ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
ここ数回閉まっていた店が今日は空いています。緑の量が増えた上川口屋です。気配を感じて出て来ました。「私だってねえ、病院行ったり買い物したり、お風呂にも行くわよ」元気そうです。ラムネを飲みながら、煎餅を齧りながら、話を聞きます。「夏休みになってねえ、客が減ったのよ。皆んな暑くて外に出ないの。子供が来ないのよ。オリンピックが始まって、皆んなTVを観るでしょ」「最近は外国人が6割なのよ」そしてやっぱり、自慢の孫の話になります。話は尽きません。空模様が気になる私です。上川口屋のお婆ちゃん元気!
読者登録させて頂いているブログで、複数の竜舌蘭の開花報告がありました。100年に1度咲くらしいので、今年はそういう年なんだと理解したら、あれっ?ひょっとしたら、これって、今年見ておかないと、もう見られないんじゃないの?と思うに至りました。遅まきながら、見にやって来ました。「夢の島熱帯植物館」です。蘭というより殆ど「木」です。花のピークを過ぎているようです。その上ここからでは見辛いです。ちょっと移動したけど、塀の外からはこれがベストです。思い切って、門を入りました。切符売り場の横から失礼します。おお!炎天下にスックと天に伸びる様はちょっと感動的です。人生初の、竜舌蘭の花です。そして多分、人生最後のリュウゼツランの花です。うーむ、やっぱり「木」だな。夢の島熱帯植物館で竜舌蘭咲く!
娯楽用ボートの向こうに白装束の大人が数人動いていました。毎日毎日、今日も猛暑日です。白い作業服でも暑いでしょうに。。。ここは何度か報告した野鳥のコロニーです。人に驚いたのか、1羽も居ません。雛が巣立ちしたこの時期に掃除しているようです。暑いだろうに。臭いだろうに。毎年こんな事をしていたんでしょうね。周辺住民の、迷惑対策の清掃なんでしょうね。野鳥のコロニーは中の島なので、ボートが無ければ行けません。使っているボートは、傍にある区営の貸ボートです。カップルや親子とかが遊ぶ娯楽用ボートです。専用のボートは持ってないようです。ご苦労様です。余談をひとつ。この親水公園は横十間川です。あの工事中の「岩井橋」の辺りが、戸板に打ち付けられた「お岩さん」が流れ着いた場所です。「四谷怪談」の舞台です。もちろん創作の世界ですよ...野鳥のコロニー大掃除
下町の繁盛商店街「砂町銀座」です。この商店街は東西に長い商店街です。従って夕方になると、商店街に西陽がダイレクトで差し込みます。逆光の七夕飾りが有ります。逆光も綺麗ですけど。一旦、西口迄やって来ました。商店街を東に散策します。午後2時過ぎです。さすがに人通りは少ないです。暑いです!酷暑日に近いです。半袖の腕がチリチリと焼けます。七夕祭りの準備完了です。旧暦で行うんだけど、人出を期待して金土日曜に実施します。ちょっと弱気な企画です。まあ、この暑さもあって、平日は夏休みでも人出は少ないと思います。祭り用にテーブルを備えた広場です。ここは廃業・解体した商店でした。下町の賑わい商店街とはいえ、商店街の現状は厳しいです。商店を見て歩きます。ここはよく紹介する冬の人気店の「おでん屋」です。夏場はちょっとねえ。夏はやっ...七夕祭り直前の「砂町銀座商店街」
照ノ富士が名古屋場所で優勝しました。立派です!私は場所後に引退もあり、と思っていました。すみません照ノ富士関。で、例によって行ってみました。やっぱり!いつもの弁当屋の優勝セールです。お弁当100円だけの値引きだけど、結構人気です。普段は行列なんかできない店頭です。伊勢ヶ濱部屋の隣のビルです。いつもの貼り紙です。斜め向かいの2階にはまだ出ていません。昨日の今朝だし、相撲取りは帰って無いしね。静かな伊勢ヶ濱部屋です。この後は巡業があって、帰って来るのは旧盆明けでしょうか?ついでに近く(でも無いのも在るけど)の相撲部屋を巡ってみました。・・・やっぱり何処の部屋も一緒です。誰も居ません。共通するのは、只々暑い!巡業も大変ですね。照ノ富士優勝翌日の風景
木根川橋を渡ります。対岸は葛飾区東四つ木です。荒川の下流です。今日も猛暑日です。水蒸気が上がって靄っています。蒸し暑いです。四ツ木駅を覗きます。駅全体が「キャプテン翼」です。四つ木は「キャプテン翼」の街です。何処でもそうですが、駅前には商店街が在ります。「渋江商店街」です。商店街の脇路地から、首都高中央環状線の高架が見えます。東京で暮らすってこういう事です。都心でも下町でも、大半の人が高速道路を見上げながら暮らしています。猛暑日の陽射しの商店街です。益々人出がありません。商店そのものが少ないです。八百屋や電気屋や雑貨屋が在りません。買いたい物がここには無いです。ネイルサロンです。その先には、クリーニング店です。つまり、物を買う商店街ではなく、して貰う店が多い商店街です。商店街の脇道は下町らしい風景です。民...木根川橋を渡って東四つ木へ、
あれからも煙突の解体が気になっています。少しずつ進捗しています。その様子をダイジェストで報告します。言っておきますけど、毎日覗いている訳ではないですよ。<あれから1回目>覗きに行きます。プラントの門前から見上げます。白い部分の解体中です。新たに見つけた「定点観測地」、生コン工場の駐車場から。<2回目>白い部分が短くなっています。<3会目>更に短くなりました。<4回目>白い部分が無くなったように見えます。下からではよく見えません。生コン工場の駐車場はベストの場所です。白い部分の一部が残っていました。<5回目>白い部分が無くなりました。赤い部分の解体に取り掛かっているようです。輪っかの作業台で煙突を等間隔に輪切りして、それを4分割しているようです。<6回目>赤い部分が短くなっています。作業のピッチが上がりまし...煙突解体工事の推移
猛暑日の深川の路地です。暑いです。目の前のビルに電柱の影が落ちています。正面2階の壁に鳩が4羽並んで映っています。暑いだろうに・・・。ビルの側面には電柱が影を落とします。暑そうでしょう?正面に戻りました。電線と鳩です。視線を下げて、店舗の玄関上です。ここは蕎麦カフェです。暖簾を新調しましたね。影の壁面を強調しました。壁面アートが目を惹く「深川日和」の今日は猛暑です。蕎麦好きですが、まだ入った事はありません。深川日和
簾の掛かった日吉屋です。簾は深川の地場産業です。近くに老舗店が在ります。ベンチが空いています。暖簾は出ていません。日吉屋開店準備中です。ベンチに座ります。ここまで走って来た愛車です。日向に置いておくと、乗る時サドルが熱いんです。ヘルメットも暑いんです。猛暑日の「深川江戸資料館通り」西方面です。東側です。殆ど人が通りません。・・・こんなんで日吉屋は開店するんだろうか?よく休む店です。ちょっと不安になっています。「日吉屋」開店準備中
東京各地でゲリラ豪雨に降られています。先日の「足立の花火大会」が中止になりました。私も数年前の隅田川花火大会で、ゲリラ豪雨に降られてビション子になったのを思い出しました。さて、隅田川に架かる両国橋です。今日は隅田川の花火大会なんです。準備が完了しています。立ち止まり禁止です。こちらも隅田川に掛かる白髭橋です。花火の方向に幕が張られています。やっとスカイツリーのテッペンが見えるだけです。これじゃあ、ねえ。暑いし。ゲリラ豪雨が降るかもだし・・・。TV東京の実況観ることにします。隅田川花火大会の準備風景
芭蕉稲荷神社周辺から萬年橋に戻って来ました。と言っても、ここも周辺です。木漏れ日が落ちる説明板です。ちょっと見辛いです。葛飾北斎は萬年橋を描き、松尾芭蕉は萬年橋下に住みました。残念ながら二人の天才が出会うことはありませんでした。北斎が生まれたのは、芭蕉が没した66年後でした。おそらく、松尾芭蕉はここに在った「川船番所」を知っています。彼が17歳まで此処に在ったようです。その後船番所は、ずっと東の中川口に移転しました。現在「船番所資料館」が在る場所です。現在ここは「ケルンの眺め」と言われています。あれがケルンの眺めです。・・・行ったこと無いけど。隅田川テラスから見る萬年橋です。目を転じると、清洲橋です。ケルンの眺めです。振り返ると芭蕉庵史跡展望庭園です。芭蕉翁がケルンを眺めています。句碑です。萬年橋下です。...芭蕉像と川船番所跡とケルンの眺め
おお、懐かしい風景です。立石駅前第一公園が盆踊りの会場になっています。立石駅前商店街のアーケードのすぐ傍です。商店街総出で賑わうと思います。なんとも絵に描いたような盆踊り施設です。所狭しと屋台が出れば良いですね。・・・そこに、こんな像が有ります。言わずと知れた「大空翼」です。立石界隈に、「キャプテン翼像を探そう」と銘打って、彼とチームメイト達の像が有ります。数年前に全て探して楽しかったです。今回は後ろ姿も見ます。改めて良く見ると、こんな文字が刻まれていました。サインも!こういった像はよく落書き等のイタズラが有りますが、これらの像はそういったのは見たことありません。改めて、皆んなに愛されている事を感じました。・・・帰り際に覗きました。立石頑張れ!盆踊り大会会場のキャプテン翼
