ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
朝食後に時間がありました。景色を眺めます。あっ、ゲートブリッジが見えます。案外近いです。朝の光が射します。あの森は愛宕山です。あんなに狭くて低いです。山の向こう側に、通称「猿寺」と呼ばれている「栄閑院」に、「解体新書」を刊行した「杉田玄白」の墓が有ります。勝海舟が西郷隆盛をあの山に連れて上がって、「この100万の人民を焼け出すつもりか?」と江戸攻撃を思い留めさせました。今や高層ビルに囲まれて、庶民の家なんか見る事ができません。赤い鳥居の先は「出世の石段」です。曲垣平九郎が馬を操ってあの急な石段を上がり下りしました。彼は、命じた三代将軍家光に引き立てられて出世しました。もう400年も前の話です。手前が更地になって工事中です。また超高層ビルが建つのでしょうか?静かに今日の一日が始まります。病棟ロビーにまだ人は...入院先の朝の風景
検査入院しています。検査は結構大変でもあって、こんな好い天気に外出できないのが辛いです。窓の外を眺めます。あの空間に見つけました。「麻布台ヒルズ」です。あの周囲には大使館が多く在ります。秋の空です。・・・夕方です。ハロウィーンの飾りです。看護師さんが作ったのだと思います。入院先から見る風景
京成立石駅前にあった水彩画の現場を見付けました。折角なので、高架の先へ行ってみます。大きなカーブです。中空を電車が行きます。京成押上線と合流します。押上線の電車が来ました。高架が真っ直ぐになります。そこは京成青砥駅です。こんな探索でした。京成本線の高架を追って行ったら、
京成立石駅周辺の再開発工事が静かに進んでいます。殺風景な駅前通路に水彩画が掲示されました。京成本線の高架です。現場を探しに行きます。ちょっと探しました。横断歩道の角度が違うけど、自販機とカーブミラーの位置関係が同じです。ここですね。右に「dydo」のトラックが停まったばかりです。高架上を電車が走る音がしました。見上げたら、「dydo」のトラックの荷台は、回収した空き缶の山です。・・・・こんなタイミングで製品の補充と空き缶の回収に来るかねえ?私はこんなタイミングで現場を見つけるかねえ?トラックが去りました。あの水彩画と同じ画面です。立石駅前の絵の現場/京成本線の高架
京成立石駅周辺の再開発工事が静かに進んでいます。殺風景な駅前通路に水彩画が掲示されました。絵の現場を探しました。青砥に在った「スナック街角」です。気に覆われて、手前右と左奥の建物の位置関係も同じで、絵のまんま佇んでいました。派手な庇が目を惹きます。遠くからでもすぐ分かりました。角度を変えて眺めます。好いです。派手な上に、周囲に他の店が無いので、存在感がハンパないです。入ってみたいけど、駅から遠くて、周辺に他の呑み屋は在りません。従って常連客ばかりなんでしょうね。立石駅前の絵の現場/「スナック街角」
不正脈から脳梗塞を発症して入院しています。幸い後遺症状はありません。検査を目的に過ごす日々は、天気を気にする気持が希薄になり、横になっている時間が多いです。ブログを書く気力は乏しいのですが、病院が休みの日曜日は検査もなく、平素以上に退屈です。そこで、新たな散策テーマにしようと探索し始めていた水彩画の現場を、退屈の徒然に少しだけ報告します。京成立石駅周辺の再開発工事が静かに進んでいます。殺風景な駅前通路に水彩画が掲示されました。「鈴屋食品」です。やって来ました「立石仲店」です。水彩画が有る場所からは駅の反対側、南改札口前です。仲店の駅側の入り口です。ここに「鈴屋食品」は在ります。水彩画と変わっていません。そのまま存在しています。入り口だけあって、結構流行っています。品揃えが豊富です。向かいにも惣菜店が在りま...立石駅前の絵の現場/「鈴屋食品」
病院の帰りです。見上げる虎ノ門ヒルズです。愛宕山周りに超高層ビルが建ち並んでいます。都内中心部には珍しいトンネルです。愛宕山を貫いています。駅に向かって歩きます。「神谷町」という地名はとうの昔に無くなりました。愛宕神社の裏参道です。チーズの店界隈の景色が見たいです。コロナ禍でワインの店は無くなりました。いつもなら「出世の石段」を上がって参拝するのがルーティーンですが、今はその元気がありません。病気って、行動範囲を縮めます。後日ここを通って、近くの病院に検査入院します。気が向いたら院内生活でも報告します。次回愛宕山トンネルを通ったら
