只今、体調が思わしくなく、入院中です。無事に退院できたら、また何か発信します。その際は、よろしくお願いします。入院中
気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこち空を飛びます。
昔の私のHPを復刻した別ブログ「時代屋小歌(音楽編)」「時代屋小歌(旅編)」もあります。そちらの方も、よろしくお願いします。 時代屋小歌(音楽編) http://blog.livedoor.jp/syunka16-mymusic/ 時代屋小歌(旅編) http://blog.livedoor.jp/syunka16/
最近発売されたドラクエ3のリメーク版を遊んでいる。私が遊んでるのはスイッチ版。プレステ版も出てるが、いかんせんプレステは本体が高すぎて・・。これまでドラクエは何種ものリメーク版が出ているが、今回のリメーク版が1番話題になってる気がする。聞けば相当売れてるらしい。ドラクエフリークとしては、なにやら嬉しい。やりこみユーザーからは賛否両論あるみたいだが、個人的には十分楽しめている。私はやはりキャラが自由に移動できるフィールドがあって、なおかつターン制のバトルが馴染んでて好き。ドラクエはそのへんをきちんと守ってる点が良いし、安心して遊べる。若い頃にドラクエ3で遊んだ人には、そんな点が染み込んでる人は多いと思う。だから、比較的年輩の人もこのドラクエにハマってるのだろう。国民的ゲームと言われてるのは、そのへんをちゃん...ドラクエ3リメーク版、始めました
井上陽水さんの曲には、私が好きな曲はたくさんある。その中で、特に好きな曲を3曲あげろ‥‥と聞かれたら、あなたはどの曲をあげるだろつか。その答は人それぞれだろう。私の場合は、少なくとも2曲はすぐにあげられるし、どちらかというと長年決まっている2曲がある。これはもう、迷っても仕方ないので、とりあえずその2曲をあげることにしている。もう1曲は、その時の気分によってかわるかもしれない。 で、その「決まっている2曲」というのは、1曲は「帰れない2人」であり、もう1曲は「結詞(むすびことば)」である。「心もよう」のようにチャートを登って大ヒットした曲というわけではないかもしれないが、CMにも使われたことがあるので、陽水さんの曲の中では、それなりに知られている曲であろう。私が知る限り、この曲が最初に収録されたアルバム...結詞(むすびことば)by井上陽水
先日行った、かつての遊園地跡地にあった「多摩川園」は、どんな遊園地だったのだろう。多摩川園と言われても知らないよ・・そんな人は多いはず。なので、改めて調べてみた。実は、かつての多摩川園遊園地のマップが残っている。それによると、多摩川園とはこんな遊園地だった。この記事のトップ写真のマップを見ると、多摩川園のどの場所に、どんな遊具があったかが一目瞭然でわかる。そもそも多摩川園というのはどんな遊園地だったかというと、ウィキによれば、「1925年(大正14年)12月23日に「多摩川園」としてオープン。同年には丸子多摩川花火大会も開始されている。園内には、飛行塔、お化け屋敷、メリーゴーランドの遊戯施設があり、菊人形展でも多くの客で賑わった。」とのこと。初期の頃は、けっこう広かったようで、近くにあった田園コロシアムの...多摩川園は、こんな遊園地だった
過去の都内への小さな旅にして、心のタイムスリップ。せせらぎ館の前の芝生広場の向こうにはちょっとした丘陵があった。そこに近づいてみると丘陵の前には小さな川があった。↑まあ、川というほどのものでもないか。この写真の右側の緑の中に、かつては長い滑り台があったものと思われる。その小川ぞいに、園の右側方面に歩いてみた。するとそこには小さな池があった。はっきり言って、池と呼ぶにはちょっとショボい(笑)。どちらかというと、湿地という感じ。どうやら湧き水が溜まっているようだ。ここは公園内では「第二湧水池」と呼ばれているようだ。ということは「第一湧水池」も園内の別の場所にあるのだろう。目の前には丘陵があり、その途中には散策路が続いていたが、その湧き水の池からは直接には丘陵には登っていけないようだった。↑あの散策路は、後で歩...多摩川園跡地を歩く後編
昔、目蒲線という電車があった。今では目黒線と多摩川線に別れて路線は存在している。目蒲線がまだ走っていたころ、目蒲線には「多摩川園前」という駅があった。文字通り、多摩川園の真ん前にあった駅だった。で、多摩川園というのは、家族向けの遊園地であった。多摩川園に関しては、かつてこのブログで取り上げたこともあった。なにせ少年時代の私にはおなじみの・・・というか、もっとも親近感のあった遊園地だったから。1960年代には年間来場者数が100万人を超えた時代もあったのに、1970年代に入ると客足は遠のき、やはては1979年には閉園になってしまった。解体された多摩川園遊園地の跡地はしばらくテニスコートになっていた。だがその後さらに土地は整備され、今はどうなっているかというと、せせらぎ公園という公園になっており、一般公開され...多摩川園跡地を歩く前編
これまでに何度か書いてきてることだが、私が初めてギターを入手したのは中学3年の頃だった。初めてのギターは15000円の初心者向きのギターだった。それをしばらく使ってるうちに、ある程度の基本的な簡単なことができるようになってくると、ギターをグレードアップしたくなり、高校3年生の時に、定価10万のギターに買い替えた。バイトなどをして。買い替えてからは、明らかに自分のギターに対する向き合い方が変わった。無意識のうちに。それまでは、例えば指弾きする時は、定番のアルペジオパターン。コード弾きする時はビックでコードをなんとなくなぞるように弾いてるだけだった。そういう、なんとなく・・な弾き方で、曲をあれこれ作っていた。だが、10万のギターに替えてからは、明らかに曲ごとに、自分の弾き方に変化が出てきた。録音して聴いてみる...初めてギターをグレードアップした時
ここ数年感じていたことだけど、日本の四季のうち、春や秋と呼べる季節が短くなっている。今年もそう。2024年の夏は2023年に引き続き過酷な暑さの夏だったし、しかも、その暑さは秋になっても中々収まらず、史上もっとも遅い真夏日を記録したりした。そうかと思えば、日毎の寒暖差も激しく、気候が秋をスルーして夏と冬が日替わりで来てるような気候だったりした。季節の変わり目というのは昔からあり、そんな時期は寒くなったり暑くなったりを繰り返し、まるでグラデーションのように気候が移り変ってゆく。そしてその気候のグラデーションのような季節が春だったり秋だったりした。だが近年・・特に2024年の今年は、そのグラデーションらしさがなく、冬の気候の日がきたかと思うと、翌日には夏日がやってきたりしている。ほんと、秋はどこに行ったの?と...春と秋の立場