夏空には百日紅の花が似合います。立石仲店前です。いつもの煎餅屋が開いていません。まだ早いかな?10時半頃の立石仲店です。それにしても寂しいです。子供食堂が頑張っています。地道な活動に頭が下がります。夏休み中です。「衣食住」の衣と食の店が残っている商店街です。「どんと市」が近いのですが、店が閉まっていては買い物ができません。居酒屋です。閉店後はこんな様子なんですね。盗まれないのだろうか?lこの界隈がいつも開店しているのですが、今日はまだ早い時間のようです。有名なもつ焼き屋も作業中です。暖簾が出ているので、この後営業するようです。端まで歩きました。振り返って見上げます。夏休みの立石仲店商店街です。夏休みの立石仲店商店街
隅田川の堤防です。いつもここに自転車を停めて、芭蕉庵史跡展望庭園へ行くのですが、新しい看板が有りました。ちょっとお洒落な看板です。近年深川界隈に若い人がお洒落な店を出しています。その類の店だと思いますが、この看板が気に入ったので行ってみます。左に隅田川テラスに降りる階段が有ります。その先に白いパラソルが見えます。たぶんあそこです。そもそもこの路地は「松尾芭蕉記念館」の裏口に通じている道です。記念館と芭蕉庵(芭蕉稲荷神社)と芭蕉庵史跡展望庭園を結ぶ散策ルートです。パラソルだと思ったら、白いテントでした。背後に、よくある古民家を改造した店舗のようです。テント下に客が居ます。すぐ傍に隅田川テラスがあって、芭蕉散策ルート上なのでロケーションは良いですね。店内は満席のようです。散策の若者が覗きます。ここを目的地とし...隅田川界隈の新しい店
芭蕉稲荷神社から約20mで隅田川の堤防です。その左手です。人工の丘が在ります。門の左には「観光高札」が有って、赤穂浪士が討ち入り後に通った道だと記されています。吉良上野介を討った赤穂浪士は浅野内匠頭の墓前に首を供えるため、品川の泉岳寺に向かいます。吉良亭傍の両国橋を渡らないで、永代橋を渡って隅田川を越えました。途中芭蕉庵傍の道を通って萬年橋を渡ったと書いています。さっき私がやって来た道です。・・・討ち入りは芭蕉が亡くなって8年後のことです。赤穂浪士が永代橋を渡ったのは、武家屋敷が多かった両国橋ルートを避けた為と言われています。さて石段を上がります。「投句箱」が有ります。深川では時々見かける投句箱です。頂上です。絵は、芭蕉が生きていた当時(元禄時代頃)の萬年橋界隈の様子です。芭蕉翁が鎮座しています。皆さん「...芭蕉庵史跡展望公園
萬年橋です。葛飾北斎は「富嶽三十六景」で、この橋の中に富士山を描きました。橋の中央部からの景色です。東は「新小名木川水門」です。江東三角地帯を水害から守っています。ちなみに、「江東」は川(隅田川)の東を意味します。昔は「城東区」と呼ばれていました。お城(江戸城)の東です。西は隅田川です。松本零士氏デザインの水上バスが走ります。江戸時代から未来までを感じられる場所です。萬年橋を越えると、坂の途中に案内板があります。界隈は海抜0メートル地帯です。何処も橋の両側は低地になっています。そこに、「旧芭蕉庵跡」が在ります。「芭蕉稲荷神社」の幟が有ります。真夏日の下で、涼しげに佇んでいます。先日、富岡八幡宮で松尾芭蕉命を祀る「花本社」を見てがっかりしたのは記憶に新しいところです。「芭蕉庵史跡」とも有ります。住居跡です。...芭蕉庵・芭蕉稲荷神社
あれがとうとう無くなりました。看板からすると、印章屋のようですが、小さな文房具店でした(です?)。あの左のスペースに冷蔵庫が有って、飲料水も売っていました。界隈は解散した商店街なので、周囲にはやたら飲料水の自販機が有ります。そんな環境の中で、自販機と同じ価格で売っていました。(かつての姿)赤白青の回転看板が回っています。営業中です。理髪店です。地域に無くては困ります。田中湯です。この町唯一の銭湯が頑張って営業中です。燃料の廃材が置き場から通路まで溢れています。まだやる気十分です。無くなっては住民が困ります。「床屋」と言った方が良い雰囲気です。いつの間にか回転看板が回らなくなりました。最後に見たのは、どちらも老人で、店主が客の頭を刈っていました。雰囲気としては、廃業して暫く経ったようです。この解散した商店街...鐘ヶ淵で無くなったもの頑張っているもの
いつもの散策道です。寅さん映画(マドンナは十朱幸代さん)に登場したガード下です。道路に落ちた影が濃いです。真夏の昼下りです。ガード下から覗きます。陽射しが眩い路地です。目指すのは路地販売の八百屋ではありません。隣の中華そば屋です。じっくり見てやります。潜って来たガードです。若き日の金八先生のポスターです。10代の高畑充希さんも載っています。撮影時の食堂兼休憩所だったそうです。冷し中華を始めています。夏の中華屋だから当然だけど。そうじゃ無くって、、、幟暖簾が出ていません。去年もこうして覗いていました。結局出ませんでした。「かき氷」の幟暖簾が!!ここのかき氷は昔ながらの姿形と味で気に入っていたのですが、去年、めんどくさい(結構儲かっている様です。週4日しか営業しないし、)と辞めました。だから梅雨前に店の息子に...冷し中華じゃないかき氷希望/日の出屋
スカイツリーが屋根を突き破ります。「下町人情キラキラ橘商店街」です。スカイツリー建設当時は地元アイドルグループを作ったりして人気を集めた街です。七夕飾りが残っていました。子供の下校時間のようです。コッペパンのハト屋に出会ったら立ち止まらない訳には参りません。子供達の七夕飾りです。願い事が書かれています。この商店街の七夕祭りは結構賑やかに飾り付けます。新暦でやるので今年は見損ねました。残念です。まだ夕飯の支度に出てくる時間ではありません。暑いしね。振り返ります。寂しい祭りの後です。来年は忘れずに七夕飾りを観に来ますね。かつての七夕祭りの記事です。「下町人情キラキラ橘商店街」の七夕
佃島は新旧が共存する街です。佃小橋から超高層マンション群を眺めます。初めて訪れた時からこの風景は変わりません。船溜りは整理されましたが、この看板は変わりません。下の枠の中に、佃祭で使う大幟の柱と抱が埋められています。寛政拾年から続く伝統です。ここにはまだ銭湯が健在です。日の出湯はマンション併設です。赤い欄干の向こうに古民家が、その向こうには聖路加タワーです。隅田川の向こう岸なのに、この近さです。風景に馴染んでいます。佃小橋からの風景
私がいつも買う「田中屋」です。ベンツは「天安」で買い物中です。老舗の店と並んだ雰囲気が良いです。老舗です。よくみたら、暖簾が擦り切れています。年季が入っています。さて、田中屋の隣の超路地です。行きます。自転車を押してやっと通れる広さです。向こう側が見えて来ました。出た場所に井戸が有ります。向かいに佃喜八の家です。超路地を廻って戻って来ました。さっきの路地です。超高層マンションを見上げます。佃煮屋横の超路地を行く。
「佃喜八」の屋号を持った家です。脇の路地を行きます。自転車がやっと通れる路地です。これはもう、「超路地」ですね。振り返ります。正面から見ても大きな家でしたが、奥にも長い家です。さすがは家康以来の家です。すぐ先に出口が見えます。短い隘路です。この時期に蔦が枯れた壁です。誰かが蔓を切ったんでしょうね。その手前に空き地が在ります。狭いです。誰かが家を建てるのだろうか?住んでみたい地域ではあります。もうすぐ出ます。出たそこは、いつも佃煮を買いに来る路地です。黄色いベンツが佃煮を買いに来ています。私は自転車で買いに来ています。佃島の佃煮は美味しいですよね。佃島の超路地を行く。
佃島も新旧が同居する街です。超高層マンションを見上げる路地に漁師さんが住んでいる一角が在ります。玄関脇に驚きました!アルファベットの文字が出ていました。会社が移転して来たようです。屋号を持った家です。徳川家康の関東移封に伴って、大坂からついて来た漁師の家です。この玄関を開けると土間があって、そこに井戸が有ります。仕事の汚れを落としてから部屋に上がる造りです。古い家なので、祭りの際はお旅所を務めていました。代替わりでしょうか、古民家を活用する若者が増えています。防火用水が今は植木鉢です。家の前にも井戸が有ります。共同井戸です。今も使っています。やっぱり家に入る前に汚れを落とす設備です。井戸の先に超高層マンション群です。佃島の路地を行く。
梅雨が明けました。思ったとおり暑いです。自転車の数が凄いです。梅雨明けの平日なのに沢山の人が自転車(駐車場はガラガラです)で来ています。自転車置き場の脇を通って大観覧車の在る広場に行きます。やって来ました。目的は大観覧車と満開のひまわりです。まだ満開には早いと承知でやって来ました。人も疎らです。撮り方で何とかなります。たぶん。3分咲きくらいでしょうか?梅雨明けの空に大観覧車です。若いひまわりです。もう一度見上げます。皆さん気になっていると思いますが、植物にも疎いので、見頃の見当はつきません。複数の種類を植えているようなので、永く楽しめると思います。自転車の放列と大観覧車とひまわり
