2007年からの「チェルト君のひとりごと」は2013年4月でおしまい。今度は「パパのひとりごと」です。
2021年11月
その1の続きです<転轍機><人生の分岐:全て>分岐6(他の人の決定)日本IBMに入ってアメリカを中心とする海外との関係で仕事を進めていましたが、30歳直前、僕はフランスのエッソンヌというところに駐在員として赴任するという内示を受けました。僕は喜んでその内示を受けました。なぜならば英語に比べてフランス語はとても美しい言葉で、法政の頃、外堀の向こうの日仏学院を訪ねて、フランス語の勉強を始めようと面接した時、フランス語の美しさに惹かれました。僕にとっては、フランス語を磨くとても良い機会だと思っていました。しかし出発の3ヶ月ぐらい前だったと思いますが、赴任する先がフランスからイタリア・ミラノに変更になりました。6つ目の転換、イタリアへの進路変更になりました。<ミラノ>イタリアに行ってみると、全く日本では考えられなかった...人生の転轍機その2
皆さんは転轍機(てんてつき)と言う言葉をご存知でしょうか?本来は鉄道の線路を切り替える装置で、右に行くか左に行くかをこの転轍機を使って列車の進行方向を変えるものでした。<転轍機><人生の転轍機#1>僕の分岐は人生の上で、どういったことがあったのかを整理してみようと考えました。書いてみるといろんな分岐がありましたが、大きく言えば12の分岐を経由して、今に至っていると思います。その分岐の決定は、自分自身のものと、他の人の決定の2種類がありました。<東京大空襲>分岐1(他の人の決定)僕が生まれたのは東京・谷中。太平洋戦争の1945年東京大空襲3月10日に、僕の家が全焼し、一家で疎開することから始まりました。候補地として考えられたのは母方の高知か、父方の係累のいる岡山の山の中という選択支がありました。<岡山・川上村徳山...人生の転轍機その1
2021年11月
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