レジェンド漫画家、楳図かずおさん先生が亡くなられたようだ。亡くなられたのは2024年10月28日。88歳だったらしい。かなり、ショックで寂しい。楳図先生といえば、私が敬愛する5大漫画家のひとり。若い頃から私は楳図先生の作品を愛してきた。単行本は多数持っている。楳図作品は私は集めていたから。このブログでも楳図先生のことは何度か取り上げてきた。好きな作品、わすれられない作品、衝撃を受けた作品は多数ある。ミイラ先生、半魚人、イアラ、おろち、漂流教室、洗礼、短編集「怪」、短編集「恐怖」、その他その他。最近あまり楳図先生の情報が入ってこないなあと思ってたのだが、久々に楳図先生の情報か飛び込んできたと思ったら、訃報とは・・。年齢的には仕方がなかったのかな・・。そうは思いつつも、悲しい。以前にもこのブログで書いたかもし...追悼・楳図かずお先生
クリーム。この記事で取り上げる「クリーム」は、語感はおいしそうであっても、決して食べ物ではない。ロックバンドである。活躍したのは、1960年代の後半。確か活動時期は2年間ぐらいだったのではないか。 なんといっても、あのエリック・クラプトンが在籍したことで知られているブルース・ロックバンド、それがクリームだ。 そう、確かにクラプトンが在籍したことで有名ではあるが、クラプトン以外の2人のメンバーもすごかった。当時、最強メンバーと呼ばれたのだ。 ギターがエリック・クラプトン。ベースがジャック・ブルース。ドラムがジンジャー・ベイカー。 このたった3人編成のバンドだった。ある意味、ロックバンドとしては、必要最低人数だったかもしれない。最少人数の編成で、どこまでやれるか・・・そのテーマに挑戦していたのではないか。 ...1度、来日公演を見たかったアーティスト4クリーム
先日、2年ぶりに胃カメラ検査を受けた。今年は6月頃に腸の内視鏡検査を受けたのだが、今回は胃の内視鏡検査だった。同じ内視鏡検査でも、腸と胃では、シンドさが違う。腸の場合、検査前に2リットルくらいの下剤を飲まないといけない。これがもうシンドくてシンドくて。途中で気持ち悪くなってくる。しかもその2リットルを3時間くらいで飲み干さなければいけない。できれば受けたくないのだが、2年に1回のペースで受けてるから、仕方ない。それに比べたら胃の内視鏡検査の方がまだマシ。私は胃カメラ検査を受ける時は、麻酔をうってもらうことにしている。昔、麻酔をうたないで胃カメラ検査を受けようとしたことがあるのだが、もう嘔吐感が凄くて、体が受け付けず、結局はその日の検査は中止になった。そんな過去があるので、胃カメラ検査を受ける時は麻酔を受け...内視鏡ブルース?
RPG(以下ロープレと呼ぶ)を遊んでると、それぞれのゲームには様々な呪文が出てくる。キャラが戦闘を重ねて段々レベルアップして強くなっていくと、成長の過程で、様々な呪文を覚えるというのが、ロープレでは定番のパターン。「これは早く覚えたい」と思ってた呪文を覚えると嬉しいし、時にはその呪文を覚えたぃがために、ストーリーを進めるのを1時止めて、戦闘を繰り返し、キャラを成長させる場合もある。回復の呪文、敵をグループ単位で攻撃できる呪文、移動用の呪文、防御系の呪文などは、覚えるとその後の冒険が少しでも楽になる。だが。その一方で、こんな呪文はまず使わないだろうな…という、微妙な呪文も出てくる。そんな呪文を覚えた時は、レベルアップの嬉しさがイマイチに感じることもある。 例えば、ドラクエを例にしてみる。回復のホイミ系やキア...ロープレで、よく使う呪文、ほとんど使わない呪文
死語の世界6ナウい 信じる、信じないの問題ではない。あるんだから仕方ない。←故・丹波哲朗さん風に。死語の世界~。今回はその6。 「しご」は「しご」でも、「死後」ではなく、ここでは「死語」の世界である~。 今回取り上げるのは「ナウい」である。 「ナウい」。この言葉、私の世代にとっては、まさに直撃であった。世の中「死語」はあまたあれど、「ナウい」は私にとっては馴染み深い「死語」のひとつ。なぜなら私自身よく使っていた言葉だったからだ。 この言葉、どこから一般的になったかというと、私の記憶ではなんといっても「ぎんざNOW!」という番組が大きかった。夕方毎日放送されてたバラエティで、メイン司会は「せんだみつお」さんだった。この番組は当時一世を風靡し、番組は多数のスターを輩出した。 関根勤さん、小堺一機さん、清水健...死語の世界6ナウい
室井萌さん。旧名義はmoecotic。私が初めて萌ちゃんを見たのは、いつだったろう。確か、秋葉原で行われた音楽イベントだったと思う。今では結構前のことだ。初めて見た時、オシャレなロック少女で、どこかミステリアスで、ポップセンスがあり、独特のボーカルスタイルを持ち、何より主に1960年代の洋楽ロックをこよなく愛す音楽センスが私のツボだった。スペンサーディヴィスグループ、ビートルズ、、モンキーズ、トッド・ラングレンなどの名前が自然に出てくると、つい私の顔はほころんでしまったし、活動を続けてやがては音楽性の幅を広げて後年には70年代の洋楽ロックのデレク&ドミノスなとの曲も手がけるようになってることを知ると、嬉しくなった。実際、彼女は後年60年代の洋楽ロックのカバーアルバムを作ったこともあったくらい、その趣味は本...スーパーバスby室井萌(moecotic)
古くからアニメや特撮ドラマなどには、ヒーローの武器としてブーメランが出てきている。それを扱うキャラにとっては、必殺技だったりもする。ヒーローの使う武器にはいろんな種類がある。拳銃やレイガンなどの銃系。日本刀などの刀系。弓系。石などの投げ武器。パチンコなども。変わり種ではトランプカード。で、その他にもブーメランというものも結構定番。銃や刀、パチンコなどは子供の玩具としてもお馴染みで、それらを模したオモチャはいくつも存在するし売られてもいるが、ブーメランにもそれは言える。オモチャとしてのブーメランは、プラスチック製だったりする。ブーメランと言うと、振りかぶって敵に向かって投げると、敵に当たってけちらし、なおかつそのブーメランは投げた人に戻って来るというのが特徴だが、もちろんオモチャのブーメランには敵をけちらす...ブーメランの謎
