横浜美術館の「コレクション展」の第6章には、戦時色が濃くなった昭和13年(1938年)に創設された横展写真部のコーナーがありました。しかし戦争などで中断があり、写真部は昭和23年(1948年)の第4回ハマ展で復活し、戦後活躍した作家たちの写真が展示されていました。その中には奥村泰宏・常盤とよ子夫妻の多数の占領軍兵士が駐留した、戦後間もない横浜のありのままの姿などが焼き付けられていました。これらは歴史的にも貴重な写真といえるでしょう。写真上は「職を求めてたむろする失業者たち」と写真下は「カストリ横丁」。共に昭和24年(1979年)の横浜の姿です。前後の横浜の姿を記録した奥村泰宏・奥村とよ子夫妻。
明日28日までの横浜美術館「コレクション展〜1910年代から60年代の横浜と美術」を拝観してきました。同館の長期休館前最後の展覧会とあって、人数制限にもかかわらず若い人を中心にかなりの人出。横浜美術館はダリやマグリット、セザンヌ、ピカソなど12000点を幅広く所蔵しているといわれています。そんな所蔵絵画などをテーマ別に各章ごとに展示。横浜美術館とのしばしのお別れを惜しんできました。因みにこのコレクション展の作品はすべて撮影OKです。観覧料は500円。写真はポール・セザンヌの「ガルダンヌからのサント=ヴィクトワール山」(1892〜95)。長期休館前の横浜美術館「コレクション展」。
1ヶ月前にWOWOWで録画しておいた実在の話に基づく映画「シュヴァルの理想宮ある郵便配達員の夢」(2018年/フランス)。人付き合いが苦手で変わり者のシュヴァルが結婚。誕生した美しい娘のためにも、石を積み上げて宮殿を造ろうと思い立ちます。エンドロールに流れるテロップによると、シュヴァルは1924年に88歳で亡くなり、この宮殿の建築には33年間もの歳月を要したとのこと。1968年には文化相マルローが"世界で唯一の素朴な建築物'として、この理想宮は歴史的記念物に指定されたそうです。人見知りのシュヴァルですが、家族想いはひといち倍。ラストシーンで現れた娘の幻影をながめるシュヴァルの表情が堪りません。郵便配達員が理想宮を造る実話に基づく映画。
鎌倉国宝館への道は"密"を避けて、鎌倉駅から段葛を渡った人通りの少ない道を歩いていると、こんな表示が〜。初めてなので店舗の奥に進むと、立派に整備された遺構が見学できるようになっていました。説明によると「この遺構のある若宮大路周辺や滑川に至る一帯には、鎌倉幕府の有力な御家人である北条氏の屋敷が多くあり、その中でもここは北条氏代々の本家筋の屋敷があったとされる場所」。平成26年(2014年)の発掘調査では鎌倉幕府第三代執権・北条泰時が歩いたとされる若宮大路の道路面も発見されたそうです。来年のNHK大河ドラマは鎌倉幕府第二代執権・北条義時を主人公とした「鎌倉殿の13人」(三谷幸喜/脚本)が決まっています。人格的にも優れ、人望も厚かったといわれる北条泰時にも脚光を浴びる日も近いかもしれません。立派な遺構の鎌倉幕府第二代執権・北条泰時邸跡。
「ひな祭り」といえば、2月20日から開催されている鎌倉国宝館の「雅な春の訪れ〜ひな人形」を覗いてきました。同館の雛人形のコレクションをこの時期に合わせて、一堂に公開する鎌倉らしい雅な展覧会。その大部分が江戸時代の作品であることが特長で、享保年間から大流行した能面のような顔立ちの享保雛や資料的に価値の高い内裏雛、雛人形の原形とされる立ち雛など、さまざまなスタイルの雛人形が展示されていました。ここで問題になるのは内裏様のお殿様とお姫様の立ち位置。現代ではお殿様は通常では左側ですが、展示されていた雛人形はすべて右側。時代の変化や関東と関西の違いなどいろいろな要因があるようです。3月14日まで。観覧料は400円。春の訪れを告げる雅な鎌倉国宝館の「ひな人形」。
