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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこち空を飛びます。

昔の私のHPを復刻した別ブログ「時代屋小歌(音楽編)」「時代屋小歌(旅編)」もあります。そちらの方も、よろしくお願いします。 時代屋小歌(音楽編) http://blog.livedoor.jp/syunka16-mymusic/ 時代屋小歌(旅編) http://blog.livedoor.jp/syunka16/

時代屋だんぞう(DANZO)
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2014/10/17

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  • 土方歳三のイケメンぶり、なんとかならないか(笑)?

    幕末の時代ともなると、写真という技術が日本にも入ってきており、そのおかげで幕末の人物の実際の写真を、現代に生きる我々も知ることができている。その写真を本で見かけることもあるし、テレビで見かけることもある。欲を言えば、戦国時代に写真という技術が入ってきてたら、もっとよかったのに・・などと思ったりすることもある。そうすれば信玄や謙信、信長、秀吉、家康などの実際の顔もわかるから。まあ、欲を言えばきりがないのだが、とりあえず幕末の時代に写真が入ってきてたことだけでもありがたいと思わなきゃいけないのかもね。そのおかげで、龍馬や勝海舟をはじめ、多数の幕末有名人の実際の顔を我々は知ることができている。幕末の写真を見てると、有名人の中でとりわけ目を引くのが、新撰組の土方歳三のイケメンぶりだ。もちろん、他にもイケメンはいる...土方歳三のイケメンぶり、なんとかならないか(笑)?

  • 砂利道と河川敷

    私が少年時代を過ごした町には、砂利道というのはほぼなかった。都心だったせいもあろう。一方、親の田舎に行った時や旅行に行くと現地では砂利道はあった。また、高校時代に住んでいた郊外の家の近くにも砂利道はあった。それまで住んでいた都心には砂利道はなかったので、郊外の家に引っ越して、近くにあった砂利道を歩いていると、なにやら新鮮だった。「そういえば都心には砂利道なんてなかったなあ」と思って。ただ、砂利道というのは特に雨か降った時なとは道がぬかるんで歩きにくいし、車が通るにも通りにくいし、それが坂道だったりすると、滑りやすい。「ポツンと一軒家」という番組などでは取材車が山の砂利道を通る場面があるが、走りにくそう。東京、特に23区内に砂利道がなくなっていったのは、車を走らせるために道を整備しておかなければいけなかった...砂利道と河川敷

  • やはり書かずにはいられない、ブライアン・ウィルソン

    2025年6月11日。それはブライアンウィルソンが亡くなった日。私の音楽趣味の核となったミュージシャンの1人。ビートルズ、ボブディラン、マイクオールドフィールド、ジャンゴラインハルト、吉田拓郎、山下達郎と共に、私の核の1人だったのが、ビーチボーイズのブライアンである。もう、なんといったらいいのか。思い入れがありすぎて、すぐには反応できなかった。いくらでも書きたいことがあらすぎて。でも、やはり書かずには、いられない。それほど私が敬愛し、影響を受けたミュージシャンだ。同年代のポールマッカートニーが現役で頑張ってるのだから、ブライアンにももっと生きてほしかった。ビーチボーイズのアルバムは、企画モノを除きほとんど持ってるし、ブライアンのソロアルバムも持ってる。伝記本も読んだし、ブライアンの「ペットサウンズ」再現日...やはり書かずにはいられない、ブライアン・ウィルソン

  • 冷夏の中を飛んだ、あの宇宙船

    アニメの存在感を押し上げた作品は、アニメ史の中では何作品もあると思うが、宇宙戦艦ヤマトもまた確実にそんな作品の中のひとつだった。私はヤマトはリアルタイムでは最初から最後まで観てたわけじゃなかった。弟がヤマトを毎週リアルタイムで観てたのは知ってたが、当初私はあまり関心はなかった。ただ、その音声だけは私の部屋にも聞こえていた。当時私の部屋にはテレビはなく、部屋の中では私はステレオやラジオをよく聞いており、それで満足していた。テレビは、家の居間にあった。まだ当時は家にはテレビは1台しかなかったので、テレビを観たい時は、自分の部屋を出て、居間に行かねばならなかった・・ということも、当時私がテレビを離れていた理由だった。まあともかく、弟は毎週ヤマトを観てたから、ヤマトの音声は私の部屋にも聞こえていたのだが、やがて私...冷夏の中を飛んだ、あの宇宙船