堀切ジャンクションへ向かう首都高向島線です。荒川の向こうの中央環状線にぶつかって、都心に戻ったり、地方へ繋がる場所です。東北道や常磐道や京葉道路や湾岸線に繋がる大動脈です。振り返ると「隅田水門」です。水門の下は「旧綾瀬川」です。高速道路の下を流れて、すぐに隅田川に繋がります。振り返ると荒川です。隅田水門から繋がる旧綾瀬川と荒川の合流点です。荒川土手上の道路です。横断歩道の向こうの土手下は駅です。その先は「東京未来大学」です。横断歩道を渡ると「堀切駅」です。時々水分補給する場所です。東武スカイツリーラインが走ります。横断歩道を振り返ると荒川です。中空に高速道路が走ります。その上に広がる、梅雨明けの空です。「堀切ジャンクション」が見える風景
荒川土手上の「荒川ロックゲート」です。堂々と立っています。その下の閘門です。旧中川と小名木川に繋がっています。旧中川水系は荒川より2m強低いです。パナマ運河の要領で水位を調整して、船舶の出入りを可能にします。今の閘門内は荒川の水位です。荒川から船が入ると、荒川側のゲートを閉めて、2m程閘門の水を排出して旧中川水系の水位に合わせます。水位が合わさると旧中川側のゲートを上げて、船を通過させます。振り返ると、水門の柱の間に、梅雨明けの空です。ロックゲートに上がってみようと思いました。階段を上がります。5、6階です。ちょっと息が切れます。屋上です。閘門を見下ろします。周辺は住宅街です。スカイツリーも見えます。荒川でなく旧中川が区境です。従って、荒川の西側ですが、ここは江戸川区です。荒川の上流側です。視界が広がりま...荒川ロックゲートに上がる。
短い梅雨が明けた東京です。でも降水量は例年の1、6倍だったとか。とにかくよく降りました。さて、荒川に出ました。葛西橋の上の雲はまだ入道雲ではありません。でも、もうすぐ嫌と言うほど暑い夏になるらしいです。葛西橋の下には、陽射しを避けた釣り人が居ました。東京人は釣りが好きです。海でも川でも釣り堀でも、1日中釣り糸を垂れています。船溜りに行ってみましょう。何となく景色が濃いように見えます。中空には首都高中央環状線です。ここにも釣り人が居ました!暑いだろうに・・・。下町らしい服装です。船溜りを観て歩きます。屋形船です。花火大会や納涼船などで稼ぎ時が到来です。でも、コロナの再流行がちょっと心配な東京です。振り返れば、屋形船が感染の始まりでした。もうあんなパンデミックは嫌ですよね。多くの船が作業中です。護岸の修復でし...梅雨明けの荒川船溜り
月島の隣の佃島です。佃煮発祥の地です。佃天台地蔵尊にお参りします。狭い狭い東参道を入ります。見上げる大銀杏が元気です。青々と茂っています。そこです。お参りします。参道以上に狭いです。大木が邪魔です。線香のの香りが漂っています。見上げる天井を突き破っています。大銀杏の幹です。西参道です。こちらも狭いです。東参道を抜けた路地に愛車が待っています。佃天台地蔵尊
夏の甲子園大会地区予選が好きです。また入場料が上がったと思います。何でも値上がるご時世です。それに、1000円で3試合観られるんだからいいじゃない、と思う反面、20年くらい前は600円で3試合観てたのに・・・老いの繰り言です。東京の梅雨最後の日のような気がします。明日から猛暑復活の予感です。さあ、試合が始まります。きちんと、清々しい試合前の挨拶です。3塁側は青山学院高等部です。今日は学生の応援団が居ません。チアの応援が有名な学校です。でも、居ません。3回戦位じゃ来ないのかも知れません。チア全国大会の常連高です。殆どの生徒が青学に進学して、引き続き野球やチアをするんでしょうね。1塁側は地元の都立篠崎高校です。父兄と学生の応援ですが、見た目「下町」らしいです。多くの生徒は青学なんか行きません。就職する生徒が多...甲子園大会地区予選
月島4丁目です。モンジャストリートの一角です。私、この店初対面です。自販機で鯨肉弁当を売っているようです。なるほど、社名を見て納得しました。捕鯨を継続している会社です。よし!今日はこの路地を入ります。ちょっと行くと、もう下町の路地です。この風景が好きです。すぐに新たな路地に出ました。そこに在りました!モンジャと並ぶ月島の名物「レバーフライ」です。いいなあ、まだ開いてないよね。振り返って、新たな路地に入ります。やっぱりこの路地を選んじゃいます。モンジャタウンに完成した、超高層マンションに繋がる、あの路地です。行きます。まるか看板が見えて来ました。2階の渡り廊下も見えます。好いです!以前は後ろが抜けていて、下町の路地が続いていたんです。でも、この景色も月島らしいです。渡り廊下の上の超高層マンションです。モンジ...月島4丁目の路地を行く。
こんな時間帯です。人通りは少ないです。あ、珍しい!岩牡蠣屋さんです。さすがに準備中です。月島はモンジャタウンです。さすがにモンジャ焼き屋も休憩中だろう。この店は数軒の支店があります。人気店です。向かいにも在ります。数年前、何とかクリニックのCMの舞台になりました。ここにも在ります。総本店です。モンジャ焼き屋を見て歩きます。というか、この商店街、殆どモンジャ焼き屋しか在りません。三丁目と四丁目の間です。1番月島らしい場所です。左右の商店街にズラリとモンジャ焼き屋が並んでいて、路地の正面に聖路加タワーが聳える、新旧の景色が混在して見える場所です。角っこに「地域安全センター」が立っています。休憩している人が居ます。月島風景です。午後2時過ぎのモンジャタウン
竹原町並み保存地区の散策が続きます。あ、ここだ!試飲できるの。でも、今日は車です。杉玉が出て、薄暗くて、雰囲気好いです。町が続きます。結構広い町です。カフェとカレーです。祠です。蔵に来ました。蔵が続く町並みです。・・・こうして1周して、目印にした「日の丸写真館」で、竹原町並み保存地区の散策を終えました。すぐ傍が海です。「たけはら海の駅」です。フェリーが入って来ます。瀬戸の島々です。竹原はこんな町でした。町並み保存地区「日の丸写真館」で終わる。
こんな案内板が有りました。「地割跡」です。江戸時代の区画整理(地割り)と水抜きを兼ねた水路らしいです。こんなの初めて見ました。この地区独特のものですね。また白い建物です。「竹原歴史民俗資料館」です。ちょっと迷って、行きませんでした。モットー「もう来ることは無いから行ってみよう」に反します。再訪しなければ、、、今は再訪したい町だと思っています。竹原は海と山が近い、瀬戸内海沿岸に多い地形です。何故か落ち着きます。ん、何だろう?全て竹でできています。ああ分かった!ロウソクを点すオブジェですね。たぶん。夜は綺麗だと思います。散策が続きます。地割跡など町並み保存地区を歩く。
さっきのお好み焼き兼喫茶店は大きな蔵です。その向かいに「初代郵便局跡」が在ります。こんな、民家然とした建物だったんですね。郵便ポストです。「書状集箱」との文字が見えます。横を見ると、「取集時刻」が記されています。現役のポストみたいです。平日も土曜も休日も「12:00ころ」の1回だけです。少し行ったらタケノコが生えていました。車避けのコーンです。竹は竹原のシンボルみたいです。「竹原町並み保存センター」と書かれていて、「昭和57年3月」の日付があります。この界隈が昔の竹原市の中心地のように思います。正面には竹のレリーフと鶴のレリーフ(「竹鶴」の関係?)が有ります。きっと役所か何か、公の施設だったのではないでしょうか?風情があります。結構広い町です。自転車が欲しくなります。案内板がありますが、方向音痴です。予備...竹原旧中心地区?を行く。
白い建物が在りました。「憧憬の広場」です。「竹鶴政孝&リタ像」とも書かれています。白い建物を見ます。マッサンとリタの視線で見ました。2人の背後から眺めます。こんな夫婦だったんですね。ドラマを観て抱いていた雰囲気と違っていました。竹鶴政孝とリタ
竹原町並み保存地区です。古い町並みを保存すると同時に、古民家を活用して、所々に店が在ります。あ、偶然「竹鶴」に出逢いました。竹原は、NHKの朝ドラ「マッサン」の町だったことを思い出しました。隣が醸造所です。何処かで試飲をしているらしいですが、今日は車です。残念!古い町並みを歩きます。何だか落ち着きます。ホテルです。古民家を活用したこのタイプのホテルが増えましたね。外国人は勿論のこと、日本人にも人気があるようです。屋根の上の看板は「竹原の銘酒」と有ります。ついつい目が行きます。あ、かき氷です。良い風情です。お好み焼き兼喫茶店も好いです。この界隈には店舗が集まっているようです。醤油醸造場です。散策が続きます。竹原町並み保存地区を歩く。
しまなみ海道を走ります。来島海峡大橋を渡って、広島県竹原市へ向かいます。やって来ました。初めての訪問です。車を置いて、「日の丸写真館」から始まりました。路地を歩きます。マンホールは「竹」とかぐや姫です。竹は町のシンボルらしく、この後何度か遭遇しました。「たけはら観光コース」「町並み保存地区」です。先ずは「本町通り」から始めます。古い街並みが残されています。曇り空だし、湿度が高くて蒸し暑いし平日だしで、殆ど人が居ません。ちょっと「長生寺」へ寄ります。街並みを歩きます。陶工房です。この話、ちょっと続きます。「日の丸写真館」から始まる。
