当ブログについて当ブログは、公開、非公開を管理人の意思において定期的に行っております。公開、非公開はカテゴリー別において管理しています。そのため、公開も一部のみの限定公開となることが多いです。あしからずご了承下さいませ。現在、ご質問等の個別の対応は控えさせて頂いております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 管理人拝当ブログについて
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ついに畑小路地蔵尊にある楠木正行・正時兄弟の五輪塔の元々祀られていたところが特定できた。やはり、砂山城跡だったが、そこには西光寺というお寺もあったことがわかった。また一つの謎が解けた。更に、村では当時に色々と障りが多く混乱が起こっていたのは、四條縄手の戦いで亡くなった者たちの供養をちゃんとしてないからだということで、供養をするための請願も出されていたことも改めて知った。しかし、逆に四條畷神社建立を避けるために正行公・正時公のお墓を壊して、五輪塔を隠匿するのでもあるが・・果たして、五輪塔が元にあったところへと戻ることは、これから先いつかあるのだろうか・・西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!?2024年5月21日h...西光寺・廃寺(東大阪市上四条町)・字「天王堂が芝」に畑小路地蔵堂に隠匿されている楠木正行公・正時公の供養五輪塔が元々祀られていたか!?2024年5月21日
ようやくにかなり踏み込んではいるが、今更感でもあり、遅きに失している。これを機に浄土真宗でも中観思想について学ぶようにするのが良いであろう。何よりもツォンカパ大師の思想考究をお勧めする。ならば二度とこのような間違いも起きないことであろう。とにかく、まだ有志の会も何が問題の本丸であるのかについては見えていないようでもある。これではまだまだ解決には時間が掛かるだろう。附論―冊子の内容と記述手法の問題―このたび公開された総合研究所冊子(以下、「冊子」と呼ぶ)について、一部では「学問的に厳正に立論された満井論文」などと評価し公言する人もいるようであるが、率直に言って、この冊子の内容は、「論文」と呼ぶに値するものではない。この冊子は、一見すると様々に論を展開しているように見え、それを証明しているかのように先学の文章...新しい領解文問題・有志の会いまだ本丸にたどり着けず
花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将2024年5月20日https://youtu.be/cS6TYIuGEGg?feature=shared花草神社跡(東大阪市上四条町)と神宮寺小太郎首塚楠木正成公・正行公親子二代に仕えた八尾市神宮寺の武将2024年5月20日
四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町)その激戦の痕跡霊光院旧楠公院畑小路地蔵尊歯神さん砂山城跡2024年5月20日https://youtu.be/8d1qQJqr9MQ?feature=shared四條縄手の戦いの史跡群をめぐる(東大阪市上四条町)その激戦の痕跡霊光院旧楠公院畑小路地蔵尊歯神さん砂山城跡2024年5月20日
四條縄手の戦いの戦闘経過は、当然に太平記を基準に考察されるのだが、物語的に脚色されているところもあるため、そのままを鵜呑みにはできない。砂山城跡に初めて行ったが、山岳戦を戦うにはもってこいの要所であり、背後の神感寺城の役割を補完するにも十分と感じた。しかし、生駒山の背後から佐々木道誉軍が進撃し、鷲尾砦、慈光寺砦、神感寺城と落され、客坊城、往生院城も襲われ、砂山城にも敵軍が迫ったのは、前線の正行にも伝えられたはずである。または、狼煙台が至るところにあり、急変を知ったはずだ。正行には渡辺橋の美談があるように、敵でさえも戦闘が終われば救うようなお方であった。そんな正行が、後方の味方が危ないと知った時に果たして無視して、更に高師直軍へ向けて進軍できただろうか。答えは否である。即座に引き返し、砂山城に迫った佐々木道...四條縄手の戦いの戦闘経過検討
