義務教育とは、子供が嫌でも勉強しなくてはならないという義務があるという意味でしょうか?そうではなく親権を持つ者が子供に普通教育を受けさせる義務と捉える方が正しいのではないですか?つまり義務は親にあるのです。子供には権利があるのです。学校で楽しく学びたい!と訴えています。それなのにPTAは子供そっちのけの議論が多い。自分がPTAをやらない事情を擁護するために不要論まで唱える人も少なくなさそうです。先生は職務ですが、親は義務です。放課後・土日の対応は先生の仕事ではないと、文科省の働き方改革では言い切っています。それでも子供のことを思って、時間に関係なく接してくれる先生がいます。そういう先生が居なくなることは、結果的に誰の権利を奪うことになり、誰が義務を怠ることになるのでしょう。天文学でアソシエーションとは、特定の種...PTAの光
PTAは社会の縮図。小学生は、たまたま近所に住んでいる同年齢の子とクラスメートになる。アトランダムに集まった統計サンプルのような集団と似ている。それが中学の部活、高校の進学、大学の専門、会社の風土、趣味などといったように、どんどん共通の価値観を持つ人たちとの関係が強くなる。それがPTAでは振り出しに戻って、価値観の全く違った大人が偏りなくもう一度集められる。さらに、それぞれの価値観だけでなく生活の事情も全く異なってクラスに帰ってくる。そこは言わば、障害も持つ人や異文化の方もいるような共生を目指すべき集合体と捉えた方が良い。それなのにPTAという装置は、平等という名で全てのメンバーに同じ役員を強いようとする。だから無理が生じている。もし、我々の事情や能力が同じならばそれで良い。でもそんなことは奇跡に近い。みんなが...共生社会の平等
先輩って「俺たちの時代はこうだった。私たちの時はもっと大変だった。」などと言いがち。PTAもそう。単年度で交代することが多いことで、新しく役員になったときには、前年の人が事業も予算も決めている。変えなきゃいけないと思っていることを乗り越える労力より、前年に言われたまま一年をやりすごすストレスの方が楽なのかもしれない。トイレ使用後にトイレットペーパーを三角に折る方。洗面台の水しぶきをちゃんと拭く方。次の人の気持ちを考えるという点では考えさせられます。共稼ぎなどのライフスタイルはどんどん変化をしても、PTA活動は構造的に時代に対応しづらい。少しづつでも良いので、次の年の人の為に事業計画を優しくする運動が必要だと思います。省けるところを省いて、労力や情熱がもっと子供達のために向けられるようにしていくことが良いと思いま...次の人へのマナー
PTA。任意団体だから入らなくてもいいという人もいます。でも、団体で入る保険のメリットとか、卒業式を華やかにするためのお花の飾り代を出すとか、パトロールしてくれている方々へのお礼を保護者代表で行っているなどの説明をすると、それは必要だねと理解してくれる人は多いです。ポイントは、役員になったり、仕事を休んだり、家庭の用事が後回しになったりしなくてはならないことへのスケジュール的なこと。また、それに伴う人間関係への警戒感がほとんどのように感じます。共稼ぎやシングルの方、介護や経済的に苦労している方も時代とともに増えているので、やり方も変えていかなければなりませんよね。PTAに入りたくないのではなくて、出来ないと感じているという実態解消が解決のカギになるのでしょうか。そこを見誤ってしまうと解決策が変な方向に行ってしま...PTAの在り方
あなたは会社や学校で、何かしらの数字で評価され、その程度の人間だと決めつけられていませんか?今までの人生経験の中で、気付かないうちに自分はこんなものだと周囲からあきらめさせられているってことはありませんか?旧姓松江美季さん。1993年、東京学芸大学1年のとき居眠り運転のダンプカーにはねられ脊髄損傷、下半身不随となった。同じ研究棟で学んだ後輩です。その後、競技をはじめ長野オリンピックの金メダリストで有名に。そこで知り合ったカナダ人と結婚してマセソン美季さんに。東京オリ・パラの組織委員会メンバーでパラリンピック教育「I’mPOSSIBLE」日本語版を広めています。国リハのある所沢市の全学校にも教材として配られていますが使われているのだろうか?Impossible(できない)は周囲の大人が教え込んでいる。出来ないこと...I’mPOSSIBLE勇気を