花畑の向こうに無粋なブルーシートが掛かっています。これです。ブルーシートの手前はシルバーシートです。ただいま工事中です。この鉄橋を保存すると共に遊歩道にする工事です。この錆びた線路と鉄橋の風景が好きでした。現代技術の遂を集めた超高層マンション群の中に取り残された錆鉄の風情が好きでした。猛暑の中で工事に従事しています。まさかピカピカにしないよね?きっと錆びた鉄橋の風情を大事に残してくれると思います。春海橋から線路越しに運河を眺めます。豊洲市場方面です。旧晴海鉄橋道遊歩道化工事中
富岡八幡宮の拝殿奥に、ひっそりと有ります。参道脇に有る「大関力士碑」より奥ゆかしく鎮座していますが、その存在感は他を圧倒します。横綱力士碑の前に、「超五十連勝力士碑」が有ります。そこに刻まれた名前は、当然名横綱です。初代明石志賀之助から始まって、歴代横綱の名前が刻まれています。そして現在の横綱「照ノ富士」までが刻まれています。次は誰だ?ずっと「朝乃山」だと思っていたけど、「琴櫻」や「大の里」や「熱海富士」、十両に落ちているけど「尊富士」のような気がします。で、照ノ富士はいつまで待てば良いのだろう?今の体では、早く引退させてあげたい。横綱力士碑
路地を抜けるつもりが行き当たりました。ごちゃごちゃしています。月島川の岸壁でした。沢山の船が停泊しています。多くの作業船や屋形船に混じって、ヨットも舫っています。桟橋みたいです。ここで生活できそうです。屋形船です。向こうに「月島橋」が見えました。それで月島川と分かった次第です。橋の袂です。関東大震災で大きな被害を被ったのでしょう。首都直下型地震が必ず来る、と言われている東京です。界隈はこんなに狭い低地です。人は、都合の悪いことは忘れるから、こうして供養と合わせて、過去の大災害を可視化して残しておくことは大事です。月島橋から眺めます。晴海方面です。都心方面です。下町の風景です。でもこう見えて、けっこう銀座に近いんですよ。月島川
木場の街から路地を入ったら在ります。大横川を越える橋です。後ろが地下鉄木場駅です。街の真ん中に在ります。振り返ります。木場5丁目の1と3を隔てる路地の延長です。初代は東京で2番目にできた鉄の橋です。造ったのは地元の開業医「新田清三郎」です。「赤ひげ先生」みたいな医師だったらしいです。橋から眺める大横川です。西側の中空を走るのは首都高深川線です。南側には「船宿吉野屋」です。木場6丁目に在ります。つまり、新田橋は木場の5丁目と6丁目を結ぶ橋です。吉野屋前の路地で子供がボール遊びをしています。下町らしい風景です。船宿の暖簾です。振り返ります。その路地に、洲崎神社祭礼の告知がありました。まだ先の話です。江戸っ子は気が短いです。吉野屋の路地を出たら、その洲崎神社です。玉垣の先頭は、その吉野屋です。氏子頭です。右側は...新田橋の在る風景
煙突の解体作業が慌ただしくなりました。輪っかが白い部分に移動しています。あれは作業足場だと思います。解体の作業をしているのでしょうね。あれっ!左の輪っかが動いている!よく見たら、右も!真ん中は上に!!ゆっくりと動いています!今度は左だけが!ほら!煙突の解体/輪っかが動いていた。
梅雨時の「矢切りの渡し」です。旗が出ているので営業中です。声が掛かります。「乗る?」即答します。「乗らない」「あっそ」船頭は寂しそうです。声を掛けます。「今日はダメだよ。帝釈天参道に人が居ないもの」「分かってるよ」励まします。「梅雨時はしょうがないよ」「分かってるよ」その時サラリーマン風の男の人が江戸川の土手を降りて向かって来ました。位置的に私の方が先に見つけました。「客が来たよ!絶対客だよ!」船頭が声を掛けます。「乗るかい?」「初めてなんだけど、いくら?」「片道200円、一周400円」「一周で」渡し舟に乗った客が聞きます。「出発は何時だい?」船頭が答えます。「時間は無いよ。ある程度客が来たら出すよ」暫く待ちますが、ある程度どころか、一人も来ません。「今日は来ないから出すよ」と1人だけで出発です。2人の後...矢切りの渡し/たった一人の客
ゆっくりと帝釈天にやって来ました。人が疎な帝釈天です。今日は外から覗くだけです。賑わっていないとお参りしても、なんだかつまらないです。矢切りの渡しへ向かいます。あれ!?何気なく視線が行った玉垣の中に「高木屋老舗」が有りました。さっき眺めながら来た、「男はつらいよ」で「とらや」のモデルになった店です。大檀家だから、なるほどね。2つ右は、さっき覗いた老舗の飴屋です。そして、よく見たら、間になんと、有名人を見つけました!「巨人軍王貞治」です。おおう!隣の「目白王鐡城」って、お父様でしょうか?お兄様でしょうか?そうこうしていたら、「元横綱柏戸鏡山剛」です。隣は「鏡山部屋力士一同」です。そしたら、「渥美清」に「倍賞千恵子」、「三崎千恵子」(おばちゃん)に「春風亭柳昇」です!やっぱり!そう来るよね!振り返ります。さっ...帝釈天の玉垣に名前があった人たち
帝釈天参道へ行きます。ええっ〜⁉︎人が居ません?こんな光景、コロナ禍の時に経験しました。自転車でここを走り抜けました。店が閉まってて薄気味悪かったのを思い出しました。今日店は開いています。店員さんも居ます。でも、人が居ない⁉︎梅雨時だからか?ゆっくり店を眺めらるけど・・・。自転車を押しながら歩いてやって来たのは「川チ屋」です。あそこでさくらが祝言をあげたなと見上げたら、さっき鰻の「えびす家」で見た祝いの木札が並んでいました。ビッシリと。ゆっくり見物するのも良いものです。新たな発見があります。元々外国人が来ない観光地ではあるのですが、それにしても、何で人が居ないの?梅雨時だからか?帝釈天参道
東京のインバウンドを伴う人出に慣れていたので驚きました。駅前に人が居ない!いつもは寅さん像とさくら像にカメラを持った人が五月蝿いくらい居るのに⁈いつも賑やかに客を呼んでいるこの店も静かです。というか、休みです?観光案内所にも人が居ません。あの、「寅さん」で有名な帝釈天表参道なのに?角を曲がって、うわっ⁉︎人が居ない!今日は何なの?人が居ないのでゆっくり見物できます。えびす屋の軒下です。千社札様の木札が並んでいます。いつか聞いたことがあります。店舗を建てた時に取引先たちが持ってくる自分ちの木札だそうで、縁起物らしいです。こちらにも。こちらにも。縁起物といえばこれ!大きな熊手です。以前から気になっていたので、今日はじっくり見ました。商売繁盛のようですが、今日は休みですか?帝釈天参道商店街に休みなんてあったっけ...梅雨時だからか?柴又駅から、
京成高砂駅脇の踏切です。電車が通り過ぎて遮断機が上がるのを待っていました。そしたら、遮断機の警告灯が4つ全部点灯しました。「開かずの踏切」で有名な場所です。時刻は12時半頃です。一番電車が走らない時間だと思うんですけど、、特急も来ました!この後1本取り逃しました。利用者は大変でしょうが、通勤時間帯の混雑振り一度を見てみたいです。京成高砂駅脇開かずの踏切
赤い部分に輪っかが有ります。解体作業が順調に進んでいるようです。ぐるりと取り囲んでいる訳では無いようです。次の日、駐車場から見上げました.よく見ると、白い部分に大きな四角の穴が開けられています。何だか分からないけど、解体準備の作業なんでしょうね。一時期TVでよくやっていた、煙突の各所に計算した爆薬を取り付けて、一瞬で垂直に壊すやつ、あれが見たい。煙突の解体/今日も輪っかが有る。
伊予大島から伯方島を望みます。平山郁夫画伯はここから「しまなみ海道」を描きました。海流が激しい「船折瀬戸」と右が「宮窪瀬戸」です。真ん中は「鶏小島」です。伊予水軍「能島村上」の本拠地「能島」です。宮窪町の港です。村上水軍史料館が在ります。前回来た時(2017年4月)に展望台下の店でお茶を飲みました。ロープが張られていました。・・・みんな夢の中の出来事みたいです。鶏小島の記事はこちら。伊予大島カレイ山展望台から
赤い部分が解体されて数日で、また輪っかが設置されていました。行ってみます。あれ?白い部分の一部が解体されています。前回赤い部分が解体されたばかりです。今回は仕事が早いです。油断できません。プラント前に移動して見上げます。あれっ⁉︎煙が出ています‼︎10数年前に、「もう使っていない煙突」だと聞きました。事実、今まで1度も煙が出ているのを見たことがありません⁈場所を変えて見上げます。やっぱり、煙が出ています。何か燃やしているようです。工事中に⁇あれっ⁉︎煙が止まりました⁈場所を移動します。前回見つけた工場団地の駐車場です。やっぱり煙が出ていません。あれって、見間違いではありません。写真に残っています。煙が出たのは10分くらいの出来事です。なにがあったの⁇・・・煙突に穴を開けて、番号をふって、輪っかを乗っけて、...煙突の解体/白い部分が解体されて煙が?