四條畷神社創建に際して翻弄された四条村・・隠匿された正行公・正時公の二石塔を再確認。そして、明治期に小楠公神社建立を図った往生院の哀愁・・楠木正行公・御墓所全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔/明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!?そして、明治時代後期に発足した南木会とは!?2024年5月19日https://youtu.be/qGCVN4vsNqw?feature=shared楠木正行公・御墓所全国七ヶ所目・東大阪市上四条町・畑小路地蔵尊五輪塔/明治元年に小楠公神社建立計画が往生院にあった!?そして、明治時代後期に発足した南木会とは!?2024年5月19日
上四条・砂山城跡の楠正時公碑の前にあったお社。菊水の瓦の社があったが、ここが経塚だった。お経が彫られた石がたくさん祀られてあると文献で見ていたが、このお社の裏手にある古墳の中にあるようだった。後から見たら確かに裏手に石組がある。この経塚はもしかしたら四條縄手の戦いで亡くなった者たちの供養として古墳が活用されたのかもしれない。上四条・砂山城跡の楠正時公碑の前にあったお社・経塚古墳
隠蔽された楠木正行公・正時公供養石塔を確認か?東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!?四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について2024年5月18日https://youtu.be/lnNf80Gp9JI?feature=shared東大阪市上四条町にも楠木正行公・正時公供養の石塔が存在していたか!?四條畷市雁屋南町の小楠公墓所由来の補足について2024年5月18日
上四条、砂山城跡にある正行公碑、正時公碑を見に行ったが、もう荒れ放題だった。探すのにも難儀した。近くには廃神社も、、小楠公神社の建立計画は、往生院、上四条、現在の四條畷神社と明治時代にもちあがっていた。往生院もあと少しのところで神社となるところだったが直前に頓挫し、上四条も土地の強制接収を恐れての反対運動があり、結局は現在の四條畷神社に決まることになった。しかし、この廃神社を見て、もし、こちらに小楠公神社が決まっていたなら、と想像してしまう。上四条は、一大観光名所になり、瓢箪山駅の次に四条駅が敷設され、参道も賑わうことになっていただろう。瓢箪山駅、四条駅、枚岡駅、額田駅と。往生院も四条駅からならば徒歩10分で今よりかなり楽に。上四条の史跡群、また動画でも取り上げます。上四条、砂山城跡にある正行公碑、正時公碑
南北朝時代、南朝方陰陽を司っていたのが、勘解由小路家、つまり、賀茂家であったことを裏付ける後醍醐天皇の綸旨書。後醍醐天皇は、八咫烏信仰と共に、賀茂家を重用したわけでもある。南北朝時代、南朝方陰陽を司っていた勘解由小路家
いくつか伝わってある楠木正成公、正行公の戒名。戒名の由来、それぞれについて考察してみました。楠木正成公・正行公の戒名について補足小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識2024年5月17日https://youtu.be/Lv5l5EnmSNo?feature=shared楠木正成公・正行公の戒名について補足小楠公・正行公墓所・往生院胴塚についての歴史認識2024年5月17日
南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日)楠木正行・正時vs高師直・佐々木道誉四條縄手東大阪市四条町・上四条町周辺四條畷市北条周辺2024年5月16日https://youtu.be/6q1MCBM0Dgs?feature=shared南北朝時代・四條縄手の戦い(1348年・正平3年1月5日)楠木正行・正時vs高師直・佐々木道誉四條縄手東大阪市四条町・上四条町周辺四條畷市北条周辺2024年5月16日
楠木正行公のお墓全国に伝わってあるお墓の由来について小楠公墓所・楠木正行公のお墓往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について往生院六萬寺2024年5月15日https://youtu.be/E2bPJRYfQrA?feature=shared小楠公墓所・楠木正行公のお墓往生院胴塚・宝筐院首塚・額田首塚・正行寺首塚・四條畷墓所・甑島墓所全国六ヶ所に伝わる楠木正行公ご墓所の由来について往生院六萬寺2024年5月15日
