ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
さて、城東高校脇の都電線路跡を南に行ってみます。路地を跨いで続きます。藤棚を潜ります。その先はモッコウバラのアーチです。遊歩道の真ん中に島が在ります。停留場の跡だと思います。新大橋通りに来ました。線路跡は更にその先に続いています。その角が工事中です。かつては「ダイエー」でした。集合住宅になるようです。都電線路跡の緑道公園を行きます。東京都のマンホールです。通常とはデザインが違います。都電関係だろうか?線路跡は続きます。説明板が有ります。緑道公園の清掃は、地元民が行なっているんですね。停留場跡を行きます。明治通りに出ました。緑道公園はここで終わりです。都電は明治通りを左に、各所を巡って日本橋に繋がっていました。ここはURの大きな団地です。看板の絵は、都電の車輪です。下町にこんなのが残されています。さて、お知...UR住宅団地脇の都電線路跡
下町にこんな説明板が有ります。読みながら話を進めます。「かつてこの場所には、路面電車が走るための『竪川専用橋』が水神森〜大島間の開通に合わせ、大正十年一月より架設されていた。当初の運営は大正二年十月に設立された城東電気軌道(株)で、昭和十七年の大空襲により甚大な被害を受けた。しかし復興に努め、昭和二十四年には区内全域が開通した。」説明板の裏にあるモニュメントです。2系統がここを走っていたようです。「『チンチン電車』と呼ばれて親しまれ、便利だった都電も昭和三十年代の高度成長政策の頃から、自動車交通の急激な発達により道路が渋滞し、輸送力低下による赤字決算の連続となった。その結果、昭和四十七年、区内全線が廃止された。」「そして、昭和五十年、この橋は歩行者専用橋として改修され『竪川人道橋』と呼ばれるようになり、同...竪川専用橋と竪川人道橋の歴史(都電跡)
残暑が厳しいとはいえ、吹く風は熱風ではない心地良さがあります。午後4時過ぎの砂町銀座商店街です。コンクリートの路地にはまだ昼の熱気が残っています。西陽が路地を照らす商店街です。買い物に出掛けるには、まだちょっとためらう気温です。商店が暇そうです。まだ買い物客は家を出る時間ではないようです。西陽がビルに隠れる程傾いています。そろそろ買い物で賑わう時間帯でしょうか?「今晩のおかずは何だろう?」と聞くと、「たまには作ってよ!」と叱られます。じっと我慢です。晩夏の夕方の砂町銀座商店街
工事の進捗状況を覗きに来ました。ブルーシートが思いの外涼しげです。夏空に似合います。あまり進捗していないようです。暑いものね。この錆びた風景が好きなんだけど、どんな風に改修保存されるんだろう?興味深くもちょっと心配です。春海鉄橋遊歩道改修工事の進捗状況
関東一高へ行きます。街灯は有りますが、商店街名はおろか店が無い元商店街を行きます。元商店街の外れに矢印看板が有ります。校舎です。私立の共学校です。クラブ活動に熱心な学校です。朝日新聞は慣れたものです。決勝戦が終わった翌朝には横断幕が届いていました。連絡橋が有る校舎です。校舎の塀には活躍を示す横断幕が張られています。そう言えば、カルタは全国連覇したんですね。TVで紹介していました。連絡橋の向こうに見える橋は、荒川と中川の土手に在る首都高速中央環状線です。すぐそこが土手です。そして初めて知りました。創立100年なんですね。甲子園球場と同い年です。グラウンドの向こうにスカイツリーが見えます。周辺はずっと続く海抜ゼロm地帯です。周辺は下町の住宅街です。近くにはまだ銭湯が頑張っています。そして、親水緑道が在ります。...関東一高界隈
第106回全国高校野球大会(甲子園)が終了しました。ホームランが無くなったら一打逆転のドラマが無くなってつまらないぞ!って思っていたら、1点を取る采配とそれに応える選手の技術、また1点与えない守備力の向上等々、面白く新しい高校野球を見せてくれました。東東京代表の関東一高が準優勝しました。土曜日の午後にはもう横断幕が出ていました。関東一高の周辺を報告します。荒川の対岸の、高速道路の下のあの辺が関東一高です。川に近い下町に在ります。荒川を渡って新小岩に来ました。関東一高の最寄駅です。ここは葛飾区です。関東一高は葛飾区に近い江戸川区に在ります。駅前商店街です。ルミエールは界隈一の商店街です。500mくらいのアーケード商店街の左が葛飾区で右側が江戸川区です。甲子園で優勝や準優勝したら商店街がバーゲンして祝います。...関東一高甲子園準優勝の周辺