日本地図を見ると、湖があちこちに点在してるのがわかる。細かい地図を見ると、沼や池まで表示されてるのがわかる。まあ、これは日本だけにとどまらず、世界のどの国にも言えることなのだろう。湖、沼、池。それぞれどれも水をたたえた窪地という点では共通しているが、呼び方は違う。だが、なんとなく湖・沼・池の呼び方の違いの基準みたいなものはおぼろげではあるがわかる。イメージとしては、大きくて深いのが湖。湖よりも小さいが、時には湖に迫る広さがある場合もあり、深さは湖より浅く、底は泥が沈殿しているのが沼。湖や沼よりサイズが小さいのが池。そんな印象を私は持ってるが、多くの人も同じようなイメージを持っているのではないか。 これはあくまでもイメージなので、実際に調べてみたところ、湖の定義は 「四方が陸地で囲まれていて、なかには水...湖、沼、池の分け方の違い
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ちょっと思うことがあって、最近少しずつ断捨離の作業を進めている。家の中が、これまでに買ってきた色々なものが溜まりすぎて、スペースが無くなってきているから。何年か前からその作業の必要性は感じていたのだが、いざやるとなると中々面倒くさいし、どれから手をつけていいか迷ってもいたし・・で、ついつい延び延びになってきた。でもこのままじゃ、単に日々が過ぎてゆくだけで、何も解決しない。そこで、重すぎる腰をあげ、やっとその作業にかかり始めた。あれこれ考えて、まず最初に手をつけたのは、フィギュアと本。どれを残し、どれを処分するか。私の家の中にはいくつものフィギュアがあり、その陳列スペースは、窓辺の掃除の時に非常に邪魔になっていた、そこで窓際のスペースを空けたくて、戦国武将の多数のフィギュアを、本来それらが入っていたケースに...家の中の断捨離作業、始めました
皆さんは子供の頃、何時頃に寝てただろうか、私は小学校時代は、たいたい夜の9時半頃に布団に入っていたと思う。で、朝起きるのは多分、朝の7時過ぎ頃だったと思う。あ、小学校時代でも、一度だけ夜の7時半頃に布団に入ったことはあった、それは翌日の深夜2時くらいに起きて、父の運転する車に乗って、母の田舎に向かうことになってた日だった。計画では、深夜2時過ぎ頃に出発して、母の田舎には昼頃につく予定だった、夜7時からのアニメを見て、そのアニメが終わったらすぐに布団に入ったのだったが、さすがにいつもと寝る時間が違い過ぎて、なかなか寝付けなかったのは覚えてる。結局、実際に眠りに落ちたのは、いつものように夜の9時半くらいころだったと思う。翌日深夜2時くらいに起きた時は、さすがに眠かった。だが、母の田舎へのドライブは何時間もかか...夜更かしはいつ頃から?
歴史ドラマや映画などでは、主人公は名のある大名だったり、武将だったりすることが多い。歴史ドラマが、登場人物と共にその時代の流れを描くものである以上、時代を動かした人物が、主人公や、そのまわりの登場人物として描かれるのは、当然だとは思う。だが、いつの時代もそうだが、世の中はそういう人物だけではない。歴史を動かしてはなくても、それによって影響をうけたり、まきこまれたり、迷惑をこうむった一般人は無数にいたはず。いゃ、むしろそういう人の数が大半たと思う。歴史を動かした人物というのは、世の中ではほんの1握りだと思う。ドラマや小説や映画などでは物語性は大事になるし、その作品で何を描きたいかによって、主人公や登場人物選びは変わってくる。歴史上での大きな出来事や事件を描く場合は、歴史を動かした人物やそのまわりの人たちがメ...歴史ドラマで描かれない庶民たち
ちょっと前のことになるが、我が家にある唯一のエレガットギターを修理に出した。しばらくの時間経過の後、どうにか戻ってきた。思ったより、大掛かりなリペアになったようだ。ちなみにエレガットギターとは、正確にはエレクトリック・ガットギターの略。ガットギターというのは、ナイロン弦を張るギターで、俗に言うクラシックギターのこと。そしてクラシックギターにピックアップが搭載されていて、アンプに繋いで音を増幅させることがてきる設計になってるのが、エレクトリックガットギターである。これがあれば、バンドなどにクラシックギターを持ち込むことができる。エレアコギターのクラシックギターバージョンだ。我が家にはアコースティックギターは何本もあるが、ガットギターは、これ1本のみ。だから、我が家ではけっこう貴重な存在。昔、自主製作アルバム...帰ってきたエレガットギター
私はエビとカニはアレルギーがあるため普段食べないが、イカは大好物。イカ料理は、どれも好き。サシミ、煮付け、フライ、イカめし、丸焼き、その他。で、イカといえば、有名なのはダイオウイカ。深海ドキュメント番組などてはよく取り上げられるイカ。なにしろサイズが怪獣並み。でも一応イカてはある。なので、ダイオウイカを食べたらどうなるかというのにも興味ある。そこで調べてみた。結論から言うと、実際に食べたことがある人の話では、とても不味いらしい。アンモニアのニオイがして、食べられたものではないらしい。まあ、食べた人が死んだとかいう話は聞かないので、食べられないこともないのかもしれないが、ひどく不味いようだ。なんか、話によると、アンモニアの匂いを我慢して食べてみると、味は少し苦味があり、しょっぱいとのこと。もう1回食べてみた...ダイオウイカの謎
昨今、日本のマンガは世界的に人気がある。日本のマンガは、数多く世界各国語に翻訳され、世界各国で読まれてるという。日本人として、それは嬉しくもあり、誇らしくもある。ここで、ふと思ったことがある。それは、日本のマンガの、中には様々なキャラが出てきており、中にはそのキャラ独自の口ぐせを持つキャラもいる。その口ぐせが、ちゃんと意味を持ってるフレーズならいい。たが、その口ぐせが、ほとんど意味がないフレーズの場合は、どう訳すのだろう。赤塚不二夫先生の作品には特にそういうキャラは多かった印象がある。わかりやすく書いてみよう。例えば天才バカボンのパパの決めセリフ「これでいいのだ」などは、そのフレーズそのものに意味があるから、普通に訳せるだろう。他には例えばワンピースの「海賊王に俺はなる!」も大丈夫だろうし、ケンシロウの「...マンガのキャラの口ぐせを、どう訳す?
