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  • 性神 栃木県那須塩原市百村

    里山の石神端書140那須塩原市百村・穴沢子安地蔵堂の性神百村の東の穴沢の道端に建っているお堂が穴沢子安地蔵堂です。お堂内部の様子はわかりませんが、本尊が子安地蔵なのでしょうか。那須塩原市の案内ではこの地蔵に安産子育て祈願の獅子舞があるそうです。お堂脇の木祠には石造の地蔵菩薩が鎮座しています。錫杖に宝珠を持つ代表的な地蔵の姿。子安地蔵という子供を抱いた地蔵を想像しますが、これも子安地蔵なのでしょうか。境内に子授けの神らしき石があります。大きな自然石は女陰状の石、その下に男根状の石が置かれています。地元の人は何と呼んでいのかわかりませんでしたので、子授けの性神としておきます。性神栃木県那須塩原市百村

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(110)調布Ⅳ青渭神社

    青渭神社(東京都調布市)本殿案内けやき扁額伊藤介二・昭和の石仏写真館(110)調布Ⅳ青渭神社

  • 馬頭観音群 栃木県那須塩原市百村

    里山の石神端書139那須塩原市百村・愛宕神社の馬頭観音群愛宕山は京都にある本山に倣って集落の西の小高い丘の上に建つケースが多い。百村の愛宕山も集落の西の山に建つ。入口から一直線に登る階段も愛宕山の特徴です。広い境内では百村に伝わる百堂念仏舞が行なわれます。社殿の左側には馬頭観音の石仏が並んでいます。この那須地方に多い頭に2から3つの馬頭を載せのものから、「馬頭観音」銘の上に馬頭を置くものなど、その数62基。造立年は明治以降のものです。百村には神社2社、寺院2寺がありますが、それほど大きな集落はありません。それにもかかわらずこれほどの馬頭があるのは、信仰心が篤かったからでしょう。神社近くの老女の話によると、馬頭観音があったのは愛宕神社ではなく、さらに山奥に入ったところでかつては祭りが盛大に行われ、子供のころ...馬頭観音群栃木県那須塩原市百村

  • 石橋供養塔 栃木県那須塩原市百村

    里山の石神端書138那須塩原市百村・光徳寺の石橋供養塔光徳寺は曹洞宗の寺。山門手前に禅宗の寺によく見かける「不許禁酒入山門」銘の結界石が立っています。酒を飲んだ人の境内立ち入りを禁止する意味です。結界石には葷酒(臭いの強い野菜や酒)銘の「禁許葷酒」もあります。結界石の側面に「石橋供養塔」銘が立っています。裏側に「相対成橋両岩石渡」で始まる造立の目的が記されている、明和三丙戌(1766)の石橋供養塔です。全国の石橋供養塔を調査している南川光一氏(注)は、石橋供養塔の造立者として念仏や庚申の講中を多いことを指摘しています。念仏や庚申の集まりは夜、儀礼のあとは飲食しながらの談義。このなかでいろいろな話のなか、作場道の整備や橋架け、橋架け替えなども話し合われたことが想像できます。それにしても結界石と一緒にした石橋...石橋供養塔栃木県那須塩原市百村

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(109)調布Ⅲ常性寺

    常性寺(東京都調布市)本堂案内馬頭観音地蔵菩薩伊藤介二・昭和の石仏写真館(109)調布Ⅲ常性寺

  • 日記念仏塔 栃木県那須塩原市

    里山の石神端書137那須塩原市百村・山神宮の日記念仏塔百村は会津中街道の村、小さいながらも集落内に2社2寺もある古い村です。集落北の外れの道端から少し入った杉林のなかに山神社が建っています。石鳥居の脇に立つのは「日記念仏」銘の石塔。あまり目にしないこの石塔については石田年子氏の「三山信仰の痕跡」(注)から案内します。「日記念仏とは三山系修験が江戸時代初期より、三山信仰流布の折に広めたとされるもので、つくば市栗原に建つ慶長八年(1603)を初見に利根川下流域に三十数基と他県に数基点在する比較的珍しいものである。日記念仏は月々の決められた日に、寮などに集まり日記念仏の和讃をとなえるというもの」。三山系修験の三山は出羽三山です。百村は念仏の盛んな村だったようで、村内や集落南の外れに建つ愛宕神社では百堂念仏舞が行...日記念仏塔栃木県那須塩原市

  • 薬師堂 栃木県那須塩原市

    里山の石神端書136那須塩原市油井・農業生活センターの薬師堂油井集落の農業生活センター裏に鹿島神社が建っています。神社の境内に集会所が建てられた情景はよく見かけます。山間部の集落にとってかつては祭りをした神社の広い境内は何をするにしても好都合なスペースです。神社脇に屋根が横向きになったいくつかの石祠が無造作に並んでいました。神社の脇には小さなお堂があり、中央に置かれた棟札状の木札に「薬師種字バイ奉再建薬師瑠璃光如来」とありますから薬師堂です。この木札が御本尊なのしょう、薬師の脇には伐折羅・波夷羅・安底羅・摩虎羅など、薬師の眷属である十二神将の名もあります。御本尊の前には石造物が3体。いずれも頭巾に前掛けがあり、尊名の確認は早々にあきらめました。薬師如来・月光菩薩・日光菩薩の薬師三尊のようでもありますが、最...薬師堂栃木県那須塩原市