下町の賑わい商店街の2本北の通りに「竹の湯」が在ります。銭湯はおめでたい名前を付けます。「松竹梅」なんて代表的な屋号です。シャッターアートが好いです。下町の賑わい商店街「砂町銀座」には、数年前まで「桜湯」って銭湯が在りました。銭湯受難の時代ですが、桜より竹の方が老舗です(たぶん)。順番は「松、竹、梅、桜、桂、桐」だと思います。私の小学校は組の名称が松竹梅でした。後進が先に廃業したのは、界隈の住宅に内湯を持った家が増えたということです。この界隈はまだ銭湯の利用があるということです。砂町銀座とここ竹の湯のある商店街の間に1本の路地が在ります。名前を「上野通り」と言います。あの、吉良上野介の下屋敷の堀を埋め立てて造った路地です。竹の湯は、吉良上野介屋敷の敷地跡に立っている訳です。ウオールアートが目立ちます。この...「稲荷通り」に「竹の湯」の在る風景
太鼓橋の朱色が映えて艶やかです。藤棚を巡ります。涼しげです。こちらにも提灯が掲げられています。藤の蔓の緑とよく似合います。藤棚と太鼓橋です。もうすぐ例大祭りです。晩夏を彩る祭りです。晩夏の亀戸天神をしっとりと巡る
亀戸天神の境内に唯一在る割烹「若福」です。だれも居ない晩夏の午後です。晩夏と言ったって、真夏日が続きます。暖簾の紫紺が涼を誘います。「梅とろろ」の名店です。テイクアウトもあります。目の前の池が涼しげです。カウンターを覗きます。実は、梅とろろより厚焼き玉子が有名です。近くの舟橋屋のくず餅と人気を二分しています。残暑とはいえ、緑がしっとりしています。晩夏の風情です。若福もしっとりと佇みます。こんな景色に季節の移ろいを感じます。亀戸天神「若福」の晩夏風景
緑の世界に朱の太鼓橋が艶やかです。この色のコントラストは日本の神社風景によく見られます。現在のようなネオンサインなんて無い古代から、色合いの乏しい田園山林風景に、朱色はよく映えたと思います。人心を引き付けます。信心を喚起します。夏の植物酔芙蓉です。いつもここにスマホの写真台があります。今日は参拝者が少ないので覗いてみました。写真台から見た景色です。ウクライナ色の参拝者です。ウクライナ頑張れ!太鼓橋に竹竿が有ります?藤棚を巡ります。提灯が掲げられています。静寂の晩夏です。晩夏の亀戸天神
小さな可愛い店です。第一製菓直営ショップです。工場です。出荷場です。配送車が2台停められます。駐車場も在ります。車でないと、駅からちょっと遠いです。可愛いショップです。名前は「パン・ド・イーグル」です。東立石に在りますよ。「第一製菓」のある町
空蝉坂の急坂の途中に信号が有ります。頂上の信号が青になって進むと、いつもここで赤信号に捕まります。そこには古いお茶屋があります。時節柄、「氷」の幟暖簾が出ています。そして、赤地の「やきいも」も有りました。見た目暑いです。信号待ちの間に覗き込みました。芋を焼く釜も有ります。夏は仕舞わないのだろうか?小さな店です。倉庫なんか無いのだろうか?お茶がメインで、かき氷とソフトクリームが夏季の商品のようです。そして冬のなると焼き芋が登場するラインナップのようです。春には空蝉坂の桜並木が屋根を覆います。ちょっと好い雰囲気の店です。空蝉坂の焼き芋とかき氷
夏は高校野球の季節ですが、そうでも無い町もあります。四ツ木駅はキャプテン翼の駅です。隣には立石駅が在ります。ここもキャプテン翼の駅です。そして、「南葛高校」が在ります。大空翼の所属高校です。立石はキャプテン翼の町です。正門脇の像です。派手です。ツインシュートです。皆んな真似してふくらはぎやアキレス腱を蹴られたと思います。「東京都立南葛飾高等学校」は作者高橋陽一氏の母校です。豪快に横からも。全国大会出場の幟が掛かっています。残念ながらサッカー部ではありません。意外にもサッカー部は弱いんです。でも街のシンボルです。さりげなくショップが在ります。そして「南葛SC」があります。このユニフォームを着ることが憧れのようです。キャプテン翼の南葛高校