私は日本全国あちこちに旅行してきたが、もちろんまだまだ行けてない場所は多い。行けてない場所で、いつか行ってみたい場所はあれこれある。だが、それと同じくらい、かつて行った場所でもこの先も何度も行きたい場所もある。これまで私が行った場所で、私がもっとも好きな旅先は?と聞かれたら、私は上高地をあげる。上高地といえば、定番の有名な観光地。ある意味で、ありきたりな答なのかもしれない。でも上高地にそれほど思い入れがあるのは事実。私が上高地という場所を初めて知ったのは、小学生の頃まで遡る。何かの本で、とびきり美しい風景写真を見つけ、けっこう衝撃だった。日本にはこんな素晴らしい景色がどこかにあるのか!と思った。そして、この風景は、日本のどこにあるんだろうとも思った。すぐにはその答えはわからなかったが、時の経過と共に、その...上高地からの帰り道の記憶
エグザイル・・という名前を聞くと、今やほとんどの日本人はJポップのボーカル&ダンスグループのエグザイルを思いうかべるだろう。だとしたら、私がエグザイルについて書くなんて、意外だと思われるかもしれない。だが私がこのブログで取り上げるエグザイルは、アメリカのロッグバンドの方だ。jポップのエグザイルではない。ピークとしては主に1970年代から80年代に活躍したバンドで、ジャンル的にはカントリーロッグのバンドだったようだ。今回取り上げるこの曲は、エグザイルの5枚目のアルバムのタイトル曲。1980年に発表されたアルバムだったようだ。カントリーチャートでは、かなりの曲をチャートに送り込んだバンドで、バンドとしては成功したバンドだったと言えるだろう。けっこうメンバーチェンジはあったようで、メンバーチェンジがあるとバンド...ドント・リーブ・ミー・ディス・ウェイbyエグザイル
携帯が普及した今、街からは公衆電話が激減している。しかもこの流れは止まりそうもなく、公衆電話は今後ますます減っていきそうだ。今では公衆電話の使い方を知らない若い人も多いらしい。実家で暮らしていた若い頃、公衆電話はもっぱら夜に世話になった。特に真夜中。それは実家には親も暮らしていたからだ。実家にも当然電話はあったが、実家の電話は家族が集まる食堂にあったから、電話での通話は家族皆に筒抜けだった。通話する相手が普通の友達なら、その通話が家族に聞かれても問題なかったのだが、通話する相手か彼女だったりしたら、その会話が家族に聞かれるのはイヤだった。会話で甘い言葉を言おうものなら、絶対にイヤ。照れくさいし、通話が終わったらからかわれそうだし。へたしたら通話してる最中でも、家族からツッコミを入れられることもあるし。そん...真夜中の公衆電話
最近私は家の固定電話には出ないことが多い。本当に必要な連絡は携帯で済ましているし、それで不都合なことになったことは、ほぼない。固定電話への着信で、時々あるのが、以下の連絡。↓自動音声で「NTTドコモです。まもなく、お客様の電話が使えなくなります。手続きが必要ですので、ダイヤル●番を押して下さい」などの趣旨のメッセージが入る。これ。本当に最近たまにかかってくる。だが、このメッセージが流れた時、まず応対することはない。これにうっかり応えてしまうと、相手の思うつぼだと思うから。皆さんも、こういうメッセージには、ご注意あれ。しかしサギ業者(?)も、しつこいというか、あきらめないというか。こういうメッセージにはうかつに応対しないでほしいという注意喚起がなされていて、そう簡単に引っかかる人は少ないと思うのだが。怪しい着信
ネットスラングとして発生し、本来の意味あいとは違った意味で一部の人たちに広まっていった言葉で「チー牛」という言葉がある。チー牛とは、本来は「チーズ牛丼」のことで、それを略した言い方。なのだが、最近は、相手に対して「オタク」とか「陰キャ」「ネクラ」などの意味あいで侮蔑する時に使われる言葉になっている。元々は、牛丼屋てチーズ牛丼を頼む人に陰キャの人が多そうに見えたらしく、陰キャに見える人をチー牛と呼んで侮蔑するようになったらしい。見た目の印象としては、子供のような髪型、覇気のない顔、精神年齢が幼く見える・・など、あくまでもその言葉を口にする人の主観的な偏見からくるもので、単純に「ダサい」という悪口を言ってるようなものか。なので、それを言われた人が実際にそれに当てはまるかどうかはともかく、相手をバカにするために...チー牛の逆襲?