病院に行く時は、いつも神谷町から天徳寺の前を歩いて行っていました。時々は病院帰りに訪問していました。古い「板碑」が有るお寺でした。工事中です。工事用のフェンスから覗きます。納骨堂が見えます。古い苔むしていた庭が跡形もありません。前回来たのはいつだったのか?お墓はどうしたんだろう?板碑は復活するのだろうか?再建工事は来年2月着工です。しかし、こんなに何もかも無くなって、、、復活できるのだろうか?過去と現状の格差に驚きます。在りし日の天徳寺の記事はこちら。「天徳寺」が改修中だった。
なんか催しがある?、終わった?そんな部屋前です。初めてやって来ました。新しい建物は気持ち良いです。断って部屋を撮らせて貰いました。お祝いの胡蝶蘭が飾られています。衝立の向こうが土俵のようです。神棚が見えます。若い者の元気な声が聞こえます。さて、部屋の場所です。よく知った所です。表通りに出るとスカイツリーが見えます。近所には、名前の無い商店街が在ります。そして、「坂の上の雲」縁の「宇迦八幡宮」が在ります。という事は、実家(元所属・一門の総帥)の伊勢ヶ濱部屋のすぐ近く、500m位の場所です。稽古相手に事欠きません。伊勢ヶ濱部屋は良く稽古する部屋です。弟子の出世を期待します。弟子は、幕下四枚目の安青錦(あおにしき)を筆頭に6人です。親方も、頑張れ!!「安治川部屋」新築オープン
昨日青砥で大島部屋に遭遇しました。当然業平の部屋が気になります。スカイツリーが屋根を突き抜ける相撲部屋です。知っている人が居ます。赤いタオルを首に巻いた、元「小結智ノ花」の「玉垣親方」の指揮の元、片付けの真っ最中です。トラックはゴミの山です。既に青砥に転居した力士と、後片付けの力士に分かれて作業しているようです。そうしたら、大島親方が白いベンツで現れました。こんな偶然があるだろうか?人頭指揮を執ります。忙しいタイミングを計って、思い切って声を掛けました。「親方、昨日青砥の新しい部屋を拝見しました。良い所ですね。前に公園が在って、」「そう、工事が完了したら良い公園になりそう」「引越しは大変ですね」「引越しって、こんなに有るのかって程ゴミが出るねえ」「若い人が多いから」「溜め込んでるねえ」一番気になっている事...「大島部屋」の転居風景
例によって自分が何処に居るのか分からなくなりました。でも慌てません。今はこの状況を楽しんでいます。それに、最近はスマホのナビを使えます。そうしたら、現在地の近くに「大島部屋」があります。あれ?大島部屋は「墨田区業平」(元在原業平の所轄領)に在りますが?移転したか?それより、こんな偶然があるだろうか?当然行ってみます。環七(環状七号線)沿いです。この角を入ります。新築の建物が在ります。構えからして相撲部屋みたいです。自転車が有ります。車を運転できない相撲取りに必須の移動手段です。しかも、自転車も新しいです。覗くと、お祝いの花が有ります。まだ工事の片付けが終わっていないようです。竣工直後みたいです。あの入り口に看板が出るのだろうか?部屋をぐるりと巡ります。あれっ?ここに有りました!やっぱり親方はあの看板を持っ...「大島部屋」新築完成
あの角を曲がった所です。ああ、もうこんなになったか!?ここはボイラーと、その上に住居が在りました。全体像です。右側の新築住宅数軒が元「中川湯」の場所でした。銭湯は広い敷地を持っています。従って数件の民家が建ちます。全部の住宅が竣工したばかりのようです。1軒を除いて、まだ人が入った気配はありません。黒い家から右が中川湯の敷地でした。5軒あります。あの場所が銭湯の入り口で、あそこがコインランドリーで、、思い出が甦ります。初めて訪れた時のアングルです。路地から見上げるスカイツリーです。銭湯は滅びゆく存在です。でも、高度成長期の象徴でした。建ちゆく東京タワーのように、今日より明日、一晩眠ればより発展した日本が訪れていました。・・・せめて入浴した人と、私のような行きずりでも気に留めた人が覚えていましょう。<初めて訪...中川湯の今
京成立石駅周辺の再開発工事が静かに進んでいます。殺風景な駅前通路に水彩画が掲示されました。現場を探しました。京成本線の高架です。立石駅前の絵の現場/形成本線の高架