雛が巣立ちしていました。スマホカメラではちゃんとした鳥の写真は撮れないことを分かっていながら、撮ってしまいました。至る所に居ます。あらゆる場所に居ます。花かと思いました。アオサギの雛です。喧しいです。煩いです。臭いです。生き物を大切にしないといけないと分かっていても、過ぎたるは迷惑です。雛が巣立ちしてもう大変
富岡八幡宮の力石の場所で工事をしています。力石とは、力自慢が持ち上げる石です。娯楽の乏しかった時代に青年が集まって、娘っ子の前で競ったことでしょう。優勝者は集落の英雄だったことは疑いありません。集落毎の代表が集まって総合チャンピョンを競い合ったりもしたのだと思います。クレーン車が忙しく稼働しています。力石を移動させています。ゆっくり降ろします。クレーン車は新たな資材を吊り上げようとしています。何だ?おそらく、周辺の神社から管理できなくなった力石をここに集めようとしているんじゃないでしょうか?慎重に扱います。力石を移動させる工事を初めて見ました。ここ富岡八幡宮は「勧進相撲発祥の地」と言われています。力石を置くのに相応しい神社です。こうして文化の保存を図っているんじゃないでしょうか?「犬も歩けば棒に当たる」と...富岡八幡宮/力石の集積中
いつの間にか、先っちょの赤い部分が無くなっていました。何度目かの輪っかが取り付けられています。何らかの工事が行われていると思います。今日はいつもと違う場所から眺めます。工場団地の駐車場が有りました。そうしたら、てっぺんの赤い部分の最後のパーツが外される処です!まだ赤い部分が残っていたのです!こんな瞬間が見られました!ここ良いです。観測地の一つにしましょう。煙突の解体/赤い部分が無くなった。
伊勢ヶ浜部屋の近くに西濃運輸が在ります。部屋を覗くと、自然に事務所兼社宅兼出荷場兼駐車場を通ります。改装工事の経緯の記録です。<2021年1月>正月休みの姿は壮観です!左右の社宅の下にびっしりと、整然と並んでいます。この景色が素敵で、時々写真を撮っていました。<2021年11月>工事フェンスが張られました。こちらは事務所部分です。社宅とL字型に建築されています。ここも工事対象のようです。<2023年7月>社宅部分がほぼ出来上がりました。<2024年5月>事務所棟もほぼ完成のようです。基本的な構造は変わってないように見ます。<2024年6月末>いよいよ最後の仕上げ段階です。竣工間近。こちらが事務所入り口のようです。出荷場の内部が完成したようです。西濃運輸に「クロネコヤマト」のクール宅急便が届きました。新しい...西濃運輸の改築工事
もうすぐ東京都知事選挙です。全く静かです。50数人も立候補しているのに、1度も選挙カーに会いません。でも、候補者看板は凄いです。これ、探しに行った訳じゃないです。散策すると出遇えます。政策に関係なく私の目を引いたのを紹介します。この候補者が「看板ジャック」を考え出しました。そしてこうなりました。散髪の帰りに目に付きました。こんなもの。でもね。有権者も褒められたもんじゃない。この看板、入り口に近いんです。都知事選挙/候補者看板ジャック
前回「花本社」の記事を掲載しました。その時に、東京大空襲で鳥居の上部が崩れ落ちた歴史を紹介しました。富岡八幡宮は大被害を受けたのに、松尾芭蕉命を祀る「花本社」の左右に在る「永昌五社稲荷神社」と「合末社」が無事だった話の中で、もう一社「七渡神社」も無事だったのです。気になっていた人もいらっしゃるでしょうから紹介します。えっ、気にならない?まあ聞きなさい。七渡神社へは、合末社の鳥居前を、この橋を渡って行きます。橋の左右は遊水池です。水を配した立派な造りです。右奥に七渡神社が見えます。縁日だったとは知らなかったです。それ以上に、何の神かも知りません。小さいけどお神輿みたいに艶やかな神社です。ここらは海に近いです。昔はもっと近くて、漁業や「木場の角乗り」の文化が今も残っているように材木の集積地です。そういった水に...七渡神社
例祭日じゃないけど、「花本社」へ行きます。地元出身の松尾芭蕉を祀っています。神となって「松尾芭蕉命」です。「俳聖」と謳われ、「奥の細道」を残し、住居跡が「芭蕉稲荷神社」となって、その近くには「芭蕉庵史跡庭園」や「松尾芭蕉記念館」が在ります。ここでも祀られて当然の人物です。・・・ここです。左右は神社です。この隙間には祠も有りません。どうやってお参りするんだよ!松尾芭蕉命をよ!右側は「合末社」です。立派です。左に「花本社」の立札が見えます。鳥居の上部が欠落しています。こんな謂れがあります。左は朱鳥居を潜ってお参りします。立派です。「永昌五社稲荷神社」です。その間に、鎮座する、祠も無い「花本社」です。...松尾芭蕉命を祀っています。誰かが何とかしませんか?俳句協会とか江東区とか?「花本社」にお参りしたいです。
白い幟が涼やかです。富岡八幡宮の夏詣です。この時期主な神社は何処でも夏詣を行って、茅の輪潜りを催行します。そもそもは、蒸し暑い梅雨時なので、食あたりとかも含めた、疫病避けの行事だったのだと思います。例年以上に暑いです。ちょっと涼を求めたいです。木陰が有りました。「大関力士碑」他、相撲に関する石碑が有る一角です。あそこで休憩します。ここは「勧進相撲発祥の地」と言われており、その縁で相撲関係の石碑が有ります。新しいところでは、「琴欧州」「琴奨菊」「豪栄道」が刻まれて居ます。現役で元大関の「正代」や「御嶽海」、「朝の山」、「高安」らは刻まれていません。「横綱」になる可能性があるから、引退するまでは刻まれません。「ない無い」って言ったの誰?そして「強豪関脇力士碑」です。「力道山」の名前がやけに白くて目立ちます。関...富岡八幡宮の夏詣
帰省中ずっと気になっていました。煙突に輪っかが付いています。見に行きます。輪っかは作業用足場のようです。輪っかが取れた後暫くしたら、知らない間に煙突が低くなっているように思います。クレーンと煙突の姿を眺めます。周囲は工場地帯です。新たな場所からも眺めます。けっこうな存在感が在りますが、煙突はその高さに必要な大きさがあるように思います。ズングリムックリになりました。輪っかが有る煙突の存在感
浅草が外国人にジャックされていました!暫く留守にしていたら
離陸します。蜜柑の島です。すぐに佐田岬です。飛行機は四国山脈を越えます。桂浜です。室戸岬です。太平洋の島です。房総半島です。波が海岸を洗って白波が立っています。九十九里浜です。千葉のベットタウンです。千葉港とロッテマリン(たぶんネーミングライツの名前があると思います)球場です。東京ディズニーリゾートです。左に江戸川です。葛西臨海公園と左に荒川です。ゲートブリッジです。東京のビル群です。これらが見たくていつも右側の席を取ります。羽田です。帰って来ました。東京と田舎と両方ともが自宅です。従って、両方とも「帰って来ました」です。飛行機で帰りました。
いつもちょっと早めの昼食にします。そしていつもこの店です。メニューです。いつもこれです。こんなのも有りました。参考まで。いつも鯛めしと、いつもビールです。ビールは美味しいものを食べる時の大人の作法です。商品説明と食べ方が付いています。要は、卵を軽く溶いて、鯛型の器に乗っている刺身と海藻と大葉を入れて軽く混ぜます。1膳目です。ご飯に卵にひたした刺身と海藻を乗っけます。その上から溶いた卵を掛けます。要は「刺身乗せ卵かけご飯」です。先ずかっ込んで、ビールで「ふう」と息を吐きます。「ああ」の感嘆でも良いです。ひと口ずつお箸で口に運ぶのでなくて、卵かけご飯と同じくかっ込むのが作法です。海賊の食事ですから。そのように食べて酒で流し込みます。しつこいですが、それが作法です。2杯目です。一気に完食しました。ふう~、食った...松山空港「かどや」の鯛めし
松山空港です。故郷は「かんきつ王国」です。名前を覚えられないくらい、或いはいつの間にかできていた新種など沢山の柑橘類があります。・・ずっと以前に、「愛媛県では蛇口からみかんジュースが出る」との地方伝説があって、それならと、実際にここ松山空港に作りました。そしてウケたので、それならと改良して、その後これも。ホストクラブなんかでよくやる「シャンパンタワー」ならぬ「みかんジュースタワー」です。やっぱり愛媛では蛇口からみかんジュースです。今も有りますアレ。私もできた時は嬉しくて飲みました。写真を撮っています。その気持ち分かります。最初皆んな撮っていたもの。「蛇口からみかんジュース」です。コップ1杯400円(高くなったね)です。お金を払ったら紙コップをくれて、自分で蛇口を捻ってジュースを出して飲みます。ちょっとした...蛇口からみかんジュース
