誰にも話さなかったギャンブル依存性と家族と離婚の反省、そしてこれからと。
ギャンブル 依存性 スロ 離婚 人生
僕は寂しいけれど、とても幸せ者です。それは、君に出会い、新たな命を授かり、今もなお、繋がりを切らずにいてくれる。それはそばにいなくても、繋がっていると感じられる幸せ。それはいろんな経験を乗り越えたからこその幸せ。感じ方はそれぞれだけど、心を落ち着かせ、
人生には大きな岐路、小さな岐路、迷路のような道中、単純なまっすぐの一本道、様々な場面が現れる。人はその岐路でまずは”選択”をする。その選択が間違っているかどうかは行ってみないとわからない。でも、僕はかつてその岐路で選択をすることができなかった。出来なく
毎朝、仕事場でいわゆる"ブッタ"の言葉を読み聞く時間がある。部の誰かがページを読み感想を一言述べ、上司がコメントして朝を締める。今や、たまにコメントする立場にもなった。だが、そこで日々発せられる言葉は全て、自らに向けられた言葉だと思っている。全ての
以前に仕事の折に、あるイギリス作家の格言を知る機会があった。それは当時、自分のあたっていた仕事の中でグループ内で何かを発表する際にふと大昔読んだ本から思い出した言葉なのだが、"解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ"という言葉だったと
最近、夢を見ることがなくなった。眠りが浅いと夢を見るらしいが、僕はそれほど眠りが深いとも思えない。思考の根底がギャンブルによって汚染されているのが眠りと関係あるかはわからないが、もはや夢を見たこと自体を覚えていられない、夢での現実逃避すら許されない
"人は失って初めて大切さに気付く"よく言われる言葉だが、今現在この言葉を理解できるようにようやくなりつつあるように思える。仕事、環境が大きく変わったとはいえ、今の自分があるのは過去があってこそ。ここまで本当にたくさんの物、人を失ってきた。必然的な別れ
ずいぶんと時間があいてしまった。 前回ここに記事を投稿してから環境はずいぶん変化した。 再就職した会社で今はこれまでの社会人としての経験を買われ、月給も以前の仕事よりあがり借り上げ社宅に住んでいることありずいぶんと生活が安定してきた。安定が生み出す
どこかの宗教は、人はみな生まれながらに生きる意味を持ち、何かの為に生きる、と説く。 自分みたいなのも果たしてそれに当てはまるのだろうか。パチ屋、馬券屋、舟券屋とかにたむろするいわゆる◯ズは社会の歯車として貢献している、何かの為に役立っているの
今現在の借金額を記したいと思う。•◯コム 90万+利息•◯ロミス 90万+利息•市民税 114000•友人 16万•親 434000•年金 45000(これは免除予定) 合計 およそ270万。
ギャンブルに依存すること自体、それをまともな思考でコントロールできてさえいれば、もしくは結果が伴っていれば、僕は否定する気はない。しかし、所詮はなんのギャンブルであれ、胴元が儲かるようになっているのだ。わずかなおこぼれの中で悪戦苦闘しているだけにす
お金を持ってる時の思考はある程度まともなのかもしれない。日用品、コンタクト、食材、生活費諸々払わないといけない物に対してきちんと計画をたてて支払おう、と考えている。しかし、一度スロットで負け出すと途端に考え方が急変する。あれはまだ期限きてないし大
思えば、今までの人生の中で大きな挫折感を味わったことがない。多少の挫折はあったが、いずれもドン底まで落ちることもなく、誰かに頼り、助けられ、あるいはなんとなく自分なりにしのいできた。先述の失恋などは大きな挫折には入らないと思っている。所詮は若気の
ギャンブル依存性というのは、全ての思考、行動、発言において嘘、偽りを当然の様に押し通す。正確にはその瞬間、瞬間をやり過ごす為にまず嘘をつく。そのあと、そのついた嘘がほころばない様にさらに嘘で塗り固める。だから、時間が経てば過去についた嘘について記
何の為に仕事をするのか。 もちろん、生きていくため、ご飯を食べるため、が主たる理由かと思うが、細々と生きて行くのなら、ずっと仕事をしないでも生きていける。11年働いた会社を辞めて、半年間転職のために時間が空いた時にいろいろ考えた。時間が有り余
かつて、綺麗だった履歴書の職歴欄も今は少しずつ汚れつつある。しかし、これは自ら招いた結果であり、今は、過去からの延長線上でしかない。 もし、戻れるのならどこに戻ろうか… グランドオープンのパチンコ屋に並び、結
予備校入学前のあの気持ち、誓いはどこへいったのだろう。確かに入学して3日足らずで恋に落ちて、勉学そっちのけ感はあったが、それでも恋をモチベーションの糧として、十分に伸びる環境、ヤル気はあったはずだ。 やはり、血には逆らえないのか…いや、遺伝子、
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