深川かかし祭り各賞の続きです。「金賞心はいつまでもピーターパン」「銀賞くじらかかし」「金賞かかしのカブ」「金賞」作品名が読めません。かかしは世相を反映します。「金賞」草間彌生さん?「金賞だだんだん」「金賞金メダルおめでとう」「金賞みんなの夢」「銀賞最強のクッキングマスター」「銀賞キャッキー」これも分からん?「金賞おりゃ!そりゃ!う~んとおんな」「商店街特別賞こーひーふなっしー」「商店街特別賞はて?連続テレビ小説虎に翼」「金賞かっぱを探すおまわりさん」「金賞RARIオリンピックを応援するチアリーダー」・・・街はこのまま「深川ハロウィーン」に続きます。深川かかし祭り各賞の続き
深川かかし祭りの各賞発表です。なんせ沢山の作品の全部に何らかの賞が与えられています。金賞銀賞を中心に、私の好みで紹介します。沢山ありますよ~。先ずはこれから。「金賞ユワアワア」意味が?流行っているのだろうか?「江東区長賞ミュージシャンとコンンダクター」こちら側からも。「銅賞ミニオン」銅賞だけど、木から覗く姿がかわいい。「金賞ドラエモン」大山のぶよさんに合掌。「金賞カモージュ」?・?流行っているのだろうか?「金賞たろうハイパーレスキュー隊」案山子じゃないけど、箸休めで。「銀賞やりなげ」「銀賞江戸川の魔女」「金賞」作品名が読めないけど、木陰からかわいい。「金賞おさるのジョージ」「金賞出初式」「金賞おばけのおでん屋」「銀賞ゆめ玉乱太郎」この話、続きます。「深川かかし祭り」各賞発表
立石駅前の仮設歩道のフェンスに、ここの店が載っていました。店の存在はずっと前から知っていました。専門店街や市場ならいざ知らず、街中の鰹節専門店なんて他で見たことありません。気になっていました。さっきから店頭で働いている人がいます。思い切って声を掛けます。「さっき立石駅前でこの店の絵を見たのでやって来ました」「ああ、近所に住んでいる人が描いたものなの。その人がこの写真を撮ったの。銀行の人がやって来て『店の絵を出して良いですか』と言ってね」「ああ、それで『きらぼし銀行』の名前が入っているんですね」質問します。「この鰹節削り器懐かしいです」「これは小学校で教えているのよ。私が。子供はこんな道具を知らないからね」「儲かっていますか?」口を歪めて「儲かるわけないじゃない」「だって独占企業みたいなもんでしょう?周辺の...「鰹ぶし大もり」
京急立石駅前再開発工事が静かに進んでいます。駅前商店街の路地も壊されて、臨時通路が現れました。殺風景な景色です。そこに一群の水彩画(印刷)が掲げられました。懐かしくも、もう戻らない立石の風景の多くがそこにありました。一つずつ観て行きます。今でも仲店入り口に在る商店です。堀切菖蒲園でしょうか?曳舟川親水公園の菖蒲でしょうか?どちらも立石駅の近所です。呑んべ横丁に在ったあの店です。鰹節屋です。鰹節の専門店を他に知りません。この店を見た記憶がありますが、場所を思い出せません。まだ現役だと思います。呑んべ横丁の看板です。京急立石駅です。今は半分くらい取り壊されています。絵画の回廊を出ると、工事中の駅前踏み切りです。京急立石駅前ギャラリー
暫く来なかったらこんな看板が現れていました。北側で工事中だった仮設の線路前に遮断機が付けられました。確かに、ずいぶん長くなっています。今までの線路を電車が行きます。長い踏切を渡ります。前後には安全確保の誘導員が立っていて、「はい、これ以上は横断できません」と声を掛けています。踏切前から見る、「呑んべ横丁」が在った界隈です。背後の茶色のマンションも無くなりました。<まだ半分残った吞んべ横丁があった風景>長い踏切になりましたが、まだこちらの線路は使われていません。この仮設線路を使いながら駅舎が壊されるのでしょうか?現在の駅舎です。もうすぐ見られなくなります。長い踏切を南側から眺めます。正面の商店街が取り壊し中です。新しい仮歩道です。こんな立派な駅前になる予定です。普通の街になるんです。京急立石駅前再開発工事の今