猛暑日の太陽に白い暖簾が眩しいです。参道みたいな入り口が眩く光ります。コンクリートが反射します。これ以上無い夏です。最近、客の人数制限をしました。インバウンド対策でしょうか?ただいま50〜60分待ちです。暖簾が少し揺れます。根津の猛暑日です。猛暑日の蕎麦屋「鷹匠」
すっかり更地になりました。背後に、工事前には看板しか見えなかった「質おぢさん」が露出したままです。谷中銀座の東口です。「夕やけだんだん」の坂下です。解体を初めて1年くらいになるでしょうか?再開発されて新しく店舗と共同住宅が建つ計画です。9月に着工予定で、来年12月に完成の予定です。夕やけだんだんを上ります。猛暑のせいで景色が白っぽいです。そして、いつもは観光客で溢れているのに、誰も居ません。外国人が居ました。日本がこんなに暑いって知らなかったでしょう?だんだんの左側が再開発の場所です。振り返ります。あの看板はいつまで出しておくんだろう?って眺めました。そうしたら、なんか富士見ホテルの看板が新しく見えます。再開すれば良いのに。「夕やけだんだん」界隈の今
景色が白くて陰影が無いです。猛暑日の「ギャラリー猫町」です。いつも置いて眺める愛車が石垣に溶け込んで、存在が希薄です。眩しい猛暑日の昼下がりです。目を細めます。いつものように石段を上ります。子猫の手摺りです。何故か今日も休館です。「猫町」のレリーフが、すっかり蔦に覆われて文字が読めません。このレリーフが好きなんですが、絵も見えません。谷中は猫の町です。いつも好い風景です。夏が終わると蔦が刈られます。紅葉するまで残して置いて欲しいのですが、、、猛暑日の「猫町」
ホームに向かう路地の左側が、ポッカリ空きました。狭い路地を歩いていた身とすれば、慣れない景色です。ホームから振り向きます。この辺にタバコ売りの窓口が有りました。その向こうが書店の出入り口でした。この辺に、仕入れた古書が積まれていました。あの、ちょっと色が違うアスファルトの部分に家が建っていました。住居兼書店とたばこ屋でした。乗客がやって来ます。新たな日常の景色です。線路の向こうは梶原商店街です。緞帳のように都電が視界を遮ります。緞帳が開きます。何も変わらない日常の継続です。梶原書店だけが無くなりました。あの老夫婦は、今何処で何して暮らして居るんだろう?在りし日の梶原書店の記事はこちら。梶原書店跡地の夏
相変わらずゆっくりとした工事でした。江戸川区で荒川越しに、高速道路の陰で日除けしながら眺めたりしていました。クレーンが2台になりました!今までに無い体制です。新局面に入るのだろうか?工場門まで走りました。軽油の給油施設前から。煙突のすぐ傍からも。そして生コン工場の駐車場から見上げます。随分ずんぐりむっくりになりました。交通量の多い工場団地です。隣の工場門の前からです。もうすぐここからは見えなくなります。次の局面が楽しみです。煙突の解体/新局面か?クレーンが2台に
パリオリンピックでの日本人選手の活躍は、多くの人が興奮したと思います。本来は国と国の戦いでは無いのだけど、やっぱりナショナリズムが掻き立てられます。江東区文化センターの掲示板に「堀米雄斗選手」の記事が掲示されていました。区も興奮冷めやらず、です。読売新聞の号外を引き延ばしたものと思います。「堀米金スケボー男子連覇」です。代表選考会と同様、最後の試技で金メダルを取った過程と連覇のドラマ性で、いっそう日本中を沸かせました。地元も湧いています。そしてやっぱり有りました!彼が卒業した中学校です。「夢と希望そして感動をありがとう!!!」です。校舎にも有ります。前回も幟が出た母校です。前回の「東京2020」では、オリ・パラ金メダリスト全員のゆかりの地に「ゴールドポスト」を設置しました。堀米雄斗選手の場合は、都営新宿線...パリ・オリンピックの興奮冷めやらず
