テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
政治経済から芸能スポーツまで、物書き小谷隆が独自の視点で10年以上も綴ってきた250字コラム。
圧倒的与党支持で愛国主義者。巨悪と非常識は許さない。人間が人間らしく生きるための知恵と勇気、そしてほっこりするようなウィットを描くコラム。2000年11月から1日も休まず連載。
元気でね、と最後に彼女は言った気がする。どこでどんなふうに彼女を降ろしたのかも今となってはまったく思い出せない。 僕の頭は悲劇的なほど空っぽになっていて、ほぼ本能だけで家に帰り着いた。そのあいだ、たぶんさめざめと泣いていたと思う。 あれから僕はけっこ
「すごく図々しいお願いなんだけど」と信号待ちのうちに彼女は言った。「お願いなんてたいていは図々しいものだよ」と僕は言った。「そういうのには慣れてる」「あのね」と言って彼女はカーオーディオを指差した。「これ」「これ?」「このテープ、ほしいな」 頭の中で
断続的な渋滞の中、90分の勝負カセットが片面も終わらないうちに車は彼女の家のある野方駅の近くまで来ていた。彼女は曲ごとにこれもいいと絶賛して僕に説明を求めた。 そうじゃない。僕は少し苛立った。このテープはそんなふうに聴くものじゃない。黙ってこの雰囲気に浸
普通の人、か。僕は普通の人にも勝てなかった。つまり普通未満ということだ。 彼女を送っていく帰り道は何年に一度という落ち込みぶりだった。やけになって、例のムーディーな音楽を集めたテープをカーオーディオで流した。 冒頭はクインシー・ジョーンズの『Velas』。
それでも昼時だったからとりあえず環八沿いのレストランに入った。食事をしている間も彼女の手元が気になって仕方なかった。ずいぶん立派なダイヤだった。僕にはこれほどの指輪は買ってあげられないと悟った。何しろ給料の半分が車に消えていたのだから。そういう意味でも
こういう言い方は不謹慎だけれど、たぶんこの逢瀬には何の「収穫」もないと僕はうすうす感じていた。「お願いがあるの」と言われて終電間際のホテルになだれこんだあの夜とはそもそも空気感が違いすぎる。助手席に座っている彼女との間には見えない厚い壁すら感じた。 結
「車と結婚してたのね」 彼女は笑いながら言った。その左手の薬指に立派なダイヤの指輪がきらめいているのを、僕は駅前で彼女をピックアップしたときに見つけていた。「残念ね」と彼女は言った。「あなたのお嫁さんにはなれないわね」 車は早稲田通りから環八に入ってい
土曜日の午後、中野駅まで彼女を迎えに行った。車は月間販売台数が2桁の不人気車「エチュード」。 不人気車ではあるけれど、1600CCのツインカムで、当時としては珍しい定速運転もできる優れものだった。問題は駐車場が月に3万円もしたこと。ローンの支払いや保険も
いずれにしてもわざわざ電話をしてきたということは逢いたいという話だろう。けれど待ち合わせ云々の話を周囲に聞かれてもまずい。僕は彼女の電話番号を聞き出し、帰ってから改めて電話すると伝えてその場は切り上げた。その番号は結局、前に聞いていたものと同じだったけ
「お久しぶり。元気?」 ネットもなかった時代に彼女が僕の職場の電話番号をどうやって突き止めたのか。それはさておき、おっとりした口調ですぐに彼女だとわかった。 相手が相手だけに浮き足だった。けれど社会人になった身としてはちゃらちゃらした物言いもできない。何
それから3年。僕は大学を卒業して家電メーカーに勤めて2年目だった。その間、懲りずにちょこちょこと恋愛もしたし、ナースの彼女のことを思い出すこともほとんどなかった。 その頃になると僕は自分の車も持っていて、社内の女の子や合コンで知り合った女の子たちをドラ
薄闇の中でキャンドルの微かな明かりに照らされた彼女の顔がわずかな笑みを湛えたまま凍りついた。その両目から真珠の粒のような涙がぽろぽろとこぼれ落ちてくる。僕はとっさにキャンドルの入ったボトルを手に取って、その火を一息で消した。彼女の涙顔は薄闇に紛れた。
