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  • 屋上菜園2022-11闘病記4

    10月初めに植えたタマネギ苗、退院して見ると枯れてしまったのが多いにビックリです。植えるのが早すぎたのでしょうか?ニンニクは芽が出て順調に成長しています。*10月下旬、初めての通院抗がん剤治療のため病院に行ってきました。朝7時過ぎに病院に入ると待合室はすでに多くの待ち人。1日に200人もの抗がん剤の通院患者が来ると聞いていましたが、抗がん剤は通院治療が主流のようです。まずは受付の順番札を取って受付機械の開くのが待ちました。この待ち時間はこの後の採尿・採血、臨床研究センターで治験の問診、担当医の診察、通院治療センターでの投薬と続きました。治療センターでの点滴投薬は約4時間。終わったのは午後4時、すべて胸に装着したポートからでした。投薬はこれで終わりでなく、この後46時間点滴投与の携帯型ポンプ(トレフューザポ...屋上菜園2022-11闘病記4

  • 里山の石神端書131 天狗(群馬県片品村)

    群馬県片品村花咲・登戸の天狗山登戸集落の西に天狗山があると聞いて登ることにしました。登山口は山の西側と南側の二か所。西側の石塔を集めたブロック造りの覆い屋から登りました。覆い屋の集められた石塔の一つは「猿田彦大神」。日本神話に登場する道案内の神で、庚申塔の主神にもなったこの国を代表する天狗です。草履が奉納されているので、ここでも役目は足の神あるいは道の神か。天狗山の社殿は下から、天王宮、金毘羅宮、大天狗の三社。それぞれの社殿に御神体はないのでこの三社の天狗の像容はわかりませんが、天王宮は疫病除けの牛頭天王、金毘羅宮は四国香川の象頭山こと金毘羅山、大天狗はさまざまな天狗の総称。花咲には各集落に農家の守り神として牛頭天王宮を祀る社があると聞きました。山頂は赤松の老木に覆われ、大天狗が鎮座するにふさわしい風景で...里山の石神端書131天狗(群馬県片品村)

  • 里山の石神端書130 石仏群(群馬県片品村)

    群馬県片品村花咲・登戸の薬師堂登戸は上州武尊の南山麓の花咲にある集落で、その中心にある花咲石が集落名の始まり。この地に住んだ悪勢(おぜ)の一族が日本武尊に滅ぼされて石となり、その石に花がさいたという。悪勢といえば、ここ片品村は尾瀬(おぜ)の玄関口です。集落外れにある薬師堂には、集落内から集められた石仏が置かれています。しかし倒れた石仏、埋もれた石仏を見ると放置されているという感じです。集落内の墓地はきれいになっているとこを見ると、個人的な集まりの講や信仰で造立した供養塔は、組織が無くなると守る人も無くなってこのような状況になってしまうのでしょう。薬師堂も役目を終えたのでしょうか、荒れています。薬師堂の石仏群は庚申塔、馬頭観音、如意輪観音、地蔵菩薩と墓石です。双体の道祖神も2基ありました。(地図は国土地理院...里山の石神端書130石仏群(群馬県片品村)

  • 里山の石神端書 桐生市黒保根町、沼田市利根町

    桐生市黒保根町下田沢の前田原・十二神社の百社大神桐生市黒保根町下田沢の前田原・庚申山の三面青面金剛桐生市黒保根町下田沢・赤城神社の猿田彦庚申塔桐生市黒保根町下田沢・楡沢の閻魔、奪衣婆沼田市利根町穴原・武尊神社の庚申塔沼田市利根町穴原・山中の三面観音里山の石神端書桐生市黒保根町、沼田市利根町

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(106)庚申塔

    庚申塔(東京都狛江市・松原庚申堂)庚申堂庚申塔庚申塔庚申塔伊藤介二・昭和の石仏写真館(106)庚申塔

  • 石仏1003榛名・天狗岳(群馬)歳徳神

    榛名・天狗岳(てんぐだけ)歳徳神(としとくじん)【データ】榛名・天狗岳1179メートル▼最寄駅JR高崎線・高崎駅▼登山口群馬県高崎市榛名山町の榛名神社▼石仏天狗岳の東ピーク。地図の赤丸印▼地図は国土地理院のホームページより【案内】山頂に石造天狗を祀る天狗山へは榛名神社の山門脇の林道から登り、地蔵峠からの尾根道と、鏡台山の肩から直接天狗岳へ出るコースがある。これとは別に南山麓の下室田町大日影からの道もあり、こちらが天狗岳信仰の表参道になる。表参道からの道筋はじめ山頂一帯には神仏名の文字塔が多数造立されている。そのなかから山頂に立つ歳徳神を案内する。天狗岳は双耳峰で東の山頂に天狗をはじめとした石造物が立つ。その一つが「歳徳神/素戔嗚命/稲田姫命」銘の石塔。歳徳神は陰陽道でその年の福徳を司る神、正月さまともいわ...石仏1003榛名・天狗岳(群馬)歳徳神

