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2014/10/10

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  • 春と聞かねば

    2月26日。暦の日繰りピッタリに合った暖かさ。前日までテレビが猛吹雪を知らせてあったが、決まったように春のニュ―スだ。「春と聞かねば知らでありしを聞けば急(せ)かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」(早春賦)うれしい反面、90歳(4月23日)の年齢が近づくにつれて、「おやっ…?」という音が聞こえている。体調は確実に弱っているが、まあ、特に異常はないが、いいだろう。春と聞かねば

  • 臼杵人物記 山本達雄

    山本達雄は、安政三(1856)年、臼杵の海沿鉄砲町に父確、母シマの次男、7人の4番目として生まれた。家族の暮らしは苦しく裕福ではなかった。色男であったが、ガキ大将で喧嘩は強かった。勉強は頑張り、藩校学古館に学び、書道に励み達筆屋であった。金がなくなってもどこにも出かけ働いた。いよいよ上京して金稼ぎをやるため慶應義塾に入るも月謝が続けず、大阪に行き教員養成学校、岡山県立商業講習所、大阪府商業講習所などに行く。以降、ようやく方向が定まったのであった。・三菱汽船会社への入社。28歳。荘田平五郎の紹介。・同、横浜支店副支配人、東京副支配人。(三菱へ)・営業局仕事の外国出張も、ロンドン、オクスフォード、ケンブリッジでも働いた。・日本銀行へ入社。・明治31(1899)年、日銀第五代総裁、43歳。・明治36(1904)...臼杵人物記山本達雄

  • 臼杵人物記 吉丸一昌

    既に、早くも春分を過ぎて陽気を迎えようとするが、風は冷たく、冷気は厳しい。そして、この時節を迎えると必ず小鳥たちがこの歌を唄う。春は名のみの風の寒さや。谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず。時にあらずと声も立てず。(以降略)吉丸一昌作詞中田章作曲わが庭には、鶯(うぐいす)ではなくメジロが…吉丸一昌(明治6年9月15日生、臼杵町海沿、のち市浜住)は、特に語学、漢文、文学に優れ、臼杵をも超えて大分中学(元上野丘)、第五高等学校(熊本大学)を学んで、明治30年には東京帝国大学(東京大学)に上りつめた。加えて音楽に優れ、『新作唱歌』全十集など作成、自らの名歌も多く編集していた。吉丸一昌は、その時(明治30年)東京に行くため臼杵を発った。交通機関もなく大分に向かうため、豊後の六ヶ迫峠を歩いた。その峠から臼杵の町を...臼杵人物記吉丸一昌

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