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2014/11/02

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  • 北京専条により琉球は日本・台湾は清朝に

    先週の「北京専条」をご確認下さい。この前文、「台湾の生蕃が日本国民に無謀な害を加えたため、日本国は、この生蕃を問い詰めるべく、兵を派遣しました。」から清朝側は無謀にも害を加えられた琉球藩種子島の島民を明らかに「日本国属民(日本国民)」と認識・規定しました。条文には明確に琉球藩は日本国に属すと記述されていませんが上記から自明になります。「台湾」については「三前略台湾の生蕃については、中国が適切な手段で抑制」とあり、清王朝が支配の及ぼしますと約束し「化外」でなくなり、清朝に属する「邦土」に。日本側は台湾を「主権者のいない無主の地」から清王朝の「領土」と認定しました。これにて一件落着、めでたし・めでたし、「占め子の兎」となるのです。琉球国は日本国の国民、及び、国土と清朝がお認めになったのです。ところがどっこい、...北京専条により琉球は日本・台湾は清朝に

  • 北京専条1874/10/31協定の調印

    1874年10月31日、大清国と大日本帝国が調印した体裁になってます。以下、「北京専条」協定になります。(維基文庫中日北京專條から)「為會議條款互立辦法文據事:照得各國人民有應保證不致受害之處,應由各國自行設法保全,如在何國有事,應由何國自行查辦。茲以臺灣生蕃曾將日本國屬民等妄為加害,日本國本意為該番是問,遂遣兵往彼,向該生蕃等詰責。今與中國議明退兵並善後辦法,開列三條於後:一、日本國此次所辦,原為保民義舉起見,中國不指以為不是。二、前次所有遇害難民之家,中國定給撫恤銀兩,日本所有在該處修道、建房等件,中國願留自用,先行議定籌補銀兩,別有議辦之據。三、所有此事兩國一切來往公文,彼此撤回註銷,永為罷論。至於該處生蕃,中國自宜設法妥為約束,以期永保航客不能再受兇害」いつもお世話になっている、賢いGeminiの...北京専条1874/10/31協定の調印

  • 明治政府は台湾出兵を決断

    未だ、政権基盤の弱い明治政府は内憂外患でこの事件の処理に時間を割けない状況。1871廃藩置県(M4/7/14)日清修好条規(M4/7/29)岩倉使節団出発(M4/11/12)1872学制公布(M5/8/02)新橋・横浜間鉄道開通(M5/9/12)富岡製糸場設置(M5/10/04)1873太陽暦採用(1/01)徴兵令(1/22)地租改正条例(7/28)岩倉使節帰国(9/13)明治六年政変(李氏朝鮮問題で政府二分10/24西郷隆盛辞職以降辞職者多数)1874民撰議院設立建白書(1/17)佐賀の乱(2/01~)台湾出兵閣議決定(2/06)明治政府は一向に埒が明かない外交交渉に見切りをつけ、武力行使を決断。(但し、不平士族の不満解消・ガス抜き・救済政策が主であったことは否めません?)決断の根拠は清政府が台湾を清...明治政府は台湾出兵を決断

  • 日清修好条規の「邦土」解釈違い

    先週の日清修好条規の第一条此後大日本国と大清国は弥(いよいよ)和誼(わぎ)を敦くし天地と共に窮まり無るべし。又両国に属したる「邦土」も各(おのおの)礼を以て相待ち聊(いささかも)侵越する事なく永久安全を得せしむべし。漢文でも即両国所属「邦土」と表記してます。この「属したる『邦土』」は両国で意味(語彙概念)が異なっているのです。清王朝の「属したる『邦土』」は「属国」で「朝貢国」。日本側ではこの『邦土』は「国土(領土)」と解釈、当時の近代国際法(万国公法)での主権、及び、実効支配されている「領地」です。明治維新後、月日が浅い日本は浅はかにも清王朝を「国民国家」と誤認識してます?更に、云えばこの時点で日本も「nationalstate」概念を深く理解していたか甚だ疑問です。取り急ぎ、これを(「邦土」→清王朝「属...日清修好条規の「邦土」解釈違い

  • 梁啓超「変法通議 論不変法之害 日本」1896年

    「変法通議の論不変法之害」で日本に触れた箇所があります。「論不変法之害略今夫日本幕府專政諸藩力征受俄(=露)德(=独)美(=米)大創国几不国自明治維新改弦更張不三十年而奪我琉球割我台湾也」(維基文庫変法通議論不変法之害梁啓超1896/08/19)素敵で優れもの、Gemini日本語訳は「今、日本の幕府の専制政治のもと、諸藩がそれぞれに力を誇示し、ロシア、ドイツ、アメリカから大きな打撃を受け、国がほとんど国でなくなった状態であった。明治維新以降、わずか30年で、日本は私たちの琉球を奪い、台湾を割譲したのである。」現代語訳は「今、日本の幕府が独裁政治を行い、各藩がそれぞれに力を誇示し、ロシア、ドイツ、アメリカといった列強から大きなダメージを受け、国が滅亡の危機に瀕していた。明治維新以降、わずか30年で、日本は私...梁啓超「変法通議論不変法之害日本」1896年

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