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言葉の救はれ??時代と文學 https://blog.goo.ne.jp/logos6516

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。

日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――時代と文學
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2014/10/06

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  • 映画「大河への道」を観る。

    大河への道(河出文庫)立川志の輔河出書房新社ストーリーは予想通りだが、その予想を裏切らないといふのが、結構掃除映画の魅力に繋がる。それぐらゐ予想を裏切らないといふのは難しいのだ。伊能忠敬は日本中を歩き回り日本地図を描いた人物として知られてゐる。が、実は完成した時には既に亡くなつてゐたといふのだ。歴史に詳しい人なら、そんなの知つてゐるよと言はれさうだが、知らない私は驚かされた。忠敬の出身地千葉県香取市の地域振興策として、忠敬を主人公にNHKの大河ドラマを制作しようといふ市の職員達の会話からストーリーは始まる。担当職員役の中井貴一と松山ケンイチの軽妙な会話が面白い。役人として上長にたいしてきちんと仕事を成し遂げようとする中井の姿は「忠」である。また、原案企画を依頼するべく脚本家を訪ねるが、その偏屈な脚本家を橋爪功が...映画「大河への道」を観る。

  • 追悼 葛西敬之先生

    明日のリーダーのために(文春新書)葛西敬之文藝春秋元JR東海社長の葛西敬之氏が、81歳で亡くなられた。私が勤めてゐる学校の理事長をこの3月まで勤めていらしたが、最後の卒業式はお越しにならなかつた。肺の病気と闘つていらしたので、コロナ禍での移動を危惧されてゐたのだと思ふ。2016年から3期6年理事長を務められて、その任期を満了されて次の理事長にバトンタッチされたばかりだつた。個人的にお話をしたことは残念ながらなかつた。ただ、私信を一度頂戴したことがある。私の手紙への感想と学校への思ひを綴られたもので、ここで引用するやうなものはない、と思つてゐた。だが、今読み返してみると福田恆存への共感を記してあつた。現代の青年への思ひが書かれてゐた。ご本人の許可もいただくこともできないので、ここでは引用は差し控へる。ただ、その思...追悼葛西敬之先生

  • 時事評論石川 2022年5月号(第817号)

    今号の紹介です。当然だが、ウクライナ一色。月刊紙としては、少し距離を置いて今回のウクライナ侵略戦争を読み解く役割がある。深く人間論にまで及んだ論考もある。是非ともお読みいただければと思ふ。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。(いちばん下に、問合はせ先があります。)●人間不在の防衛論議ウクライナ及びウクライナ人が日本及び日本人に教へること評論家金子光彦●コラム北潮(今年の十大リスク)●ロシア・ウクライナ戦争の「教訓」明日の日本を見てゐる日本人麗澤大学国際問題研究センター客員教授勝岡寛次●教育隨想沖縄祖国復帰半世紀に想ふ(勝)●陰謀論に騙されるなジャーナリスト伊藤達美●コラム眼光峯村氏に宿る朝日的独善(慶)●コラム「韓活」のためのハングル講座(紫)不可解なロシア軍の残虐...時事評論石川2022年5月号(第817号)

  • 石川淳「焼跡のイエス」を読む

    今週の金曜日、東京大学が主催してゐる「金曜講座」でこの作品を取り上げるといふので読んでみた。石川にイエスを題材としたいといふ思ひがあるのかどうか。そしてあるのなら、それはなにゆゑなのか。それを考へながら読んだが、何も感じなかつた。掌編であるからすぐに読める。昭和21年に発表された作品だ。不潔で飢えた少年をイエスに見立てたアナロジーに、切実さを感じなかつた。「金曜講座」を聴いて、何か変化があれば、また書かうと思ふ。一応、福田恆存の石川淳評を引いておく。「石川淳において解體に瀕した自我の建てなほしといふ近代的なこころみが、新しい小説概念の探求といふ線にそつておこなはれたのであるが、このもつとも近代的なしごとが、もつとも古めかしい封建的色彩を帯びるにいたつたといふことである。この作品は「古めかしい封建的な色彩を帯び」...石川淳「焼跡のイエス」を読む

