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  • 祖母洒水忌

    祖母洒水忌洒水忌は、閼伽水による罪業の清浄、仏道を歩むための灌頂を受ける忌日になると考えられています。布薩とも似たものであり、この思い出の内容がピッタリとなります。合掌奥様の思い出布薩その二青葉の最も清々しい頃だと申しますのに、何と無く寒さを覚えます日の朝でございました。つい先程座敷へ子供を呼びました住職の声が聞こえてまいりました。「二人共よく聞きなさい。これは喰べる物が無いからとか、又少ないからこうするというのでは無いのだよ、月に二回、満月の夜のお月様のまんまるい日だね、そしてしん月といってお月様のみえない暗い夜、つまり一ヶ月に二日だけそういう日があるのだよ。その日はお昼の御飯を頂いたら身を慎しむといって、兄弟喧嘩をしたり、人に迷惑をかけたり、お前達だったら、いたづらをしたりせずに心を安らかに持って腹を...祖母洒水忌

  • あるイベントに行ってきました

    「十二礼(阿弥陀仏への讃嘆礼拝偈)やりまーす」となっても、お酒が入った人たちに無視されるのは当たり前ということであろう、、ならば、「新しい領解文について考えてもらいまーす」となっても、無視を通り越して、きっとウザがられるだけなのだろう…思考力ももちろん落ちているし、、油小路ならば、新選組の内ゲバ事件についてであれば、少しは興味を持ってもらえるかも。騙し討ちして死体をわざわざ晒し、仲間が引き取りにきたところを更に闇討ちにするという残忍、卑怯な手口…新選組は仲間内での内ゲバでの死者の方が尊王攘夷派、新政府派に対してよりも圧倒的に多かった。幕末期のドロドロした人間の所業のおぞましさを知ることができるのである…それにももちろん「お酒」が大きく絡んでいるのである。のんでものまれるな、である。あるイベントに行ってきま...あるイベントに行ってきました

  • 東大阪市・市議選・結果

    ふたりとも当選!良かった!浅川拓郎さん当選、本当に嬉しい。。https://www.city.higashiosaka.lg.jp/senkyo/sigikaisoku4.html東大阪市・市議選・結果

  • 波羅蜜乗における成仏過程

    よく考えてみれば、波羅蜜乗における成仏過程(釈尊の成仏)では、色究竟天にて最勝滴女を召して、灌頂、羯磨印を受けて双入に入るということになりますから、無上瑜伽タントラの体系においても、定寂心に至ったものの、生身、中有において明妃を得れない場合は、色究竟天に赴いて、そこで最勝滴女を召喚、勧請して、羯磨印を修すると考えるのが妥当となりますでしょう。この場合の最勝滴女は、やはり、補助者、お手伝いの役割になると考えられるかもしれません。都度に明妃も成仏するなら不在、不足に陥ってしまうかもしれないですし。。・・勝義の光明から立ち上がる清浄なる幻身は、仏陀の色身、つまり、仏陀の相好と限りなく近いものとなるため、抱擁の姿でもなく、明妃とは別でそれぞれに持つ身体と考えるのが妥当ではあるでしょう。しかし、羯磨印には智慧と方便...波羅蜜乗における成仏過程

  • 東大阪市・市長選・市議選に思う

    お寺は彼岸期間中ながら、東大阪市は、市長選、市議選の最中である。街宣車からのマイクの声が山内にけたたましく響いて、こだましている。拙弟、川口泰弘は、現職二期目を目指すことになる。議会活動、政策実施、陳情処理、四年間の成果、真価が問われることになる。また、拙生の学生時代、もう25年も前のことになるが、塩川正十郎事務所で共に書生にあった浅川拓郎さんは、今回いよいよ初陣になる。当時、関学大院、総合政策で学ばれていた。いつかは議員にと。懐かしい思い出である。ようやくに、ようやくに、ご出陣である。しかし、東大阪は政治的な「おもし」がなくなってしまって久しいように思う。いわゆる本当の高い志や強い理念のある「重鎮」と言える存在が、政治内外を問わず不在となってしまっているように思える。塩川正十郎先生のご健在な時代は、色々...東大阪市・市長選・市議選に思う

  • 祖母以芳忌

    祖母以芳忌芳は良い香りという意がありますが、故人の遺薫を香ぐということで、遺徳を偲ぶことが大切となります。復興への道遠しの日々・・蔵書を売らなければ、お寺が維持できなかった貧しい時代・・先代の労苦を思います。半世紀以上前のことですが、天牛書房さんには、今でも先代の売った本が並んだままになっているかもしれないですね・・合掌寺史より思い出シリーズを抜粋・・奥様のことども思い出その一当山筆頭信徒総代・責任役員川口三樹子氏というのが奥様の肩書きである。かねがね現住和尚は当山第一番の信徒は自分だと申され、第二番は奥様だと申される、これは当初より貫かれた御信念である。以下奥様の原稿を掲載することになる。此の度各方面の皆様方の御力添えを頂きまして、住職念願の一つでございました処の寺史を出さして頂く運びと成りこんなに嬉し...祖母以芳忌