樹が多い公園は、やっぱり日陰が多いです。でも、この暑さじゃ誰も居ません。元々人が居ない公園です。公園の境には住宅が並んでいます。静かなんだけど、水道やテレビの音が漏れ聞こえる場所なんです。でもさすがに今日は、何処の家も窓は開いていません。ここは東京藝術大学発祥の地です。木陰に佇む岡倉天心記念堂です。一時の木陰です。猛暑日の「岡倉天心記念公園」
真夏のシンボルが満開になりました。夏空にクッキリと大観覧車です。葛西臨海公園のひまわり畑です。ひたすらひまわりと観覧車を追いました。真横からも。夏空です。満開のひまわりと観覧車
宇迦八幡宮の提灯が夏日を白く弾いて真夏の風景です。久しぶりに、境内に足を踏み入れます。氏子でも無い、縁もゆかりも無い神社です。時々思いついて覗きに来ます。もうすぐ式年大祭なんですね。境内には干田庄兵衛の石碑が有ります。以前住職に聞いたところ、本社は空襲で焼失して移転して来た為、記録が残っていないので、謂れは分からない、との事でした。でも、こうして祀っています。「みがわり地蔵尊」の幟があるので、住民の身代わりになった干田庄兵衛さんを祀っているに違いないのですが、なんでそうなったのかが分かりません。話を戻します。干田庄兵衛さんの祭りではなくて、「宇迦八幡宮」の祭りの準備です。住職が幟を立てて、私の隣で出来栄えを確認している処です。時々覗きに来るのは、この「軍馬盛敬號ノ碑」に変わったことが起きていないかを確かめ...宇迦八幡宮式年大祭準備完了
藤棚の下で「氷」が揺れます。日陰がありがたい猛暑日です。くず餅の老舗店「船橋屋」です。「いちごミルク」を頼みました。少々お高いかき氷です。大きいです。通常の2倍近くあります。いちごの潰したのと練乳が別の容器に入って来ます。かき氷はいちごミルクが一番好きです。子供の頃の好みをずっと引きずっています。半分くらい掛けました。日の丸みたいだと思いました。梅干しおにぎりみたいになりました。見た目は美しくないですが、苺の切り身が入っていて美味しいです。ぐちゃぐちゃにして食べました。すっかり満足した外はまだ猛暑です。界隈は地盤沈下した海抜ゼロm地帯です。坂があったらその先は大概川の土手です。こんな街です。「船橋屋」でかき氷
ずっとこのままなんです。閉店してからずっとなんです。出窓の中も、おそらくそのままだと思います。営業している時と変わりません。すぐに再開できそうなんです。でも、閉店に際して、家を覆っていた名物の蔦を切りました。決心は固いです。再開しないかな喫茶「乱歩」
不忍池はハスの名所です。今年はハスに風鈴が加わりました。そして今年も清楚にハスが咲いています。夏空に風鈴が似合います。ハスの波の先に緑の屋根の弁天堂が浮かびます。波の中のハスの花が彩りを添えます。夏の不忍池の景色です。あのタワーマンションの最上階に住んでいた中尾彬さんは今年亡くなりました。動物園や不忍池を見下ろすのが好きだったようです。上野公園で最後に寝床に入るのは象だと教えてくれました。浄土に咲く花です。熱い風が風鈴を鳴らします。涼やかな音色です。池畔の鑑真像です。もうすぐ旧暦のお盆です。不忍池の風鈴とハス
夏の海と言えば「湘南」でした。田舎の少年の憧れでした。転勤して30歳過ぎた頃行きました。何だこんなものか⁉︎と思いました。湘南ブームは終わっていました。・・・もう海にもプールにも泳ぎに行きません。さて、都心のビル群を背景に監視員が海を眺めています。よく見ると、その向こうで先獲り写真を撮るカップルが居ます。全然海水浴場らしくありません。干潮まで約30分の海です。監視員は暇そうです。殆ど泳いでる人は居ません。そもそも遠浅なんで、ずうっと沖まで行かなければ泳げません。干潮では海水浴にならない海です。海岸の東を見ます。此処にも監視員が見張っています。見張っている海です。海水浴場の東端です。背景は「東京ディズニーリゾート」です。背後は監視員小屋です。全然海水浴場らしくない海岸です。東京初の「ラムタール条約湿地」です...干潮間近の夏の海/葛西海浜公園