  • 里山の石神端書129 三面観音(群馬県沼田市利根)

    群馬県沼田市利根町穴原・山中の三面観音穴原集落の男性から、この集落で知られた石仏は三面観音だと聞きました。その場所は集落の北にある弁天池から東の林道に入った山中、5基の庚申塔が立つ先にあります。盗難除けの保存のためか、ブロックと金網で囲われた中に立っています。金網ごしによく見ると、三面の優しい表情の観音風で、顔に続いて体も三体からなる珍しい像容。集落の男性がすすめるだけの価値がある観音です。仏像で三面というと馬頭観音や摩利支天、それからや明王にありますが、顔がいくつあっても手が沢山あっても体は一つが普通ですから、体まで三体あるこの石仏は異様ではあります。それでも大威徳明王などは三面で足が六本ありますから、仏像の場合異様は当たり前のことでもあります。ところで三面観音の頭に乗っているのは馬頭のように見えます。...里山の石神端書129三面観音(群馬県沼田市利根)

  • 屋上菜園2022-10闘病日記3

    退院して久々に対面した屋上菜園は、タマネギ苗も落ち着いていてホッとしました。10月初めに種を蒔いた小松菜は、大きくなったものから間引きしています。*食道ガンの抗がん剤治療が始まりました。薬剤のほとんどは胸につけたポートからの点滴です。薬は抗がん剤、副作用の対応薬など何種類も連続で投与でした。そして入院待ちの患者が多いということで5日目に退院させられました。同時に吐き気や下痢や高熱などに対応する沢山の薬もいただきました。副作用はこれから徐々に出てくるようです。すでに胃もたれや便秘など、これまで自慢だった丈夫な胃腸に異常が出はじめまています。これからは通院の抗がん剤治療に入ります。屋上菜園2022-10闘病日記3

  • 里山の石神端書128 庚申年造立庚申塔(群馬県沼田市利根)

    群馬県沼田市利根町穴原・武尊神社の庚申塔老神温泉から利根にぬける道にある穴原集落。そのはずれの武尊神社の境内に立つ庚申塔は上から「種字ア庚申供養塔」とあり、台座に「元文五庚申年(1740)」銘があります。干支の庚申の年に庚申塔を造立する傾向はあります。しかし庚申の年は60年に一回ですから、一生に1回か2回しか巡ってきませんし、庚申講では庚申の年に関係なく庚申塔を立ててきました。庚申塔を立てる理由を大阪市の四天王寺庚申堂所蔵の「庚申縁起」からみてみましょう。造立する目安として縁起には「一座と申は三年に十八度なり、両三年目には供養いたずべし、供養といつぱ道のほとりに塚をきつき四方正面の卒塔婆をたて」とあります。庚申の日は年6回、これを3年続けて18回の一座、一座がすんだら供養塔を造立することを勧めています。座...里山の石神端書128庚申年造立庚申塔(群馬県沼田市利根)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(105)狛江Ⅱ

    狛江Ⅱ(東京都狛江市)和泉・玉泉寺如意輪観音和泉・泉龍寺庚申塔・貞享3年(1686)和泉・水神宮聖徳太子伊藤介二・昭和の石仏写真館(105)狛江Ⅱ

  • 屋上菜園2022-10闘病日記2

    10月に初めに植えたタマネギ苗、数本枯れてしまいましたが、ほとんどが根付いたようです。小松菜は芽が大きくなり、摘み取り可能になりました(写真はカミさんが撮影して病院の偏平足PCに送信したもの)。*ここで食道ガン発見までの経緯を書いておきます。食事の飲み込みが悪くなったのに気づいたのは7月下旬でした。これは年寄現象かと思いそのままにしました。8月中旬に右脇胸に少し痛みが出て、肋間神経痛かなと思いましたが、かかりつけの内科医院でエコー検査をしてもらうと肝臓がおかしと、すぐ中堅の病院を紹介されました。そこでCT検査をすると肝臓と食道に異常ありとの診断。後日内視鏡検査の結果、食道がんで肝臓に転移しているので当院では無理だから、希望したい病院を探しておいたくださいとのことでした。このころから子供たちの助言をもらって...屋上菜園2022-10闘病日記2