  • 羯磨印とヤブユム

    勝義の光明から立ち上がる清浄なる幻身は、仏陀の色身、つまり、仏陀の相好と限りなく近いものとなるため、抱擁の姿でもなく、明妃とは別でそれぞれに持つ身体と考えるのが妥当ではあるでしょう。しかし、羯磨印には智慧と方便の合一(ヤブユム)という、定寂心の喩えの光明、あるいは勝義の光明へ向けたものとは別の意味合いもあります。もし、智慧と方便の合一とするならば、自分と明妃が一体となって仏陀になると考えることもできるわけです。つまり、二人の人格が一つになるということになります。しかし、これはあくまでも象徴的な表現、比喩と見るのが妥当ではないかとは考えます。あくまでも羯磨印は、光明への等引のためと考えるのであります。また、可能性としては、明妃は補助的に手伝うだけとも言えなくはありません。しかし、理論上、同程度の高い境地にあ...羯磨印とヤブユム

  • 幻身の三面六臂で明妃を伴うという姿について

    無上瑜伽タントラにおける幻身の特徴の一つに、三面六臂で明妃を伴うという姿がある。これについて、明妃はいつの段階に、どこからやってくるのか?という質問を頂いていたのだが、不浄の幻身における羯磨印の状態は、いわゆる定寂心の段階、三空、三智(喩えの光明の実現)において必要とされるわけですが、拙生は、勝義の光明の等引へ向けた境地のためにおいてこそ、明妃、羯磨印が必要になるのではないだろうかと考えています。本来は羯磨印は、幻身同士ではなく、生身同士の場合が想定されてあるものの、互いにそこまで高い境地にあることなど、条件面でも相当に難しいものがあるため、すでに高い境地にある幻身である明妃を、自らの幻身において、浄域、あるいは虚空から召喚、勧請して羯磨印を行うということで、その幻身同士の姿が、三面六臂で抱擁状態にあると...幻身の三面六臂で明妃を伴うという姿について

  • 安居論題、早期発表を 懸席者有志、勧学寮に申し入れ 本願寺派

    本願寺派には、三業惑乱の時にもそうだったように、岡本さん、稲城さん、木下さんら法義を護らんとして奮闘なさる志士がたくさんいらっしゃる。親鸞聖人もきっとお慶びのことでしょう。安居論題、早期発表を懸席者有志、勧学寮に申し入れ本願寺派安居論題、早期発表を懸席者有志、勧学寮に申し入れ本願寺派

  • 祖母初願忌・祖母の原稿を記す

    祖母初願忌。祖母の原稿を記す。六廻る宿縁に誘われて昭和五十六年九月(岩瀧山往生院六萬寺史別巻壹p241-246)奥様の思い出「宿縁と業とその十」(川口芳樹[三樹子・芳樹法尼])先の中巻出版に際しまして拙い文章を綴り数々の想い出を載せて頂き本当に有難い事でございます。身に余る幸せと感謝致しております。本来ならば此の一文を一番始めに書かせて頂くべきでありましたと存じますが些か現代を離れた前世と今生そして業につきましてのお話でございますので後記に致しました。丁度昭和二十二年の初秋でありましたかと記憶を致します。荒廃もこれ以上はと云える程に堂宇はもとより境内の樹木はのび揺れるすすきの穂さへうら悲しい荒れるに任せたどん底の月日でございました。昔楠木今は乃木と申しまして煽りに煽った軍国主義の戦力増強へのうたい言葉とし...祖母初願忌・祖母の原稿を記す

  • 往生院(川口家)関連年表更新・津島大橋家・川口家の祖をめぐる因縁譚についての一考

    往生院(川口家)関連年表を更新しました往生院年表はこちら→http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91065827.html桜井寺・善信尼帰国入寺役行者・岩瀧山開山女人大峯・修験道修行場、葛城修験宿場の一つであった聖武天皇勅願・行基開基六萬寺・本尊・薬師如来宇多天皇(仁和寺御室)による寄進があった念仏聖・安助上人・川瀬吉松の夢告通りに来訪。川瀬吉松の開基・安助上人により往生院の創建(拾遺往生伝・三善為康)安助上人往生。以後、日想観・五念門・二十五三昧会・百万遍念仏を修する寺院として、多くの念仏行者・信者が来山し栄える。この頃から、往生院は、九条家の権勢が強まる中で、九条家の荘園地・寺社領地の一つに組み込まれることになったと思われる。九条兼実により四天王...往生院(川口家)関連年表更新・津島大橋家・川口家の祖をめぐる因縁譚についての一考

