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  • ダライ・ラマ法王猊下大阿カーラチャクラ灌頂砂曼荼羅の御砂

    少し前に紹介させて頂いたダライ・ラマ法王猊下大阿カーラチャクラ灌頂砂曼荼羅の御砂。カパーラに納めておくのはカパーラの本来の法具的な役割とはやはり異なるものでもあるため、このままカパーラに納めたままとはせずに改めて仏舎利容器へと納め替えた。2017年1月5日~8日、インド・ビハール州ブッタガヤで開催されたカーラチャクラ灌頂伝授・砂曼荼羅神戸市・安養寺・清水良将師より拝領(ブッダカヤ・仏心寺・理事)この御砂のお加持は誠に計り知れない。誠に有り難く尊いものであります。第34回カーラチャクラ灌頂伝授会話1日目https://youtu.be/9R2_Rt8iEP4?si=j6wuo0pcWJyc1o5c2日目https://youtu.be/FSoE7LekH1M?si=EcBCGN_dmodcftab3日目ht...ダライ・ラマ法王猊下大阿カーラチャクラ灌頂砂曼荼羅の御砂

  • 死の光明を成仏、あるいは次世の清らかな生のために利用するのはなぜか

    死の光明を成仏、あるいは次世の清らかな生のために利用するのはなぜか。これは究竟次第における修行の進捗状況の進み具合によるからであると考えられます。つまり、生身のままで定寂心の譬えの光明を実現できるまで至っているならば、死の光明を利用する必要などなく、次の成仏過程へとスムーズに進めることになりますが、五次第における定寂心にまだ至っていない場合であれば、譬えの光明に限りなく近い「死の光明」を利用することで、それを譬えの光明の代替として、そこから次の自加持次第としての譬えの幻身、不浄の幻身を実現することにより、境地を更に前へと進めていくこととしなければならないからであります。それなら、皆、死の光明を利用することにより成仏体系に速やかに乗れることになるのではないかと思われるでしょうが、大抵の場合、凡夫はそれが死の...死の光明を成仏、あるいは次世の清らかな生のために利用するのはなぜか

  • 「水子」(すいじ)[みずこ]の由来について

    「水子」(すいじ)[みずこ]の名の由来については諸説ある。おおよそ三つ。嬰児は、母親の羊水の中で(あるいは出てすぐに)亡くなった子どもであるから。亡くなった嬰児を川に流して水葬にしたから。口減らし(間引き)の嬰児を川に遺棄したことから。水子を特に手厚く供養する風習があるのは、もちろん、不運で可哀想であるからとなるのだが・・実は、口減らし(間引き)のために亡くなった嬰児を供養するところに由来してあるとも考えられている。飢餓、飢饉に見舞われることの多かったその昔には、特に口減らし(間引き)のために嬰児を殺めることが当たり前のように日常的に行われていた・・比較的社会が安定しつつあった江戸時代でも幕府が公に「棄児禁止令」、「間引き禁止令」を出すほどであったのだ・・座敷わらしは、口減らしのために殺されてしまった子ど...「水子」(すいじ)[みずこ]の由来について

  • 死の光明の際、意識の状態だけで認識作用を起こすのかどうか

    このところ仏教学的には浄土真宗の思想についてのことが中心となっていたため、無上瑜伽タントラの考察がなおざりになってしまっていましたが、以前から頂いていた質問をまた一つ一つに・・死の光明の際には、意識の状態だけで認識作用を起こすのかどうか、というものを頂いていましたが、意識は、輪廻の微細な意識に限らずに、必ず身体と対として成り立つものとなるため、生身の身体か、あるいは中有の身体において認識作用を起こすものであると考えられます。生身の身体において成すものがいわゆる「トゥクタム」となります。しかし、生身の身体でいつまでもできるものではなく、然るべきに、意成身、つまり、中有の身体、あるいは幻身を立ち上げることになります。この内、立ち上げを自らの意思においてコントロールできる方が「幻身」となり、生身の身体があっても...死の光明の際、意識の状態だけで認識作用を起こすのかどうか

  • 令和5年お盆お施餓鬼 法話「焼香について」 往生院六萬寺

    コロナ禍、台風等の影響にてご来山できなかった皆様へと向けましての録画配信令和5年お盆お施餓鬼法話「焼香について」往生院六萬寺https://youtu.be/nWMlKZDMDUs配布資料「焼香の意義について」岩瀧山往生院六萬寺http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/91078088.html往生院六萬寺http://oujyouin.com/令和5年お盆お施餓鬼法話「焼香について」往生院六萬寺

  • 答申無視、越権行為、引責辞任・・

    これで「新しい領解文」の廃棄は決定的になったと言えるでしょう。そういえば、文中のある方、パワハラがあまりに酷いとの怨嗟の声まで漏れ出ていましたね…体制刷新ももはや避けられないでしょう。答申無視、越権行為、引責辞任https://note.com/ryouge/n/n67d92b23e741・・前勧学寮頭の徳永一道氏が主導したとの見方もありますが、以前にも指摘したように、蓮如教学における機法一体、仏凡一体の本覚思想性について、徳永氏は明らかに批判されていたことから、「新しい領解文」の誤謬を鑑みると、その主導は考えにくいのではないかと思っています。やはり強引に追い込まれて、止むを得ずに同意させられたということであったのだと思われるのであります。https://m.facebook.com/groups/423...答申無視、越権行為、引責辞任・・