私は高校の時は3年間美術部に在籍していた。で、同じクラスや、同じ美術部には自ら音楽をやる友達もいたので、そういう友達と音楽グループを組み、音楽活動をしていた。都合、美術部の部活動と音楽活動を並行してやっていたことになる。その音楽グループは当初3人だった。そして3人ともシンガーソングライター志向の面があり、自作曲を日頃からせっせと作りためていた。自作曲が一定数たまると、自作曲をカセットテープに入れ、ちょっとしたカセットアルバムみたいなものを作り合い、1本カセットテープがいっぱいになると。カセットアルバムにタイトルをつけ、ジャケットも自ら描いていた。そして、そのカセットアルバムを互いに貸し合って、互いの自作曲の感想を伝え合っていた。やがてその音楽グループは、ソロだけではなく、その3人グループ名義でのカセットア...アルバムというもの
いやはやビックリする情報を知った。gooブログがサービス終了するらしい。このブログ「時間の外」は2006年の秋からgooブログを利用してきたのだが、2025年にgooブログとしては終了せざるをえなくなるとは・・。さて、今後どうしよう。あしかけ19年、ほぼ1日おきのペースで更新してきたので、公開したネタ、取り上げてきたネタはかなりの数になる。中には、しょーもないネタもあれば、自分なりにそれなりに力を入れて綴ったネタもあった。軽いネタもあれば、それなりに大作なネタもあったと思う。消えてもいいネタもあれば、残しておきたいネタもある。これまで公開してきたネタを、どうしよう。単に新たなブログを他社のブログサービスで立ち上げること自体はいいのだが、問題はこれまでに公開してきたネタをどうするか。ちょっと考えないとなあ。gooブログサービス終了予告の衝撃
世界各国には様々なヒーローがいる。この場合、架空のヒーローも含めて。漫画、映画、小説、ゲーム、神話、その他。では、多数いる世界のヒーローの中で、最強のヒーローは誰だろう。実在する人物ヒーローだと、架空のヒーローにはかなわないだろうから、比較するなら架空のヒーロー同士になるだろう。日本だけでも、ウルトラマン、仮面ライダー、ガンダム、ドラゴンボールの悟空、鬼太郎、その他多数いる。諸外国のヒーロー達を含めると、一体何人ヒーローがいるかわからないくらい。世界的な知名度があるヒーローというと、ヒーローの代名詞的な存在としてはスーパーマンか。ならば実際問題として、スーパーマンはどれくらいの能力を持ってるのだろう。そこで試しにスーパーマンの能力をネットで調べてみた。すると以下の能力が表記されていた。80万トンの物体を持...世界最強のヒーローは?
休暇をとって仕事を休み、旅行に行った時は、たいがい旅先で職場の同僚たちのためにお土産を買ってきたりする。そしてそのお土産を同僚に渡す時、「今回は何処に行ってきたの?」などと聞かれることもある。そんな時、行ってきた旅先の名前を言うと、思わず食いつかれる旅先もあれば、あまり反応がない旅先もあるし、反響あるかと思ったら逆に引かれる旅先もある。旅先名を言えば、もっと興味を引かれるだろうと思ってたら、思ったような反響がなく、それどころか逆に引かれてしまった旅先の代表格は、私にとっては恐山だった。恐山といえば知名度は相当高い。だが、かといって好んで行きたいとは思わない人もいて、反応としては「・・え?恐山?ホントに行ったの?」とか「よくそういう場所に行ったね・・」とか、へたしたら「おいおい、大丈夫?」とか「なんかへんな...反響のあった旅先と、なかった旅先
イーストという名前のバンドはハンガリーにも昔存在していたらしいが、今回このブログで取り上げるイーストというバンドは、日本人によるアコースティックバンドだ。1972年に日本のバンドが、アメリカのキャピトルレコードと契約し、アルバムを1枚発表した。それがイーストという名のバンドだった。このバンドは、元々はニューフロンティアーズといつ名前のフォークバンドだったらしい。日本のバンドがアメリカのレコード会社と契約し、アメリカでデビューを飾ったということで、当時けっこう話題になった。けっこう音楽雑誌に取り上げられていたし。メンバーは瀬戸龍介(vo,g)吉川忠英(g,hac,per,hmc,etc.)森田玄(vo,g,per)朝日昇(b)足立文男(ds,per,key,etc.)そう、このバンドには、瀬戸龍介と吉川忠英...ビューティフルモーニングByイースト
忘れられないお店の、忘れられないあの味。あなたにも、そんなお店はあるのでは?私にもある。今回取りあげたいのは、新宿の紀伊国屋ビルの地下の食堂街にあったスパゲッティ屋。その店の名前は「十紀和」。学生時代、私は映画館でバイトしてた時期があったのだが、勤務中には昼飯休憩があった。場所は新宿だったので、飲食店は多数あり、店には困らなかった、当初はあちこちの店に昼飯を食べに行ってたのだが、社員さんに十紀和というスパゲッティ専門店を教えてもらってからは、その味に惚れ込み、昼飯休憩のたびにその店に通うようになった。メニューは結構豊富にあった。最初は無難にナポリタン系やミートソース系を食べたような気がするが、やがてその店オリジナルの「あるメニュー」を食べてからは、そのスパゲッティにハマり、そればかり食べるようになった、そ...追憶のあの店、あの味
登山家の中島健郎さんと平出和也さんが2024年7月にK2登山中に滑落事故で亡くなったことについて、このブログで取り上げたことがあった。K2はパキスタンと中国の国境にまたがる山で、その高さは8611メートルで、エベレストに次ぐ世界第2位の高さを誇る山だ。中島さんたちは、世界の誰も見たことがない風景をカメラに収めて、それをテレビで紹介する・・というスタンスで仕事をしていた登山家。そのため、2人の登山のルートは過酷極まりない。そのかわり、我々視聴者は、これまで映像で収められてこなかった風景を見せてもらえてきた。2人にとって結果的に最後の登山になってしまったルートはK2の西壁ルート。これまで世界の登山家が成し遂げていないルート。他のルートで登れば山頂到達は可能だったのだろうが、中島さんたちにとっては、それでは登山...K2西壁ふたりの軌跡
とかく春先は気候の変動が目まぐるしいものだ。寒くなったり、急に暑くなったりをくり返しがち。今年もそうだ。急に暑くなったかと思えば、急に真冬の気温に戻ったりもする。先月。今年初めての夏日が3月にきてしまった。普通3月といえば、冬が終わった直後。なので3月前半頃はまだ冬の名残が残っており、寒い。実際今年の3月には東京にも雪が降った。だが、その数日後には夏日がきてしまった。どうなってるんだか・・。3月の段階で夏日が、来てしまうようじゃ、また今年も夏が思いやられる。なんか近年は毎年この時期同じことを書いてる気がするが、今年もしっかりと夏は酷暑の夏になりそうだ。ここ数年は夏になると、その酷暑ぶりから、あまり外を出歩きたくなくなる。きっと今年もそうなんだろうなあ。ちょっと買物で外に出ただけでも、汗だくになるのだろう。...早すぎた夏日
2024年の元旦に発生した能登半島地震により、かつて私が泊まったことがあるランプの宿がその後どうなっているのか気になっていた。よしがうら温泉ランプの宿は、能登半島の奥の奥の突端の海沿いにある宿。今回の大地震では被害は甚大だったろうと、ずっと私は思っていた。先日、その宿の現場を伝える報道番組があった。やはり、今現在は営業再開は出来ずにいるようだ。やはりなあ・・。宿は海辺の岩場の上に建てられており、地震による隆起の営業は、もろに出る立地。あの地震では、能登半島の各地で海底隆起があり、その結果として港が使えなくなった場所があることは伝え聞いていた。海底隆起はランプの宿にもあり、今の画像を見たら、宿の前の景色は変わってしまっていた。前は宿の建物と眼前の海との間に、海を至近距離で見られる(というか、風呂自体、波が打...震災後のランプの宿は・・?