東京パラリンピックが徐々に盛り上がりを見せていますが、その多くは身体にハンディがある方なのです。知的なハンディを持つ方の競技規則などはその設定が難しいのでなかなか広まりません。本人たちが自らアスリートを望むというケースも多くないのでしょう。パラリンピック自体が4年に一度ですし、東京開催でなくなった後はまた注目されないかもしれません。ですからパラリンピックを盛り上げて下さる皆様には、どうかこの機会に、知的なハンディを持つ方々の存在を社会が認知されるようにもお願いしたいのです。養護学校の先生や特別支援の方々は普段から頑張ってくれています。15年やっていた所沢市のスポーツフェスティバルで知り合ったボランティアの方や専門職の皆さんは人格的に尊敬できる人ばかりでした。こういう方がいてくれているので社会が成り立っているのだ...その差を別にしないで
障害を持つお子さんのお母さん。子供の通学では地味な服を来て後ろから付いて見守る。お叱りを頂くかもしれませんが、子供の頃の私はそんな印象を持っていました。親としてのその心中は、1人立ちさせたいという願いも相まって張り裂けそうな複雑な思いなのでしょう。私は15年間、所沢の秩父学園や国立リハビリテーションセンターで、障害者スポーツフェスティバルを運営させて頂いておりました。一日がかりのこの大会が恒例になるにつれ、子供たちをスタッフに預けてお母さんたちの木陰のテーブルランチも豪華に。私にはとても気楽で楽しそうに映りました。先ほどの通学を見守るお母さんの地味なイメージが吹っ飛びました。何も気にしないでいいんだって気付きました。どんな人も脳梗塞や認知症になって言わば障害者になる可能性があります。誰も何も気にしないで、堂々と...心の壁
左足が付け根から切断してしまった8歳の男の子が、人工間接の膝で足がつながらない11歳の男の子に「お前は足がないからこのブラブラは出来ないだろ」と言われた。私が二十歳の時、右腓骨の骨腫瘍の摘出手術で入院していた防衛医大の整形外科病棟での相部屋での会話。周りの大人はヒヤリとして左足がない男の子の顔を見る。その子は「僕には足がないからそんなこと出来ないよ」と笑顔で答え、そのまま仲良く二人はじゃれあっている。病院生活の長い二人は医師や看護師さんや、どこか肢体に不自由のある人と常に囲まれている。そこで彼らにハンディがあることへのためらいを感じることはなかった。むしろ、ハッとした我々に問題があるのだと学んだ。差があることがかわいそうだなんて誰が決めているかってことです。そう。私たち社会です。彼らがバリアになっていることを必...違いがあること
自分の娘の首を絞めて、一緒に死のうと何度思ったことか。そう、涙ながらに話してくれた重度のハンディを持った女の子のお母さんが数年前に私に話してくれました。娘と二人になると、ごめんねごめんねとつぶやいてしまうそうです。働きながら育てるのにも限界があると。せめて、週に一度でも所沢でお医者さん付きの施設に預かって頂けたらとの相談。ショートステイの予算要望やお医者さんにも事情を聞きにも行きました。議会で訴えても明日からその家族は救えない。1年経っても2年経っても変えられない。自分の利益しか考えない故郷納税より、指定寄附制度を拡充した福祉に関するクラウドファンディング納税でもあった方が、よっぽど早くその家族を支えられそう。頑張っている親を応援できる社会になりそう。自分にさえ被害がなければ余計なことは言わない風潮の世の中。政...小さい声
ある成長の時期に、その時期にあった刺激を与えないと、もうその時期に得ることのできる能力は身につかない。外国語の発音・ヒアリング、なまり、音痴、運動神経などがそうでしょうか。臨界期といいます。受精卵はプログラム通りに分裂して器官に分かれていく。赤ちゃんは産声とともに呼吸をし、泣けば親が授乳することを知っている。目が見えるようになれば動くものを追いかけ、歩けるようになるために反り返ったりハイハイしたり。その頃に日本語を聞けば日本語が話せるし、英語で育てれば英語が話せるようになる。必要な時期に必要な刺激。子供はなぜ遊びたがるのか。それはその時期に必要な、その時に遊ぶことでしか得ることのできない大事な経験をするため。命はそうすべきだと体の中に知っている。危ないから。受験だから。お金がかかるから。親は子供の中にある太古の...子供に冒険を
