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スペイン語のトリビア コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード パプア・ニューギニア、シンガポー

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2014/11/13

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  • 西武ライオンズのメヒア選手(4)父の父姓 Mejía

    【埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】西武ライオンズのメヒア選手(ErnestoAntonioMejíaAlvarado)の父の父姓がMejíaだが、アクセントはiの上にある。スペイン語ではアクセントのある母音はやや長く発音される傾向があるので、カタカナ表記としては「メヒーア」が適当である。“HistoriaApellidosespaña”というサイトによると、Mejía姓のスペインでのランキングは第711位。多くはなくても珍しくもない。世界的な分布を見ると、絶対数ではメキシコ、人口比ではホンジュラスが一番多い。Mejía姓の由来だが、mejíaという単語は小学館『西和中辞典』には出てこない。そこで、ウィキペディア“Mejía(surname)”(英語版)に当たってみた。スペイン北西部のガリシア地方にある...西武ライオンズのメヒア選手(4)父の父姓Mejía

  • 西武ライオンズのメヒア選手(3)母の父姓 Alvarado

    【埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】西武ライオンズのメヒア選手(ErnestoAntonioMejíaAlvarado)の父の父姓がMejíaだが、お楽しみは最後に取っておいて、母の父姓Alvaradoを先に紹介したい。“HistoriaApellidosespaña”というサイトによると、スペインでのAlvarado姓のランキングは第527位。そんなに多くはないが、珍名でもない。現に日本のプロ野球にも広島と横浜に在籍したジオ・アルバラード(GIANCARLOALVARADO)投手がいる。3年間で通算12勝なので、あまり印象がない。Alvarado姓の世界的な分布を見ると、絶対数ではメキシコ、人口比ではコスタリカが1位である。女房殿の実家があるコスタリカのグアピレスにはAlvaradoさんが結構いるらし...西武ライオンズのメヒア選手(3)母の父姓Alvarado

  • 西武ライオンズのメヒア選手(2)個人名 Antonio

    【埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】埼玉西武ライオンズのメヒア選手(ErnestoAntonioMejíaAlvarado)の個人名はErnestoの他にAntonioもある。Antonioは日本でもアントニオ猪木やアントニオ古賀などでお馴染みの名前である。ありふれすぎていて、Antonioの意味について考えたこともなかったが、この際、調べてみることにした。“Chiquipedia.com”というサイトによると、Antonioの名はギリシャ語のAnthosに由来するのではないかと考えられている。ここからラテン語のAntoniusになり、スペイン語のAntonioにつながっているわけである。英語形はAnthonyである。Antonioの意味だが、“hombrevalientequeplantacaraal...西武ライオンズのメヒア選手(2)個人名Antonio

  • 西武ライオンズのメヒア選手(1)個人名 Ernesto

    久し振りにラテンアメリカ出身のプロ野球選手を取り上げる。今回は西武ライオンズのメヒア選手である。メヒア(Mejía)という姓の選手は広島カープにもいるが、西武のメヒア選手ほどの活躍ぶりではない。西武のメヒア選手のフルネームはウィキペディア「エルネスト・メヒア」によると、「エルネスト・アントニオ・メヒア・アルバラード」(ErnestoAntonioMejíaAlvarado)となっている。【埼玉西武ライオンズの公式ホームページより】ベネズエラのポルトゥゲサ(Portugesa、「ポルトガル女性」の意)州グアナレ(Guanare)出身ということである。【赤く塗られた部分がポルトゥゲサ州。ウィキペディア「ポルトゥゲサ州」より】個人名はErnestoとAntonioの2つで、Mejíaは父の父姓、Alvaradoは母の...西武ライオンズのメヒア選手(1)個人名Ernesto

  • コスタリカ 2018年(84)novena その2

    義母は筆者から見ると、熱心なカトリックだったが、実は、novenaについては信じていなかったのである。義父が他界したときにはnovenaは執り行っていなかった。ということで、義母のnovenaはもちろん、遺言によるものではない。子どもを9人もうけたが、だれ一人として義母のnovenaを執り行おうと言った者はいない。言ったのは6人の娘たちのうちの一人の婿だったのである。CiudadQuesada在住のその婿は今ではリゾートホテルや高級アパートを経営している金持ちだが、子どものころは貧しくて、おばに育てられてそうである。婿さんも信心深いとは思えないのだが、義母を無事にあの世へ送り届けたいとでも思ったのだろう。novenaは一人ひとりが勝手に祈るものではない。プロの祈り屋を呼ぶのだが、大体年配の女性のようである。なの...コスタリカ2018年(84)novenaその2

  • コスタリカ 2018年(83)死後9日間の祈り(novena)