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
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ふと、樋口一葉の井戸が有るあそこへ行こうと思いました。いつも変わらぬ風景です。梅雨だとこの石段の苔類が生き生きしているのではなかろうか?と思った次第です。あまり変わらないですね。石段を見上げます。振り返る、樋口一葉が井戸端会議をしたであろう路地です。せっかく来たので石段を上がります。シダの元気が良いように思います。振り返ります。見上げる梅雨空です。九州・四国が梅雨明けしたそうです。梅雨時の樋口一葉の井戸
池の端に在った「鷗外荘」の移転工事が進んで、池や植栽の概要が分かるようになりました。夏越しの大祓の準備が終わった根津神社の庭です。ここから覗きます。家の外観が分かる状態になりました。完成が待ち遠しいです。「鷗外荘」移転工事進捗中
やっぱり告知が出ていました。母子がお詣りに来ていました。作法どおり潜って、拝殿へ向かいます。重要文化財の銅灯籠と西門です。参拝を終えて振り返る茅の輪と楼門です。やっぱり真円は、信心が増すように思います。こんな所を告知板に使う、贅沢な神社です。そして、いつもの西参道からの風景です。帰京して初めての参拝です。厳かな夏越しの大祓催行の様子はこちら根津神社夏越しの大祓
三菱一号館へ立ち寄ります。まあ!ジューンブライドも大変ですね。梅雨の晴れ間の蒸し暑い午後です。思った以上に沢山の人が涼を求めて来ていました。梅雨明けはまだでしょうか?明けても暑いか?三菱一号館の中庭の午後
丸の内仲通りの午後の風景が好いです。丸の内仲通りの午後
「都電雑司ヶ谷停留場」です。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日です。梅雨の晴れ間と言っても、東京は蒸し暑い空梅雨です。あの交番を左折します。緑が濃くなりました。永井荷風の墓所です。周囲に植えられていた槙の木を切ったので、暑い光が直射します。日陰を求めて歩きます。意外に風が強いです。最後に訪れるのは、やっぱり竹久夢二です。ここに埋まっています。梅雨の晴れ間の雑司ヶ谷霊園
帰京したら行きたい場所が幾つかあります。そして会いたい人がいます。月曜日なのに、上川口屋が営業していました。お婆ちゃんが居ません。呼び掛けたら奥から出て来ました。「半袖だ!」「当たり前よ!」で会話が始まります。何ら変わらぬ店頭です。「髪切ったの?」「暑いじゃない。当たり前よ!」「暇そうですね」「月曜日はね。でもね、商売って、『飽きない』って言ってね、休んでいたら客は遠のくのよ」「よく休むクセに!」きなこ棒は今日もハズレました。「本当に当たりは入っているの?」「10回引いても当らない人は当らない、1回で当たる人も居る。だから、クジよ」・・それではいつものラムネとあられです。鬼子母神の入り口に「夏市」のポスターが出ていました。お婆ちゃんが教えてくれます。「『入谷の朝顔市』って有名でしょう。30年くらい前に入谷...梅雨の晴れ間の上川口屋
参道入口の飲食店がやっと景色に馴染んだように思います。参道を行きます。梅雨時の曇り空です。ちょっと振り返って、雑司が谷案内所を眺めます。月曜日です。隣りは定休日です。いつものように振り返ります。陽が射さなくて蒸し暑いです。「はてなブログ」では、「芸予要塞跡」探索の記事が連載でスタートします。こちらも宜しく⇒荒川三歩梅雨の晴れ間の鬼子母神参道
日比谷公園のテニスコート脇に売店が在ります。いつから在るのか分からないくらい古い店です。レトロ感たっぷりの風情です。ちょっと離れて、この風景、好きです。日比谷公園に、ミストシャワーが稼働する真夏日の午後です。日比谷公園に売店が在る風景
緑が濃くなりました。蒸し暑い日でもテラス席は魅力的です。梅雨の晴れ間の松本楼です。しっとりと佇んでいます。梅雨の晴れ間の松本楼
そろそろかな?とやってきました。梅雨の晴れ間の蒸し暑い日ですが、木陰は一息つけます。眺めて歩きます。陽射しの中でも、いつものように、雲形池の噴水は元気です。ユリを見て歩きます。日比谷公園のユリ
愛宕神社にお詣りするのが目的か、神社裏のこの景色を見るのが目的か分かりません。それくらい気になる場所です。今日も好い景色です。しっとりと佇みます。チーズ専門店を眺めます。正面入り口は、元ワインサロンに通じる階段でした。静かに時が流れて今に至ります。裏参道の看板です。梅雨の晴れ間の愛宕神社裏の風景
2日に亘る検査です。いつものように、「出世の石段」を一気にあがれるか?心臓の機能を確かめます。今日は人が多いです。隣にやや緩やかな石段が有ります。男坂だっけ?誘惑を振り切って、出世の石段を上ります。今日も上り切りました。さあ、お詣りします。梅雨の晴れ間の陽射しを受けて、艶やかです。紫陽花が盛りです。周囲は、山より高い超高層ビルです。梅雨の晴れ間の風景です。梅雨の晴れ間の愛宕神社
暑い梅雨の晴れ間です。こんな日に通院です。永代橋を渡ろうとしたら、水上がバス遡上して来ました。ホタルナかな?佃島を背景に、航跡が残りました。明日も通院なんです。梅雨の晴れ間に通院する。
気になって久しぶりに訪問しました。かつてはもっと書籍の案内などが置かれていました。数年前には、本郷の法真寺に在った「一葉会館」が撤去されました。今、樋口一葉って流行らないのでしょうか?元々目立たなかったのですが、今はこんな状態です。後ろの壁に有ったレリーフはもう有りません。こんな場所です。過去の「一葉終焉の地」の記事はこちら。在りし日の「一葉会館」はこちら。はてなblogでは棚田の話です。荒川三歩樋口一葉終焉の地
ここにお七を祀った祠が在った筈です。今は石碑と説明板です。すっかり近代化した円乗寺です。ビル化に際しては、檀家衆や歌舞伎関係者から反対があったのではないかと思います。お七の墓所は、さすがにそのままの姿で在りました。左から、初代岩井半四郎の建立。お七を演じて大当たりを取りました。真ん中が120回忌供養塔で、右が270回忌供養塔です。放火犯がこんなに大事にされています。奥の佇まいは変わりません。文京区白山の谷底です。退出します。振り返ります。この石碑も替わりました。背後はまだ工事中です。マンションになるのだろうか?工事警備員の足元です。この三角地にも石碑が有ったように思います。彼に訊いたら、「分からない」とだけ帰ってきました。無口な警備員です。過去の八百屋お七の記事はこちらとこちら。変わってしまった八百屋お七の菩提寺
郷土のお土産売り場で見付けました。みかんの箱を開けるドキドキ感がありました。「みかん餅」との商品名です。ミカンそっくり!惜しい!私好みじゃない。ミカンの味が希薄!帰省土産
三郎青年が寅次郎に恋のレクチャーを受けてデートします。場所は江戸川の土手です。<現在>いつ丸屋根になるのだろう?話が弾まない二人です。<現在>場を取り繕うとみかんを勧めますが、要らないと断られます。話が続きません。ちょっと長いけど、寅次郎名台詞です。「今度あの子に会ったら、こんな話しをしよう、あんな話しもしよう、そう思って家を出るんだよ。いざその子前に座ると全部忘れちゃうんだ。で、ばかみたいに黙りこくってんだよ。そんなてめえの姿が情けなくって、こう涙がこぼれそうになるんだよな。女に惚れてる男の気持ちってそんなものなんだぞ」<現在>土手上の草刈りを終えたばかりでした。落としたみかんを拾ってくれます。<現在>三角屋根の給水塔の土手です。改めてマドンナが寅次郎を訪ねてやって来ました。柴又駅のホームです。<現在>...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー3
恋のライバル三郎青年が寅次郎を車で柴又に連れて帰りました。お寺の駐車場を借りに来た博です。<現在>時の推移を感じます。松の木が随分大きくなりました。初めてマドンナが虎屋にやって来ます。<現在><現在>マドンナの勤め先は「大丸百貨店」です。寅次郎が啖呵売でよく言う、「一流デパートの白粉塗ったお姉ちゃん」です。でも、「三越」や「高島屋」としない所がこの映画らしいです。山田洋次監督の脚本の妙です。<現在>ずいぶん前に建て替わっています。東京駅の改札口前にもデパートの出入り口があります。駅から雨に濡れないで買い物できます。大丸は東京駅の隣りです。<現在>すっかり様子が変りました。この話、まだ続きます。「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー2