自分で曲を作るミュージシャンやバンドがメジャーデビューできて、なおかつその後も売れ続け、更に本当に自分のやりたい音楽をできるようになるために、よく使われる方向性がある。それは、自分で作った曲をプロとしてやり続けたいのなら、まずは自分が「売れる曲」を作れることを証明しなければならないということ。レコード会社というのは、文字通り「会社」であるからして、利益をあげないといけない。ボランティア団体ではないのだから。利益をあげるためには、そのミュージシャンには売れてもらわないといけない。逆に言うと、ミュージシャン側としては、メジャーデビューさせてもらうからには、自分の作る音楽が利益をあげられることをレコード会社に証明しないといけない。もちろん、レコード会社のスタッフが聴いて、そのミュージシャンが売れそうかどうかを判...ミュージシャンが売れるために
以前、私が幼少の頃に住んでた家の近くにあった謎の大邸宅の正体についてのネタを投稿したことがあった。今回は、それとは別の謎の建物の話。今回取り上げる謎の建物は、結局その正体はわからなかった。それは結局そのまま今に至っている、家の近くにその建物があったのは、いつ頃くらいまでだったろう。記憶が定かではないが、多分私が小学生くらいまでだったと思う。ともかく謎の建物だった。どこか外国の神殿みたいな外観・・というか入口を持つ建物だった。だが物心ついた頃にはその建物はなくなっており、その謎の建物が建ってた場所は、公園になっていた。神殿のような建物が一体何の建物だったのかは、結局わからずじまい。わからずじまいのまま、気がついたらなくなっていた。その建物の中に入ることはなかったが、特徴的な入り口だったので、近所に住んでた友...結局、あの建物は何だったんだ?
とんでもない妻がいたもんだ。いくらなんでも、考えられないし、ありえない。こんな妻、ホントにいるの?信じられないんだけど。被害者の気持ち、死ぬほどわかる。励ましてあげたいが、被害者の心情を考えると、かける言葉が浮かばない。可哀想を通り越している。こんなことされたら、離婚1択が当たり前。そこに迷いはない。即決。損害賠償で済む問題でもない。そう、金だけの問題ではない。そこにはトピ主の思い出や人生経験も染み込んでいるのだから。ある意味、トピ主の人生の大きな部分が抹殺され、捨てられたようなもの。こんな事件、こんな妻が存在してること、誰か嘘だと言ってほしい。この事件、ネタだと言ってくれ。こんな妻、実際にはいるわけがない・・と言っておくれ。また、トピ主に対する、この妻の両親の対応も鬼畜。この期に及んでトピ主を悪く言うな...身につまされる話
新宿のタワマンに住んでた20代女性が、50代の男性に殺されてしまった事件、ネットでかなり取り上げられ、様々な意見が寄せられていた。当初は、犯人である男性が叩かれていた。だがその後、被害者とされた女性のことが知られるようになるにつれ、殺された女性の方も叩かれるようになっている。珍しいパターンだ。普通なら殺人犯の男性の方が叩かれ、殺された女性が同情されるはず。私もそのニュースを初めて耳にした時は、加害者である男性に嫌悪感を持った。だが・・。殺された女性は、確かに殺されてしまったのは悲劇だが、その女性が加害者にたいしてとってたそれまての態度や行為やウソが明るみになるにつれ、「こりゃ、加害者は怒るはずだ」とか「この被害者は自業自得だ」などの声がネット上でも私の周りでも行き交うようになった。被害者の女性はもう亡くな...新宿タワマン殺人事件
かまやつさんのヒット曲というと、「我が良き友よ」があげられることが多いが、「我が良き友よ」は吉田拓郎さん作詞作曲の曲だった。だが、かまやつさんは元スパイダースのメンバーであり、自ら作詞作曲もこなすシンガー・ソングライターでもあった。スパイダース解散後にかまやつさんがソロのシンガー・ソングライターとして出したヒット曲といえば、一般的には「どうにかなるさ」という曲がそれなりに知られている。カントリータッチの曲で、けっこうヒットチャートを上ったし、今でもアマチュアシンガーからはライブでカバーされたりしている。今回取り上げる「気らくなものさ」は、「どうにかなるさ」というシングルヒットに続いて発表された曲で、路線としては前作「どうにかなるさ」を引き継いでいる曲。ラジオなどではそこそこプッシュされていたし、そこそこの...気らくなものさbYかまやつひろし
忍者といえば、伊賀忍者と甲賀忍者が有名で、忍者の里としては伊賀と甲賀は代名詞的存在であろう。試しに、貴方が、「忍者の里はどこ?」と聞かれたら、まずは伊賀と甲賀が出てくるのではないだろうか。確かに伊賀と甲賀は忍者の里としてあまりに有名。だが、戦国時代、忍者がいたのは伊賀と甲賀だけではない。武田信玄の配下にもいたし、上杉謙信の配下にもいた。毛利元就や伊達政宗や真田昌幸の配下にもいたし、ある意味全国各地にそういう役割の存在はいたのだろう。その呼ばれ方も様々で、「軒猿」「乱破」「透破」「しのび」「間者」その他多数。地域によって呼ばれ方も様々だったようだ。「忍者」と言う呼ばれ方をするようになったのは、意外にも大正時代以後らしい。大正時代に発行されて人気を博してた立川文庫で「忍者」という名称が使われて一般化するように...風魔一族の謎(風魔の忍者とは?)