    (承前)義母の死去のあと、9日間(nuevedías)の祈りが捧げられた。仏教では故人が三途の川のほとりに到着するのが死後7日目で、初七日といって、法要を執り行うが、それを連想させる。“nuevedías”で検索してみたら、“Losnuevedías”(スペイン語版)に行き当たった。これはユダヤ教の行事で、エルサレム(Jerusalén「ヘルサレン」)の神殿が破壊されたあと、9日間喪に服したのが起源のようである。これはカトリックの死後9日間の祈りとは違うが、このユダヤ教の行事がその起源になったのだろうか。カトリックの死後9日間の祈りは“novena”と呼ばれている。詳細はウィキペディア「ノベナ」に譲るが、カトリックだけではなく、聖公会、東方正教会、プロテスタントのルター派教会でも行われているそうである。ノベナに...コスタリカ2018年(83)死後9日間の祈り(novena)

  • コスタリカ 2018年(82)義母他界の知らせ

    コスタリカから帰国したのは9月7日(金)だったが、その後すぐに義母が入院したとの連絡が入った。いったん退院したものの、9月11日に他界したという続報が入った。8月19日に催した母の日のパーティーが最後の贈りものになったわけである(「コスタリカ2018年(14)母の日のパーティー」参照)。葬儀は翌12日に行われた。死後24時間しか経っていない。女房殿に聞くと、コスタリカではこれが一般的とのこと。日本では死後、通夜・葬儀まで数日かかるのが一般的のような気がするが。それはともかく、コスタリカはカトリックが国教であり、国民の多くがカトリックである。最近はプロテスタントも増えてきているらしいが。ということで、葬儀は土葬が一般的である。義母は義父の眠るお墓に一緒に入ることになる。義父の墓はグアピレスにあり、2015年の訪問...コスタリカ2018年(82)義母他界の知らせ

  • コスタリカ 2018年(81)帰国

    (承前)フードセンターでメキシコ料理の夕食を済ませたが、乗り継ぎ便の出発時間までまだたっぷり時間がある。一度出国手続きをしたのだが、人が多く、くつろげない。いろいろなところを見て回った。たまたまエレベーターの近くに行くと、下の写真のボードがあった。「地震と火災のときに使う」と書いてあるが、そんなはずはない。英語にはちゃんと「使うな」と書いてある。“usar”(英use)の前にあるはずの“No”が取れたのか、それともいたずらされたのか。一通り見終わったので、また出国手続きをして、中に入ることにする。すぐ近くにも出国手続きのゲートがあったが、Lと書かれていて、そこはアメリカ行き専用だった。その他の国は別のゲートに行かなければならない。思うに、アメリカ行きは麻薬対策などのために、チェックが厳しいのかもしれない。日本行...コスタリカ2018年(81)帰国

  • コスタリカ 2018年(80)メキシコ・シティーの空港で夕食

    (承前)メキシコ・シティーに到着したのは3時45分であった。コスタリカ出発が12時前なので、4時間かかったことになるが、こんなにかかることはない。メキシコはサマータイムを実施しているようである。往路もメキシコ・シティー経由だったが、空港からは出なかった。そのため、メキシコ料理を堪能できなかったので、今度は一度出国手続きをして外に出る。とはいっても、空港の建物からは出ない。メキシコ発成田行きの便は深夜2時の出発なので、10時間も待ち時間がある。空港近くのホテルに行って休むには中途半端な時間である。3時間前にはチェックインしなければならないので、ホテルで休めるのは正味6時間ぐらいだろうか。そのためにお金を払うのももったいない。ということで、往路同様、空港でぶらぶらすることにする。夕食の時間までは少し間があったので、...コスタリカ2018年(80)メキシコ・シティーの空港で夕食

  • コスタリカ 2018年(79)コスタリカからメキシコへ

    9月5日(水)6時起床。いよいよ帰国の日がやってきた。2週間があっという間に過ぎてしまった。朝食は適当に済ませたようである。記録が残っていない。7時半に義妹宅を出る。7時45分にレンタカーの会社によって、車を返す。手続きは簡単に終わり、スタッフに空港まで送ってもらう。空港に着いたのは8時である。以前にも書いたが、乗客以外は建物の中には入れない。1981年に2年4か月の滞在の後、帰国するときは見送りに来てくれた人たちと名残を惜しんだものであるが。ともかく、中に入る。チェックイン手続きは機械でする。簡単だが、味気ない。その後、カウンターに行って、荷物を預ける。時間が早かったので、あまり人はいなかった。まだまだ時間があるので、椅子に座って休む。近くに、木でできたナマケモノのキャラクターが飾られていたので、写真を撮る。...コスタリカ2018年(79)コスタリカからメキシコへ

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