わかった、と僕は独り言のように呟いた。わかった。いろんなことが。彼女が僕に何を求めていたのかが。 ただ、そのことはたぶん口にすべきではなかったと今になれば思う。それは彼女にとって心のいちばん深い場所にある傷につながるものだった。今の自分だったらそれを悟
それから彼女はなぜか自分の父親の話を始めた。ひと口に父親といっても彼女には3人いる。実の父親と、継父が2人。「みんな頭がいい人なの」と彼女はしみじみと言った。「娘は馬鹿だけどね」「そんなことない」と僕は返した。「君はいつも肝心なことだけは間違えないか
「だって、立派な大学に行ってて頭がいいし、私にはもったいないぐらいの人だし」 どこまで本心なのかはわからないけれど、くすぐったくなるような物言いだった。「君だって」と僕は返した。「立派な職業についてるし、料理は上手だし、何よりすごく可愛い」「可愛くない
「もしかして」 長い沈黙を破って彼女は口を開いた。その顔には微かな笑みが浮かんでいた。「赤ちゃんできたと思った?」「期待してた」と僕は夜景の方に目を逸らして言った。「残念だった?」「ちょっとね」「でも、生理遅れたのよ。焦ったんだから」「残念」 僕
彼女と離れていた3週間で、僕の中ではいろんなものが吹っ切れていた。だから唐突に誘いがあっても気持ちがざわつくことはなかった。万が一、彼女が受胎していたとしても、今後どうするかはそのときに考えればいい。それぐらいの開き直りで彼女と向き合っていた。 彼女は
これからバブル経済に湧く前夜。直後の狂乱時代に花開く、いわゆる「バブリー」なものがあちこちで芽吹いていた。この店の演出もそんなもののうちの一つだったと思う。他のテーブルにいる人の顔もわからないほど店内が薄暗いので、各テーブルにはキャンドルが置かれていた
新宿住友ビルは1974年の竣工だから、もうすぐ築50年になる。当時はまだ10年そこそこの新しいビルだった。その49階に「アシベパーク」というパブがあった。高層階からの夜景が売り物で、合コンのメッカだった。長く片思いした音大生ともその年の4月末にここで初
短大生からはそれから数日後、予定通りの周期で来るべきものが来たと知らせがあった。「焦ったよー」と電話口で彼女は言った。「でもすごくよかった。あ、なんかまたしたくなっちゃった」 また今度な、と言って僕は早々に電話を切った。 12月に入って、ナースの方か
僕はナースの彼女にもお土産を残していた。そっちは確信犯だった。ひとつ間違えばあの頃、僕は同時に二人の女の子を孕ませたのかもしれない。悪魔、最低、下道、下劣、下衆、卑劣、人間のクズなど、あらゆる罵詈雑言を受けるに値する行状だった。その時代から比べたら僕も
幸いその短大生との間に子供をもうけることはなかったけれど、ゆるやかな関係はその後もしばらく続いた。いわゆる、カタカナ3文字で語れる割り切った間柄だった。お互い手持ち無沙汰になると連絡しあい、刹那に交わった。 最後に交わったのは社会人になりたての頃だった
その交わりの快感もまた予期せぬものだった。きちんと一枚隔てて防備していたにもかかわらず、入り口の締まる体勢だったせいか、果てるときにはえも言われぬ快感が全身を突き抜けた。 しかし直後に地獄を見ることになる。心地よいのも頷ける話で、帽子の頭は裂け、残骸は
そんなボロボロの気持ちを抱えて部屋で悶々としていたら、予期せぬ訪問者が現れた。「落合駅にいるんだけど」と彼女は言った。「行っていい?」 別れて1年も経つ短大生の女の子だった。「悲しいことがあったの」 彼女は僕の部屋に来ると、自分の身の回りに起きた出
「なんで俺じゃなくてお前なんだよ」 そう言った先輩の声が震えていた。それからしばらく鼻を啜るような音がして、彼は電話を切った。 ツーツーという音を聴きながら、僕もなぜそれが僕だったのか考えてみた。けれど何も思い当たることはなかった。 僕だってわからない