  • ヘッセ『クヌルプ』を読む

    クヌルプ(新潮文庫)ヘッセ新潮社知り合ひのFacebookのタイムラインでこの本が紹介されてゐたので読んでみた。新潮文庫の新版で字も大きく160頁足らずの本であるが、正直すらすらと読めるものではなかつた。少年が初恋を抱いた年上の少女に裏切られたことから始まる漂泊の人生に共感が抱けぬままに、それでも読み続けたといつた感想である。しかし、この少年クヌルプが聖書を頼りに自分の生き方を尋ね歩く生き方は、『デミアン』や『車輪の下』に通じるもので、さういふ言葉に出会ふと上質なヨーロッパ人の生き方を感じることができた。「だが、ね、仕立屋さん、きみは聖書に注文をつけすぎるよ。何が真実であるか、いったい人生ってものはどういうふうにできているか。そういうことはめいめい自分で考えだすほかはないんだ。本から学ぶことはできない。これが僕...ヘッセ『クヌルプ』を読む

  • マスカレード(紫陽花)が届く

    昨日は母の日。大阪から愛知に戻ると、玄関にお花が届いてゐた。我が家には子がない。なので母の日に何かを贈つてくれるといふ習慣はなかつた。ところが、かつての同僚で今も家族同然のお付き合ひをしてゐる若き友人が家内を母親と思つていつからか花を贈つてくれるやうになつた。今数えてみると、すでに4鉢の花が我が家にあるのでもう5年になるやうだ。ありがたいことだと思つてゐる。饒舌であるがシャイで、私たちと彼との会話は常に弾んでゐるといふ訳ではないが、時に堰を切つたやうに話し始める時がある。それを聞いてゐるのが面白い。色々なことを感じてゐるやうでもあり、引き出しはたくさんあつてそこに言葉がしまつてあるのだが、私と彼とに間ではその引き出しが開くことはあまりない。その弾んでゐない会話だが、ずつと続いてゐる。愛知と大阪とで日頃は離れてゐ...マスカレード(紫陽花)が届く

  • 左翼は滅びない。

    河上徹太郎の評論に「ユダと現代風景」といふ文章がある。重要な文章であるが、この文章だけでなく、そもそも河上徹太郎その人も既に現代の読者人からは忘れられてしまつた感がある。現代の劣化の一つの傍証ではあるまいか。さて、その中にかういふところがある。「雑多な薪をいくつか並べ、これでうまく燃え上がるだらうと火をつけて見ると、中で一本どうしても一緒に火がつかない木があることがある。見ると生だつたり、湿つてゐたりするのだが、さういふのは隣りと協調しないで、ひとりでくすぶつてゐるだけでなく、折角燃えようとする隣りを牽制する作用を持つてゐる。少し位置を変へて空気を通はせるが、周囲となじまない。業を煮やして私は思はず、『まるで左翼だ。』と呟いた。傍にゐた若い友人が、『なるほど。』と私の気持を分つてくれた。こんな独り言に属する放言...左翼は滅びない。

  • カール・レーヴィット『共同存在の現象学』の解説を読む。

    共同存在の現象学(岩波文庫)レーヴィット岩波書店先日も、カール・レーヴィットの『ヨーロッパのニヒリズム』について書いたが、今度は本格的な哲学論考でマールブルク大学の教授資格請求論文である。今回は、その解説を書いた熊野純彦氏の文章についてである。文庫にして75頁にもわたる「解説」は、素直に評伝と言つてよいもので、私にはとても理解しやすいものだつた。もちろん、倫理学的基礎付けだとか、存在と存在者との違ひであるとか、ハイデガーの『存在と時間』に内包する矛盾だとか、ハイデガーとその高弟であるレーヴィットとの本質的な違ひであるとかは、すべて極めて哲学的な思考そのものであるので、「分かつた」訳ではない。しかしながら、彼らが「ヨーロッパに対して」「仮借ない鋭敏さでじぶん自信とその国民を問いただす」やうに「ヨーロッパに対して向...カール・レーヴィット『共同存在の現象学』の解説を読む。

  • 姫路散策

    昨日は朝から姫路に行き、1日散策で過ごす。10年以上前、まだお城が工事中だつた頃両親が大阪に来てくれた時に、城が見たいと言つていゐた父の願ひで訪れて以来。2007年7月16日でした。城があの、真つ白い状態である時に来たかつたが、もはや普通の白鷺城で少し残念。だが、その威容は変はらず、美しかつた。以前の記憶とは違ひ、天守閣まで随分と遠く感じた。月並みながら城を巡る道のうねりに警備の巧みさを感じた。城を出て近くの文学館に足を伸ばした。出てから左手に回り、ちゃうど城の裏側をぐるりと弧を描いて歩くとたどり着いた。山田風太郎展をやつてゐたが、それには関心がない。姫路の歴史と、和辻哲郎に関心があり、何より館長が藤原正彦といふので行くことにした。この地にゆかりのある作家や詩人がこれほどゐるのかといふことに驚いた。やはり文化が...姫路散策