今日は子供神輿の渡御でした。夏空の下の富岡八幡宮朱鳥居です。この時期各地で夏祭りが行われています。東京下町でも夏祭りです。右脇に宮元町会の御旅所があります。流石は宮元町会です。おらが町会の神輿が鳥居脇に鎮座しています。日陰なのにキラキラしています。渡御は明日の朝です。境内には多くの屋台が出ています。ホントは夜の方が風情があるんだけど、縁日を覗きます。結構賑わっています。縁日の雰囲気を楽しめます。老若男女、邦人異邦人が楽しんでいます。私も歩きます。金魚すくいもやっています。あんず飴も。かき氷も。神輿蔵が開放されています。ここの神輿は日本一・二の大きさです。気の毒に、伊能忠敬像は屋台の後ろに隠されています。いつもだったら、多くの人が「ほお、あの」とか言いながら眺めて行くのにね。鳥居下から街を見ます。左に宮元町...富岡八幡宮の縁日風景
江東花火大会の前日風景です。花火は毎年「山の日」の振替休日に行うようになりました。そして、昨年から有料にしました。その会場周辺です。荒川の土手はもう全面がブルーシートに覆われています。1つのシートが5つに区切られています。沢山のポリタンクに水が入っています。なんだろう?蛇口が有って、鏡も有ります。手洗い場です!背後に移動式の公衆トイレが設置されています。これが各所に有ります。昨年のこの界隈はテーブルを囲んだテラス席でした。今年もラベンダーが満開です。花火台は、あの葛西橋と下流の清砂大橋の間に台船を設営します。屋形船の係留場です。荷物が運び込まれています。「晴海屋」の大型屋形船です。稼ぎどきです。トラックを横付けにして搬入中です。天ぷら油です。ドラム缶は燃料の軽油だと思います。忙しそうに桟橋を行き来していま...「江東花火大会」準備風景
おお、谷中銀座に人が少ないです。この暑さです。歩いている人は疎らです。旅行で来てしまった外国人くらいです。猫が見下ろす商店街です。商店を眺めながら自転車を押します。「ひゃっこい祭り」の最中です。どうしてもかき氷に目が行きます。イルカかと思ったら、サメが居ました。新しい店です。サメ唐揚げの店なの?もしもし、「ひゃっこい祭り」ってなんですか?「ひゃっこい祭り」の谷中銀座
早稲田行きの都電が通って停留場に停車しました。遮断機が上がります。鉄路が焼けています。上からも下からも暑い熱いです。三ノ輪橋行きがやって来ます。踏み切りを通り過ぎます。ガタンゴトンと去って行きます。すぐに早稲田行きがやって来ます。踏み切り横はなおさら暑いですね。さすがにこの時期、窓を開けている部屋は有りません。西ヶ原4丁目の踏み切りの風景
いつもの太陽ギラギラの空ではありません。ゲリラ豪雨が来る予兆でしょうか?けやき並木が、今を盛りと繁っています。参道を行きます。静寂の世界みたいだけど、蝉の声のシャワーの参道です。見上げる空は不安がらせます。夕立が日常の東京です。参道を行きます。新しい店でしょうか?店舗を眺めます。振り返ります。天気が心配です。猛暑日の鬼子母神参道
雑司ヶ谷旧宣教師館の食堂です。思ったより涼しくありません。部屋の送風機がガンガン稼働しています。でも、思ったより涼しくありません。部屋から庭を眺めます。涼しげな風景ではありますが、正直暑いです。部屋が広過ぎて冷えません。2階へ行きます。ここでも涼しげな風景ではありますが、暑いです。これって、外気を取り込んで送風しているだけです。冷房じゃありません。外は35度になろうとしています。「雑司が谷文学」の部屋です。ブンブン音がします。扇風機が最大で働いていますが、暑い空気を掻き回しているだけです。狭い部屋です。汗が吹き出します。廊下から見る窓は、涼しげな風景ではあります。帰ろう・・・。猛暑日の雑司ヶ谷旧宣教師館内
暑いです。散策には不似合いな天気です。都電の線路を越えて雑司ヶ谷霊園へ行こうと思いました。あそこなら木陰があります。渡る踏み切りの鉄が焼けて、照り返しが強いです。木陰より冷房が必要だと思いました。思い当ってやって来たのは雑司が谷の路地です。カラー煉瓦を踏みます。この路地の先です。見た目にも涼しそうです。館内に逃げ込もうと思いました。えっ、ドアが閉まっています⁈隣の告知板です。一瞬「閉館中」と読みました。狙いどおりです。ドアを開けます。涼しげな光景です。この話、続きます。暑い、そうだ雑司ヶ谷旧宣教師館へ行こう!