「あの子とデートしたんだって?」と先輩は電話口で唐突に訊ねた。「先月、飲みに行きました」と僕は答えた。「それだけか?」「それだけです」 しばらく沈黙があった。「ぜんぶ知ってるよ」と先輩は口を開いた。「ホテルに行ったんだって?」「行きました」「素直だ
体調不良という口実で休んでいた喫茶店のバイトに、僕は2週間ぶりに戻った。涙腺が炸裂してから少し鼻声になっていたので、先輩たちは訝しむこともなく悪い風邪をひいていたと勝手に理解してくれた。 ただ、あのナースの彼女に思いを寄せていた先輩はどこか不機嫌だった
今から思えばありがたい体験だった。彼女らのおかげで僕は涙腺の詰まりを解消できたらしい。涙にはストレス物質が溜まっているというけれど、じっさい22年分のストレスを吐き出したような爽快感に包まれた。いったい何をしにこんな所まで来たのか、その時になると不思議に
子供の頃から僕は涙の出ない子で通っていた。鬼っ子などと呼ばれたこともある。泣いたことがないわけじゃない。むしろよく泣く子だったと思う。小学校に上がる前は毎日のように泣きべそをかきながら家に帰っていた。 それでもなぜか涙は流れなかった。涙腺に何か問題でも
砂に書いた文字を波が消してくれるのを期待したのに、そのときはちょうど汐が引いていく時間だった。映画のようなシーンは実現できず、仕方なく僕は足で文字をかき消した。世界一カッコ悪かった。 まさか誰かに見られていないだろうと思ったら、浜の入口あたりでこちらを
高嶺の花に振られた翌日、僕はひとり電車に乗って三浦方面をめざした。自分でも意味不明なのだけれど、何となく彼女の家のある駅を通過してみたかったのだった。果たして品川から京急に乗り、その駅を通過すると、終点の三崎口まで行った。 いちばん近い海岸まで行ってく
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テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小
驚いたことにユキヨは東京の生まれだった。葛飾区で生まれ、江東区で育ち、名の知れた短大も出て、3年間は都銀の支店に勤めていたという。 仕事のストレスから夜な夜なテレクラに電話をするようになり、そこで知り合った相手と男女の仲になった。男に貢いで作った借金を
「一緒にいてあげる」 ユキヨはそう言って、半ば強引に僕をホテルから引きずり出すように車で彼女の家に連れていった。家はコールガールの胴元がある札幌ではなく苫小牧にあって、比較的新しい1DKの小綺麗なアパートだった。「ここだったら宿泊費もかからないわ」とユキ
軽井沢を離れて1年半も経っていた。5人で暮らした家に独りで住むのは寂しかったし、そもそも義父との繋がりもなくなれば僕が会社にいる意味もなくなった。 社長の座はマキの妹の夫に譲り、僕は潔く家を出た。皮肉なことに、事故の賠償金で僕は一生働かなくても暮らせる
ひとしきり泣いたあと、僕はシャワーを浴びた。それからベッドに戻って、横たわる彼女のバスローブを剥ぐと、貪るようにその豊満な肢体を抱いた。そして倒れるように眠りについた。 夢を見た。僕はマキや子供たちと食卓を囲んでいた。そこに真実も、ミチコさんも、ミカも
テレビカメラが入ったことでその夜はファンが異常なほど盛り上がって、終電間際なのにいつまでもその場を離れようとはしなかった。次々とリクエストが飛んできて、それにぜんぶ応えていたらもう0時半を回っていた。 どこからわいてきたのか、オーディエンスはいつの間に
そのうちに常連のファンたちと親しくなった。老若男女、いろんな人がいた。それぞれに自分の抱えている悩みを口にした。僕はそれをメモ帳に書き留め、どんどん歌にしていった。 生きていることが 罪に思えてきた 死んだら誰かが 笑ってくれるかな 面白すぎて
1ヶ月ほどホテルに滞在しているうちに、僕は近くの高輪台に1DKのマンションの一室を買った。ついでに中古のメルセデスのクーペも買った。そんなものがポンポン買えるだけのお金があった。そのほとんどは妻子4人分の命の代償であって、どんな形であれこれを使い切らな