楠木正行公の念持仏・毘沙門天立像の由来について楠木正行公の念持仏について毘沙門天・多聞天立像懐中仏携行仏守り本尊戦勝祈願岩瀧山往生院六萬寺2024年5月14日https://youtu.be/uEV5JeiEYsU?feature=shared楠木正行公の念持仏について毘沙門天・多聞天立像懐中仏携行仏守り本尊戦勝祈願岩瀧山往生院六萬寺2024年5月14日
次回から楠木正行公関連について扱う予定です。今後の配信予定楠木正行念持仏について楠木正行御墓所について四條縄手の戦いについて楠木正成・正行の戒名について楠木家一族による寺院開基開山について2024年5月13日https://youtu.be/GNGBFSV7G5o?feature=shared今後の配信予定楠木正行念持仏について楠木正行御墓所について四條縄手の戦いについて楠木正成・正行の戒名について楠木家一族による寺院開基開山について2024年5月13日
1274年~1275年には全国の寺社で宗旨宗派関係なく、元寇降伏祈願法会が開催されていたのでしょう。叡尊(興正菩薩)と枚岡神社元寇降伏祈願法会蒙古襲来・元寇全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命2024年5月11日https://youtu.be/LsKjS2uDLj4?feature=shared叡尊(興正菩薩)と枚岡神社元寇降伏祈願法会蒙古襲来・元寇全国寺社へ降伏祈願・鎮護国家法会を勅命2024年5月11日
土御門家と勘解由小路家。双方の明暗が分かれた拙仮説として、南北朝の争いにその要因があったとみています。八咫烏陰陽道と美作後南朝。少し止まっていますが、早く美作後南朝も再考察を再開したいですね。往生院と修験道往生院と陰陽道妙見菩薩像・八臂弁財天像土御門家と額田歴代組金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山役行者不動明王2024年5月10日https://youtu.be/WD1ii0u1SmI?feature=shared往生院と修験道往生院と陰陽道妙見菩薩像・八臂弁財天像土御門家と額田歴代組金剛生駒山系・生駒山・岩瀧山役行者不動明王2024年5月10日
結局、声明七も的外れなままに終ってしまったか、、残念。まあ、あまり期待もしていなかったけども、、いまさらに、「空」、「縁起」、「無分別」をめぐる解釈の誤用については書くまでもないと思っていたが、要は「新しい領解文」問題も根っこの部分にあるのは、これである。有志の会が、声明七(まだ途中)にて、くだんの問題論文のことと併せて、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」の間違いについて、「仏願の生起本末」の観点からの反論をされているが、本質的な問題はそこではなく、明らかな「空」、「縁起」、「無分別」の誤用にあるのである。どうしてこの点をもっとダイレクトに指摘されないのかが不思議なのである。もちろん、従前より親鸞思想・浄土真宗教学において最も弱いのが、空思想、中観思想であります。もっとも、元々は世親、曇鸞、道綽、善導...勧学・司教有志の会声明(七の四)に思ふ
再度、浄土院跡へと赴きまして、現況を記録しておきました。河内・浄土院跡へ瓦の散在状況の確認と記録東大阪市横小路町2024年5月9日https://youtu.be/vg_0Olg-xNk?feature=shared河内・浄土院跡へ瓦の散在状況の確認と記録東大阪市横小路町2024年5月9日
「令和の惑乱」もこれで幕引きとなりますかね・・岡本法治さま、本当にお疲れ様でございました。しかし、親鸞聖人の思想、浄土真宗教学、本願寺派教学、よく学び、色々と知ることができました。あとは、「法義示談」、「改悔批判」に出掛けて、疑問点を解消しに参りたいと存じます。とにかく、龍谷大学・真宗学科学生論文集は本当に良い論文が多くて、学ぶのに最適でございました。ネット公開、有り難かったですね。【ニュース速報】石上総長が辞意を表明浄土真宗本願寺派浄土真宗本願寺派の石上智康総長(86)は21日、総長の職を辞任する考えを総局や宗会関係者に伝えた。理由として、慶讃法要の円成を機縁として人心を一新し、宗門のさらなる活性化に道を開きたいということ、また体調不良により医師の診断に従って当面、安静療養と健康の回復に努めたいことを挙...「令和の惑乱」もこれで幕引きとなるか・・【ニュース速報】石上総長が辞意を表明浄土真宗本願寺派