  • 「新しい領解文」は誰が主導したのか

    前勧学寮頭の徳永一道氏が主導したとの見方もありますが、以前にも指摘したように、蓮如教学における機法一体、仏凡一体の本覚思想性について、徳永氏は明らかに批判されていたことから、「新しい領解文」の誤謬を鑑みると、その主導は考えにくいのではないかと思っています。やはり強引に追い込まれて、止むを得ずに同意させられたということであったのだと思われるのであります。https://m.facebook.com/groups/4239983176033867/permalink/6721158084583018/・・もしも、門主が主導していたとなればどうなるのでしょうか、と頂いたのだが、確かに「門主のご意向だから」という言葉は、「新しい領解文」を推進する側の者たちの口癖のようではあった。それは門主の威光を傘に着て、強引に...「新しい領解文」は誰が主導したのか

  • 「新しい領解文」令和の惑乱の顛末は・・

    もしも、門主が主導していたとなればどうなるのでしょうか、と頂いたのだが、確かに「門主のご意向だから」という言葉は、「新しい領解文」を推進する側の者たちの口癖のようではあった。それは門主の威光を傘に来て、強引に「新しい領解文」を通していこうとする意図によるところであったと思われるのではあったが、もしも、本当に門主がその主導をしていたとなれば、宗門、教学に大きな混乱を招いた責任を取り、その任にあらずとして自らで潔く退任して西本願寺・本願寺派を去るのがよいことにはなるでしょう。門主が主導でなければ、門主は大恥をかかされて、「新しい領解文」の旗振り役のピエロにされたいたわけですから、大激怒して当然なことになります。主導した者たちを厳しく処断して、宗門、特に総局以下の体制を刷新しなければならないでしょう。・・個人間...「新しい領解文」令和の惑乱の顛末は・・

  • 往生院関連年表一部を修正

    往生院関連年表一部を修正東京大学は、旧制東京大学→帝国大学→東京帝国大学→新制東京大学と名を変えており、先々代の頃では帝国大学文科大学時代ということであります。川口蓮海は、帝国大学文科大学(現・東京大学)・英文学科を卒業、それから朝日新聞に勤務し、本社編集長となるも、前妻・英子の死去後、紆余曲折を経て、岸和田の久米田寺(高野山真言宗)にて得度、修行し、その後に泉南の信達楠畑にある浄土宗・大雄寺にて文筆家として小説を多く書いていた。当時、大雄寺の住職であった豊島妙澄尼の娘と再婚。大雄寺との縁から往生院への入寺の話があり、浄土宗へと転籍し、浄土宗教師となって、往生院の復興を目指すことになる。桜井寺・善信尼帰国入寺役行者・岩瀧山開山女人大峯・修験道修行場、葛城修験宿場の一つであった聖武天皇勅願・行基開基六萬寺・...往生院関連年表一部を修正

  • 霊灰供養(斎場総供養)

    初めて知りましたが、霊灰供養として、斎場で荼毘された全員の供養を毎年されている様子になります。八戸市斎場霊灰供養法会〜1年間に火葬された3,749名へ祈りを捧げる〜(八戸仏教会)【2023.8.8】https://youtu.be/w06jc86TwnI全国でも同じように斎場ごとにて総供養はされているのだろうか?(行われているところは、行政が主体としてではなく、各地の葬祭業組合と地域仏教会が共催して行うような形となっているようである)最近はなかなか全骨を収骨することはなくなってしまっているため、ほとんどの方の遺骨の大半は斎場に残されて、一つにまとめられることになり、灰と共に塚に納めて埋められることになります。中にはもちろん有縁無縁に限らずに供養を受けたくても受けれなかった方もいるわけです。それぞれに宗教や...霊灰供養(斎場総供養)

  • 古・神感寺由来の柘榴の種、発芽

    先日に蒔いた古・神感寺由来の柘榴の種。芽がたくさん出てきた。これをある程度したら苗ポットに植え替えて苗木にできたら。一年ぐらいで古・神感寺に植えれるものもできるかもしれない。古・神感寺由来の柘榴の種、発芽

  • 「新しい領解文」は廃棄されることがほぼ確実に

    個人間の独断、偏見によって発布されてしまった経緯が、いよいよ明らかにされたため、手続きの瑕疵と教学的な瑕疵により、「新しい領解文」はこれで廃棄されることがほぼ確実になったようである。では、主導したのはいったい誰だったのか?門主?(前門?)、石上前総長?、前総長周辺?、その他の者?門主でなければ、門主は前代未聞のとんだ大恥をかかされたことになる。いったいこの始末をどうつけるのだろうか、、そもそも真に門主への尊崇、敬意、敬愛が、宗門の要職にある者たちにあったのであれば、まず起こらなかった問題であっただろう。真に宗門を護る愛山と共に、門主への敬意、敬愛のある者は誰であったのか。早々に「新しい領解文について考える会」を立ち上げ、その中心となり、反対の声を上げた岡本法治さんや木下明水さん、数名の志士たちの存在は、こ...「新しい領解文」は廃棄されることがほぼ確実に