たぶんその頃の僕は東京でいちばん暇な37歳の一人だったと思う。けれど幸いその中で経済的にはかなり豊かな方だったと思うし、人生経験のダイナミックさなら五指に数えられたかもしれない。 僕は毎日10時にホテルを出て、最寄りの品川駅まで歩いてそこから山手線に乗
天はこれ以上ないはっきりとした答を返してくれた。苫小牧にいる理由はないということだと僕は解釈した。けれどいざユキヨと別れようとなると、何と言って出ていけばいいのか見当もつかなかった。 けっきょく僕は昼間ユキヨが水産会社に働きに出ている間に、置き手紙ひと
「長いことピルなんか飲んでたのがいけないのかしら」「それは違うって前の先生が言ってたはず」「ううん、絶対その影響はあるわよ」 コールガールなんてやらなければよかった、と言って、ユキヨはアパートのカーペットに突っ伏して声をあげて泣いた。彼女が泣くのを僕は
それから半年ばかりの間に、僕は自分が一生のうちで算出できるであろう遺伝子の半分以上をユキヨに注ぎ込んだと思う。週末になれば昼夜分かたず獣のように交わり続けたし、この日だと確率が高いという日には5回戦に及んだこともある。 けれどいっこうな懐妊する気配はな
僕の中でにわかに答は出なかった。ユキヨのことは好きだけれど、ここで結婚して子供をもうけたらユキヨも僕も何か別の不幸に見舞われるような予感がした。 とはいえユキヨと離れる気もない。ここはひとつ、自分の運を改めて天に委ねてみようと思った。もしも子供ができた
「私さあ、ピルやめたんだよね」 夜の営みの最中にユキヨはそんなことを言い出した。「でも、ゴムしてるから」と僕は言った。「大丈夫」「大丈夫じゃいやなの」 そう言ってユキヨは僕の背中に手を回して自分に引き寄せた。「妊娠したい」と彼女は真面目な顔をして言っ
我々は同じアパートの住人やご近所からは仲良しの夫婦に見えたらしく、僕は「旦那さん」、ユキヨは「奥さん」と自然に呼ばれるようになった。「お子さんまだなの?」と訊く主婦もいた。「旦那さんも頑張らないと。女房にばっか働かせてぷらぷらしてちゃだめよ」「家で仕
それから僕はユキヨとともに苫小牧で冬を越した。彼女が夜の仕事で稼いでいた分は僕が補充した。「お金持ちなんだね」お金を渡すたびにユキヨは言った。「そうでなかったら犯罪者だわ」 思ったことをぜんぶ口に出してしまうのも良し悪しではあるけれど、おかげで彼女は
「ていうか」とユキヨは仰向けになって暗い天井を眺めながら言った。「このさい結婚しちゃうとか?」「さすがにそれはな」と僕は言った。「まだ旅の途中だからね」「まだどこか行きたいの?」「行きたいというか」と僕は口ごもった。「居場所がないんだ。実家はあるけど今
「ねえ、もしかして私のこと大事にしてくれてるの?」「もちろん大事にしてる」「嬉しい! けど、私は何番目に大事な女?」と訊いてからユキヨはハッとして物言いを変えた。「ごめん。つまんないこと訊いたね」「今は君しかいないから」「私しかいない? まじで?」「
寒冷地特有の二重窓を閉め切ってしまえば電車の音も踏切の音も聞こえない。ユキヨの出勤がない日の夜の営みはいつも絶望的な静寂に包まれていた。「あなたは着けなくていいよ」と肌を合わせながらあるときユキヨは言った。「お客には漬けさせてるけど、こういう仕事してる
苫小牧といえば工業都市ではあるけれど、ユキヨのアパートがある海に近い街はとても寂れた印象だった。なだらかな傾斜の土地にポツポツと街並みが続き、その先は森になって遠くの樽前山に連なっている。至る所でキタキツネが野良犬のようにうろついているのを見た。 海岸
「そんな君がどうして苫小牧に?」 流れからしてここにはさむべき質問を僕はインタビュアーのように投げかけた。「男と駆け落ちしてきたのよ」とユキヨは鍋の味見をしながら言った。「その人もテレクラで知り合ったんだけどね」 一度だけ勢いで寝たその相手が故郷の苫小