昨日の横浜の最高気温は21.5℃という初夏を思わせる暖かさ。久しぶりに大岡公園の脇を通ると、河津桜が満開。公園の中央の3本と放送大学寄りの数本の並木は見事!。例年よりも早めの春を迎えたようです。ところで来週は桃の節句の"ひな祭り"ですが、♪あかりをつけましょぼんぼりに♪の2番♪およめにいらしたねえさまに♪の"いらした"は"来る"と"行く"の尊敬語。どちらでしょう、という話が「童謡の謎」(合田道人著/祥伝社文庫)に。この歌の作詞者サトウハチローは幼い頃から4歳上のやさしい姉に何かと世話になりましたが、肺結核で若くして世を去ってしまいました。で、天に召された姉を歌ったのではないかということで、正解は"行く"の尊敬語。楽しそうなこの歌にも、悲しい思い出が込められているようです。初夏を思わせる大岡公園の河津桜は満開!。
これは20年前の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の封切後に読んだこの映画のメイキンゲ本。健さんのロング・インタビューや降旗康男監督、木村大作撮影監督などの思い出話とたくさんのスナップ写真で綴る「高倉健とすばらしき男の世界」(集英社)です。「健さんともう一度、映画を撮りたい」という東映大泉撮影所の昔のスタッフの熱意が伝わる緊迫の撮影現場。深い雪の中の過酷な撮影。そして、「皆さん、お疲れさまでした」の声でクランクアップ。拍手より先にスタッフの目に涙がみるみる滲む感動の場面。この映画に賭ける活動屋たちのドキュメンタリーです。巻末には原作者・浅田次郎氏の"映画化に寄せて"「小説と映像の未来」が収録されています。感動の映画「鉄道員(ぽっぽや)」のメイキンゲ本。
先週の2月11日からtvk(テレビ神奈川)でスタートしたドラマ「西荻窪三ツ星洋酒堂」。漫画原作でこのカウンターバーで働く人と、そこを訪れる人たちとの温かみのある人間味溢れるひととき。バーテンダー役にはドラマ初主演となる町田啓太。この人、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で新撰組副長・土方歳三を演じる成長株若手俳優。バーテンダーとしてもキリッとした味を出しています。毎回、酒やカクテルの薀蓄や缶詰をアレンジしたちょっとした料理が楽しみ。こんなバーでゆったりした心に余裕のある時間が早く来ることを願っています。町田啓太初主演のドラマ「西荻窪三ツ星洋酒堂」。
映画といえば「文藝春秋」などの雑誌に残された、日本映画史の貴重な証言集「スターの肖像」(文藝春秋)を興味深く読みました。映画界華やかなりし頃の男女優や監督、カメラマンのエピソード満載の写真も豊富な映画の歴史書です。目次を開くと「石原裕次郎の見果てぬ夢」、「小津安二郎の言霊」、「日本のおじいさん笠智衆」、「女優の恋若尾文子・森光子」、「役者馬鹿勝新太郎」など興味津々。それに、名作秘話として「東京物語」と「七人の侍」などが〜。映画館数も観客数も1960年頃がピークだといいますから、その少し前の日本映画の黄金時代の思い出話ですね。いくら家庭の大型テレビの画面で映画を観ても、映画館のあの独特の雰囲気には敵いません。映画ってホントにいいですね!。貴重なエピソードを集めた日本映画史の歴史書。
大正9年(1920年)に松竹キネマ合名会社設立から100年を迎えた松竹映画。WOWOWシネマでは小津安二郎監督の名作「東京物語」や50作も続く人気シリーズとなった「男はつらいよ」などが、"松竹映画100年"として今月15日から放送されています。松竹映画の当初は蒲田撮影所の現代劇と京都撮影所の時代劇を両輪にして発展を続けましたがその後、蒲田撮影所は鎌倉市の大船撮影所に移転。"大船調映画"として傑作を製作しました。大船撮影所で思い出すのは撮影所が閉鎖され、平成7年(1995年)にその跡地に「鎌倉シネマワールド」がオープン。「男はつらいよ」のセットなどを見学しましたが、3年後にはここも閉鎖されてしまいました。現在はどんな形となっているのでしょうか。数々の名作を製作した松竹映画が100年周年。
近所の方から春の訪れを告げる山菜のフキノトウをいただきました。さっそく天ぷらにしてビールとともに"春の味"を味わいました。特有の香りとほろ苦さは、早くも春の到来を告げる心も弾むうれしい味。フキノトウはビタミン類やカリウム、カルシウムなどのミネラルを多く含み、食物繊維も豊富だそうです。あまりにもたくさんいただいたので、採取地を訊いたのですが「それはヒ・ミ・ツ」とのこと。早くも春の到来を告げる山菜のフキノトウ。