ある裕福な娘の話。「私の父は大学教授。母は有名なピアニスト。暮らしに何の不自由もない。でも私は死にたい。」昔そんな話を聞きました。忙しい親とは会話もしない。家族の一員として役割もない。思い出もない。極端かもしれませんが、自分の家族に思い当たることありませんか?私の気持ちを聞いてほしい。時には叱ってほしい。家族皆で大笑いしたい。子供は社会と自分の関係を学んで成長している最中。イジメをしてしまう子。引きこもってしまう子。心の居場所を探しているのかもしれない。幸せは見えづらい。都会暮らしにあこがれている遊牧民の子は、都会に行けば見えなかったものが見えるかもしれない。家族の中の役割、家族がそばにいる安心、口喧嘩、スープをこぼして皆で笑ったこと。青少年の健全育成。先ずは家庭。子供のために働くっていうけど、子供には見えない...そばに居てあげて
あいさつは言葉だけでなく表情が大事なのです。人類は霊長類からしっぽや体毛がなくなり、大脳が大きくなり表情筋が複雑に進化して表情が豊かになった。人は他人の表情を見ると、右脳が活動するみたいです。これと対峙する左の脳は言語だそうです。言葉をもたなかった類人猿が意思の伝達をするのに表情はとても重要だったのだと思う。ここに我々の社会が幸せになるヒントもあるような気がしています。進化の過程で必要なものは残され、いらないものは残らないから表情ってすごく大事なもの。学校や地域で「挨拶運動」がある。PTAや町内会の人が好きでやっていると遠巻きに見ている人。せっかくの我々の知恵であり能力である表情と言葉。挨拶のない社会、表情を出せない社会、コミュニケーションを閉ざす今時の社会の傾向はいいことではないですよ。孤独・孤立は社会の不幸...挨拶は表情で
大人って教育できるものなのでしょうか。ゴミの分別等を指導しようと講習会やチラシ頒布の啓発活動を行っても、ルールを守らないような人はそもそも来ないし読まない。来る人は動員かけられたPTAや町内会の役員ばかりで、守っている人に負担が余計にかかってしまうという矛盾が起きる場合がある。自動車の免許は違反をした程度によって研修が異なり、それに応じて適切なカリキュラムが施される。それはいいねぇとなると、ゴミ捨てや子育てを免許制にするってことでしょうか?理屈は理解できたとしても実際は無理ですかね。やはり監視と罰を厳しくするしかないのでしょうか?社会から締め出す動きと、社会に受け入れる動き。社会は振り子のように大きく右に左に揺れ動きながら時を重ねていく。虐待や過保護の関係のように問題が起きてから考える。考えない大人を含めながら...大人の教育
子供の前で夫婦喧嘩したことありませんか?言葉にもひどく人を傷つける力がありますから暴力の一種になり得る。そこで子供に心理的外傷を与えたのであれば、児童虐待の防止等に関する法律の虐待の定義(第2条4号)によって心理的虐待とみなされる場合もあります。また、甘えてくる子供に、ついうるさいと叱ってしまう。それは情緒的なネグレクトのみなされるかもしれません。身体的な虐待だけが虐待ではない。事件というのは氷山の一角。夫婦喧嘩や子育てに時間をかけてあげられないことは、氷山の下の部分だとすれば、他人ごとではないでしょう。不安定な雇用や困窮は、親と子供の関係も引き離す。そこまでして仕事をしなくてはならない国になってしまったのか。命をつなぐことが命の意味。個の欲求を満たすことは人生の意味かもしれませんが、命の意味ではない。今を生き...命の意味と責任