  • 祖母の足跡を寺史で改めて辿る

    祖母の足跡を寺史で改めて辿る。(岩瀧山往生院六萬寺寺史中巻・下巻・別巻壹・別巻貳・別巻參)その十まで一気に読む。その十は、先代と共に往生院の復興を果たす鬼気とした気迫の原点、因縁が記されてあった。(岩瀧山往生院六萬寺寺史・別巻壹p241-246)先々代のことと共に、やはり南朝の深い因縁に誘われて復興を成し得られたということであったのだろう。後醍醐帝の皇子、宗良親王の後胤ともされる津島大橋家からの養子を迎えた川口家の子孫が、やがて往生院に入寺することになったのも必然であったのかもしれない…と本気で思えてくるのでもある。しかし、本当に宗良親王(天台座主、征夷大将軍)が、津島大橋家の先祖であるならば、その宗良親王の母は、二条為子となる。藤原定家→藤原為家→二条為氏→二条為世→二条為子藤原定家は、もちろん日本を代...祖母の足跡を寺史で改めて辿る

  • 「遺弟の念力」とは

    「遺弟の念力」とは、何でしょうか、とのことですが、「信心の力」か、「念仏の力」か、とになるのでしょうが、「名号利益円満真実功徳の相続による力」となるのではないかと考えます。つまり、それは遺弟の「正しい他力信心による伝道」と置き換えることができるのではないかと思います。一人でも多くに「正しい他力信心」を得て頂くためには、「名号功徳の相続」が何よりも大切となりますから。遺弟による「名号功徳についての相続の力」と解せるのではないかと存じます。・・一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。しかれば、「専修正行の繁昌は、遺弟の念力より成ず」と、あそばされおかれ候う。「てらのみ」について聞かれましたが…まあ、前述の通り疑心や自力心に関しての議論...「遺弟の念力」とは

  • 葬送焼香

    今日の焼香は祖母葬送の一炉。故人追憶想慕報謝哀悼のため往生院各所より集めし所縁樹香を捧ぐ。川口芳樹法尼への雲程資助とならんことを。合掌葬送焼香

  • 一宗の繁昌と申すは・・

    一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。しかれば、「専修正行の繁昌は、遺弟の念力より成ず」と、あそばされおかれ候う。「てらのみ」について聞かれましたが…まあ、前述の通り疑心や自力心に関しての議論と同じで、余計なことでも何かをしないと、何かに頑張らないと気が済まない、焦ってしまうのは性としてやはり仕方のないことでしょう。とにかく、本堂でお酒を飲むよりも、今は「新しい領解文問題」が何よりも宗門、門徒にとっての大事な時期であるのですから、勉強会を開いて皆さんの領解を問い、考えて頂く絶好の機会を開く方がもちろん良いでしょう。。一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う...一宗の繁昌と申すは・・

  • 「何かを捉えて信心だと思いたいという人間の性」が問題の本質である

    「疑心」に関しての拙投稿について、長谷川哲三さんから「何かを捉えて信心だと思いたいという人間の性」とのコメントを頂いたのだが、過去の惑乱、異安心もまさにそのようなことが問題の本質であったのではないかとは思うのである。やはり今回もそうなのであろう。功徳、ボランティアをすれば「信心」へと近づける、要は仏教における自力的なあり方によって「獲信」へとアプローチしていこうという姿勢を示したと言えるわけなのである。しかし、「疑心」、「自力心」、「何かを捉えて信心だと思いたいという人間の性」への対治は、通仏教における菩提心や智慧の陶冶とは全く関係のない別物なのである。六波羅蜜を修めていくのとは違った方法論によるものとなるのだ。この決定的な差異は、親鸞聖人の実地の体験からのアンチテーゼであったのではないだろうかと思うので...「何かを捉えて信心だと思いたいという人間の性」が問題の本質である

  • 「自力心」・「疑心」について

    「性としてどうしても出てきてしまう自力心」は、いわゆる「疑心」になりますか、と頂いたが…もちろん、宿縁、宿業、業縁による自力心もあり得るため、一概に疑心とは言えないと考えるものの、それは自力心が、倶生の諦執や無知、無明的に出てきてしまうものであるのかどうかにも関わってくるものとなります。しかし、逆に倶生の他力心があり得るだろうかと考えてみると、果たしてどうだろうか、、生まれながらに本願勅命を獲得、獲信しているということである。それならまず人間界には生じないのではなかろうか。少なくとも阿弥陀如来の報身報土や他の清浄界へと往生するだろう。まあ、還相としてならば、色々な世界、人間界にも生まれることはあり得ることにはなるだろうが…ならば、その者は当然に如来の方便法身、そのはたらきを有するということにはなるのではあ...「自力心」・「疑心」について