長年使ってきた洗濯機がついに動かなくなった。けっこう前から、作動中に妙な音がしていて、しかもその雑音は少しづつ大きくなっていた。だから、そろそろ寿命なのかなと覚悟はしていた。だましだまし使っていた。だがついに壊れてしまったようだ。限界を超えたのだろう。スイッチを入れても、へんな空回りのような不快な音がするだけで、動こうとしなくなった。この記事のトップ写真が、これまで使ってきた洗濯機。もう使えなくなっている。処分する前に撮っておいた。この洗濯機、どれくらい使ってきただろう。少なくても15年以上は使ってきた。今の洗濯機の平均寿命はとりあえず10年くらいがメドだと言われてることを考えると、我が家の洗濯機は平均以上には頑張ったことになるのだろう。ちなみにネットでざっと調べてみたところ、今の家電の平均寿命は・・●洗...家電の寿命
オーバーツーリズム。過剰な観光客の意味。この言葉をよく耳にするようになった。GWの時に、富士山がバックに見えるコンビニの前に多数の外国人観光客が写真を撮ろうと押し寄せ、その結果近隣住民や道路に迷惑をかけてしまったことが報道された。車通りの多い道ぞいだったため、へたしたら事故のリスクもあった。結果、行政としては、そのコンビニの前の道に目隠しとなる壁を設置することにした。観光客がそのコンビニの前に集りにくくさせるために。観光客は、そのコンビニの前の道路を渡った側から写真を撮ることか多かったので、道路を渡った側の場所に壁を設置したわけだ。外国人観光客にとってはその場所は、コンビニと富士山をツーショットで写真に収められるポイントだったようで、それがネットで情報が拡散され、客が集まってくるようになったようだ。場所的...オーバーツーリズム問題
ギブソンのJ-45といえば、アコギではマーチンのD-28と並ぶ、人気機種のギター。人気も売れ行きも。それぞれマーチン、ギブソンのアコギでは看板機種かもしれない。使っているミュージシャンは、世界中にそれこそ星の数ほどいるだろう。プロだけでなく、アマも。私もJ-45は欲しいと思ったことはあった。だが、実際に入手するまではいっていない。もちろん、余裕があれば1本持っていたい気はあったが、あるビンテージギターを入手してからは私のギターコレクション癖はストップした。その結果、J-45は未所持の状態で私のギター収集は終わってしまったのだった。ただ、前述のビンテージギターを入手する前の段階で、J-45を入手する寸前までいったことはあった。それは、ギブソンのサザンジャンボというギターがかなり安い値段で中古楽器屋で売られて...ギブソンJ-45というギター
婚活などでは、タワマンに住まわせてくれることを条件のひとつにする女性がいるようだ。タワマンの特に上の方の階に住むことに憧れてる婚活女性はけっこういるのかもしれない。まあ、実際にそれが実現するかどうかは、ともかく。だが、私はタワマンの特に上の方の階に住みたいと思ったことはない。仮にそれか可能な経済状態だったとしても。上の方の階に住んだら、そりや確かに眺めはいいだろう。あと、上の方の階なら、蚊などもいないだろう。地震が来て津波が押し寄せても、タワマンの上の方の階なら大丈夫だろう。メリットは、わかる。でも同時にデメリットも感じてしまう。例えばエレベーター。外に出るには、エレベーターを使うことになるはず。毎朝、通学や通勤では、毎朝乗る電車やバスの時間は決まっている人は多いはず。だが、エレベーターが中々来ないと、外...タワマンと地震と忘れ物
テレビのCMでは、過去から現在に至るまで、多数のCMソングが流されてきている。本来CM用に作られた曲ではなかった既成の曲をCMに使用した曲もあれば、ピンポイントに特定のCMのために作られた曲もある。前者の曲は元々CMで使われる前にすでに曲として成立してた曲なので、CM関係なしで存在していける。一方、後者の曲の場合は、そもそもそのCMがないと成立しないケースがほとんど。通常はCMとワンセットで存在する。また、そういう曲の場合、ただのCMソングとして聴き流すことは多い。だが、そのCMが一定期間繰り返しで流されてると、スルーしてたはずの曲が、いつしか自分の中で心に残り、しかもいつまでも残り続ける場合がある。今回取り上げるCMソングは、リアルタイムでテレビなどで流れてた時は、ただのCMソングとしてあまり気に留めず...東京コンタクトレンズのCMソング
この作品のDVDを私がいつ入手したのかは、もうはっきりとはしない。プレステの初代機を買った時に、このDVDを入手した気はする。当時私はDVDデッキは持ってなくて、プレステを買えばゲームだけでなく、DVDも見れる・・ということで、このDVDも入手したのだと思う。だが、いざプレステを入手して、このDVDを見ようとしたのだが、どうもうまく再生できなかった。だがせっかく買ったDVDソフトなのだから、なんとしても見たい。そこでやむなくDVDデッキを購入して、無事に視聴することはできた。初代プレステでなぜうまく再生できなかったのかはわからないが、とりあえずDVDデッキを買う良いきっかけにはなった。購入した頃に全話視聴した後は、見返してはいなかったのだが、最近ふと思い立ち、久々に全話を見返してみた。さて、このDVD「恐...「恐怖のミイラ」を久々に見返してみた
かつてイーグルスと並んで、アメリカの゙ウエスト・コーストロックのトップバンドだったのが、ドゥービーブラザーズ。両者はまさに甲乙つけがたい両横綱パンドだった。当時ウエストコーストロックといえば大人気で、ウエストコーストのアウトドアなライフスタイルも雑誌「ポパイ」などの影響で日本でもおおいにもてはやされていた。巷ではウエストコーストロックを語る時は、「あなたはイーグルス派?それともドゥービー派?」と言われたものだった。私はどちらも大好きだった。強いてあげれば、イーグルスのアルバムは全部持ってた一方、ドゥービーは持ってないアルバムもあったので、6対4くらいの割合でイーグルス寄りだったのかもしれない。だがドゥービー好きも本物で、ドゥービーの来日公演には熱狂した。特にギタリストジェフ・バクスターが椅子に座ってエレキ...ナチュナル・シングbyドゥービーブラザーズ