  • 韓国映画「8月のクリスマス」を観る

    先日観た「82年生まれ、キムジヨン」のいい感触から韓国映画が観たくなつてゐる。友人にそれとなくお薦めを訊いたが、ドラマなら知つてゐるがと言はれていくつか名前を挙げてもらつたが、20話もあるやうなドラマを観ようとは思へず、結局かつて観た映画を再度観ることにした。それが「8月のクリスマス」である。主演はハンソッキュ。監督はホンジノである。私が韓国に留学してゐたのが88年から89年なので、その直後に観たやうに思つてゐたが、全く違つてゐた。何と99年に日本公開といふから10年は経つてゐた。その10年間の韓国への感情の距離感を今は全く思ひ出せないが、好意的な思ひで韓国の文化、特に映画を観てゐたのだと思ふ。尤も冬のソナタやらは一度も観たことはない。ドラマはやはり長過ぎる。uさて、「8月のクリスマス」だが、今回10年以上ぶり...韓国映画「8月のクリスマス」を観る

  • 辻仁成『代筆屋』を読む。

    代筆屋(幻冬舎文庫)辻仁成幻冬舎手紙を代行するといふ仕事をする男が主人公。売れない小説家が生きるために選んだ仕事だが、それでも注文があれば誰のでも代行をするといふ訳ではなく、まづは話を聞いて、納得すれば書くやうにしてゐる。やはり小説家である。取材をしてゐるといふことであらう。なるほどこれは小説である。依頼する本人も宛名の人物も架空の話。もちろん、代筆屋自身も想像上の人物である。小説が生み出されるきつかけが手紙の代筆といふアイディアによつて生み出されたといふことのやうだ。後書きに、本書の元々の出版社である海竜社の編集者からの依頼が手紙であつたと記され、その編集者とのやり取りがこの小説の誕生のきつかけになつたとも書かれてゐた。手紙は宛名がある。ある特定の人に向かつて書かれるものだ。だから、それ以外の人が読むのは言は...辻仁成『代筆屋』を読む。

  • 最果タヒと優河と

    大阪に戻り、録画デッキに保存されてゐたドラマを観た。家内がどうしても観てほしいといふので観ることにしたが、渋滞にはまつて到着までに随分とかかつてしまつたので疲れてゐたせいで、途中で挫折。翌日、観ることができた。「妻、小学生になる」である。堤真一が父親、母親役には石田ゆり子。最後の2回しか録画されてゐないので、内容的には間違つてゐるかもしれない。死んでしまつた母親が、あまりにその死に苦しみ、ゾンビのやうな生を生きてゐることを心配して、ある小学生の少女の体を借りて戻つて来るといふお話。原作は漫画だけに荒唐無稽ではあるが、生きるとは肉体がある無しに関係なく貫くものであること。そしてその貫く力の源泉は愛であること。さういふことが人々の会話や仕草から伝はつてきた。そして媒体となつた小学生の少女の家族も同じであつた。その母...最果タヒと優河と

  • 語らひと語りと。

    先日、前任校の卒業生から名古屋に行くので会へないかとの連絡があつた。GWの初日初めて祝日なのでこちらも休みなのだらうと思つたにだらう。あいにく全寮制の学校は祝日は休みではなく、通常通りの授業。ただ、たまたま夕方から時間が取れたので出かけることにした。もう一人卒業生も加はつて楽しい語らひの時間を過ごした。30歳を過ぎた彼らが今何を感じて何を考へてゐるのか、話題は多岐に渡つたが、そこに耳を傾けた。あるときは饒舌にある話題では訥々と話す様子は10年以上前の彼らのそれとは違つてゐて、もはや若き友人と言つた方が相応しい姿であつた。会社やそこでの人間関係や業務知識を通じて、世界への通路を様々に拡げて行つたといふことである。もちろんそれらを通してそれだけ彼らが成長したといふことも意味してゐよう。そして、嬉しいやうな寂しいやう...語らひと語りと。

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