草木が茂る盛夏です。家が包まれそうです。庇を超えて蔦が伸びています。ガラス戸には「只今休業中」です。この状態で数年経ちます。商品棚です。聞くところによると、「孤独のグルメ」登場店らしいです。閉店してから知りました。<営業していた当時の風景>洋食屋「ニューマルヤ」の盛夏
昨日の事です。毎日暑いですが、まだ今年は入道雲を見ていないです。たぶん。荒川を走ります。あの雲たちは入道雲の子供みたいです。荒川の向こうの空です。毎年あの辺りに入道雲が多く発生します。あれは入道雲になるのだろうか?帰り際、清砂大橋の向こうに発生していた入道雲です。今年初めて見る入道雲です。橋の下で水分補給をしていました。雲の動きが速いです。これは夕立が来るな、と急いで帰りました。夕方、雷雨が降り始めました。夏らしい天気になったなあと思っていたら、夜には耳をつんざく雷の連発です。関東各地で「記録的短時間大雨情報」が発せられ、都内でも「大雨警報」が発せられました。そんな極端な天気は望んでいないのに・・・。入道雲の夜大雨の東京
道路の反対側まで並んでいます。黒い壁の店と、白い壁の店の両方で営業しています。谷中の繁盛かき氷屋「ひみつ堂」です。暫く経って戻りました。店の中まで並んでいます。宮古島産の「プレミアムマンゴーみるく」がお薦めらしいです。こっちは、「今年もフレッシュNo.1えひめ愛南町から直送」「和風グレープフルーツだぜえ洋グレが少しマイルドになった河内晩柑使用」「魔夏(まなつと読む?)名物グレフル三昧」その他グレフル三昧が3枚です。なかなかの宣伝です。この店けっこうお高いかき氷です。一度だけ食べたことがありますが、背後に並ばられると、ゆっくり食べられないです。今日も満席「ひみつ堂」
下町の賑わい商店街、通称「砂銀」の七夕祭りです。商店街の西口です。七夕祭り当日のお昼前です。七夕飾りが出揃いました。商店を眺めながら行きます。用意はできていますが、まだお昼前です。まだ人出は少ないです。傘付き自転車です。暑いからね。下町でよく見かける車両です。でももう少し端に寄せてくれたら歩き易いです。遊具もあります。店舗を廃業して更地になった場所が「中央会場」になっています。奥に櫓があるので、日が暮れたら盆踊りだと思います。見上げながら歩きます。まだ準備中です。結構豪華な飾り付けです。僅か3日の祭りに掛ける意気込みは毎年凄いです。商店街を維持しようとする強い意志を感じます。いつものおでん屋です。営業中です。お客さんもやって来ます。夏でもおでんが売れます。飾り付けもバッチリです。商店街の中心的店舗です。商...「砂町銀座」の七夕祭り
早稲田行きの都電が庚申塚停留場を出発して旧中山道を横切ります。電車が通り過ぎると、都電沿線唯一の、ホームに茶店が在る停留場が現れます。三ノ輪橋方面への停留場です。途中主な停留場の記載も有ります。気になる幟です。絵柄が可愛いです。玄関口です。覗いたら、満席です。やっぱりねえ!この暑さです。かき氷を食べて、ほっと一息したいです。暫く空きそうにありません。三ノ輪橋行きがやって来ました。この暑さなのに結構乗客があります。・・・かき氷が食べたいよう。庚申塚停留場の茶店
夏になると一度はこの濃い影を見に来ます。猛暑日だけど、季節は確実に巡っています。こんなにザクロが大きくなっています。そして沢山。相変わらず餌代に小鳥は居ません。ゲリラ豪雨はおろか、この界隈はまだ夕立がありません。雑草にとっては命に関わる暑さと水不足です。井戸が有る風景です。背景の景色に混じり込んで、井戸がよく見えません。現役の井戸です。洗面器が増えました。眩しい、井戸が有る路地です。猛暑日の池之端の井戸
毎年夏になったら1度はここです。今日も猛暑日の根津です。「氷」の幟暖簾が誘います。玄関ドアにメニューが貼られています。1度は「黒蜜きな粉」を食べなければ、芋甚で食べる意味がありません。680円の価格設定も気に入っています。やって来ました!今年初めての黒蜜きな粉です。くず餅の味です。シャクシャクと掘り進めます。10個ばかり寒天が入っています。食感と味が最強にマッチしています。あっという間に完食です。店内で休憩します。外は猛暑日の午後1時過ぎです。もうちょっと休ませて頂きます。「芋甚」でかき氷