シリーズ第30作、1983年のお正月映画です。シリーズ歴代3位の配給収入だったそうです。余談:では1位は?と調べたらよく分かりません。しかも、「男はつらいよシリーズ」は、1作もベスト100に入っていません。まあ、今とは入場料が違うから。ではシリーズの観客動員数はというと、8位です。まあ、50作有るからねえ・・・。<現在>では、オープニングの画面です。<現在>マドンナは田中裕子さん。<現在>恋のライバルは、当代一のハンサム沢田研二さんです。この二人は共演後結婚しました。この配役の魅力と話題性で、興行収入シリーズ歴代3位になったのでしょうね。<現在>さくらがやって来る三門前です。<現在>何度も撮られている現場ですが、隣の店が気になりました。仏壇店は健在なのに、映画に映っている賑やかな店が閉まっています。商店街...「男はつらいよ花も嵐も寅次郎」ー1
帰郷してからうどんばっかり食べています。何処で食べても美味しいですが、私の好みはここです。ちなみに、故郷で蕎麦は食べません。そして、東京でうどんは食べません。メニューです。兎に角安いです。入ります。今日は「冷やし肉おろしぶっかけ」に、オクラとカボチャの天ぷらのトッピングです。生姜とネギを取り放題入れます。すりゴマを沢山まぶして頂きます。美味い!丼ものもありますが、うどん以外食べたことありません。旧国道沿いの繁盛店です。讃岐うどん/つるベえー
四国で暮らしているといつもお遍路さんを見掛けます。歩き遍路が目に付きますが、目に付かない多くの人はツアー遍路です。やって来たのは西条市の香園寺です。うどんを食べに来たついでにやって来ました。初めて来るお寺です。お寺らしくない造りです。まだ四国八十八ヶ所巡りをしたことがありません。・・・この歳だし、東京在住だし、もうしないと思います。18歳で生家を出たっきりの人生だったので、四国八十八箇所巡りの機会がありませんでした。年を取ったら行くのが億劫です。2階に上がります。ここ香園寺は、本堂の弘法太子像が有名らしいです。なるほど・・・。立派です。弘法大師像は右なんですが、お遍路さんが一心不乱に読経していたので、ここからお参りしました。隣に、お寺らしいお寺を建設中でした。貸切バスが来ました。ガイドが先頭に立って、沢山...四国霊場61番札所香園寺
玉川町に美味しいうどん屋ができているので食べに行こうと妹と従妹が言います。結構流行っています。昨年食べた波止浜の店の支店です。本店も混んでいましたので味の想像はつきます。他の地元の店とは趣が異なります。お洒落です。若者に好かれますね。おお、混んでいます。若者が多いです。ひょっとしたら今日は休日か?あ、仕事をしている従妹が居るんだら、土曜日か!仕事をしない一人暮らしに曜日の必要性はありません。美味しかったです。っていうか、四国のうどんは何処で食べても美味しいです。慌てて食い付くのでいつも食レポを忘れます。美味しかったので雰囲気だけでも紹介しました。讃岐うどん/松製麺所
今治銀座商店街が賑やかだった頃にはあまり気にならなかったけど、ちょっと気になっていた店舗裏です。商店街と並行して川が流れています。今は綺麗な水の流れです。小学校で習った「今治のくらし」では、「タオルの街『今治』の中央部の川は、染料で赤や緑に染まってとても綺麗」と教わりました。実際は染料が混じり合って紫から黒い川でした。中学生になって、美術の時間に「絵具が混じると『黒』に近づいていく。光は『白』になっていく」と習いました。なるほど、と認識した川です。ベニスの街角みたいです。所々に私設の橋が架かっています。公設の橋まで行かなくても川の反対側に行けます。橋は直接家と家が結ばれています。これが各所に有ります。両家は親戚なんだろうか?そして、川に下りる石段も有ります。もうお気付きだと思います。殆どの家が川に張り出し...改めて見てみた今治銀座裏
今治銀座の東端です。アーケードの中に江戸時代の名残を留める石柱です。さて、今治銀座を行きます。前回より明るくなりました。閉店した店舗が取り払われて、太陽光が差し込んだせいです。寂しい風景ですね。営業している店舗がまた少なくなっています。この店は、数年前から「閉店セール」を行っていました。まだ営業しているじゃないか⁈との感想です。おやおや、いつもの看板が店内に有りました。どっこい、生きています。今治市の中心部でした。人が居ないとポストや電話ボックスが寂しいです。学生の頃から有ったシャッターアートが変わらず素敵です。閉店した場所を地上げして集合住宅が増えています。こうなるとアーケードが邪魔です。本屋「マス屋」でした。今は教育図書を売っているんですね。お金は無いけど暇はたっぷりあった高校生が沢山立ち読みしていま...今治銀座の今
かつて港に着いた人達は、港の前の商店街に流れて行きました。その「新町商店街」の今の姿です。一番手前のお土産屋です。今も商店らしい店ですが、往時を偲ぶよすがはありません。他の店の多くは閉店しました。港に一番近い喫茶店でした。港の前にバス停があって、早朝に港に着くと、ここでモーニングサービスを食べながら、始発のバスの運行を待ったものです。ずいぶん賑わった店でした。商店街を歩きます・・・。昔から界隈は、蒲鉾屋と魚屋が多いです。この店なんか何度も何度も表彰された店でした。今も経営しているだけ立派です。今は人より幟が目立ちます。サッカーを町おこしにしよと元全日本監督が頑張って居ます。道続きの「今治銀座」へ足を進めます。ここも寂しいです。今治新町商店街
今治港湾事務所です。数年前に竣工した船の形の建物です。確か「ハーバリー」と呼んでいたと思います。ハーバーと今治の合成語です。桟橋へ行きます。港の向こうに大島が煙ります。「しまなみ海道」ができる前は、島嶼部を繋ぐ連絡船の出入りで賑わった港でした。しまなみ海道とバーバリーができて、昔の面影が全く無くなりました。今は寂れた港でしかありません。おっ⁉︎偶々フェリーがやって来ました。こちらに向かって来ます。着桟します。先ほど何処からか自転車で現れたシルバー世代の人が綱どりを行います。「せきぜん」の文字が見えます。確か「レモンの島・岩城島」からの船です。かの島は「しまなみ海道」が繋がっていません。こうやって、昔ながらの交通機関で、買い物等にやって来ます。殆どの島は車で「しまなみ海道」を走ってやって来ます。行き先はここ...今治港
あれっ!蛇池に水が有りません。この池は昔から水を枯らしてはいけないとの伝説があります。どうしたんだろう?罰当たりな!土手が新しいです。唐突ですが、あの山が、竜神が越えていった山です。土手を調べてみます。その前に、ここは竜神伝説の地で、池の奥は湿地帯で小さな観光地であり、遍路路でもあります。従って、昔からあそこにトイレが在りました。田舎の「便所」です。汚なかったです。ところが、ドアを開けたら便座の蓋が自動で上がりました!我が家より凄い!凄く綺麗になっています!外国人の歩き遍路が多いそうです。さて、余談はそこそこに、土手へ行きます。空っからの池です。こんな事をしたら池ません。龍神の祟りがあります。ショベルカーが動いています。土手がここで切られています。バチが当たるぞお前ら!池の向こうは「医王山」です。西暦66...蛇池の土手を壊していた。
今年というか今週2度目の訪問です。先日暑い中を自転車でやって来たら臨時休業でした。今日は営業中です。民家の庭に屋台を建てて、テーブルを置いて、週5日やっています。「先日休んだな!」って言ったら、「すみません田植えの準備で・・・」と答えます。年に1度の訪問です。それでも覚えていてくれます。地元の人間と違って、ちょっと標準語っぽいので、覚えやすかったのだと思います。こうして7〜8年の付き合いになります。いつものとおり「冷やしうどん『中』」を注文して、おでんを取ります。昨年より20円と30円(すじ肉)の値上げをしていました。しょうがないです。何でも上がっているもの。夫婦二人でやっている店です。「孫兵衞作」に在ります。何とか孫兵衞さんが開拓した村です。ちょっと時間が早いので客はまだ私だけです。いつも流行っています...「いなか屋台うどん村」商い中