  • 浄土真宗との縁

    稲城蓮恵先生の光蓮寺の先代、稲城選恵和上は大瀛和上と同じ安芸出身の元勧学寮頭・与奪者(2002)。光蓮寺さんも徳永道雄前勧学寮頭・与奪者(2004)の正福寺さんもすぐ近くのお寺。大瀛和上逗留の浄向寺さんもすぐ近くのお寺。今までほとんど関係ないと思っていたのが、この数ヶ月で関連してのことでの浄土真宗との縁の近さを思います。何よりも川口家は近江八幡・安土城下の真宗大谷派の寺院の寺族の出身。そして、これまで関連が不明であった伝親鸞聖人自作坐像、玉日姫坐像から、往生院と親鸞聖人・浄土真宗との歴史的な関係性も明らかに・・浄土真宗教学の考究も元?親鸞会の関係者と思われる方との一年以上に及んだ対話からそれなりに進めることになっていた中で起きた「新しい領解文」異安心問題・・そして、その異議の訴え・・と・・何かの縁に引っ張...浄土真宗との縁

  • 浄土真宗の修行

    長引かせれば長引かせるほどに、江戸時代の三業惑乱時とは異なり、本願寺派にとってのダメージとなるのは、この異安心、このゴタゴタが世間に知られ続けてしまうということである…三業惑乱では世間の0.0000001%ぐらいしか知り得なかったことでも、このネット情報化社会では、その知られていくスピードが江戸期の比でなく、世間の0.01%ぐらいまで一気にその認知度が達してしまい、しかもネガティブなイメージが浸透し続けてしまいかねないということである。もはや伝道的にも大失態となってしまっている。このまま誰も責任を取ろうとはせず、取り下げもしないのであれば、更に被害は甚大となってしまうでしょう…とにかく、浄土真宗の肝要は、何よりも阿弥陀如来の往還二種回向にあると拙生は考えています。その主体性は衆生の側には皆無であって、絶対...浄土真宗の修行

  • 「死にたい人放っておけない」相談者の悩みに寄り添い続ける女性住職

    Yahoo!ニュース最トップに中田三恵さんの活動が取り上げられている。凄く嬉しい。。「死にたい人放っておけない」相談者の悩みに寄り添い続ける女性住職#今つらいあなたへhttps://news.yahoo.co.jp/pickup/6474167「死にたい人放っておけない」相談者の悩みに寄り添い続ける女性住職

  • 大瀛(だいえい)和上

    安芸門徒は本願寺派においても特別な存在である。1回目が安芸教区で行われたのもそのことが窺えるのである。しかし、新しい領解文推進派としては、初回から大きく躓くことになってしまったようだ。また、安芸教区からは多くの学僧も出生している。特に三業惑乱で活躍された大瀛(だいえい)和上もそのお一人である。大瀛和上は、拙寺の目と鼻の先でも長らく逗留されていた。当時であれば歩いて20分も掛からなかっただろう。往生院とも交流は何らかあったと思われるのである。特に往生院には伝親鸞聖人自作坐像があり、江戸時代には盛大に毎年報恩講が営まれてあったことからも、確実に来山されていたことであろう。慶讃法要初日、西本願寺に疑問を呈する歌を掲げに不思議と足が向いたのには、大瀛和上の見えない後押しの力もあったのかもしれない。大瀛(だいえい)和上

  • 令和の惑乱「新しい領解文」問題、まだ迷走中・・

    このまま全国教区で開催しても同じ結果となるのでは・・ただNO!を確認していく会になるだけなのでは・・一方で、国の議会の議院運営委員会にあたるような宗会会派の会長・幹事長会は、推進の取り下げへと動いている。新しい「領解文」混乱受け推進策取り下げを宗会、総局に申し入れへhttps://www.chugainippoh.co.jp/article/news/20230901-002.htmlこれでもまだ進めていこうとするならば余程のことである。「門主のご意向だから」と当局(前局)が強引に進めていったのが一つの常套句であった・・もしかすると本当に門主の意向でもあるのだろうか。。しかし、総局は門主を傷つけないためとしても、もはや相当に傷ついてしまっていることに気づいていないのでもあろう・・事の経過と次第によっては、...令和の惑乱「新しい領解文」問題、まだ迷走中・・

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