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(108)調布Ⅱ祇園寺

    祇園寺(東京都調布市)本堂十王堂閻魔王地蔵菩薩庚申塔元禄15年(1702)伊藤介二・昭和の石仏写真館(108)調布Ⅱ祇園寺

  • 屋上菜園2022-11闘病記5

    気がついたらタマネギ苗、私の病状に合わせるかのように半分くらい根付かず消えてしまいました。抗がん剤投与の副作用から体調が戻ったら、歯抜け状態のところに植え替えようと考えています。*11月中旬、2回目の通院抗がん剤投与をしてきました。朝7時過ぎに前回と同じように受付機号を取って受付機の開始を待ちますが、すでに大勢の待ち人です。受付機は3台で、時間になると病院の人が番号札順に受付機に誘導。受付機に診察券を入れると、その日のスケジュール表と呼出器が出てきます。呼び出しは診察受付をしてから1回目診察が近いコール、2回目診察室に入ってくださいコールです。診察受付で名前・生年月日を言うと、それを聞いていた後ろの待合席に座っていたご婦人からカミさに声がかかりました。聞くと、娘の嫁ぎ先のお母さんの友人の方で、ご主人が同じ...屋上菜園2022-11闘病記5

  • 里山の石神端書135 不動明王(栃木県那須塩原市)

    栃木県那須塩原市板室・羽黒神社近くの不動明王板室の大日堂を一ノ木戸とした那須の白湯山信仰は、江戸時代初期に出羽三山を勧請したものとされています。それは那須の茶臼山を月山とし、お湯の湧き出る御宝前を湯殿山としたもので、山中に志津という場所もあるので、山形の大井沢から志津、湯殿山、月山を移し祀ったものと見ています。では板室の羽黒山はどこに祀ったのか。これはわかりませんでした。ところで今回、板室から百村へ向かう阿久戸集落の道端に「羽黒山神社」という神社を見つけました。これで那須山麓に出羽三山が揃うのですが、この羽黒山神社の情報はまったくありませんので、白湯山や出羽三山信仰に関係ある神社なのかはわかりません。神社の先に石祠に納められた不動明王があります。おかしな祀り方ですが石祠には「不動尊氏子連名/大正五年」とあ...里山の石神端書135不動明王(栃木県那須塩原市)

  • 里山の石神端書134 白湯山(栃木県那須塩原市)

    栃木県那須塩原市板室・大日堂の白湯山板室は江戸時代の元禄8年(1695)に開かれた会津中街道の宿場。板室の西の那珂川支流の谷にある板室温泉はこの宿場の人たちが経営していました。宿場奥の大日堂にその人たちがかかわった道標が立っています。山王峠越えの会津街道が災害で通行不能になったときに、急遽開かれたのが那須大峠越えのこの会津中街道でした。しかし山中の街道がすぐにできるわけはなく、それ以前に板室に大日堂を建立して三斗小屋から那須の茶臼岳に入る白湯山信仰の道があって、それを利用して街道としたようです。白湯山信仰は三斗小屋北の大峠を越えた会津にも広まり、こちらからも信仰の道があったのです。大日堂の白湯山塔には種字胎蔵界大日如来(アーンク)の下に「白湯山」銘が入っています。那須に白湯山を開いたのは那須の南山麓百村の...里山の石神端書134白湯山(栃木県那須塩原市)

  • 里山の石神端書 群馬県片品村花咲

    片品村花咲・登戸の薬師堂片品村花咲・登戸の天狗山片品村花咲・山崎の武尊神社片品村針山・穴観音の蚕稲荷里山の石神端書群馬県片品村花咲

  • 伊藤介二・昭和の石仏写真館(107)調布Ⅰ

    金龍寺(東京都調布市)本堂庚申塔地蔵菩薩人頭杖伊藤介二・昭和の石仏写真館(107)調布Ⅰ

  • 里山の石神端書133 蚕稲荷(群馬県片品村)

    群馬県片品村針山・穴観音の蚕稲荷針山は武尊山の南山麓、標高1000メートルの高原の集落です。ここからさらに30分ほど登った先にあるのが穴観音。登山口に立つ片品村の案内に、本尊の如意輪観音は寛政十年(1798)、越後国中蒲原郡の東福寺の通寛和尚が背負ってきたもの、とあります。沢沿いの穴観音の道を辿ると大きな赤い鳥居があり、扁額に「正一位蠶稲荷大神」の文字。この道は蚕(かいこ)稲荷への道でもあります。案内によると蚕の飼育法の一つ〝いぶし飼い〟という養蚕技法を発見し普及に努めた永井紺周郎の功績を称える稲荷のようです。この技法は蚕室内で火をおこして煙を充満させるもので、永井流養蚕術として群馬県北部や中部に普及したそうです。沢の流れが細くなったあたりの左手に立派な石段が現れます。これが穴観音への最後の登り。石段下に...里山の石神端書133蚕稲荷(群馬県片品村)

  • 里山の石神端書132 石祠(群馬県片品村)

    群馬県片品村花咲・山崎の武尊神社神社の境内にはさまざまな神が勧請され、木祠や石祠に祀られています。なかには長屋のような覆い屋に多くの神様を祀ったところもあります。これが群馬の赤城山麓や奥利根ではとてつもない石祠を並べた光景に出会うことがあります。山崎の武尊神社もそうでした。武尊神社は諏訪神社、八坂神社、不動堂などもある広い境内です。その奥にL字型に並んだ石祠の数は61社。手前の大きな2祠以外はみな同じ大きさで、これだけ並ぶと壮観です。双体道祖神や天照・大己・少彦真名・埴谷・倉稲魂の五神神名塔もあります。普通五神神名塔は五角柱ですが、ここでは六角柱で一面に造立者銘が入っています。諏訪神社は栃久保と鍛冶屋集落の二社を合祀したもので、鳥居の額束と社殿の扁額が同じような形になっています。扁束、よく見ると造るは大変...里山の石神端書132石祠(群馬県片品村)

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