昨年の訪問で確認していました。目印のガスタンクです。あそこですが、行列どころか人が居ません。やっちゃたみたいですね。定休日です。田舎の一人暮らしで仕事をしていなかったら、曜日に頓着しません。新聞も無いし・・・そうか、今日月曜か!でも人が居ないので、ゆっくり好きなアングルで撮れます。隣は散髪屋でしたか。こんな指示です。元々は普通の町中華だったのが、賄い飯が商品としてヒットして、今治市のソウルフードになったらしいですね。また来年来ます。曜日を確かめて。昨年の記事はこちら。焼き豚玉子飯「重松飯店」再訪
既報の記事「今治ラヂウム温泉」で、次回の帰省時にも見に来ると書きました。実はこの「大黒湯」を今年も見に来たのです。ラヂウム温泉の近くです。前回は気がつきませんでした。存在を知らなかったら、すれ違ったことも知らないで過ぎて行きます。人生の出逢いもそんなものでしょう。縁と呼ばれる現象です。さて、昨年と変わらない風情です。玄関前を掃除しているので、今も現役の銭湯のようです。2階が住居です。昨年も玉ねぎを干していました。こんな景色さえも変わっていません。眺めます。玄関も変わりません。昨年同様、営業時間は午後1時半です。周辺は漁師町です。夜明けの出漁も行います。そんな需要があるんだと思います。ずっと下を向いたままです。掃除に熱中しています。私に気付いたら声を掛けてみようと思っています。仕事中の人に、こちらから声掛け...「大黒湯」再訪
今治市の街で遭遇しました。「大正モダン」を思わせる建物です。正面から眺めます。左側に、「ゆ」と「ホテル」の文字が見えます。玄関です。営業しているんだろうか?玄関の柱です。「国登録有形文化財今治ラヂウム温泉本館」と書いています。同様に英語でも記載しています。そしてそして、「建築1919年国登録2016年11月」とも書いています。第一次世界大戦終了の年の建築です。冒頭「大正モダン」と感じた印象そのものです。登録したのが2016年11月なので、最近のことです。その下にも、古い建物で時々見かける形式で「登録有形文化財この建築物は貴重な国民的財産です」とも有ります。凄いね今治!でも営業しているんだろうか?左手にホテルの玄関が有ります。3階がフロントのようです。宿泊者「レンタサイクル乗り捨て施設」とも書いています。「...今治ラヂウム温泉
桜井平野の真ん中に独立した山が在ります。多くの数と多くの種類の古墳が在ることから、古くから人々がよって立つ山だったのでしょう。あそこに城を造ったのは豊臣秀吉の家臣「福島正則」です。麓に「お屋敷」の地名と堀の遺構が残っています。国分寺の隣に「春日神社」が在ります。由緒書きの末尾に、「唐子山の福島神社を合祀した」との記述が有ります。ここに福島神社が合祀されています。福島正則が国分城に造った神社です。ここから四国八十八ヶ所五十九番札所である国分寺の屋根が見えます。そして、山道の方向に国分山(現在の唐子山)が在ります。さて、「脇屋義助の墓」の真裏です。「国分城城主小川土佐守祐忠夫妻尊霊」の墓石が有ります。この人物をよく知らないのですが、福島正則の後に国分城に入った人物です。彼は関ヶ原の戦いで西軍に付きました。「家...国分城の変遷と唐子山
国分寺のすぐ傍です。でも、ここでお遍路さんに逢ったことはありません。せっかくの歩き遍路なのに、ここを素通りしたら勿体ないと思います。石段を上ります。上がった所に拝殿が在ります。右手に説明書が有ります。(説明板表示内容)「脇屋義助公廟堂の由来延元元年(1336)五月、楠正成、新田義貞らの連合軍を摂津の国湊川に打ち破った足利軍は、戦勝の余勢をかって、京都に攻め入った。同年六月、京都の東寺に入った尊氏は、持明院党の公明天皇を皇位につけて政権の合法化をはかり、後醍醐天皇を洛中の花山院に幽閉して、北朝中心の体制をかためた。そこで、天皇は密かに花山院を脱出し、大和国吉野に潜幸して吉野朝廷をひらいた。そして尊氏追討の綸旨が諸国の武将に発せられた。ここに尊氏が樹立した京都の北朝(公明天皇)と吉野の南朝(後醍醐天皇)両皇統...吉野朝忠臣従三位脇屋義助公廟
国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。本堂です。さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。...国分寺と国分寺塔跡
伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。探索の為の道が設けられています。こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。国分尼寺跡です。石で囲われている場所です。建物の基礎石です。大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。遍路道石碑の前の石柱に、「史跡伊予国分尼寺」の文字が見えます。石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継...伊予国分尼寺跡
伊予桜井駅の裏にやって来ました。駅舎を覗く場所です。あの木が茂った場所が石丸忠兵衛の墓があった場所です。中に入れません。入っても何も有りません。数年前に確認済みです。以前は隣の田圃の畦道を通って一周できたのですが、ご覧のとおりイノシシ避けの柵が設置されています。反対(駅)側も草が茂って行けません。この後、既出の部落総代から聞いた話によると、もうずっと昔に移転したそうです。跡地だけが保存されています。墓所を背後に山の麓を見ます。あそこに白く石碑が見えます。みかん畠の中です。これが石丸忠兵衛の石碑です。前回の訪問時にはもっと沢山のみかんの木が有りました。切ったのでしょうか?もう畠の雰囲気はありません。野原の風情です。「開拓新田石丸忠兵衛寛永」の文字がかろうじて読めます。部落総代が言います。「石丸忠兵衛が桜井を...「石丸忠兵衛」の墓と石碑
前回(2020年)報告した東京都知事選挙ポスターの記事にアクセスが多いです。今回も皆さんが注目している選挙です。ただし、その注目対象は掲示板です。今回はそれ以上の騒ぎになっています。N国党によって立候補者掲示板がジャクされている事がニュースになっています。各所で注意して見ていましたが、全ての掲示板がそうなっている訳ではありません。そんな中、これが近くの公園に有りました。TVニュース等で見たのとは掲示内容が違います。色々な種類のポスターがあるようです。女性のヌードも有るとか?このポスターは赤ちゃんが怒っています。「わたしたちの未来をどうしてくれるのか!!」と。内容は真っ当な、選挙のたびに選挙管理事務所が苦心している「投票促進」です。でもね、批判を避ける為に作ったポスターのように思えます。こうやって、硬軟織り...東京都知事選挙ポスターが異常!
田舎には不釣り合いの広い道路です。左右に日通や西濃運輸のトラックが横付けされていました。中学生の頃の話です。貨物の中継店や商店や精米所や床屋が在りました。漆器製造・販売の在る浜桜井地区に対する流通の中心地だった、郷桜井です。昔は沢山の自転車預り店が在りましたが、モータリゼーションによって自家用車が増えると駅を利用する人が減りました。今はこの1軒だけです。突き当りは「JR伊予桜井駅」です。多くの高校生は駅前に路駐しています。違法ではなく、駐輪場になっています。駐輪しているのは、地元今治東高の、ここから電車で帰った生徒たちか、地元以外の高校に行っている、これから電車を降りて自宅に帰る地元の生徒です。「綱敷天満宮」最寄り駅です。予讃線の終着駅だった時期もあります。国分寺・国分尼寺等も在って、国府の中でも「府中」...伊予桜井駅
甥っ子が「四国一美味い!」と言うので食べに来ました。チェーン店です。よく意味が分かりません?要は安いって意味なんでしょうね?実際美味しかったです。お遍路さんも食べていました。珍しい風景ではありませんが、向こうにも女性連れが居ました。こちらにも二人連れが!こんなに沢山のお遍路さんがうどんを食べている景色は初めて見ます。お遍路さんの間で、美味い店の情報の共有化が行われているのでしょうか?これぞ四国らしいうどん店の風景です。これぞ四国らしいうどん店の風景