昨夜は名匠・小津安二郎監督の代表作といわれる「東京物語」(1953年)の2度目の鑑賞。笠智衆と東山千栄子演じる老夫婦が東京にやってきた姿を通して、戦後の家族関係の変化を描いた作品です。出演者は山村聰や杉村春子をはじめ、原節子、三宅邦子、香川京子など。脇役にもどこかで見た顔のオンパレード。ロウアングルでのカメラ撮影や長い沈黙の場面など、小津安二郎監督らしい流れ。白々しい息子や娘たちの対応の中で、原節子演じる嫁の親に対する誠実な姿が印象に残りました。因みにこの作品は、世界の映画監督が選ぶランキング(2012年)の第1位に選ばれたそうです。小津安二郎監督は随所に出てくる「ちょいと〜」という台詞回しが本当に好きですね。WOWOWで小津安二郎監督の名作「東京物語」。
一昨日14日の神奈川新聞"ひとこまの物語"(文=斉藤大起氏)に、伊勢佐木町と馬車道をつなぐ吉田橋にまつわる話が掲載されていました。吉田橋の話はともかく、気になったのは"ラバウルおばさん"について。「マンドリンを弾くおばさんのことは有名でした(略)実に物悲しくって、あれを聞いた人は、それぞれ忘れることのできない戦後を感じていた筈ですよ」(「横浜・中区史〜人びとが語る激動の歴史」)の証言。神奈川新聞OBの方も小学生の頃に、この吉田橋の上で、飛び跳ねながら歌う"ラバウルおばさん"を目撃しているそうです。父や先輩たちに聞いた噂はどうやら戦後の悲しい事実だったようです。写真は下を川が流れている1956年の吉田橋。飛び跳ねながら歌う伝説の"ラバウルおばさん"。
横浜の"ココがキニナル"情報を調査してくれる「はまれぽ」のサイトに久良岐公園の気になる情報を発見!。それによると「幻の集落"ランプ村"が上大岡に!」と。お寺や古くからの住人による聞き込みによると、久良岐公園辺りが公園に整備される以前に、戦前からポツンと4〜5軒の電気の通ってない"ランプ村"と呼ばれた集落があった、とのこと。また、住人は一時10〜20人くらいの時もあり、大工や食肉処理場で働く人もいたと〜。旧家の女性は中区で戦災に焼け出された人が、上大岡は無事だったので鎌倉街道沿いにこちらに来たのではないか、とも。いずれにしても、久良岐公園を整備している時に、"ランプ村"の住民たちはどこかへ引っ越して行ったのでしょう。棚田の奥の遊具広場辺りはそんな雰囲気も感じられます。整備される前の久良岐公園にあった"ランプ村"。
昨日の横浜の最高気温は16.6℃。久しぶりに港南区と磯子区に接する久良岐公園を歩いてきました。土曜日の割には家族連れも少な目。梅林も一部を除いて、まだまだといった咲き具合。この公園は昭和48年(1973年)に汐見台団地の造成に合わせて整備された都市総合公園。周辺は雑木林に囲まれ、中央には池、一段上には運動広場や芝生広場、そして横浜市電1156号の保存車両などもある広大な公園です。池を右折して遊具広場の手前には、棚田が整備されていました。この辺り、6月頃になるとホタルを見ることもできるそうです。あと1ヶ月余りすれば斜面の桜も一斉に咲き誇り、花見客で賑わうことでしょう。棚田も整備されている広大な久良岐公園。
明後日14日までだという写真展「とどまってみえるもの」を拝見。会場は横浜市民ギャラリーあざみ野です。コロナ禍の影響で撮影のために外出できないカメラマンにとって、身近な被写体を撮影した時にどのような表現ができるか、という7人の若手写真家の写真展ですが、正直申し上げてまったくその意図が理解できない難解な写真展でした。それより、写真とプリントをテーマにカメラとプリントの歴史をたどるコレクション展はさまざまな技法と印画紙の進歩、貴重な写真など、興味深く拝見してきました。因みに横浜市は写真発祥の地のひとつとして映像文化都市づくりを進めるために、世界各地から写真に関する資料や文献約1万件を収集しているそうです。入場無料。若手7人の難解な写真展「とどまってみえるもの」。
紀元前79年にイタリアのヴェスビオ火山の噴火で、一瞬のうちに死の街と化したポンペイ。録画してあったNHK-BSPの「よみがけるるポンペイ」を懐かしく拝見。この大規模な発掘調査は2018年から始まったようなので、それ以前に訪れた衝撃の古代遺跡。逃げ惑う新たな人たちの姿や色彩も鮮やかなフレスコ画、壁に書かれた日付の落書きが当時の姿をよみがえらせてくれます。世界遺産のポンペイに足を踏み入れた時には、立派なメインストリートや人々が一日の疲れを癒す居酒屋のバーカウンターなどは興味深く見学したものの、広大な遺跡に圧倒されてあまりあちこち見ることができなかったことを反省しています。再度の訪問はもう無理でしょうね。発掘調査を伝える「よみがけるポンペイ」。