  • 早く開放されて,温泉にでも入りたい

    5月に他界した弟の49日法要が終わった。次は7月上旬の新盆施餓鬼法要、そしてその数日後に棚経がある。まだまだ法事は続く。困ったことは、この法事が多い時期に、私自身の体調不良が完全にシンクロしてしまってること。先日の入院も、完治はしきっていないのに、49日法要があるため、中途半端な段階で仮退院してしまった。喪主である以上、私が法事を欠席するわけにはいかない。あのまま入院してたら49日法要に出れなくなった可能性もあったし。なのでのんぴり完治を待ってられない状態だった。法事が立て込んでなければ、完治するまで時間をかけて入院してたかもしれない。まあ、もっとも入院生活は色々不自由なことも多いので、私自身一刻も早く退院したいという気持ちもあったのだが。だが、そのツケはしっかり自身の体調に出てしまっているようだ。この先...早く開放されて,温泉にでも入りたい

  • 都心の路上にヘビを見た

    私の住んでる家は都心にある。周りには民家や高層ビルが立っており、自然環境など望むべくもない。強いてあげれば、私の家の近所の民家に庭があったり、花壇をたくさん並べてる家があるくらい。そんな環境の中、先日外出しょうとして玄関を出たら、正面の民家の庭の壁に、なにやら蠢くものを見た。近づいて見てみたら、トグロをまいたようなヒモみたいなものが、隣家の庭の壁を登ろうとしていた。なんと、それはヘビであった!私はこれまで都心の路上でヘビを見たことは一度もなかったものだから、ただただビックリ。けっこう大きそう・・というか長そうなヘビだった。それが隣家の庭の壁をよじ登り、民家の庭に入ろうとしていたのだ。え?都心でもヘビっているの?というか、このヘビ、これまでどこに潜んでいたの?こんな都心で野生で暮らせるものなの?これまで私が...都心の路上にヘビを見た

  • 四月十日の詩(デン助劇団に捧げる) bY なぎら健壱

    この曲は、なぎら健壱さんが1974年に発表した曲で、サブタイトル通りにデン助劇団に捧げた曲だ。デン助劇団というのは名前は私はしってたけど、少なくてもリアルタイムで観た記憶はない。テレビで「デン助劇場」という番組名で放送されていたようだ。ウィキによれば、「大宮敏充主宰の「デン助劇団」が浅草松竹演芸場で公演した軽演劇の舞台中継。大宮が演じるキャラクター「デン助」を主役としていた演劇。なお、大宮は言問三平の筆名で舞台の脚本も手がけていた。」とのこと。さらにウィキによると、「デン助劇場」という番組は、「1959年9月12日から1960年9月24日、および1961年4月から1972年3月25日までNETテレビで放送されていた演芸番組である。途中、1960年12月10日から1961年3月25日まで『土曜笑劇場』という...四月十日の詩(デン助劇団に捧げる)bYなぎら健壱

  • 身内の突然の他界を目の当たりにして

    本当なら、5月の最終週に私は旅行に行くはずだった。それにそなえ、宿の手配も済ましてたし、新幹線の指定席も取ってあった。だが5月の上旬に身内の不幸があり、喪に服すため、旅行の予定は全てキャンセルすることになった。葬儀関係や、葬儀後のことでやらなければいけないことが山程あり、とても旅行に行ってる場合じゃなくなってしまった。身内が亡くなってその半月後に旅行にいってもうしろめたい気持ちは拭えないだろうし。まあ、その旅先は、いずれ落ち着いたらまた予約すれはいい。幸いルートははっきりしてるし。身内の不幸・・とは、具体的には弟の死去である。私の母は、現在96才で介護施設にいる。年齢的に母の寿命に関しては、絶えず私の頭の中にあった。だが、私より当然若い弟の死去なんで、まったく想定してなかった。だから、これに関する現実感が...身内の突然の他界を目の当たりにして

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