風車が沢山有りました。でも風が無いので廻っていません。猛暑日の風が無い最悪の午後です。夏詣とは名越の大祓を経て、過ぎし半年の無事を感謝し来る半年を清々しい気持ちで過ごせるよう一年の半分の節目としてお詣りすることです根津神社境内社駒込福稲荷神社の御祭神級長津彦命・級長戸辺命は風の神様であることにちなみ駒込稲荷神社に涼やかなかざぐるまを飾ります根津神社と駒込神社の西参道です。蝉が鳴く声だけが聞こえます。乙女稲荷神社が輝きます。濃く影を落とす、この時期のこの時間帯の西参道が一番好きです。夏詣の拝殿です。深くお祈りする姿に心が動きます。振り返ると、唐門の先に煌びやかな楼門です。蝉時雨が注ぎます。夏詣の風景です。根津神社/夏詣かざぐるま祭り
暑いと水辺が恋しくなりますが、水辺まで行くのが大変です。なんせ自転車なんで。今日の昼食先としてやって来ました。昼食と合わせると億劫さが減ります。海を見て驚きました!最近解体工事を覗いている例の煙突が、こんなに近いです!・・・ここから観察すればよかったか?いや、遠いので続かないか。真夏というより、猛暑の海です。でも、吹く風が心地良いです。やっぱり海は好いです。後でご飯を食べるレストランです。屋上でバーベキューを始めています。ヨットに乗って、バーベキューを食べるのは満足度が高いだろうなあ。艇を眺めます。好い風景です。艇を持ちたいなあ、と思ってしまいます。都心方面です。良く見える例の煙突です。やっぱり気になります。y水面の光が艇側に映ります。光の網目です。やっぱり水辺は好いです。水上バイクが繋がれています。この...猛暑下の夢の島マリーナ
三ノ輪橋停留場です。夕方の停留場です。傍には「ジョイフル三ノ輪商店街」のアーケードが頭上を覆います。その商店街に入ったすぐの場所です。「都電屋」が在ります。鉄ちゃんには嬉しい場所だと思います。私も好きな店です。私の好きな理由はこちらです。メニューを開きます。このかき氷を去年気に入りました。「台湾風ふわふわかき氷ストロベリー」です。他にマンゴー味も有りますが、かき氷はやっぱりイチゴ味ですね。600円もお気に入りです。やって来ました!たっぷりの苺ジャムの下の氷が、インディカ米のように粒状です。水分が少ないのかサクサクです。でも食べると、サッと溶けます。舌触りも良いです。食べ進めても、氷が溶けないで団子状です。汁がベタッと出ません。でも食べると、サッと溶けるのです。これが気に入っています。今年は何度か食べに来る...「都電屋」の台湾風かき氷
通り過ぎて戻って来ました。この暑いのに・・・。久しぶりのラーメン自販機です。国道6号線、水戸街道沿いです。ラーメン自販機の例に漏れず、派手派手のラッピングです。キャッチフレーズは「G系らーめん集めました」です。「Gkガッツリ麺」とか「G系らーめん集結」とも書いています。何だか凄そうに思えてきました。じっくり見ます。その前に、「東向島店」って、自販機は「店」か?さて、「白山系」ってあります。あの、本郷の白山でしょうか?何れにしても、肉とニンニクがたっぷりのようです。「俺の生きる道」なんて山盛りだもの。豚拳(豚パンチ)も。下方も見ます。見た目から凄い、ガッツリ麺です。てんこ盛りです。山盛りとどっちが凄いのか?・・・ふと価格を見ました。1100円と1200円です。私がよく食べる「ちばきや」の「中華そば煮卵添え」...ラーメン自販機/東向島店
確かこの辺だよね、って覗いたら在りました!方向音痴だけど、何度か行ったら分かります。看板が有りました。「質小川」です。銭湯の次くらいに、町から無くなっています。質草が無くてもお金が借りれる時代です。もっとも、それが健全な借金の形態とは思えない私ではあります。幕が張られています。家屋が存りません。覗いたら、もう更地になっています!「解体作業等のお知らせ」と「建設業の許可票」が出ていました。知らない間に廃業して、もう解体したんですね。残された看板が眩しくて目に沁みます。奥戸街道から覗きます。正面の分厚いコンクリートの塊が、質草を保管していた倉庫ですね。知らないまま無くなるよりは、こうして最後の姿を見られたのがせめてもの慰めです。縁があったと思いました。<在りし日の「質小川」はこちら>こんな風景も無くなります。「質小川」の廃業と解体