物議を呼んでいる話題の絵本「あつかったらぬげばいい」(ヨシタケシンスケ作/白泉社)を持っていた友だちから借りて、ひと通り眺めてみました。結論から言うと納得するものもあり、首をかしげるものあり、といったところ。「いみのわからないぺーじがあったら→バンバンとばしてわかるところだけよめばいい」や「へやがちらかってたら→とりあえずむきだけそろえればいい」、「おとなでいるのにつかれたら→「あしのうらをじめんからはなせばいい」などはおもしろく読ませていただきました。しかしながら、子どもたち読ませる絵本としては少々難解な気がしました。悩んでも仕方がないので、シンプルに考えて生きていきましょう、という"大人の絵本"かもしれません。「あつかったらぬげばいい」は"大人の絵本"?!。
毎回、楽しみにしている「再興第105回院展」を鑑賞してきました。会場は横浜駅東口のそごう美術館です。毎回ながらすばらしい日本画の大作が並ぶ見応えのある美術展。今回は同人作品30点をはじめ、受賞作品や県内出身・在住作家など計84点の展示だそうです。会場入口を飾る那波多目功一氏の「奥入瀬の秋」は、今は亡き日本画家で文化勲章受章者の松尾敏男氏(1926〜2016)年と3日間、この場所で写生したことのある思い出の詰まった作品とのこと。毎回ながらモチーフの捉え方や色彩など、勉強になる美術展です。3月14日まで。入館料は一般800円。毎回楽しみな日本画の大作が並ぶ「再興院展」。
昔の本ばかりでなく、たまには新刊を、と手に取ったのは読みやすそうな原田マハさんの短編集「ギフト」(ポプラ文庫)。かけがえのない人に贈ったギフト、意外な人から贈られたギフト〜そんなギフトにはいろいろな思い出がつきまとうものです。この短編集はストーリーテラーの原田マハさんの心温まる20の物語と、巻末には母と娘のせつない絆を描いた「ながれぼし」が掲載されています。本を持たずに外出した時などに、気軽に読めますが、短いそれぞれの物語の後味は爽やか。中面のカラフルなイラストも美しい、ギフトにまつわる女性向けの珠玉の一冊です。心温まる原田マハさんの珠玉の短編集「ギフト」。
昨日の横浜は16.4℃という暖たかさ。そんな陽気に誘われて弘明寺から蒔田周辺を散策。南スポーツセンターの近くの若宮神社から北へ進むと、日当たりのいいお宅の庭先に見事な白梅が満開!。これも一種の早咲きの梅でしょうか。また、向こう側が磯子区だと思われる丘の中腹には家がビッシリ!。まるで、イタリアの崖の街"アマルフィ"(おおげさ!)。散歩のゴールは酒売り場を一新したスーパー横濱屋。珍しいドイツビールDargunerピルスナーを購入して、爽快なポップとキレのいい味を楽しんだ蒔田散歩でした。見事な早咲きの白梅と丘の中腹の家・家・家。
昨夜のテレビ東京「新・美の巨人たち」は、東京銀座にある築89年のレトロな奥野ビル。ここは4〜5年前に知人の女流書家・西本東華先生の"銀座ひとり展"を拝見した時の会場です。今では珍しい手動式のエレベーターや重厚な階段、すり減った通路〜集合住宅として建てられた奥野ビル。当時は手動式のエレベーターばかり気になって周りをチェックする余裕なし。その住人は文芸春秋社の創設者・菊池寛をはじめ、詩人・西條八十、映画監督・溝口健二、女優・田中絹代、「東京行進曲」で一世を風靡したの歌手の佐藤千夜子といた錚々たる人たち。コロナが収束したら、近くの三又の橋・三吉橋も見学してみたいものです。珍しい手動式エレベーターの築89年「奥野ビル」。