せっかく広島で開催されたのに、戦争の共業をまた深めることになってしまうとは…和平交渉へと向けたプロトコル、イニシアティブを取るチャンスだったのに。残念である。・・どういったことが、日本、日本人の「共業」になるのですか、とのことですが、今回のウクライナへの戦費支援、間接的な武器供与、後方支援を認めることは、イラクの時もそうでしたが、殺人を間接的にしている業を抱えることになります。戦費支援、防衛費は、税金からであり、それは私たちが出しているものであるからです。政府にその使い方を容認してしまっているということは、皆、殺人幇助していることになるからであります。そのように抱えた共業は、因縁、因果により、必ず報いがきます。釈迦族の抱えた共業による因果の流れは、釈尊でも三度までしか止めれなかったほどに強烈、強大な力なの...和平交渉へと向けたプロトコル、イニシアティブを取るチャンスを・・
昨日の西本願寺・慶讃結願法要を中継で観て、あの格式の中、初日によく敢行できたものだと振り返る。無知というのは怖いものだ、、結局、あれから色々知ると、ご門主さまに渡り、仮に返歌なされたくとも、安心に関わることであるため、総局の申達、勧学寮の諮問を通さないと返せない仕組みであって、無駄なことであった…ましてや、中外日報さんに取り上げてもらっていなければ、ただのおかしい、アホなやつで終わっていた。もちろん、それも仕方がないが、、一休さんとあれこれ気ままにやり取りされた蓮如上人の時代であればと考えると、あまりに窮屈で、自由のないしんどい立場にあられるのだと、気の毒に思う…安心裁断権は、ご門主さまの唯一の権限。しかし、それも実質的には無いようなもの…与奪者指名、任命権はせめて認められるべきなのではないだろうかと思う...西本願寺・慶讃法要初日を振り返って・・
昨日、声明を全て読み返していて思ったのだが、そう言えば、「自然の浄土」については結局触れられていなかった、、しかし、「声明」を何度見ても「しょうみょう」と読んでしまうのは、ある意味、仕方のないことではあるだろう…話を戻して、、「自然の浄土」をどう考えるのかは、実は教学的にはかなり重要なのである。拙生は、「一如宝海」と解しているが、そうではなく「現世現成」と考えられている場合もあるからだ。新しい領解文は、本覚思想を謳っていることからも、「現世現成」としてある可能性が極めて高い。救い摂られるのは、確かに現世現成ではあるが、実際に救われるのは、実質的に「一如宝海」である。現世、極楽も、阿弥陀如来の方便法身のはたらく世界にはあるが、あくまで最終的に救われるところは、阿弥陀如来の法性法身、一如宝海における二種法身獲...「自然の浄土」について
記者会見が開かれるようです。【記者会見のお知らせ】本年の御正忌報恩講において、ご門主さまの「ご消息」のなかで「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」が発布されました。しかしながら、総局の「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の拝読・唱和を強く推進する宗務方針によって、みなさまご存じの通り、これまで愛山護法で生きてこられた僧侶・門信徒のあいだには戸惑いと混乱が広がり、またご本山やご門主さまのお立場を憂慮する声が全国各地からあがり続けています。われわれ「浄土真宗本願寺派勧学・司教有志の会」(代表:深川宣暢)は、その内容の問題と、発表されるまでの経緯の不可解さ、不透明さについて、これまでに声明を発表して指摘をしてまいりました。そして昨日「声明(五)」を発表したことで一つの区切りを迎えました。そこで、このたび京都東急ホ...【記者会見のお知らせ】「浄土真宗本願寺派勧学・司教有志の会」