再開発工事中の京成立石駅東の踏み切りです。工事フェンスに囲まれているので進捗状況が見えません。駅に電車が来ました。駅から発車しました。踏み切りから駅舎を眺めます。全く変わり無し、です。新しく施設された線路です。線路もホームもまだ使われていません。仮の施設です。最終的に線路が敷かれる高架です。旧駅前商店街が殺風景で、圧迫感があります。暫くこんな景色が続きます。2年くらい?京成立石駅高架化工事の進捗状況
東四つ木にはまだ銭湯が幾つか残っています。立派な煙突の、銭湯らしい銭湯です。「寿湯」です。猛暑日の景色が白いです。まだ営業しているんだろうか?コインランドリーだけやっているってのは、廃業銭湯あるある、です。ボイラー室です。路地のカーブの商店に神社が在ります。界隈の氏神でしょう。「白髭神社」です。手水舎へ行きます。「猛暑が見込まれる日は、手水舎の水をドライミストにしています。しばしのあいだ、御身をお清めながら、お涼みください。白髭神社」はい、そうします。お参りします。佐田雅志くんが住んでいた頃の夏休みには、ここで縁日があったらしいです。今でもやっているのでしょうか?周辺は殆ど民家になった商店街と、下町らしい民家と、自家工場が多いです。「問屋制家内工業」なんて、産業構造の1形態として小学校の頃に習いました。問...佐田雅志くんが住んだ町
昨日の話です。東京も猛暑日が続いています。浅草はさすがに人出が少なく(と言っても多いけど、)なっています。既に来てしまった外国人はいざ知らず、日本人は外出しようとは思いませんよね。浅草寺境内のミストシャワーが人気です。浅草寺の大屋根です。その下に、おそろいの浴衣の集団が居ました。何だろう?どうやら、これから集合写真を撮るようです。「落語協会」の人達です。TVなどで見知った顔もあります。何かの記念日でしょうか?落語協会の総会でしょうか?暑い中ご苦労様です。昨日の浅草寺
真夏日が続く東京です。ほぼ毎日夕立があります。緑が濃いです。蝉が煩いです。昨日、ツクツクボウシが鳴いていました。えっ、もう⁈って思いましたが、蝉も狂う暑さです。今日はてっぺんにクレーンの先端が降りていて、ワイヤが緊張しています。いつもと違います。急いで生コン工場の駐車場に移動しました。あれって、ひょっとして⁈動いています!!てっぺんが⁈こんな瞬間に遭遇しました。固唾を飲んで見つめます。煙突に近づいて見つめます!ゆっくりと確実に下がっています!見えなくなりました。やった!!通った甲斐がありました。こんな瞬間に出逢いました。やったぞ!!と見上げます。次のドラマを期待します!・・・随分大袈裟な報告でした。でも、この瞬間に遭遇した喜びで一杯です。こんなスケジュールで煙突を解体します。そしてこんなスケジュールです。...煙突の解体/切り取った部分を降ろす。
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ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景
綱敷天満宮の西参道です。ここに志々満保育園が在ります。私はここの卒園生です。勿論何もかも変わって面影は残っていません。ここに新しく「歴史散策まち歩き」看板が出来ました。今回の帰省で訪ねた場所の多くが紹介されています。やっと町をアピールする気になったようです。今治市は「移住したい町ナンバーワン」らしいです。そんなこともあって、この看板を設置したのでしょうね。先日の地元ニュースで、昨年度の移住人口は1800人強らしいですが、私の周囲にそんな気配はありません。老幼なじみに訊くと、どうやら人が移住しているのは、平成の大合併で今治市になった島しょ部が中心だとか。旧今治市は人が流出しています。桜井「歴史散策まち歩き」看板
「衣干岩」のすぐ傍です。椀船の港です。ここから九州や中国・近畿に出かけて行きました。古い防波堤です。満潮時には水没します。丁度干潮に近いです。ここが「椀船の港」です。以前は堤防に下りられました。上流です。1本の大きな木が有ります。夏には蝉が煩くしますが、平素は静かな場所です。木陰を落とします。石碑です。句があります。漆器椀を満載して、行商人も載せて、帰りは各地の名産を積んで、椀船が往来した港です。昭和の中頃までは賑やかでした。もう昔の話になりました。椀船の港