「砂町水再生センター」の解体のTV番組があった後も気になって覗いています。ずいぶん低くなりました。煙突から煙が上がっているを見てやって来ました。煙突の上部に薄くたなびいているのが見えるでしょうか?ちょっと見辛いですね。近くへ行きます。よく見えます。火の無いところに煙を立てています。何だろう?前回も1度見たことがあります。この場所からは、「チュイーン」という音が聞こえます。前回見たTV番組を思い出しました。あれは、コンクリートの煙突を切っている音です。そして、煙じゃなくて、たなびいているのはコンクリートの削りカス、粉塵です。それが風に靡いているのです。いつもの場所に移動しました。切った煙突が落ちないように、クレーンで吊っています。煙突の上を飛行機が飛びます。見始めてからだいぶん時間が経っています。コンクリー...煙突解体の手順
葛西臨海公園の海岸の向こうは千葉県です。見えるのは「夢の国」です。東西の渚の向こうにゲートブリッジです。水上バスの発着所です。トンビが舞います。水族館です。巡回バスが横切ります。水上バスの発着所へ行きます。遠くにゲートブリッジです。誰も居ません。やっと来た秋です。最近天気がヘンです。葛西臨海公園で、
曇り空の神田駿河台です。ニコライ堂が在る風景を眺めます。坂を下りながら景色の変化を楽しみます。隣のビルにちょっと青空です。そして、ちょっと紅葉です。初秋(?)のニコライ堂
聖橋から神田川を覗いています。正面奥には総武線の鉄橋が見えます。眼下に丸ノ内線がやって来ました。総武線が鉄橋に向かいます。少し静寂がありました。中央線が御茶ノ水駅にやって来ました。中央線が出発したら、赤い丸ノ内線が登場です。丸ノ内線の上りが来て重なりました。いつもながら見飽きません。「聖橋」から、
テレビ東京の長寿番組「家ついて行っていいですか」が大好きです。街で捕まえた人々の人生が哀愁を帯びかつホッコリします。人生の応援番組です。先日気になっていた放送が再放送されました。北千住の「タカラ湯」を利用するおばちゃんの話です。私が何度も紹介してきた銭湯です。玄関わきに「わ」と「ぬ」の木札が有ります。スタッフが湯上がりのおばちゃんを捕まえました。家について行きます。顔がはっきり映っていない映像をピックアップして話を続けます。おばちゃんは「帝京科学大学」傍に住んでいます。家は荒川土手脇の都営住宅です。家に入ります。おばちゃんはある事をスタッフに隠していました。人生ドラマが明かされます。・・・私、当初の放送前に、このおばちゃんに逢ったことがあるんです。風貌も言動も印象深い人でした。私にお節介を焼いてくれた、次...家ついて行って・・/タカラ湯再放送
いつもの散策コースです。菊坂から金魚坂へ行こうとしてやって来たら、更地になって工事用ネットが張り巡らされています!ネット脇に、こんな案内板が有ります。金魚坂を行きます。坂の中ほどに、金魚を飼う水槽が並んだ庭への入り口が有りました。何にも無くなって、その代わり、右側に見慣れた看板が有ります。2枚の看板が懐かしい気持ちになります。以前から有ったカラータイルも移転しています。新しい喫茶店です。元は坂の頂上に在りました。眺めます。この虎も以前の喫茶室の店頭に有ったものです。店が残って良かったと思うものの、なんだかやっぱり悲しいです。眺めていたら、狭い坂を恰幅の良いおじさんがやって来ました。どうやら常連客です。曰く、「去年末に金魚販売を廃業して、喫茶店をここにオープンした」そうです。坂の頂上です。ここが入り口で、右...「金魚坂」が無くなっていた。
石段を下ります。数年前に改修された坂です。ずいぶん綺麗で、明るくなった坂です。正面に新しい民家が竣工間近です。ここに門を構えた古民家が在りました。その時分から気になっていた民家です。菊坂下の路地に有る井戸です。ずっと前から使われていません。私にとっては、これが変わらない姿です。炭団坂に続く路地です。新しい家屋が建って、彼岸花とリコリスが咲いています。綺麗です。菊坂下の新しい景色です。先日変な話を聞きました。赤い彼岸花と黄色いリコリスを交配すると、白い彼岸花ができるって?ホントかなあ?炭団坂を振り返ります。この景色も変わりました。菊坂下へ向かいます。このアートも街に馴染みました。こうして景色が継続されて行きます。入り口が広くなった樋口一葉の井戸に繋がる路地です。石畳の左側が拡張されました。まだこの景色には慣...炭団坂から菊坂下の路地へ