  • 屋上菜園2022-10闘病日記1

    10月初め、抗がん剤治療が始まる前にタマネギの苗が手に入ったので約100本植えました。*食道ガン・ステージ4の告知から入院までしばらく日にちがあり、秋彼岸でもあったので田舎の墓参りで父母に報告をし、その帰りにブログ「里山の端書」の材料探しに那須山麓を廻ってきました。趣味の組織の仕事は返上することに、引き継いでもらうことにしました。10月の連休明けからやっと抗がん剤治療の準備も始まりました。初めは抗がん剤投入の入口になるポートを胸に埋め込み、そこからカテーテルを心臓近くの静脈に通す手術です。ここから定期的に抗ガン剤を投入することになります。埋め込み場所は右胸上部、手術時間は30分。部分麻酔で痛みはほとんど無し、帰宅したその夜も痛みは出ませんでした。屋上菜園2022-10闘病日記1

  • 里山の石神端書127 閻魔、奪衣婆(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢・楡沢の閻魔、奪衣婆赤城山の東山中にある楡沢にはいろいろな石造物が残っています。その一つは閻魔と奪衣婆。この二者が対で立つ光景はときどき見かけますが、楡沢に二者は高さが90センチ前後の坐像ですから等身大。顔が大きく表情も豊かですから迫力もあります。造立は正徳(1711~16)のころ。300年前にこの山中にどのような集落があったのかはわかりませんが、東光寺と赤城大明神・忠綱大明神社いう寺社を中心にした信仰厚い人たちが住んでいだようです。忠綱は平安末期にこの地方を支配した足利忠綱。平氏方について戦い鎌倉期前に滅びた一族で、足利や桐生に忠綱を祀る神社はあるものの楡沢との関係はわかりません。楡沢の集落が古いということは、同所に立つ二基の石幢からもわかります。石幢はどの地方でも中世から江戸...里山の石神端書127閻魔、奪衣婆(群馬県桐生市黒保根町)

  • 里山の石神端書126 猿田彦庚申塔(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢・赤城神社の猿田彦庚申塔「村社赤城神社鎮座」の石碑が立つ赤城神社の参道、その途中に「日弓尊/月讀尊/天津祖猿田彦大神」銘の石塔が立っています。庚申塔です。一般的に庚申塔は上部に日輪・月輪を刻して猿田彦銘を入れるのですが、ここでは日弓・月讀の独特の表記です。独特の表記は、台座の見猿・言わ猿・聞か猿の三猿を「不見/不聽/不言」にしたところにも見られます。石造庚申塔の像容を理解したうえで、あえてこのように表現したのでしょう。この庚申塔の側面に記された神々も独特です。神名は三段に別けられ、上段には日本神話の神々、中央に「猿田彦大神」、下段中央に「六神御大神庚申」とあってその左右に「天道根命/天神魂命/興登魂命/闇竈神/闇山神/闇罔神」となっています。下段の神は天孫降臨に随伴した神と雨や水...里山の石神端書126猿田彦庚申塔(群馬県桐生市黒保根町)

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(104)狛江1

    狛江1(東京都狛江市)岩戸北・慶岸寺塩地蔵岩戸南・明静院地蔵菩薩駒井・円住院庚申塔・享保9年(1724)伊藤介二・昭和の石仏写真館(104)狛江1

  • 里山の石神端書125 三面青面金剛(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢の前田原・庚申山の三面青面金剛前田原集落東の橋を渡った先の山が庚申山。藪に隠れた登山口がわからず、橋の手間の家の男性に案内していただきました。男性によると、例年春と秋には草刈をしていたが、新型コロナの影響でここ2年は草刈も祭りもしていないとのこと。草をかき分けて登った先、最初に出会ったのが三面六臂の像。三面は憤怒のようでもあり愛嬌があるようにも見えます。六臂の持物は弓・矢・輪宝・羂索で合掌をしています。青面金剛でしょうか。しかし青面金剛を本尊とする庚申塔につきものの日輪月輪、邪鬼、三猿などは見当たりません。「享保二酉天(1717)」銘はありますが、庚申銘はありません。それでもここは庚申山ですから、三面の青面金剛としておきます。三面青面金剛から尾根道の両側に文字の庚申塔が並びます。...里山の石神端書125三面青面金剛(群馬県桐生市黒保根町)

  • 里山の石神端書124 百社大神(群馬県桐生市黒保根町)