  • 近年における本願寺派の勧学寮、監正局の思想変容、安心裁断のあり方の変質について

    先のコメントにて、通仏教、自力仏教への傾斜の考えられる理由について少し触れましたが、一方でその根底には、蓮如批判、つまり、「信心正因称名報恩批判」にあると以前より主張されておられるのが、紅楳英顕先生を中心としてのグループになります。近年の本願寺派教学に想うhttp://e-kobai424.sakura.ne.jp/kinnnenn.htmそして、近年における勧学寮、監正局の思想変容、安心裁断のあり方の変質も「信心正因称名報恩批判」によるところが大きく、今回の「新しい領解文」の問題にもそれが繋がっていると指摘されているのであります。勧学寮は、宗門教学・門主の諮問機関であるため、門主(前門)の宗門への方針意思、その思想的なあり方にも大きな影響を及ぼすことになっていると考えることもできるわけであります。議事録...近年における本願寺派の勧学寮、監正局の思想変容、安心裁断のあり方の変質について

  • 浄土真宗の学びについて

    浄土真宗の肝要を学ぶには何が一番良いのですか、となれば、難しい専門書にあたるようなイメージもあるでしょうが、私は下記の安心問答のアーカイブを読み進めるだけでも十分に一般の方でも学び進めて理解していけるのではないかと思っています。実際に疑問について質問をしてみるのも良いでしょう。あとは、基礎的なことについては、龍谷大学真宗学科卒論集が、かなり役立ちます。優秀な論文がたくさん公開されています。令和4年度のものがまだなのがかなり気になりますが、、親鸞思想の論理展開については、大智度論における論理にてほとんどカバーできることは、既に過去にシリーズにて述べてある通りになります。大智度論を学ぶのもかなり役立つことにはなるでしょうが、大智度論はかなり膨大ですから、それは余裕があればとなります。https://anjin...浄土真宗の学びについて

  • 優生思想・選民思想・戦争思想への警告

    ある種の生き物系YouTubeを観て思うのだが、生態系を守るためにということで、特定外来生物だからといって駆除イコール正しいこととして命を奪うのは、やはり人間のエゴであるのだろうとは思うのである。命の優劣を人間の価値観で図り、殺しを肯定する…つまり、優生思想、選民思想と何ら変わらないのである。もちろん、優生思想、選民思想は大勢の命を奪う戦争ともやはり絡んでくるものになる。とにかく業は偽らなく必ず報いを受けることになる。共業としてもだ。人に限らず命は皆、誰も奪われたくはないもの。いかに共生、共存していけるようにするかが大切となるが、そうではなく、持続可能な社会のために都合の悪い者は排除するということにもやがてなりかねないのである。一部の人間の都合の良い社会のための持続可能な、と、優生思想、選民思想に一気に傾...優生思想・選民思想・戦争思想への警告

  • 勧学寮がついに反旗を翻したのか?

    以下の記事をそれぞれ読むと、門主の任命保留なのか、内事部(内局)のところで止められてあるのか、まだ詳細はよくわからないが、恐らくは内局止めとなって宙ぶらりんになっているのだろう。勧学寮が、あえて新しい領解文に反対を表明している者を推薦したということは、もちろん止められるのは織り込み済みであり、つまり、勧学寮は新しい領解文への反対の姿勢を明確にしたと言えるのだろう。教学からも当然のことである。本願寺派は何よりも教学がその矜持であることを改めて確認したものであると言える。問題は止め置いている主体は誰かだ。止め置いている主体が、門主なのか、内局なのか、もしくは両方共なのか、である。要は、既に半分以上死に体となっている「新しい領解文」に、いまだに固執しているのは誰であるのか、ということだ。「執らわれを離れて」とあ...勧学寮がついに反旗を翻したのか?

  • タイムリミットは御正忌報恩講での改悔批判まで

    「勧学司教有志の会に名前を連ねている勧学が(来年度安居の)本講師の候補であったようであるが、批判を行う者を本講師に任命することはできないというというのはいかがなものだろうか」この記事を窺うに、門主がその任命を留保しているということなのであろう・・法義示談の再開についても「新しい領解文」についてあれこれと聴かれると困るため目処が立たないというところなのではないだろうか・・御正忌報恩講での改悔批判も、このままではとても乗り切れないことが明らかである。改悔批判の講義、領解出言の主体が「新しい領解文」では、いよいよ本願寺派教学も死に体ということになってしまうであろうし、それでは、本来は批判する側が、批判される側になるという、なんともお粗末な事態となりかねない・・それまでが決着のタイムリミットとなる。こちらも門主の...タイムリミットは御正忌報恩講での改悔批判まで

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