隣りの部屋から毎日聞こえる子供の泣き声。こんなことになるなら勇気を出して通報すればよかった…。あの子の泣き声が耳から一生離れることはない。虐待事件が起きた部屋の隣りに住んでいた女性の泣きながらのインタビューを忘れない。現実的には家庭内のことに行政が介入しづらいのは基本的なこと。虐待の件数が増えたのは通報が増えたことにもよると思う。地域に住む住人は、関係機関とも十分な連絡環境を整え、それぞれが出来る最低限度の役割を担うべき。先ほどの通報しなかった女性の後悔は、自分に被害が来るのが怖いので他人のことには関わらない方がいいという風潮に勝てなかったこと。自分へのリスクを計算する人が賢い生き方ではない。やらない人を指さすことなく、人から損するとバカにされようとも、自分に後悔しないようにやると決める。世の中の小さい泣き声が...町の泣き声
熊のお母さんは、子供にしっかりとしつけをする。目を離さず行動し、エサは自分で食べてみせ真似をさせて教える。敵が来れば命がけで守り、時期がくれば独り立ちさせる。子は親から教えてもらった習慣と愛を引き継ぐ。熊のオスは、たまに子熊を殺すらしい。自分の性欲のためだそうだ。野生のお母さん熊は、子を守るために必死でオスと戦う。子供は自分の命以上のものだからだ。今回の虐待事件の母親は、一部被害者なのかもしれないがやはり守らなければならなかったよ。動物は大自然の中で、強い者や賢い者が生き残ってきた。でも哺乳類は子育ての中で愛情という素晴らしい能力を引き継いで進化し生き残ってきた。そして近代文明は法という知識を人類にもたらし権力を分散した。その一つ、今の行政はどうだ。政治家は子供じみてきて、公務員は安定しているからという理由で選...命のために愛を引き継ぐ
増え続ける児童虐待に児童相談所が対応し切れていない。学校の先生も働き方改革が議論されるほど、学校外での職務を敬遠しがち。虐待が発見され保護されたとはいえ、それは死を免れただけで、そこで幸せは完結しない。今、国会では、財産などのための養子制度ではなく、子育て出来ない親の代わりに本当の子供として親として暮らしていく特別養子縁組の制度について民法の一部を改正する法律案として議員提出されている。この縁組の対象年齢が6歳未満から原則15歳未満に変更し、児童相談所長からの申し立てにより引き合わせが可能にもなるという改正案。でもこれで子供に全員幸せになるわけではない。性や暴力の餌食になったり、その引き合わせそのものがビジネスに利用されたりする可能性もある。幸せってこんなに難しいものなのか。ここは世界がうらやむ日本なのではない...幸せになるのが難しい国
子供への虐待ほど心が痛むことはない。小さい心臓でどのような恐怖と悲しみに震えていたことか。本当につらい。児相や市の情報は、引っ越した先にスムースに伝わるようになっていない。最近、狭山市の小谷野市長の働きかけなどによって、所沢・狭山・入間・飯能・日高の5市は先月、情報共有に関する協定を結んだばかり。県や国はどうして動けないのだろう。野田市の事件を聞くたび、住んでいるこの地域だけでも関係者の熱意で少しは進んでいてくれていたので心が救われる。専門家を招いて、予算と計画を立てて、議会を通してっていう手続きが必要なのは分かります。でもそこは、議会も行政も一体となって、政策提案や臨時議会などもっとやってほしい。スキッとしないまま生活するのは本当につらい。政治家は福祉に関しては足の引っ張り合いをしないで欲しい。亡くなった子、...無力さに謝る
昨日、介護の仕事をしている方と話しをした。少人数でシフトをローテーションせざるを得ないので、従業員の負担が大きい。二人で担当している場合、一人が休憩に入ったときなどもう一人は施設内を駆けずり回っているのが現状だそうです。一般的に介護職は肉体的にもきつく、給料も安いとなれば普段からの不満が溜まっている。気の合う同僚も少ない。でも福祉の仕事をしたいと目指していた。利用者さんの笑顔が生き甲斐。そんな風に自分を鼓舞しながら仕事をしていたところに、利益を上げろとか余分なサービスはカットしろとか言われたら我慢の限界。介護保険料を少子化の働く世代に押し付けるのも限界。高額な施設の補助金を抑えれば需要に届かない。公的に大きな施設を作り、その中の運営を複数の民間に任せるPPPという方法などもいいのではないでしょうか。行政は、未利...介護施設の笑顔
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