有志の会の最後の声明が、ご門主さま宛の安心裁断権行使の請願書とならなかったのは仕方のないことでしたが、改めて五つ全てを改めて読み返して思うのは、決定的な過失が、やはり、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」というところであり、ここの表現が、ほんの紙一重で違えば、もしかしたらここまで大問題にはならなかったかもしれません・・前勧学寮頭の徳永氏も、答申とは異なって、消息、領解文として出されてしまったことよりも、この「紙一重のところ」に対してのことから辞任を決意なさったのではないだろうかと思うのであります・・蓮如上人の機法一体、仏凡一体の本覚思想性を明確に否定されておられたからであります。お近くですので、真意をお聴きしに伺えたらとは思うものの、お相手して頂けないでしょうね・・とにかく、本当に紙一重ということです・...「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明を全て改めて読み返して
Facebookのコメント欄で書いたことからのメモ・・「新しい領解文」が間違っていることは明らかながら、これまでの拙考究から、元の領解文も親鸞聖人の信心、領解とは微妙に違いがあるようにやはり思えます。また、「称名報恩」も、微妙ながらやはり違和感があります。領解文を覚えやすくするなら、もっと簡単なもので、出言もしやすいものとして調え直すのが良いでしょうね・・例えば・・「新しい領解文・改」南無阿弥陀佛本願勅命南無阿弥陀佛称名正業南無阿弥陀佛名号功徳南無阿弥陀佛信心正因これぐらいにて本当に十分かと。もちろん、根拠は、名破満釈・融会合釈から。・・親鸞聖人の思想「阿弥陀如来法性法身・二種回向(教)→阿弥陀如来方便法身のはたらき(行)→信心(信)→二種法身の獲得(証)」「二種回向(因)→方便(縁)→二種法身(果)」行...新しい領解文・改
第五弾声明が出されました。ご門主さまへの安心裁断権行使の請願にはならずでしたね…明らかに間違っているものを醜態を晒しながらにも総局が頑なに押し付けようとするのには何か、やはり大きな意図があるのでしょう…「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(五)このたびご消息として発布された「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」(以下、「新しい領解文」)の内容について、勧学・司教有志の会はすでに、その「表題(名称)」「第一段落」「第二段落」「第三段落」における主要な問題点を「声明」において指摘してきた。今回の声明では、これまで「新しい領解文」の内容について述べてきた問題点をまとめ、【付記】として「新しい領解文」が発布されるに至った経緯についての問題にも触れておきたい。一はじめに「表題(名称)」については、「声明(...「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(五)
「法義示談」があることは知らなかったが、主に与奪経験者によって行われる門信徒、一般向けの安心裁断の一つと言えるのだろうか?教学的には重要な中枢的役割を担うものであると思われるのだが、「新しい領解文」への疑義の中では開催は難しいということなのであろう…あるいは、与奪経験者に引き受けてもらえないからなのか…勧学司教有志の会、ご門主さまへの安心裁断権行使の請願、未だ出される気配はありませんね…法義示談休止についてhttps://www.hongwanji.kyoto/info/001277.html「法義示談」
結局は、ご門主さんの「ご親教」さえも、総局の関与によるものにならざるを得ないということか…時代に迎合した反省を述べながら、時代に迎合して教義を分かりやすくに変えるとか、矛盾することがご親教の原稿に書かれてあるのも、「新しい領解文」における間違いと共に、根は同じということであろう…あまりにもお粗末すぎる…ご門主さんは無謬となる制度にあるはずが、間違ったことをさせてしまい、恥をかかせたままでは、当然に皆、怒るわけで。このような中でも、ご門主さんの唯一の残されてある権利が、「安心裁断権」ということのようだが、それも、裁断を任せる与奪者(最高位学僧)は、ご門主さんによる指名ではないようだ…実質、権限がほとんど無いに等しい…それもどうかとは思うのだが、、せめて与奪者の指名権もご門主さんに任せないと。今回のことでも、...ご門主さんは無謬となるはずの制度がどうしてこうなったのか・・