樋口一葉の井戸が有る路地から石段を上ったところです。あの門を潜ります。そこは鎧坂です。以前はこの坂を自転車で上がっていたのになあ、と思いながら歩いています。金田一京助・春彦旧居跡の案内板です。先ほど樋口一葉の井戸が変わっていたことで動揺しています。変わらない風景に安心しています。ところが、通行止めです。驚きました。やっぱり時々来ないとダメですね。以前、木造の三軒長屋が解体された袋小路の路地です。入りたいけど入れません。しかたありません。工事が落ち着いたら覗こうと思います。そして、こんな校舎が出来上がっていました。鐙坂の頂上近くです。工事しているのは知っていましたが、こんなに速く時は流れています。本郷4丁目は変わらないと思っていました。とんでもないです。景気が良くなって工事が増えているのでしょうか?見下ろす...鎧坂界隈
樋口一葉が使った井戸のある路地です。入り口が広くなったのですが、ここから撮れば今までと変わらない風景です。あれっ!?井戸の蓋とポンプが新品になっている!先日、池之端の井戸が新しくなっていました。東京で井戸の更新が流行っているのだろうか?ポンプの色が約10年ぶりに元に戻っている!誰かが塗った紺色にやっと馴染んだ昨今でした。<以前、紺色に塗ったポンプ>背後の風景は変わりません。石段の上に行きます。振り返る景色は変わってない、と思います。樋口一葉が井戸端会議をしたであろう井戸の周辺も変わったように見えません。どうだろう?・・・変わってないと思います。見上げる左右の、木造三階建の風景は変わっていません。この界隈は変わらないと思い込んでいたので、井戸が変わっていて動揺している私です。樋口一葉の井戸が新しくなっていた。
台東区と文京区の境の路地の交差点です。谷中と根津の境でもあります老舗の手焼きせんべい屋です。店舗脇です。炭を仕入れたのでしょう。その他の材料も置かれています。手焼きの証です。「昔せんべい大黒屋」の在る風景
谷中のかき氷屋です。今日は真夏日だから、と言うわけではありません。2つ並んだ店で、年中かき氷をやっています。本日限定「生メロン三昧」です。こちらも。北海道高級メロン2100円です。2100円でも売れるんだねえ?ご飯が食べられない子供もいる社会です。本日限定「生メロン三昧」
羽二重団子です。真夏日なのでどうだろう?とやって来ました。正岡子規も愛した団子です。あっ!暖簾が変わりました。メニューからかき氷が消えました。潔いです。真夏日でもかき氷を止めて、衣替えをしました。<夏の装い>流石は団子の老舗店です。羽二重団子の衣替え
バスケットゴールが落とす影が真夏です。当然です。10月になっても真夏日の、記録的な東京です。いつもの尺八の師匠さんの家です。陽射しが濃いです。でも、着実に季節は巡っています。「いつでも採って食べて良いよ」って言って貰ったけど食べたことはありません。いつものように枝の下を行きます。池之端の井戸です。あれ!井戸が新しくなりました。井戸の向こうの路地です。この路地は「厩小路」です。江戸時代には左右に厩が在りました。正面の壁の右に急坂が在ります。「駆け落ち坂」です。坂上に妾宅が多く在って、坂を恋人と駆け下って逃げていった路地だそうです。路地を振り返ります。そんな昔話を尺八の師匠の父が教えてくれました。あれっきり逢っていません。路地にこんなものがありました。ここの路地の店舗が廃業しました。記録的な真夏日の、10月の...池之端の井戸の秋
今日も真夏日の東京ですが、葛西臨海公園の大観覧車の背後に秋の空です。ひまわり畑が枯れていました。夏の象徴であるひまわりが枯れたら、夏も終わりです。ひまわりが終わって秋です。夏が終わったようだ/大観覧車
先ずはこの記事をご覧下さい。9月になったばかりの頃の景色です。今年も白い曼珠沙華咲く-荒川三歩(goo.ne.jp)他の(赤も白も含めて)彼岸花より早く咲く白い彼岸花の一群です。いつものことです。例年だったらこの報告で終わりでした。遠出がキツくなって、近場の散策が多くなっています。そうしたら、同じ場所に新たな芽が出ているではありませんか?!9月27日のことです。「アスパラガスに似ているなぁ」と思いました。それくらい不思議なモノを見た動揺がありました。やっぱり白い彼岸花です。しかも、最初の時より数が多いです。そして昨日、見事な白い彼岸花が満開です!近くの彼岸花の群れは、もう終盤の風情です。よく見ると白と黄色の花です。「二期作」って言葉を思い出しました。白い彼岸花の二期作でしょうか?小学生の頃、社会の授業で「...白い彼岸花は二度咲く、の?