仕事などで、普段の会話でちょくちょく耳にするフレーズがある。電話などの応対でもよく耳にするフレーズでもある。いくつかのフレーズがあるが、今回取りあげてみたいのが「ええっとですね」というフレーズだ。これは友人同士の会話ではあまり耳にしない。たいがいは仕事関係だ。自分の身のまわりの人たちだけなく、よく見てるとテレビでもよく耳にする。これを言う人は、たいがい誰かに何かを問われた時だ。アナウンサーが使うこともあれば、何かの番組に出たコメンテーター、ゲストが使うこともある。ということは、世の中のいろんな会社や色んなシチュエーションで不特定多数の人が使っているのであろう。これを使う時は、大概「間をとって返事する」時だ。「え~っとですね」は、「ちょっと待って下さい、今考えをまとめます」みたいなニュアンスを含んでいること...「ええっと・・・ですね」というフレーズ。
日本の国内旅行ではあまり馴染みのない「チップ」だが、外国では何かのサービスに対してチップを払うのが一般的習慣になってる国もある。その事情は、その国によって違う。なので海外旅行に行くときは、その国でのチップ事情やチップ相場を知っておいたほうがいい。中にはチップが必要ない国もあるし。チップ制が習慣になってる国の場合、相場は10%から15%くらいの場合が多いようだ。中には、例えばタクシーを利用した場合、本来の値段にお釣り銭をそのまま渡すくらいのこともある。いわゆる「釣り銭は、いらないよ」である。だが。普段チップの習慣のない日本にいると、海外のチップ制の習慣がある国に行くと、戸惑うことがあるのも事実。困るのは、チップの相場がわかっていても、時と場合によっては、その相場の細かい料金の持ち合わせがないこともある。昔、...チップの相場
ウルトラマンやセブンは日本においては不滅の巨大ヒーローであり、アメリカで言えばスーパーマンみたいな存在であろう。私は幼いころからマンやセブンの雄姿を見て、熱中した。あまたのマンやセブンたちの活躍を見て、どうにも解せない点があった。素朴な疑問点があった。私同様に感じていた子供は多かっただろうと思う。で、その疑問点の答えに関しては、私が幼少の頃からさんざん子供たちの間で議論されていた。ある意味、語りつくされてきた疑問点かもしれない。そしてそれは、今もそうなのかもしれない。で、その「解せない疑問点」とは?ウルトラマンは敵と戦う時に、なぜ最初からスペシウム光線のような必殺の光線技を出さないのだろう?ということだった。怪獣や宇宙人との戦いにおいて、最終的にスペシウム光線を放って敵をやっつけるシーンは実に多い。ならば...ウルトラマンよ、早くスペシウム光線を出してくれ
かつて存在した私のHP「時代屋小歌」の音楽面の記事を復刻してる私の別ブログ「時代屋小歌(音楽編)」の方で、HP時代には未公開だった自作曲の歌詞を1編、このほど新たに公開しました。今回公開した自作曲は「草原の子供たち」という曲の歌詞です。こちら↓草原の子供たち:「時代屋小歌」(音楽編)草原の子供たち作詞・曲だんぞうひとかけらの輝きが僕の足元を照らしてた陽は高く穏やかな光があたりを照らしてた遠い世界の悲しみを...「時代屋小歌」(音楽編)現在ユーチューブ上でこの曲のインストによるデモバージョンを公開してありますが、そのインスト音源は私が初めてPCを買ったばかりの頃に、初歩的なソフトで作った音源です。当時、買ったばかりのPCでわけも分からず悪戦苦闘しながら作った音源なので、今となっては直したい箇所はたくさん。音...「草原の子供たち」歌詞を公開しました
野茂選手のメジャーでの成功以後、多数の日本人野球選手がアメリカに渡りメジャーリーガーを目指すようになった。野茂さん、イチローさん、ゴジラ松井さん、黒田さん、マー君、ダルビッシュさん、大谷さんなど、向こうでも大活躍した選手のインパクトが強いため、それは多くの日本人野球選手やファンに希望や勇気を与えてきている。ちなみに、MLBフアンが選ぶ、メジャーで活躍した歴代日本人選手ベストテンみたいなアンケートがあったようで、それによると以下の日本人選手が選出されていた。順位は、度外視して名前だけあげてみる。あくまでも2024年現在の段階での評価である。◯イチロー◯大谷翔平◯野茂英雄◯松井秀喜◯ダルビッシュ有◯上原浩治◯田中将大◯黒田博樹◯佐々木主浩◯岩隈久志もちろん今後入ってくる選手もいるかもしれない。だが、その一方で...日本人メジャーリーガーの明暗
私は基本的に毎日風呂に入らないと気がすまない。だが、正直、風呂に入るのがめんどくさいことも多い。特に酒を飲んで、いつもより遅い時間に帰宅した時など。とはいえ、風呂に入らずに布団に入ると、どうも落ち着かないというか、気持ち悪いというか。少なくとも気持ちよく眠りに落ちられないというか、落ち着かない。それはよくわかってるので、たとえめんどくさくても、無理してでも風呂には入ってしまう。そして、風呂から出たあとに必ず思うことがある。それは「ああ、やっぱり入ってよかった」ということ。今でこそ毎日風呂に入らないと、気持ちよく寝れない私なのであるが、子供の頃は風呂には毎日入らなくても平気だった。2日に1回、へたしたら3日に1回なんていう日もあったように思う。私が幼少時には家には風呂はなく、風呂はもっぱら銭湯であった。最寄...風呂あがりの夜空に