浄土真宗の学びを進めるのに最適なものは、優秀な真宗学科学生さんによる卒業論文集である。何より素直で丁寧であるから、変な癖や、変な偏りもないので、読みやすく理解しやすい。それが無料で読めるのであるのだからお得でもある。今回の「新しい領解文」の問題の件でも、大いに参考にさせて頂いた。しかし、令和4年度のものはまだなのだろうか・・待ち遠しい。。真宗学科学生論文集https://shinshu-gakkai.omiya.ryukoku.ac.jp/yusyuronbun.html真宗教学において、論理学がこれほどまでに精緻に議論されていたとは、誠に新発見で、三業惑乱時にどれほど教学的論争が盛んであったのかが窺える内容である。「浄土真宗金剛錍」を参考とすれば、更に有効な論法を用いて反駁していくのに大いに役立つものと...真宗学科学生論文集・改悔批判(平成7年)
①〜④と各称名については、まだ整理中です。称名①〜④は、微妙なりにも阿弥陀如来の方便法身のはたらきに差異があると考えているわけです。特に、①と➁には大きな違いがあり、①は、衆生に本願を知らしめる役割、②は、本願を得心させる役割があると考えています。③は、本願を納得させる役割、④は、本願の功徳を得心させる役割となるでしょうか。まだ思考中です…親鸞聖人の思想「阿弥陀如来法性法身・二種回向(教)→阿弥陀如来方便法身のはたらき(行)→信心(信)→二種法身の獲得(証)」「二種回向(因)→方便(縁)→二種法身(果)」行信論の要諦は、名破満釈・融会合釈「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ...獲信の構造について・1
勧学・司教有志の会の声明を、総局宛としてではなく、ご門主さま宛としての「安心裁断権のご行使をお願いする請願書」とするのはどうであろうかと「新しい「領解文」を考える会」の方へと書いたのだが、それは「100%無理」だろうとのメッセージを頂いた・・令和5年の改悔批判、御正忌報恩講御満座に引き続いて発布された消息としての「新しい領解文」が、まさか改悔批判としての安心正否の裁断にかけられるわけがないということであろうか・・しかし、改悔批判の与奪経験者3~4名(勧学)[安心を判断できる最高位学僧]が有志の会にあることからも、「新しい領解文」には、安心へと向けた疑義、異安心があるのは明らかながら、その安心裁断ができないとは・・これからの改悔批判も結局はただの形式的な儀式ということになるのだろうか・・そして、その唱和の強...「新しい領解文」についてのこと
「信心の社会性」も、結局は、戦時教学と同様に、「思想のすり替え」・「思想の並列化の産物」と考えられるのであります。聖なる信心のあり方と俗なる信心のあり方との並列化とも言えるでしょうか。親鸞聖人は、「自信教人信難中転更難大悲弘普化真成報仏恩」(教行信証・信巻)として、「自信教人信、つまり、人に教えることなどは、愚かな自分では当然に難しく、無理であり、自分が人に教えて救うことなどは何もできないが、弥陀の大悲、本願は普くに人を救って下さるものとなる。その弥陀の大悲、本願の「南無阿弥陀仏」を称名することが、仏恩に真に報いることに成るのである。」と示されておいでであります。何よりも愚かな自分のできることなど、所詮は「雑毒の善」でしかないのは当たり前のことであるのだから、人を真実に救うことなども、とてもできる身ではな...戦時教学の反省から「信心の社会性」を考える
蓮如上人が重視したとされる「安心決定鈔」は、浄土宗の証空(西山上人)を派祖とした西山流における著者不明の談義書の一つとされる「六字名号」を扱ったものであり、昭和初期に至るまで民間で流布していた「六字名号口伝」ものの原点であると言え、民衆にとっては、読みやすく、わかりやすく、伝わりやすいもので、その信仰は広く盛んであったことが窺えるわけです。それは、「六字名号」の有する本覚思想、現世利益、密教的神秘性、神仏習合性が説かれてあり、昭和初期頃までに増補されながら、霊験あらたかな有り難いものとして、民間信仰が厚くあったのだと思われるのであります。蓮如上人が「御文章」を表したのは、まさに、この「安心決定鈔」に倣い、民衆にとって、読みやすく、わかりやすく、伝わりやすいものとして調えることがその目的として、特に「仏凡一...蓮如上人が「安心決定鈔」に倣った「御文章」の目的について