    群馬県桐生市黒保根町下田沢の前田原・十二神社の百社大神大きな二十三夜塔と庚申塔が並ぶ十二神社の鳥居をくぐると、社殿の裏手に「奉斎百社大神」銘の石塔が立っています。百社は単独の神なのか、それとも単に百柱の神の数なのでしょうか。百柱とするとこの国の神は八百万ですから、だいぶ絞り込んだ数になります。手元の資料を調べると『黒保根の石造物』(注1)にこの石塔が紹介されていました。「太平洋戦争中(昭和17年)建立された宮で、土地の人の話によると、出征兵士が武運長久を神に祈願するとき、多くの神社参りをしたが、短い日数では大変であったため、この宮を建立して百社代参にかえた」この後に、赤城山の東山麓を越えて沼田市利根町日影南郷の曲屋(旧鈴木家)を見学しました。そこで見たのは神棚脇のお札入れに納められた膨大な数のお札。おそら...里山の石神端書124百社大神(群馬県桐生市黒保根町)

  • 里山の石神端書 茨城県つくば市小田

    つくば市小田・宝篋山登山口の地蔵菩薩つくば市小田・宝篋山登山口の五輪塔つくば市小田・宝篋山山頂の宝篋印塔つくば市小田・不動尊の磨崖不動明王つくば市小田・愛宕神社の磨崖愛宕地蔵里山の石神端書茨城県つくば市小田

  • 石仏番外 中之条・岩本不動滝(群馬)奪衣婆

    中之条・岩本不動滝(いわもとふどうたき)奪衣婆(だつえば)【データ】岩本不動滝670メートル▼最寄駅JR吾妻線・中之条駅▼登山口群馬県中之条町岩本の原集落▼石仏岩本不動のお堂裏。地図の赤丸印▼地図は国土地理院のホームページより【独り言】岩本地区の奥、蟻川川の源流にかかる滝近くに御堂が建っているというので訪ねてみました。入口の鳥居には「無礙窟」の扁額。無礙(むげ)?支障がない窟……という意味か。沢沿い進むとおこもり堂。軒下に昭和61年修理の芳名者板が打ち付けてありました。その上には字が読めない芳名者板があるので、それなりの古いおこもり堂のようです。鉄の橋で対岸に渡るとお堂。入口には鳥居があったが建物は寺院のようです。お堂裏には豪快な滝がかかっています。滝へ向かうとすぐ奪衣婆が、まるで滝の番人のような位置に座...石仏番外中之条・岩本不動滝(群馬)奪衣婆

  • 屋上菜園2022-10休園

    いま屋上菜園は小松菜と二十日大根の芽が出て成長しています。これをどんどん摘み取って食べています。それから、健康だけは自信があったのですが、突然ガンそれも食道ガンのステージ4告知を受け、間もなく抗ガン剤治療に入ることになりました。10月はタマネギの苗を植える時期で準備はしましたが、これがどうなるか。休園せざるを得ない状態になると予想しています。屋上菜園2022-10休園

  • 山小屋日記42

    【雑草】山小屋を造って25、6年経ちます。かつては小屋の近くにパラグライダーの降下地があって、小屋前の林道はしっかりしていました。しかしそれは東日本大震災で被災。その後小屋前にソーラーパネル発電所ができて新たな道もできました。しかしそれも雑草で覆われ車の通行は不能。いまでは荷物をかついで小屋に向かいます。小屋も雑草に覆われていました。この小屋でのんびり過ごすつもりでしたが、どうなることやら、先は見えません。山小屋日記42

  • 八千代新川千本桜 22-10

    体調不良により、しばらく休みます。八千代新川千本桜22-10

  • 里山の石神端書123 磨崖愛宕地蔵(茨城県つくば市)

    茨城県つくば市小田・愛宕神社の磨崖地蔵菩薩登山道が整備されている宝篋山、その一つ小田城コースの入口の小田不動尊、八幡宮、愛宕神社があります。いずれも山を背にした寺社で、ここでは愛宕神社の磨崖地蔵菩薩を案内します。磨崖地蔵は、愛宕神社は背後にある岸壁の上部に彫られて龕の中。右手に針金が下がっていてこれをたよりに登らなければなりません。見るからに危なかっしい針金で、登るなということなのでしょう。昔は滝や岩場を見るとどう登るかルートを探したものでした。三つ峠で練習し、谷川、北岳、穂高、剱の岩場にも出かけました。しかし今ではバランス感覚ゼロ。昔の経験はまったく役にたちません。それでも磨崖仏を見たい一心で慎重に登りました。地蔵は蓮華台座の立ち、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ立像。左肩に絡子環がついています。これまでこ...里山の石神端書123磨崖愛宕地蔵(茨城県つくば市)

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