1ヶ月ばかりほぼ週2で僕の部屋を訪れるガールフレンドがいたけれど、そのときは昼間に数時間を過ごすだけだった。それに対して彼女は夜勤のとき以外はほぼ毎日来て、僕のため
50年続いてほしい日は結局のところ9日で終わることになる。細かくいうと9日半。ちょうど『ナインハーフ』という映画が流行っていた頃だ。あちらは9週間半。なぞらえるのは少し恥ずかしい。 そのあいだ何をしていたかといえば、あれは「新婚さんごっこ」だったと思う。恋