2日にWOWOWで放送された「Fukushima50」(2020年/若松節朗監督)を拝見。東日本大震災での福島第一原発の事故を、綿密に取材されたという門田隆将氏のノンフィクション「死の淵を見た男」の映画化です。全編凄まじいばかりの緊迫したシーンの連続!。現場と東京の温度差が怒号となって飛び交います。最悪の事態を回避しようとする奮闘する知られざる姿。因みにこの作品のタイトルは、原発の被害をくい止めるために残った50人の従業員のことを"Fukushima50"として、世界のメディアが呼んだことに由来しています。現場の指揮を担当し、大震災の2年後に58歳で亡くなられた吉田昌郎氏のご冥福をお祈りいたします。合掌。緊迫したシーンの連続の映画「Fukushima50」。
横浜開港資料館の企画展「レンズ越しの被災地、横浜」を拝見しての帰途、太陽が降り注ぐ日本大通り沿いに、コーヒーを味わいながら談笑する人々が〜。この気持ちのいい「日向ぼっこ」。友だちが編集に携わっていた三井銀行(現=三井住友銀行)の「ことばの豆辞典」によると、平安時代の説話集「今昔物語」の中の"日なたぼこり」が語源らしく、"ほこり"には心が"浮き浮きする"とか"晴れ晴れする"の意味が"日向"と合わさったということらしい。たまには、なにも考えずにのんびりと"日向ぼっこ"でくつろぎたいものです。"日向ぼっこ"の語源は今昔物語の"ひなたぼこり"?。
2011年3月に起きた東日本大震災から今年で10年ですが、横浜や東京を襲った1923年の関東大震災もそろそろ100年を迎えようとしています。そこで現在、開催されている横浜開港資料館の企画展「レンズ越しの被災地、横浜〜写真師たちの関東大震災」を拝見してきました。ネット社会の今と違って関東大震災の起きた大正時代に災害の情報を記録したのは新聞社や官庁、そして街中で写真館を営む写真師たちです。この企画展では3年前に鎌倉市内で発見された西野写真館旧蔵のガラス乾板を中心に展示。大判にプリントされていたので、惨状の様子は胸に迫るものがありました。現在のコロナ禍で、もしこんな大地震が起きたらと想像すると……。4月18日まで(オンラインによる予約制)。入館料は65歳以上の市内在住者は100円。発見された関東大震災の惨状を伝える写真。
散歩の途中で見掛けた大岡公園の桜の木に、可愛らしい桜の芽がほころんでいました。今年は124年ぶりの2月2日の節分。また、恵方巻きも例年になく人気急上昇。京急百貨店などにも長蛇の列ができていました。コロナの収束を願うせいでしょうか。今年の方角は南南東でしたね。プロ野球のキャンプもスタート!。明るい春の足音が近づいてきているようです。桜の花の芽がほころんできました。春近し!。
前に買っておいて読んでいなかった「パーカーの子守唄〜とっておきのジャズ体験」(阿部克自著/シンコーミュージック)。著者の阿部克自氏(1929〜2008年)は大学卒業後にイギリスの航空会社BOACに入社。その後、アートの勉強のため渡米し、ニューヨークを拠点に活動。写真家となってジャズメンとの交流も始まり、2005年には日本人として初のジャズの写真家の最高の栄誉「ミルトヒントン・アウォード」を受賞。名実共に世界的な写真家として認められたようです。本場アメリカのジャズメンとの人脈〜あちこちから声がかかるなど、ユーモアのある明るい人柄が窺われます。最後に阿部氏は「アメリカにジャズが生まれてわずか100年〜なのに、そのピークの時に生を受けて感動させられた僕って"運がよかった"に違いない」と記しています。ジャズの写真家としての賞を受賞した阿部克自氏。
本場アメリカのジャズマンたちの撮影で有名な写真家・阿部克自氏の「パーカーの子守唄」(シンコーミュージック/1994年)が出てきたので読み始めていますが、"とっておきのジャズ体験"のサブタイトル通り、ジャズファンにとっては夢のような話ばかり。羨ましい限りです!。これはその中のひとつ〜あのデューク・エリントンのライブを撮影した写真(上)をデュークが気に入ってくれて自叙伝に大きく掲載。そこまではいいのですが、その写真がデュークの没後、デュークの誕生日に合わせて発行されたアメリカの記念切手に無断で流用されてしまう始末。友だちのアメリカ文化担当官が現地の郵政省と交渉してくれましたが、泣く泣く500ドルで手を打つことで我慢したそうです。これからどんな突飛な話が飛び出してくるか楽しみです。写真家・阿部克自氏のとっておきのジャズ体験。
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