後半の雑修、雑行、雑善の部分への言及となりましたね。通仏教、聖道門自力行であれば、まあ、大丈夫かなと、普通になる表現が続く後段ですが、浄土真宗では、凡夫ではどうしようもないほどに致し方もない煩悩、執着、愚心を、何よりも深く深く自覚していくことが大切なことになります。執着を離れることなど、とてもとてもできない凡夫へと向けてこその尊く有り難い弥陀本願であるわけです。「みずから執着の心を離れることができるのであれば、如来の本願建立の理由すらも失われてしまう」ということであります。更に次弾も雑修、雑行、雑善の勧めを少なくとも未信者へ向けて述べたてることには全く意味がないと、厳しくご裁定なさられることでしょう。「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(四)このたびご消息として発布された「新しい領解文(浄土真...「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(四)・雑修、雑行、雑善の勧めの否定
「機法一体」は、「南無・衆生の信心・機」と「阿弥陀仏・阿弥陀如来の救い・法」が一体としてあることを表しているもので、「南無阿弥陀仏」がその一体性として「本来」成立してあることを表そうとしたのが、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」ということかもしれませんとの可能性についてご指摘を頂きました。改めて考えますと、それならば、「煩悩・さとり」とした対比ではなく、「信心・救いは本来一つゆえ」としていれば、決定的な間違いとは言えなくなっていたであろうということになります。「機法一体」からでは、「私の信心と仏の救いは本来一つゆえ」「仏凡一体」からでは、「私の煩悩と仏のさとりは、一つになるゆえ」もしも、そのどちらかであれば、実は大した間違いとは言えないということになります。「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」は、「...「機法一体」「私の信心と仏の救いは本来一つゆえ」
下記の論文においては、過去の戦時教学の問題点が、冷静に分析されて、同じような事態にまた陥りかねないことが警鐘されており、まさに、この度の「新しい領解文」が同じ過ちを繰り返しつつあることについても考えさせて頂けるような内容ではないかと存じます。「思想の並列化こそが、ともすれば危険な思想に発展しかねない」現代的な思想や価値観を無理に仏教的あるいは真宗的な発想へと変えること、またその逆についても、危険となるのは、大抵、俗に聖を合わせて並列化されていくことになり、それが普遍性を帯びだして、間違った方向へと知らず知らずの間に誘導されてしまいかねないということであります。結論からは、今の「新しい領解文」の問題が、戦時教学と同じ過ちに陥りつつあることを予見させてくれているのではないだろうかと存じます。「戦時教学を過去の...「新しい領解文」への「浄土真宗と戦時教学」からの警鐘
「念仏者の社会性」や「信心の社会性」は、「信心正因称名報恩」を通した方程式から導き出されてくるわけですが、もう一つは、「還相」の現世今生での実現の要請も、その有力なものとしてあることが考えられるわけです。もちろん、本来であれば、往生後に一如宝海にて成仏し、法性方便の二身成就によりて「還相」を可とすべきではあるのでしょうが、方便法身ではない、現世愚心そのままの自分が果たして雑善とならない行いを、報恩行として行うことを可とする根拠を「信心」・「安心」のどこに見い出していけることになるのかは、改めて検討しなければならないと考えています。特に、「念仏者の社会性」や「信心の社会性」について、信心獲得していない者であっても、善知識から聴聞して頂いた教えから「自信教人信」としての報恩行を勧めることを可としていくとされる...「念仏者の社会性」・「信心の社会性」の根拠について
蓮如教学として、特に大前提となる「信心正因報恩称名」の「報恩称名」においては、信心獲得者の報謝行は、称名だけに留まらず、他力の報恩行が、称名以外にも可とされているのが現代の通説であり、それが信心獲得していない一般の念仏者まで含められるのかどうかは、まだ議論の余地があるものの、報恩称名の意図する「自信教人信」の意を汲んで、信心獲得していない者であっても、善知識から聴聞して頂いた教えから「自信教人信」としての報恩行を勧めることは可としていくとされる流れがあり、特に今回は、門主さんの社会的活動をもっと宗門として積極的に展開していかなければならないという意向も強くあるため、それを鑑みれば、後段の雑修、雑行、雑善と捉えられてしまいかねないところは、ややグレーゾーンではあっても、特に宗門として大きく問題視するようなこ...蓮如教学から「新しい領解文」を改めて考えるならば・・