思ったより人が少ないです。いつも行列ができる「和栗や」です。新興店ですが、今ではこの商店街一の行列店です。モンブランが評判です。今年の天候で、栗の出来はどうなんだろう?底堅い人気を保持するメンチカツ屋です。こちらも。右に在ったスーパーが無くなりました。ここも解体しました。新旧交代が著しいいです。新しい店が増えています。この木製の丸い看板が昔からの店です。店を眺めながら歩きます。商店街の東口です。更地になった場所に夏草が茂っています。「質屋おぢさん」が露出しました。街の景色が大きく変わろうとしています。「夕やけだんだん」です。日暮里駅に続きます。だんだんから振り返ります。この景色を覚えておきたいです。この街が変わります。谷中銀座を散策する
「よみせ通り」を散策中です。新しい店が増えています。よみせ通りのアーチです。そこに旅館が在ります。「勝太郎旅館」です。谷根千目当ての観光客に人気です。新しい店です。古くからの店です。「質屋おぢさん」の案内看板です。谷中銀座が近いです。やって来ました。散策は続きます。よみせ通りから谷中銀座へ
ヘビ道から北に三崎坂を横断したら「よみせ通り」です。電柱に、移転した川上麻衣子さんの店の案内看板が有ります。スエーデン雑貨と、今は金継ぎ教室をやっています。よみせ通りを散策します。変わらないようで、新しい店が増えています。賑わい観光地でも、生き残り競争は熾烈です。ここの葡萄パンはずっしりと重い手応えがあります。時々買って帰ります。木曜日が定休日です。古くから在るホテルです。よみせ通りが通学路の地元小学生です。魚屋です。地元民の食卓を守ります。10年くらい前にオープンした店です。10円饅頭が美味しいです。店を眺めながら行きます。「よみせ通り」を行く。
さて、谷根千散歩の続きです。三崎坂下には銭湯「朝日湯」が在ります。銭湯が残っている街は素敵だと思います。昼間から営業しています。過日次代オーナーと立ち話した事がありました。界隈に内湯の無い家が残っていて、老人やが早くからやって来たり、外国人観光客が入浴するそうです。熱めの湯が外国人にウケるそうです。三崎坂の底です。ここから先は上りになって、「団子坂」に名前が変わります。夏目漱石の三四郎の舞台です。美繭子と菊見に歩いた坂です。向かいの「寿司乃池」は穴子寿司が有名です。昔、谷中の石屋を扱った「寺内貫太郎一家」ってドラマがありました。寛太郎のモデルがここの店主だと言われたくらい、顔も雰囲気もよく似ていました。むしろ、モデルの方が貫禄がありました。三崎坂に面した朝日湯のコインランドリーです。隣は靴屋です。ショーウ...朝日湯とSONOMITSUの風景
体調を崩して従来のように遠出ができません。通院のついでの散歩です。今まで意識の外だった近くの団地に、鮮やかな花が咲いていました。小雨降る花壇です。植物にも疎いです。フヨウでしょうか?後は名前を知りませんが、綺麗です。羅列します。他人様の花壇です。雨宿り中です。昆虫にも疎いです。なかなか名前が出て来ません。・・・素早く飛べる奴、イチモンジセセリです。小雨降る団地の花畑
無党派の私ですが、今回の自民党総裁選挙は、議員・党員とも良い選択をしたと思っていました。それが今日いきなり、石破さんに失望しました。彼岸過ぎてまで暑い東京です。やっと彼岸花が咲きました。白い花は開花が早いと思っていましたが、必ずしもそうでもないようです。先々週咲いた白い彼岸花が特異だったのでしょうか?赤い花も満開です。白い花が混じります。彼岸花咲く運河の跡地の遊歩道です。東京下町に秋が来ました。やっと咲いた彼岸花
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ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港